三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

今年残り24時間あるけれど、今から腹筋割れるかな?

まいったな、今年はあと2日なのに・・・

本当ならば、三原さんは年内にこのワードプレス版の「三原氏物語」を30記事投稿するつもりだったんだ。

でも現在は15記事くらい?なので、年内あと2日しかないのに今から15記事書くのは、いくらブログを書くのが趣味の三原さんでもきびすぃ〜

投稿記事数がそんなにないし、今から頑張っても15個は厳しい。もうこれで諦めて新年を迎えようかと考えているんだけれど、ダメかしら?プロブロガーを目指すならばこれは失格だよな。

さて、今日は何を書こう。 この発言もブロガー失格に準ずる発言だよね。

書きたいことを好きなだけ書く。それが出来るのがブロガーだ。

うむ、なんか年末で折半詰まった冒頭だったが本題に入ろう。

残された人生をどう生きるか。これ結構大事。古くから哲学者がそれを考えるのが仕事みたいになっている感があるけれど、明確な回答ってないよね。

なんでこんな話をするのかって言うと、今年があと2日しかないからだね。もう今年は筋トレとブログしかやらないと決めているんだ。そして読書が出来れば最高。

筋トレ道場も休みだし。 それで頭が暇だから、そんな哲学めいたことを考えてしまうんだ。

一体自分があとどのくらい生きていられるのか、それが分かれば本気を出すべきなのか、あるいはまだのんびりしていられるのかが判明する。

それっぽいアプリも存在するけれど、診断結果を見て90歳まで生きていられると分かって喜んでいる最中に、もしかしたら隕石が墜落してきて直撃。

なんて可能性が0%! とは断言出来ないから恐ろしい。あまりそういう万が一の事態を妄想し過ぎると、三原さんみたいに病気になっちゃうから止めとくんだぞ?

どっかのネットの記事で読んだことが事実ならば20歳が過ぎると体感的には人生の時間は半分が終わったも同然って言われている。

現在26歳の三原さんはもう人生の半分が終わったことになる。でも厳密には持病が多数存在するから、もっと短いだろうな。

今4分ほど考えて見たら、自分に出来ることってこうして駄文を書くことくらいなんだよね。他にやりたいこともないし、生きていた証を残す術がこれしか思いつかない。

ちなみにこのブログの最終回ってのも、漠然と考えてはいて自分がタヒぬか、あるいはランボルギーニを購入した時か、それか自分らしい生き方を見つけてブログを書く必要がなくなったときだろうか。

自分らしい生き方ってのも、結構漠然としていますよね。やりたいことをやる ってのが、模範回答っぽいけれどやっぱりブログを書いているのが今は一番自分に合っていると思う。

じゃ、今回はこの辺で失礼するよ。