三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

戦う事の難しさと、逃げる事の気楽さで後者を選ぶ人生を送った奴の惨状

なんでやり始めたんだったか?

質問箱への回答

ご質問ありがとうです。結構読んでくださる大切な読者様からのご質問ですね、これは。感謝!

ちょっと雑談から入ろう。 志望の動機。履歴書で毎度書くよね。割と皆そこに頭を使うみたいだけれど、御託並べるのは得意だからアタイはそんなに苦じゃない。

メンタルが保てば月曜にはアタイは履歴書を記入している事でしょう。

次はどこで働こうかとプランは考えてある。採用されるのかどうかは別ですよ。 どの辺かは、前に書いたと思いますので割愛。

問題はロケーション的に英語を沢山使う場所となるので、残念ながらアタイは語学系の資格に弱いのが問題ですね。

意識高いくせに、実は英検3級とトーイック310点しか持っていないこのアホさ加減。

大学二年の後期からはちょっと英語を頑張ってみようかな、将来的にも使って行きたいし。なんて考えていて、半年ぶりに英語を再開して中学レベルから一生懸命やり直している現実よ。

早速今日も授業の小テストで50点満点中49点を取得。やるじゃん三原!

さて、本題に入ろう。

質問箱も文字数が限られるのがネックですね。

まず武道を始めたきっかけだよね。

新規の読者様もいらっしゃるだろうから、事細かに書くよ。

まず、その武道の名前を躰道(たいどう)って言うんだ。空手から派生した50年程度の歴史しかない比較的新しい武道だ。

マイナー過ぎて知るきっかけもほとんどないでしょう。だからアタイが今広めたことにしとこう。

ちなみにLINEスタンプもあるんで、よかったらどうぞ。大体スタンプの内容みたいな動きをしています。

7年前かな? 大学中退して、フリーターやりながら障害者の職業訓練校に通っていた時期だ。

たまたまお昼休憩に弁当食べながらテレビのニュースを見ていたのが、その武道を知ったきっかけとなる。

あまり口にして良いものでもないが、北海道大学躰道部員が飲み会で急性アル中起こして死亡したって事故だった。

そこでなんとなーくノートに「躰道」とメモしといたんだな。事の発端はここにあるんよ。

そしてその翌年にとある企業の事務員に採用されてさ、デスクワークってその名の通りずっと座りっぱなしなのよ。

イライラするし何より確実に軽度のエコノミークラス症候群になっている気がしたのと、まぁタバコを吸っても良かったんだが近所に喫煙所がないのと、気軽に吸いに行ける環境では無かったから、その当時はタバコは吸っていなかった。

決められたことさえ確実にこなせば給料がもらえる単純作業だったので、脳も体もゆとりがあるし、精神障害者は運動が脳に良いとか言うから「じゃあなんか始めてみっか」と思って色々調べていたんよ。

場所が新横浜だったから、20分歩けば障害者専用の公営スポーツセンターがあって、しかも無料だったんだけれど「筋肉つけて何が楽しいの?」としか思えなくて、

どうせやるならば実用性!と思ってあらゆる格闘技を調べてみると、意外と横浜ってそういうの少ないのよね。

当初は最強を目指すならばブルースリーが生み出したジークンドーだろ!なんて思っていたけれど、場所が湘南にしかなくてさ。

んで、仕事でエクセルを使う機会があったから復習のために職業訓練校で使っていたノートを開くと「躰道」ってメモがあるじゃないですか。

まさか神奈川でやってるところねーだろー笑

なんて思って検索してみたら意外にも会社からの帰り道ってかほぼ近所に道場があったわけさ。

ちなみに神奈川県立武道館は、ネットでも調べても合気道と柔道くらいしか情報がなくて躰道の存在は記載されていなかった。

普及させる気ねぇだろ。

自称宇宙一行動力のある障害者、早速メールで問い合わせ、その3日後くらいには稽古に参加していた。

新規参入者も皆無で、マイナーすぎるコミュニティ、誰もが口々に「どこで躰道知ったの?」と訊いてくるけれどアタイが「北大の躰道部員がアル中で〜」と言うと、皆顔が引きつっていたのは未だに忘れない。

まぁ運動不足の解消に加えて少し戦闘能力が上がるのならば、しかも月額3000円で良いなら、って事で後先考えずに入会した。

本当に初心者がいない道場なので、誰もが強すぎる。実は入会してから組手で勝ったのは一度だけ、しかも相手は高校生で、相手の反則行為でこちらが勝利になったっていう情けないエピソードがある。

加えて学生チャンピオン、世界ランク3位、日本一とか、豪勢なメンバーで構成されている上に練習はキツイし、いつまで経っても上手くならないっつーか超えられない壁もあり、毎度毎度怒られながらも「これは修行なんだ・・・」と言い聞かせながら、週2で通っていた。

この当時は加えて月に一度くらいの頻度で錦糸町の道場にまで仕事帰りに向かい、更に自宅ではマインドフルネス瞑想なんかもやっていたけれど、今になっては「なんでそこまでやってたんだろう?」と謎で仕方がない。

まぁ経験曲線効果と、トーナメントの組み合わせの運の良さで、入会してから二ヶ月で全国大会の新人部門に出てみたんだよ。

っつーか半ば強制的なんだけど。

だりぃからさっさと負けて、強い人の実戦を観戦していた方が楽しいはずの大会と割り切っていたのに、

どういうわけかあれよあれよと勝ち進み、決勝まで行くことになるなんて師範から同じ道場生、ないしは自分も全く予想外だったよ。

膝を痛めていたが、もう俺は試合に出たくねーんだよーと心の中では思っていたのでマジで苦痛だった。

決勝っつーのはつまり、負けても銀メダル。なんだよ。

言い忘れたがこの競技は技の美しさと力強さを表現する「形」の試合で、相手を蹴ったりする競技ではない。

それでも膝は痛い。

決勝にも競技とランク毎にやる順番が決まっていて、静まり返って誰もが注目する舞台で下手な動きとガクガクする膝で無様に演武を、しかもやる気がないのにやるのは異例だったと思う。

大会終了後、閉会式で無事にメダルと賞状をもらい、その当時も続けていたブログ、三原氏物語(ライブドア版)には華々しくその日のブログのタイトルに「俺が障害を克服した日」なんて書いたけれど、なんかいまいち実感が湧かないし、そんなに嬉しくもなかったように今になっては思う。

そこから急にやる気を失ったのか、惰性で続けてきて一応目標が「演武無敗の伝説の男」中野哲爾己鍛館館長、千葉大学躰道部監督 と全日本選手権決勝で競うってのを目標にしていたけれど、彼は大会への出場からは引退したので(指導は多分今も続けている)もう目標もなくなり、

通信制とは言えど大学に通えるほどのお金も貯まり、障害者雇用なので然程稼げないならば好きなことやってた方がいいでしょ、

仕事よりも休憩中にコーヒー淹れている方が楽しかったし、もう一度学び直し、色んなことに挑戦する人生最後のチャンスだと思って会社は辞めた。

人間としてはクズだけれど、障害者としては割とスペックは高い方だと自負しているので、いつか「お前健常者のくせにその程度なの?」と言えるくらい見返してやりたい気持ちもあったが、

何度かここで書いた通りやっぱり障害者は障害者、大学行ってからも何度か稽古には通ったが「形態」という空間認識能力がめちゃくちゃ低いので、道場続けて3年、技も当てられず、

挙句、大学病院の精神科と口論になりながらも薬を飲み続けて「疲れていても運動した方がメリットあるっておかしくね?いくら体動かしてもだりぃんだけど。健全な肉体に健全な精神が宿るとか嘘だろ」

となり、修行という割り切りでやっていた道場には通わなくなり、脳の回転に即効性のあるコーヒーにかれこれ7年のめり込み、更には雑念が一瞬だけ払拭出来るという理由でタバコを吸い始めた。

まぁ大学の周りの若くて将来性のある友達にはアタイをダメな大人の見本例として、他人のフリ見て我がふりなおす 参考程度にしてもらえればいいし、

膨大な人生のフィードバックは誰にも負けないくらい持っているけれど、こちらから人生論を話しても煙たがられるだけなので最近は訊かれなければ答えないようにしているし、

そもそも訊いてこないから、それはそれでいいやと思っている。

道場を辞めた理由には、やたらとLINEの通知がうるせぇのと、稽古に出るのはいいけれど試合には出たくないというワガママが受け入れられない点、なによりも国内でトップの選手が揃っているレベルの高すぎる稽古で毎回やられっぱなし、スキルの実用性の無さ、せいぜい7個くらいしか無い技をずっと磨き続ける事への飽き等がある。

割と大きい大学(日大には何故かない)には躰道部ってのがあり、どういうわけか揃いも揃って国立大学が強い。意外かもしれんが、特に東大。

そこの出身のエース、イケメンで優しくて頭も良くて技にもキレがある「形」の国内2位の人に、どこでどんな稽古や練習をしているのか訊いてみると

東大OB専用の躰道の会がある、但し基本部外者お断り。

たまに公営の体育館をレンタルして一人で形の練習をしているストイックさ

後は自分の何がダメなのかを的確に把握して考えて修正するpdcaサイクル

なんかを教わったが、次元が違いすぎて唖然としたね。

大学で4年間、卒業後も社会人になってまだ続けていて何がそんなに楽しいのか全く理解できずに、アタイは3年で飽きたんだけれど頭のいい人なりに持論でもあるのかな、そこは聞きそびれた。

前にも横浜道場に出稽古に来た、高学歴の美人と帰りの電車でどんな練習しているかをどもりながら質問したら、やっぱりこの人も体育館をレンタルしていた。

貸切体育館って流行りなのか?

彼女も全国大会で上位に君臨している。

果たしてそれこそアタイの座右の銘「最底辺から最先端へ」を掲げるならば、初心者から始めて全国大会、ないしは世界大会優勝でも目指せば

誰もが憧れる障害者になれて、それこそ本当に「俺は障害を克服した」と言い切れるのかもしれんが、

残念ながらメンタルは持たなかったよ。

話は近日に変わり、大学病院の主治医の融通の利かなさに腹を立ててクリニックに移転し、

ここはここでまた違ったやり方での治療へのアプローチをしてくるようになった。

念頭には「無理をしないように」回復をさせるみたいで、どうも話を聞いていると自己啓発セミナーか宗教のイベントに関わっている感覚になるけれど、

一応行動力だけはあるので昨日からプールへ行ってきた。

道場とプール、どっちが楽しい?と言われると、今になって思えば畳に顔をつけるほどの変な姿勢で技を繰り出す謎の動き(画像参照)と、汗だくでボロボロになった道着、空調が無いから夏は暑すぎるし冬は寒すぎるフロアで、かなり無理をして軍隊のトレーニングのように全員が揃って同じ動きを強制的にやっていたのよりかは、

疲れたら休めるし、自分のペースで体を動かせる無理のない水泳の方が、運動としてはアタイには適していると思った。

今のところはどっちも楽しくないけどね。

これはほとんど知っている人がいないと思うんだが、アタイは漏斗胸と言って胸が陥没しているのよ。

だからあまり裸になるようなところには行きたくないってのがある。

手術して治すか、陥没したところをシリコンで埋めて見た目では分かりにくくする方法(美容整形の豊胸みたいなもんだ)があるけれど、

この奇形には命に別状はないとか、平均寿命は短いとか諸説あるし考えても治るもんじゃないから諦めているんだ。

前の大学では水泳が必修で、やっぱり上半身裸になると周りがジロジロ見てくるんだよな。それが嫌でな。

「なんか胸凹んでいるよ」とか聞いてくるバカがいたから、「ああ、俺実は心臓が無いんだよ・・・」って返したら、すげぇ申し訳なさそうな顔をしていたのは心の底で嘲笑っていた。

ウダウダ書いたが、道場で得られたのはせいぜい

意外と戦うって疲れるし難しい

喧嘩になるくらいならば、逃げるか詫びた方が良い

って事くらいかな。 あんまりやりきった感じもないが、一応無防備な相手がいる前提条件ならば一撃必殺の技が二つはあるし、って思うとそんなに世界にビクビク怯えて過ごすようなこともなくなるのかなと。

強い男になれば何かが変わる。

そういう妄想に囚われて戦って来たけれど、もう一つ身につけたのは圧倒的に逃げ回る能力だな。

取り敢えず致命傷は避けられる。

これは余談だが、アタイが常時ゴツイ金属のG-SHOCKとボールペンを身につけているのは、防衛手段のためでもある。

この時計で殴れば手を痛めずに相手に致命傷を与えられるし、ボールペンならば最終手段として目玉を潰す事も出来る。

返り討ちに遭うのも十分承知しているので、めんどくせぇから喧嘩になりそうな時は素直に謝るし、一度も喧嘩は人生でした事がないからこの護身具もただの機能性のある御守りに過ぎない。

anyway, 考え方なんてしょっちゅう変わるんで、もしかしたら2年後くらいには総合格闘技とかやっているかもしれないし、プールの魅力に取り憑かれて潜水を極めて溺死の感覚を垣間見る楽しさとか見出したりしているかもしれない。

未来なんて誰にも予測できないが、まさか見知らぬ他人の死からこういう風に人生が変わってくることもあるんだなぁという事を覚えて頂ければ幸い。

ってなわけで

アクティブログ(活動記録)

目覚まし時計が40分鳴り響いても起きられない。 出たよ、統合失調症名物カタトニー〈硬直〉

寒くなってくると全身がコントロールできなくなる。去年の今ぐらいにもこう表現した気がする。

「心臓のあるマネキン」

あれを克服しようと試みて、少しだけ改善の余地がある方法を昨日考え出した。

それは 寝る前にこれでもか!ってくらいに水を飲む。

そうすると朝起きる時にトイレに行きたくなるから、少しは起きれるでしょ。という考えよ。

最もやり過ぎて膀胱炎になってもアタイは知らねーよ?

加えて昨日のプールの筋肉痛もある。 歳を取ると筋肉痛は二日後にやってくるとか言うけれど、まだ若い証拠なのかしら?

明日筋肉痛がマックスならば、アタイはもう若くないね。

今日はダラダラ家にいてもしょうがないので、さっさと大学に行くことにした。

テスト勉強をしようと思っていて、90分しかないと考えていたらまさかの授業が休講。 4時間近く暇になり、

5限の授業では小テストで1問ミスという快挙を成し遂げ、20時まで友達と残って勉強をして帰宅途中に質問箱を開いたら、こんな心のこもったメッセージを頂いて、23時現在まで書くに至る。

やっぱりやりたい事ってなんだろう?と思うと、文章を書くか、コーヒーを淹れるか。なんだと思うんよ。

最近少しアクセス数が伸びて来て、割とブロガー様とかからフォローもされるようになってきたけれど、ほとんどそう言う人の記事は「会社辞めてブログ始めて月収20万!」「フォロワー3000人突破する10の方法」とか、営利的な記事ばかりで、

否定するわけではないが、本来のブログの在り方としてはどうなのかとちょっと疑問を抱くんさ。

元々ブログってのは「web log」から来ている言葉で、つまりネットに書く日記 って意味なんだが、

こういうノウハウ的なのはマニュアルとかレポートになるんじゃねーの?と言いたいわけですわ。

だから好きなことを書いて、ついでに「ちょっと収益が入って嬉しいな」くらいに留めておくのが一番長続きするでしょう。

だから道場を初めとして、大概の事は3年で飽きる性格なんだけれどブログとコーヒーだけはほぼ毎日続けて来たんで、これからも続けるでしょう。

三原氏物語が物語として成立していないかもしれんが、アタイはアタイで昔とは変わったなぁと実感しながら毎日更新しているんさ。

割と売れている漫画家宜しく、アタイも昔書いた事はあんま覚えていないし、読み返す事もほとんどないんよ。

たまーに数年前の記事を読んで「下手な文章だなぁ」とは思ったりするが、大切なのはその日の記録なので

幾らツイッターやインスタグラムで簡潔に内容を留めておいて支持を得ても、数年後に見返して「なんだっけ、これ?」って思うならばその場限りの自己満足みたいなもので、今さえ楽しければ良い、モラトリアムとそんなに変わらないとも思うよ。

このブログもそんなに変わらないか。

そういや帰りの電車でスマホを拾ったんだ。 駅員に届けたらめちゃめちゃ感謝された。

年寄りへの気遣いはしないが、こういう行為をする心は幾ら捻くれた性格でも大切にしていきたいと思う。

じゃ、今回はこの辺で。

アタイのお世話になった師範も出ているよ!出演料は無かったらしい。

【最底辺から最先端へ】ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村