三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

記号論の質問から、婉曲的にテスト範囲を導き出す小賢しさ

商学部なのに、哲学ばかりインプットしている。

雑談

「三原さん、卒論の進捗具合はどうですか?」

とある方から、そういう質問を実際に頂戴した。 まず言い訳をする。

1単位認定試験、これをクリアしないと商業の勉強が手につかない 2最近処方される薬が変わってその場で気の利いた(まともな)回答が出来なくなっている 3テーマは決まっているから、後は調べて書いて、実際に調査すれば終わると思っている

の3つの言い訳。

最悪卒業までの半年があれば、なんとかなるとすら思っている。

では、冒頭に書いた、哲学の話。 アタイは歴史は嫌いだが、哲学はまぁまぁ好きなんです。(得意とは言い切らない)

歴史は新しい学説が教科書に反映されるのが遅いのと、探求していくと大概が「諸説あり」で片付けられる事、結局戦争で時代が展開されていくパターンばかりで、極め付きは教科書の冒頭の旧石器時代から真面目に勉強をしても、その辺はほとんど試験では点数に反映されない時点で嫌になった。

嫌いなだけで、苦手ではない。 ただ、個人的には歴史は「そんなもん趣味でやってろ」で片付けている。

その一方で哲学ってのは文献をちょっと読みかじれば紀元前からの思考の概念が現代でも活かせるし、腐敗しないって点で好きではある。

但し真剣に好きな古代の概念なんてプラトンイデア論くらいで、アリストテレスのセントラル・ドグマなんか現代じゃ「マジでこんなバカみたいな理論で運動論をまとめていたのかよ?」ってレベルの欠陥だらけだったのは否めない。

ただその当時のその概念ってのは、当時にとっては最先端で常識みたいなものだったんだろう。アタイらが生きている現代の学問だって20年したら「三原さん、それ古いっすよ」なんて言われかねない可能性は十分にある。

さて、なんで今商学部3年のアタイが哲学に没頭しているのか。 理由は超簡単。

現在、哲学の科目しか履修していないからさ。 (厳密には統計学や簿記もあるけれど、有り余る春休みに存分に勉強すれば良いと思っている)

一を知って十を知る。 みたいなヴェンリなものでもないけれど、通信制の大学で今アタイがわざわざ片道90分かけて習っている科目は哲学特殊講義(プラグマティズム創始者、パースが展開する記号論に関する論文を解説するだけの授業)を聞くためだけに、わざわざ神奈川県を出て東京のど真ん中で授業を受けているわけさ。

この教授は年度毎に「哲学特殊講義」と「科学哲学」を交互に授業を担当していて、商学部のアタイにとっては都合の悪い事に、去年は広告論という商学部の科目と科学哲学が被っていて受講が出来ず、今年は夏に科学哲学の短期集中講座があったものの貿易論と重なって受講が出来ず、

やむを得ず今年は哲学特殊講義を受講し、残念ながら科学哲学は独学での単位認定試験を受ける事になってしまったんだ。(つーか本来は英語音声学が、硬直しなければ特殊講義か科学哲学のどっちかだけで済んだ。音声学は休みすぎて着いていけなくなってしまった情けなさよ。)

二つの科目を同じ教授が担当するっていうのを存分に活かし、産まれてからこの方、小賢しいアタイは「特殊講義を習えば同時に科学哲学も単位取れるだろう」と目論んでいるところよ。

今日の授業でも相変わらずパースの記号論が〜で、 って解説していて、ハウスマンという方の解釈を引用している文献を読んだわけさ。教授はこれは「ブッディズムに通じるね」とか言うんだけれど、そんなこたぁどうでもいい。

小賢しさ抜群のアタイは、控える12月15日の単位認定試験に関する情報を探る為に、敢えて今回の授業内容を質問することにした。

若干の、アクティブログ(活動記録)

探求と知識。あるもの一つを取っても、それを本当に探求するには終わりはない。って話だったと思う。ここは自分の言葉で書く為に講義ノートは見ていない。

つまり探求に幾ら時間をかけても、物事一つ取ってもそれの本当の理解の終わりには到達しない。

って話を今日は90分かけて聞いたわけさ。 ここでのキーワードは「実存」と「収束」だった。

まぁどんだけ一つの事を探求しても全部理解するのは無理だろう。取り敢えずの限界は見えるけれど、到達(実存)は無理だと。到達したと思っても、収束点はまたずれるよ、そしたら再び探求しないといけないね。と。

これを高校数学で習う極限を用いて二次関数の数理モデル化させて質問してみたわけさ。 横軸に探求(時間)、縦軸に知識量をとって。

教授、今回仰ったのをグラフ化してみたらこんな感じじゃないですかねー?と。

言うまでもなく、ここは大学。 ググってわかるような事は足払いされる。

だから徹底的に理論武装して臨んだ。

授業時間は定刻よりも6分早く終わり、周りの奴らはいわゆる分かったのか分かっていないのかもわからない、魔法にかかった状態 になって「早く終わったー」とか言いながら帰っていく。

一人が我先にと質問に行く。 二番目にアタイが並ぶ。

一人目の奴がなんか質問しているのを盗み聞きしながら、自分のノートに簡潔にまとめておいた考えを「考えはおかしくないか?」と何度も繰り返し確認していた。

残念ながら教授にとっては、質問者の1人目も二人目(アタイ)も統失に相当していたようにアタイは感じる。

一人目の質問が「VR(ご存知ヴァーチャルリアリティー)が出す現実の光に触れる事は出来ますか?」って質問だった。(言文ママ)

話が飛躍しすぎているわね。 一応このパースの記号論は、現在のVRにも応用可能なのよ!ってのを教授は力説しているんだけれど、残念ながらまだそこまでの解説には授業では至っていない。

この一人目の質問は、何を言っているのか教授でも分からなさそうだった。

だけど、なんとなくアタイには言いたいことが分かるんよ。 これを勝手に名付けるならば統失空間とでも読んでおこうか。

VRが出す光。 ヘッドマウントディスプレイで見るような仮装空間だろう。自分の首の角度に応じて、適切な視界が表示されている。

現実の光。 多分、VRのヘッドマウントディスプレイそのものが出している光(装着している人が知覚している光)だと推測する。

光に触れる。 VRで見ているものを(実際には存在していないのに)あたかも触れているように感じる事はできるのか?

っていう質問だったんだと思う。

教授はここまでの言語の恣意性が汲み取れなくて、「あー、もう何言ってんのかわからないから、次の君!(三原さん)」にしたんだと思う。

アタイは週にたったの1コマしか授業をとっていない分際だが、この最初の質問者は学内で見かける限りはいつも一人で過ごしている印象だった。発言を最初に見た時は重度のコミュ障だと思っていたが、話を聞いている内にアタイと同類項じゃん・・・と、確定出来るまでになっちまった。悲しいもんよ。

コイツは学内ではいつも一人ぼっちで、プライベートなんか知ったこっちゃないが、会話が得意じゃない事だけは十分に理解している。

ところが今回のこの質問を、同じような精神病(なのかしらねぇけど)が聴くと、どういうわけかシンクロニシティしちまうわけさ。

なんとなくソイツの言っている事が理解できる。悲しい。

上記の解釈に従うと、コイツが聞きたいのは

VRで見た映像を実際に触っているかのように体験出来るデバイス記号論でも説明が行くのか。

って事なんよ。

アタイの経験からすると、こんな装置はすでにアタイが高校1年の時(15年前)に慶応の理工のオープンキャンパスに行った時にCGを応用する学科の教授がVRに加えて杖を持たせた状態で、実際にVRで見ている映像内の壁を手元の杖で叩くと、叩いた感覚がするデバイスは研究済みだった。

とその場で言ってやりたかったけれど、話がこじれそうだから黙ってみていた。

やっとアタイの番だ。

教授、今回仰ったのを数理モデルにしてみました。つまりこういうことっすよね?

と言ってカッコつけてアタイは黒板にチョークでグラフを書いていく。

教授は「うんうん、続けて?」

アタイは授業中に入念に理論武装してきたつもりだったけれど、先の質問者のせいもあって、何故か思うように説明が上手くいかない。

まぁ教授は納得してくれていたが。

結論として、今回はそれでいいけれど、次回は力動的対象は横軸からずれるよ っていう多分アタイにしか分からないような説明と、「君なかなか面白いね。名前はなんて言うの?」

と聞かれて教授にアプローチするチャンスを捕まえた。

それから最寄りの駅まで話し、今教授が同じ担当の科学哲学で、アタイ苦戦してるんすよ〜と、打ち明けたら「それまだレポート採点してねぇわ!」と言われてぶん殴ってやろうかと思った。

貴方のフィードバックが無いと先に進めないんですよぉ。(泣)

みたいな表情で、アタイは「では、お願いします」とだけ伝えて別れを告げた。

まぁレポートの課題と回答内容に齟齬はないみたいで、取り敢えず安心はした。 但し今月15日の試験に受からないと最悪来年の夏までないがしろになる。(短期集中講座を合格しないと卒業できない)

パースの記号論が、現在イギリスではマーケティング記号論に応用されているとか教授から授業で聞いたけれど、全くそんな文献は週一で丸善に通っているアタイでも見たことないし、そもそも記号論がそんなに有益なもんなのか?って疑いは半年以上受講していてもまだ理解できていない。

挙句教授から紹介された、池上嘉彦氏の「記号論への招待」も読んでみたけれど、残念ながら記号論とは言えどソシュールが展開した記号論で、パースには微塵も共通点がなかった点でアタイはガッカリだよ。

つまり、日本の書籍でパースの記号論の理解を深める文献がほとんどねぇってこった。 こりゃやべぇぜ。

いかんせん哲学ってのは金にならねぇ、知名度も低いわで誰もこの学説を分析しようとする人がいねぇそうだ。残念だね。

応用でマーケティング記号論ってのが紹介されていて、果たしてどれだけ活用出来るのかは確かめてみたいけれど、今のマーケティングの主流はコトラーを筆頭としたアメリカが中心だし、市場もほとんどAmazonが占めてんじゃねぇか、って時点でイギリスの研究がどんな影響力があるのかは謎だ。日本で率先して導入すりゃ国内市場でポジショニングは出来るのかしらね?

ってなわけで

ここからが本当の

アクティブログ(活動記録)

だぜ??

フロアを沸かせるDJでありたい!!」 なんて思ったけれど、残念ながらここは丸の内のベーカリーカフェだ。クラブじゃねぇ。

パティシエの作った渾身の焼きたてを提供する事で、客を興奮させ、店内までをも温めようじゃねぇか!!と。

ところがそうもいかねぇ。 人員不足、人員不足、人員不足・・・だ。

焼きたてを出したいけれど、レジから離れるわけにはいかず焼きたてが出せねぇ!!

こんなに辛い事があるかと。

挙句、12月に入って所得税が引かれるかどうかの瀬戸際になってきた。 下手に働くと国から金を没収される。

だが現実はどうだ?! 忙しい、師走だ!!三原、火曜しか大学ねぇんだろ?出勤してくれー!!

ってなるじゃないですか。

アタイだってそりゃ出勤したいわよ。Life is work

人生よりも労働さ。 働きてぇ、人の役に立ちてぇ、金は・・・・後からついてくりゃ十分だ!!

と思っても、丸の内から徒歩20分圏内の霞ヶ関にアタイの労働力は吸い上げられちまうんだよ!

店内連日人員不足!!

働きたいけれど税金取られたくねぇ、扶養から外れたくねぇ!

そんな理由で出勤も出来ず、

逆に出勤してみれば周りも同じような状況で、いつも人手が足りねぇ!!

おかしいな、本来ならばバリスタとしてドリンクを作ってフロアを沸かせるのが本来の勤めじゃねぇのか?!

ドリンク作りながらもアナウンスをするのがアタイに出来る唯一の仕事というか、取り柄だったんじゃないの?!

連日人手不足で残念ながら毎度レジだよ。幾らベーカリーカフェでも、パンの会計ばっかりしていたらつまらんわ。

終いにゃ年末のシフトを出してくれと、11月末の時点で言われ、多分一番乗りで提出したら「三原年末年始は働けねぇのか?」と問われ、アホなアタイは「スノボー行ってきまーす!!٩( ᐛ )و」と答えてしまったわよ。

へぇ。。。また人員不足ですか。

しかもスノボーからの帰りにそのままバイトに入れって・・・・凄くすごくない?

いや、やろうと思えば出来るけどさ。 アタイの何もかもを犠牲にして店に貢献すれば皆ハッピー? 最大多数の最大幸福??

勘弁してよ。

年末は何もかもを忘れてスノボーしようと思っていたんだよ。ハーフパイプで1080(テンエイティ)に挑戦しようと思ったんだよ。受け身を取り損なって、肘に痺れが残るような無様な展開を予定していたんだよ。。

まじかよ、スノボーから帰ってきたら、家にたどり着く前にヴァイトですか!?

楽しいじゃないの!やってやろうじゃないの!!٩( ᐛ )و

・・・そうなのよね、近頃頭の中はスノボーに行くことでいっぱいで、15日に試験 あるのを度外視している。 あれさ、現実逃避って奴さ。現実なんか見たくもない。だから日頃視線を合わせないんだし。

今年はボードも買ったし、割とマジなのよ。 お金に余裕があれば春休みにニセコにだって行っちゃうんだから!!

なんかグダグダだけれど、じゃ、今回はこの辺で!!٩( ᐛ )و