三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

素敵な一年にしたいわね。頑張るわよ!٩( ᐛ )و

明けましておめでとう! です!!

(書いたのは2日の時点)

雑談

来たる2020年ですわよ。ヒルクライムの春夏秋冬ではなく、マジで今頭の中は「今年の冬は・・・、春は・・・何しようか?」状態だわ。

アタイの自宅には過去5年分のスケジュール帳がストックしてある。残念ながら見返してみても、大概がバイトの予定と何かしらの勉強の締め切りくらいしか記載されていない。

客観的に見ればつまらないかもね。 でもアタイはそれなりに満足しているから良いのよ。

友達が今日、着物を着て初詣に行こうが何しようが情報として入らないならばそれはアタイにとっては友達が何もしていないのと大差ないわ。

一年の計は元旦にあり。って昔からある諺も大事にしているものの、昨日存分にだらけた元旦を過ごしていたら、このブログを書くのは2日になってしまったわ。

今から予定を少しずつ考えてもいいでしょう。

今年(来年度)の予定では大学を卒業している、でも今のところ進路は全く決まっていないという状況。

そもそもこの大学に入学した時から決意していた「在学中に自力で稼ぐ基盤を構築する」って目標は言うまでもなく実現出来ていない。

google AdSenseがかれこれ7年近く継続できていている。しかし収益は口座の確認のために振り込まれた小銭以外、1円ももらえていない。

もうすぐ振り込みの基準額にはアプローチする。7年やって、その程度。好きでやっているからここまで来れたものの、ブログのサーバーをレンタルする費用などを考慮すると赤字なのは、誰の目からみても明らかでしょう。

ええ、好きでやっているからここまで続いた。特に利益を追求せずに好きな事を自由に書き、分かる人、共感出来る人だけが読んでくれればそれでいいと思って続けてきた。

そこが若干の問題でもあるのよ。 趣味なんだ。だから「お前才能ないからブログ辞めた方がいいよ」とアドヴァイスを頂いてもアタイは怒るだけよ。

ただ入学時のスローガンである自力で稼ぐ、には程遠い。

他に収益があるところは、せいぜいLINEスタンプ。 これは月に一度スタバでコーヒーを飲むという些細な贅沢が出来る程度の稼ぎではあっても、「自由に使えるお金なんだからガンガンやりたい事に使うわよ!!٩( ᐛ )و」というレベルでもない。

但し放っておいても誰かが買ってくれたりするので(誰が買っているのかは分からないが、本当はお礼が言いたい)貴重な収入源にはなっている。ありがてぇ。

で、結局好きな事だけで食っていくみたいなハイパーフリーダムなポジションにはすぐにはなれなさそうなので、アタイは少なくとも週に3日はベーカリーでバイトをしている。

これが結果として障害者雇用でサラリーマンをやっていた頃よりも断然稼げるので、少しはやりたい事の実現になるのかなぁと安心するのもつかの間、どういうわけかお金は何をするにしても中途半端な程度にしか残っていない。

こうしてバイトで熱心にドリンクとパンの販売をしているだけで、気がついたらもう後半年したらアタイは30歳になっちゃうし、大学4年生にもなってしまう。

卒業が出来なければ5年生になるだけなので、どんなに単位が取れなくても惰性で4年生までは進級が出来る。そんな肩書きだけ先輩になっても仕方あるめぇよ。

あまり大学にも行っていないし、連絡もとらんから何とも現状は知らないが、薄々周りが就活を始めたり資格の取得に躍起になっている感じは分かる。

一方でアタイはただ卒業だけを当初から目標にしていたし、幾ら障害者雇用と言えども就活なんて二度としたくない、やりたいのは飲食くらいでどこも人手不足なんだからそんなに必死にならなくてもなんとかなるでしょう。というノリでここまで来てしまった。

ただ去年の11月に差し掛かる辺りからアタイは「将来どうしよう」を毎日考えるようになってしまった。

これが検索して最適な進路が分かればいいもんだが、アタイの気はすぐに変わるし読んだ本に速攻で影響を受けるタイプなので、性格診断とかしてみても

あなたは 科学者に向いている 芸術家やデザイナーがいいよ

と、こちらの事情は何ら考慮されていない、ただの統計によってはじき出されたパラメータに合致した職業が紹介される。

科学者、研究者ってアタイ理系でもないし院にまで行って研究したい分野もモチベーションも携えていない。

芸術家、デザイナーって言われても、本当に絵を描いた事のない人よりかは ちょっとそれっぽく上手く描けるよね。ってくらいなもんで、今まで学校で美術関係の表彰状を貰った経験もないし、一体誰が評価してくれるのか謎なくらいに今やっている事は自己満足に近い。

ただし共通してあまり向いていない職業に営業や接客が掲示されていて、このまま惰性で飲食を職業にしてしまうとただ辛いだけなんじゃないの?と不安を煽られる。

今年の目標は「アタイの作ったコーヒーは万人に受け入れられるのかどうか」の追求であって、店を開くとか大それた野望の実現とまではいかないが、

何が言いたいかって、世間でウケるコーヒーが提供出来るか?というクリエイティブな方面と、

冒頭にも書いたように自力で収入を得られるのかを検証してみたいという憧れの実現をしたいのよ。

ここで新年の決意として、半年で50人に自分の焼いた、淹れたコーヒーを売る、若しくは飲んでもらう のをまずは目標としたところ。

現状では今のアタイは、親族3人と友達2人にしか豆を渡していない。 やっぱりコーヒーに正解はなくて、美味いと言ってくれる人もいればその逆を言う人もいる。

地方の叔母にパンと一緒に送った豆を近所の元コーヒー会社勤務の人にあげてみたら、素人にしては美味いとお言葉を頂いたらしいが、これも直接聞いたわけじゃないから真偽は不明だし、やっぱりアタイの豆よりもパンの方がお気に召すらしく、パンに関してはアタイは一切製造に関わっていないので「ああ、そうですか」としか答えられない。

そんなわけでアタイはいつまでも空想にふけって毎日同じ手順でコーヒーを淹れている場合じゃなく、生産は無理でも焙煎から抽出まで妥協のないコーヒーを震えるこの手で作り上げるんだと決めたんよ。

お金持ちになるつもりはないけれど、責めてコーヒーで自己実現がしたい。

アタイの将来の夢はそれだけだわね。

ってなわけで

アクティブログ(活動記録)

晦日を宿のマッサージチェアで過ごしていた。誠に良い旅館だった。 楽しいというよりは、久しぶりに心の底から何もしないを堪能出来た泊まりでした。

何から何まで宿のスタッフがやってくれる。 親切すぎて逆にこっちが気を使うくらい。

露天風呂に入った後にマッサージチェアでダラダラと「来年はどんな一年になるんだろう・・」とか考えながら、気づいたら年を越していた。

大浴場の少し脇にあるマッサージチェアで一年の疲れを癒しているのかどうかは疑問だが、アタイがこうしてくつろぎながら漠然と来年の事と、マッサージチェアも究極系としては老人Zみたいな至れり尽くせりの何でもしてくれる椅子になるのだろうか、生命倫理とかどうなるんだろう?と空想に耽って年を越しているその傍で、宿のスタッフは年越しも関係なく大浴場の清掃に全力をかけていた。

カウントダウンとか以前に、なんでこんな時間も働いているんだろう?今じゃなくてもよくね?好きでやってんのか?給料幾らもらえるんだろう?と疑問は絶えなかった。

食事も大変素晴らしくて、本当に最後の締めのコーヒー以外は全てが完璧な宿だった。 予約のとれない宿、リピーター続出の高級旅館、googleでの評価は☆4.6

と文句の付け所のないいい旅館だったが、一年の慰労としてここに訪れるために頑張るってのは些かオーバー過ぎるのは何故だろう?

5年に一回くれば十分過ぎるとさえ思う。

宿を出発した親族一向は、松本市内をちょっと観光した。 日本で最初の小学校として国宝になっている開智学校 とか言う建造物を概観だけ見学してきた。

相変わらず歴史に関しては一切関心を示さないアタイは、いっくら国宝だろうがこれを見て「通っていると頭が良くなれそうだなぁ」としか思わなかったし、もっと言わせてもらえばそこから徒歩3分もかからない松本市立のガラス張りの大きな図書館の方がよっぽど魅力的に映った。

松本城もお堀を一周しただけで「ふーん」としか思わなかったし、一体誰が大名なのかすらもこの年になっても未だに知らないくらいに興味がなかった。ググりゃ分かるんだけどさ。

それから長野市内に向かう道中に山を越える必要があり、ちょっと山間部にひっそりと存在する駅によってみる事になった。

姨捨駅、姨捨

要は過去の時代に、面倒を見きれなくなった年寄りの世話なんか出来るかっつー事で、自分の母(または祖母)をこの山まで担いで、捨てて帰ってくる っつー、生物的には誠に合理的なサイクルが由来の山だった。

秘境駅と言うほどまでには周りに何もないわけではないが、1日の利用客数は60人程度でこの付近を走る列車からの車窓は日本三大車窓の一つにランクインしているほどの知る人ぞ知る名駅だった。

アタイは人がいなくて古びたボロボロの駅舎に「今、ここにいるのアタイだけ!٩( ᐛ )و」みたいな状況が大好きなのだが、この駅舎は風景を堪能出来るように10年前に改装されているらしく、そこだけが残念だった。

あとは駅の特徴としてスイッチバックという設備があり、駅の看板も少しいつもとは見慣れない表記になっている。

駅舎の中に「駅ノート」があったので、冗談混じりに20年したらまた母を連れてここにきます笑 みたいな事は書いておいた。

元旦早々年寄りを捨てに来たわけではないが、この日本三大車窓の理由としては田毎の月 と呼ばれる、棚田の水面全部に月が映し出される風景が息を飲むほど美しいらしいのである。

今は冬だから田んぼの水も引いていてカラカラになっているけれど、それでも遥か遠くに見える雪を被った山脈は立派だったし、亡くなったじい様と一緒に登った山も視界に入っているってのは、なんとも言えない気持ちになった。

その一方でアタイの婆様はずっと車の中で待機していた。

長野市内に到着しても、特段なにかをしよう! ってわけではなく、ただホテルでダラダラしているだけ。

深夜にちょっとラーメンを婆様抜きで皆で食べに行って、元旦は終了。

翌日である今日はひたすら思いつく限りのコーヒーを飲んで、長野駅の駅ビルで蕎麦を食べたりちょっと土産屋を覗いたりしてから、ようやく高速バスに乗り込んで東京方面へと帰っているところよ。

世間は9連休とか聞いたものの、高速道路は大混雑で挙句明日はバイトがあるんだ。とか思いながら、一向に東京にアプローチしないバスの中でブログを書いている。

帰ったらスノーボードの掃除もしなきゃだし、早くコーヒーの準備もしたいしで、やりたい事は盛りだくさんよ。

結果として今回の5連休はゲレンデの雪さえ多ければなにも文句はなかった休暇でした。

じゃ、今回はこの辺で。