三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

どこまでも疑うと、つまらない事もこんなに長ったらしくなる

何も信用しない。

雑談

結局は結果と、やってみてどうだったか?の経験よ。

ホリエモンがこんな事を言っていた。 寿司屋で修行するのは時間の無駄。情報はネットに落ちている。1年もあれば開業できる。

鵜呑みにしてもいいけどさ。

もっと根本的な疑問は浮上してこないのか。 なんでお前自身が握った寿司を誰も食べたことがないのに、そんな事が言えるのかと。

いや、この話の時点で既にそういう成功モデルが複数いたのかもしれない。 結局この人は寿司はプロデュースせずに、和牛の魅力を広めている。和牛が美味いのかは食べてみないと分からないから、否定も出来ないがわざわざ食べたいとも思わない。彼の発言はいちいち説得力があるから、賢くなった気になるし理解出来た気にもなる。(そういうのを総じてアタイは「魔法にかかる」と呼んでいる)

「あの人が焼いた肉なら、間違いなく美味いんだ!!」

それこそが思考停止だろう。まぁ不味くはないだろうけれど、それこそもっと美味い肉を出す店の情報はネットに落ちている。

そもそも生物としてこの人間ってのは、タンパク質と塩分、加えて炭水化物のトリプルコンボさえあれば、逆に不味いと感じるものを作り出す方が難しいくらい、案外味覚なんて大した感覚じゃないのよ。

アタイにとってはよっぽど変な培養液で養殖された家畜でもなければ、肉なんて食べられればほとんどどれも一緒だってくらいに肉には特段興味がない。 たまに美味いものを食べて、普段食っている肉とはこんなに違うんだなって体験が出来れば本当に高くていい肉ってのは別に毎日食べられなくても良いとすら思っている。

うん、肉は兎も角だ。

今度はコーヒーの話をしましょう。アタイ語れるのこれくらいしかないし。 天国に最も近いコーヒー抽出士のこのアタイが淹れるコーヒー。指折りで数えるくらいしか存在しないが、貴重な飲んでくださった方は何人かいらっしゃる。

何回かこのブログでは話をしたが、全く同じ味のコーヒーってのは再現が出来ない。 豆や器具は勿論、その日の気温から水の違い、カップによっても味は断然変わる。大量生産されたブラックの缶コーヒーだって時期で個体差はある。

だからこそ「いつ行ってもこの味が楽しめる」ってのは安心感もあるが、どうやって味を維持しているの?っていう怖さもあるのよ。 毎年毎年気候のパターンが一緒ならば同じ味のコーヒーが採れるかもしれない。現実はそうじゃないのよ。

マニアックな話になると、アタイが元々勤めていたドトールだって店舗毎にブレンドコーヒーの味は若干変動する。いや、会社の方針としては「どこで飲んでも同じ味」がウリなんだ。

アレンジドリンクだって、この素材は何g と厳密に決められていて、誤差は許されない。 っていうか覚えてこないとカウンターに立たせてもらえない。

それでも店やその時の気分毎にコーヒーやドリンクの味は変わる。 先日飲んだ品川駅港南口のドトールブレンドは、香ばしいお湯にしか感じられなかった。 対してアタイがよく利用する大学キャンパス最寄りのドトールブレンドは、テイクアウト カップだろうと冷めても美味く感じる。常連補正なのだろうか。

要するに、毎度味が変わるからこそ、提供する側は不安なんだよ。

徹底的に欠点豆や焙煎が上手く行っていない豆は取り除く。規定量で挽いた豆には規定量の、決まった温度のお湯を注ぐ。産地は同じでも、同じロットで焼いた豆でも味は不思議と変わる。

だからこそ、アタイがお客さんにコーヒーを飲ませるからには、必ず試飲をする。

しかしながら、バイト先で提供する大量生産された同一規格のコーヒーに対しては一度に一気に抽出するし、お客様に提供する前に自分が試飲するなんて余裕もないし許されてもいない。(それでも今バイトしている店のコーヒーはスペシャルティなくらいどうしてこんなにも不味いのか疑問だ)

ある意味大企業の提供する、経済学的な意味での市場に投入される製品がどの製品をとっても同じ製品という観点での、どのコーヒーを飲んでも同じ味で同じ値段ってのはすごいと思うが不思議でもある。

そんなわけで、アタイは「美味いカフェがあるよ」と言われても、自分の舌で確かめるまでは他人には推奨しないようにしている。

前提から疑うって事ですわよ。 グルメアプリのレビューだってそうじゃない。

せっかくお出かけするんだから、どこかで美味しいものが食べたいと。 当り外れを考慮してドキドキしながら飲食店を探すような時代は終わった。

ええ、食べログを筆頭にどこの店が何点かが大体分かる。最早評価すらされない店は存在していないに等しい。

どのエリアにも似たような事が言えるんだけれど、どう頑張っても食べログで星4.8をこえるような店が存在しない。

アタイの地元横浜、元町中華街には「個人的には遠方から来たお客様をお持て成しするならば絶対にこの店に連れて行くわ!」っていうくらいに一押しの店がある。

お店の開放感もさる事ながら、トイレから隅々まで清掃が行き届いており入り口も内装も高級店そのもの、料理の味は文句の付け所もないし、店員も接客が行き届いている。

これだけ優れていれば価格もディナーに行くだけで2万くらい取られてもおかしくねーだろ、それにしても緊張するなぁ と思わせがちでも、案外6000円もあれば5人で十分にお腹がいっぱいになれる。1人1000円出せば十分に満足出来るし、むしろアタイ1人で6人分奢って感謝されるくらい価格も良心的だ。

さて、このお店の気になる食べログの評価は?個人的にはダメ出しする要素皆無。

答えは3.8

おかしいだろ。いや、どう考えたって4以上は評価する。と、アタイが店員でもないのに不満を言ってもしかたない。この評価自体は揺るがないのだから。

じゃあ中華街でもっと評価の高いレストランに行けばいいじゃん ってそうじゃねぇだろ。

何でもかんでも数字の見た目だけで判断するんじゃない。その結果の過程と本質を探るんだ。

推しの店のレビューを読んでみれば、味付けが濃い とか 空調が弱い など、大多数が個人的な感想を占めている。

味付けなんて絶対基準はない。必ず美味いというやつもいれば、不味いという奴がいる。 幾らレビューで満点の美味しいパン屋に彼女をデートに連れて行ったって、彼女が小麦アレルギーならば評価は0点なんだから。

空調だってそうだ。デブだったら暑いかもしれないし、冬の出入り口付近の客席だったらそりゃあ寒いだろう。じゃあそれが飯の美味さと相関性あるか?って話だ。

価格は抑えてこの雰囲気と食事が楽しめるんだから少しくらい文句は言うなよ、っていう私情はさておき、ここで逆に考えてみてほしい。

コイツら普段どんな良い物食ってるの??

アタイにとっては値段は抑えていても、大ご馳走。 それに対して平然と星3とかつけちゃう人がいる。一体何を食べれば、どういう接客をすれば星5をつけてくれるのか。謎じゃない?

まぁそんなわけで、何でも疑う癖をつけてから行動しろよ、って話ですよ。ディズニーランドみたいな完全なる娯楽が提供されている空間だったら余計な事は考えずに素直に遊び尽くしたほうがいいけどね。

じゃあ次の議論。 少しタイムリーな話。

先程お茶の水エクセルシオールカフェでレポートを書いていた。どうしても内容がまとまらず、気分転換にタバコを蒸して上を見上げたらあった一枚の写真。

カフェの従業員でこれを見て違和感がなければ、エスプレッソとは何かを考えてみてほしい。

通常、エスプレッソの理想ってのはタイガースキンと呼ばれる黄金色のように綺麗なクレマ(エスプレッソの表面のきめ細かい泡)が形成されるのが美味いとされる。

エスプレッソってのは確かに液体だが、そんなドリップコーヒーみたいにドバドバ、ジャバーっと出てくるのは論外だ。やっぱり理想は蜂蜜のようにとろーり、ぽたぽた、と出てくるのが至高。

ところがこの写真ではエスプレッソマシンの取り柄を否定するような、訳の分からない液体が抽出されている。

クレマがなく、ダブルで抽出されていてエスプレッソほど濃厚ではない事が分かる。

一応世の中にはあらゆるコーヒーのニーズに対応して、エスプレッソをお湯で割った「アメリカーノ」という飲み物も存在はする。強調しておくと、その辺のカフェチェーンにあるアメリカンとは別の飲み物だ。

ただの雰囲気的な意味でのカフェとしての写真の一枚に過ぎないと言われればそれまでだが、残念ながらエクセルシオールのメニューにアメリカーノは存在しない。(エスプレッソを注文してお湯を追加してくれって要望には対応してくれるとは思うが。)

こうしてレポートが手につかなくなって違和感を抱いて帰宅した。(言い訳)

その帰り道でもまた奇妙な広告に出会う。 まず東京駅。

時空間を移動出来るカプセルみたいな近未来的なデザイン。やっと21世紀らしくなってきたわね!٩( ᐛ )و と喜ぶどころか、その実態はなんだとポスターを見てみればなんてことはない。

ただの座ってWi-Fiが存分に使えるだけの、平成初期風に言うならば電話ボックス に過ぎなかった。

電話ボックスのサブスクリプションモデルに過ぎなかった。

まだ実験段階みたいだが、東京、新宿、池袋、立川 当りに導入し始めているようだ。

個室。

後々開放的な自習空間的なスペースも展開するらしい。

値段が幾らなのかがぱっと見でわからなかったが、この供給に対してどこに需要があるのかを浅知恵なりに考察したい。

存在しているのは都心の主要ターミナル。 大概のオフィスは徒歩10分圏内に存在 外回りで不意にインターネットを個室で利用したいケースはあるのか

ざっと思いつく疑問がこんなもん。

まず駅で個室が必要か。って話よ。 駅だ!ターミナルだ!JRだよ。根本的には駅ってのは電車が発着して乗り降りする為の建造物に過ぎない。大都市圏だけだよ、駅中に色々展開してんのは。

だから駅についた、よし個室でメールしよう!ってなるか??って話なんだよ。 移動中に車内でパソコンいじるサラリーマンいるじゃん。

っていうかこんなのにお金払わなくても、多分同じくらいの値段でグリーン車使えるぜ?

混まない、座れる、作業もしやすい。

狭い、ネットつながる、一歩も動かない。

どっちが有意義だ?言うまでもないだろう。

しかもエキナカが存在するようなターミナルばかりにこのカプセルは設置されている。エキナカなんだ、改札を出なくてもちょっとカフェに寄る事だって出来んだろう。カプセルは禁煙でもカフェならタバコも吸えるわ。コーヒー飲めるし電源あったりするし、トイレにだっていける。食うには困らない。

ただ広告を見ていて気づいたのは、このカプセルを利用するには事前に日時指定の予約をしなきゃいけないのね。

不意に思い立った時に利用出来る代物じゃねえのかよ。(一応「空きがあれば即利用可」とも書いてあるが)

Wi-Fiがある。うん、カフェでいいじゃん。

オンライン英会話にも! 改札内で英会話したいという需要は幾らなんでもニッチすぎねぇか?

15分250円との事だ。 これでカプセル内が飲食自由ならば、アタイならば間違いなくネット環境で何かしらの動画を視聴しながら酒とつまみを用意して帰宅ラッシュが過ぎるまで時間を潰してから電車に乗る。

まぁ考えるほどに謎の多いサービスでした。 これで予想に反して爆発的に普及したら、それはそれで面白いけれど生産性は上がるんかいな。

あらゆる資料が手元に揃っているならばセカンドオフィスとしての利用も考えられるが、予備校の自習室よりも使い勝手悪くないか。つーか自分の職場で残業している方がまだマシだろ。

次の議論。 もう日常は意味わからんもので溢れているのよ。皆視野がスマホのディスプレイまでしかないから、そういう謎の手抜きに気づかないのさ。

電車の広告1

線路の無いところに新幹線、その前方に乗用車。みたところ野原。シュールにもほどがあるだろ。なんか別の表現なかったんかい。

広告としては新幹線とレンタカーを同時に利用すればお得ですよ!って言いたいんだろう。 しかしイラストが意味不明過ぎる。

背景にある山には橋がかかっている。何かローカル線が走るのかと思えば、山の両端には特にそういう人工物も見当たらない。ただの人が渡る吊り橋にしたって、目下に渓流があるような感じもしない。ただ山と山をつないでいるだけ。必要あるのそれ?

深く考えたら負けなのだろうか。

そう思うと、この広告の下には美容の広告があった。

電車の広告2

残念ですがお化粧をしてもクマ・たるみは消えません。

はぁそうですか。アタイは化粧はしないからなんとも。 じゃあこの命題の反例とかを考えてみるとどうかしら?

化粧をしてもそもそもクマは消えない。そりゃそうだよ、顔に塗っているだけだもん。正しくは、消えたように見える。或いは化粧で隠すことはできる。

命題を鵜呑みにするんじゃない、そんな時こそ個人に一台、スマートフォンだろ。

クマ・たるみの消えるような化粧、美容液は存在しないのかいな?ググれよ。

じゃあこの広告の美容、肝心のお値段は?ってみてみれば12回払い月々9800円。総額で11万円を超えるらしい。

近頃は何かと「君のやっているその無駄な行為、それ一年に換算してみると3日くらいはそれやっている事になるよw」と煽るけれど、

11万円払うとクマが消えると仮定して、逆にクマが消えるように見せかける化粧を毎日やる時間と化粧代とのコスパを考えると、果たして11万円は安いのか?ってならないかしら?

見た目若返る、化粧に時間かけなくていい、それならばこの美容治療は有効か??

有効?ならいいや。それじゃダメなんよ。もっと探れ。

一体治療をすれば何日効果は持続するんだ?半永久か?どんな治療方法だよ、副作用とかないの?折角同じ治療方法ならば他に安いところ、もっと信頼出来るところは?

そこまで考えてほしい。

生憎アタイは何もしなくても見た目が若いから、そんな事をググりはしない。ここまでウダウダ書いたが、考えていた時間はものの4分にも満たない。どうしても文章化、あるいは他人に伝えようとする行動には時間がかかる。

この広告のオチとしては、余計な頭を客に使わせないようにご丁寧にQRコード、または検索ワードが設けられていて他の競合他社に目移りする前に予約がとれるようになっている。

美容にお金を使うのもいいけれど、頭は使わないと顔に出るわよ。

ってなわけで

アクティブログ(活動記録)

レポート提出。なんで春休みにこんな事やってんのかな、って不意に思ってしまった。 古ーい教材を一生懸命読み込んでいる。今時の首都圏の若者が自動車免許を取ると思うなよ。とツッコミながら。

自動車、家電の普及で余暇が出来た。女性の高学歴化、ライフスタイルの変化が生じた。

この上文を2000字に拡張する作業に追われている。そう、勉強じゃない。作業だ。 余暇?残念ながらスマホが想像以上に依存性高くて四六時中この小さな画面に現代人は食いついて離れないわよ。余暇?ソシャゲ、SNSで終了。ショッピング?外食?出かけなくてもUber eats、Amazonがあるもの。車?誰かに乗せてもらえばいいじゃん。

それが現実。しかし本来そういう科目じゃないのに、時代錯誤な平成初期の社会変化の要因について勉強している。

どうしてどっかのそれなりの文庫本を指定のテキストにしなかったのか。なんで30年近く前の教材でこんな古臭い話を理解するのに頭を使っているのか。 だからちっとも面白くない。

昨日もそれなりに勉強していたが嫌になって寝てしまった。

今日は気分で目覚めてから、お茶の水まで行って穂高という喫茶店エクセルシオールをハシゴして自習、その後美容院に行って、帰りに変な広告を見ておかしくなってようやく家に着いたってわけよ。

ここまで変な疑問が生じる広告だらけだと、もしかしておかしいのはこっちなんじゃないか?って怪しくなるわよね。大丈夫、アタイはおかしさが一回転して普通だから。

茶店で自習をしていたら、メールでの通知で後期の受講の成績結果が発表されたと届いた。

如何に大学に行かないか。それだけを考えて哲学特殊講義しか受講しなかったものの、結果としては今年度初のS評価でした。やっぱり短期集中講座よりも毎週律儀に通う方が成績はいいな。とは思った。だけど大学に行きたくねぇんだよ。

この今回の講座もそれで満足するんじゃなく、何でS評価なのかって分析しないとだし買ったけれど使わなかった参考文献と提出した課題の齟齬を確かめる必要もある。

ウチの大学は取り敢えず評価は出すけれど、どうしてこの評価なのか?って 点には誰も一切答えてくれない。だから単位を落とす奴は永遠に軌道修正出来ない。

逆に成績が良くても「なんか分からんけれどいい評価」ってハッピーで終わると、勉強していないのと同義で締め括られる。

いまいち勉強しているんだかしていないんだか、勉強が出来るんだか出来ないんだかもあいまいな教育機関なんです。評価なんてただの名義尺度に過ぎないよ。

ただここまでの成績をみると、半分以上の科目がA以上で、Cが一つもない。じゃあ成績いいのかっつーと案外そうでもない。大学院に行くにしては成績が低い。一体なんなんだか自分でも分かりゃしない。

取り敢えず今回一番嬉しかったのは他学部の科目でS評価が取れたのは初めてでした。よかったね、っていうそれだけよ。

明日は夕方からの出勤ですわよ。じゃ、今回はこの辺で。