三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

暇すぎて映画を見る。よっぽどのことよ。

仕事もお金も無いんです。

雑談

コイツ・・・意図的にやってんのか・・・?

前回の話だと正月のクソイベント、学費の納入、バイトの時間削減という流れについて触れたわね。

今回はもうちょっとバイトの話をしようじゃないかしら。 毎日毎日お金の計算をしていた。じゃないと不安なんだもの。

昨日学費の振り込み通知書が自宅に届きましてね。10万8500円と事前に確認していたから、それを信じてシフトのやりくりをしていたら、やりやがったよ日大。

校友会というオンラインサロン以下の組織の参加のために年間1万も払わなければならない。いや、事前確認の電話でそれ言っておけよ。確かに学費じゃないけどさ。

これ何のためにあるの? ってちょっと疑問に思って調べてみると年2回の部報が送られてくるのと、日大の関係医療機関が少し安くなるわよ、OBがやっている一部のホテルや飲食店が安くなるわよ、って何にもメリットがねぇ。

部報も特段有意義な情報が掲載されていない。同じ学年の人はこんな風に頑張ってビジョンがありますよとか。へぇ、そうですか。 正直JRの駅前で無料配布している旅行のパンフレットよりもどうでもいい。

6分あれば読み切れるレベルだし。 この校友会に参加しなければいけないのか、ってのが甚だ疑問で今回の振り込み書にはあの日大のトップのヤクザみたいな理事長からも「お願い」として、是非卒業後も校友会に入ってくださいとの事が同封されていた。ぜってーやだ。

この世界一無駄なファンクラブのために払う1万円ってのが誠に想定外過ぎて、また給料の調整をしなければならなくなる。今月はあれを控えよう、いっそ自宅にある何かの本を売ろうかな、などと資金のやりくりが要求される。

計算をしなおせば、なんとか年間の授業料が振り込めるところまでは結論が出せた。 まぁ4月の短期集中講座の授業料はちょっと怪しいが。

あとは余計なことを考えずに、一心不乱にバイトに打ち込んで学費を稼ぐべ。 もう頭の中は労働モードに突入していて、店の最高戦力になってやろうじゃないかと思うくらい張り切っていた。コロナウイルスなんか物ともしない商品の提供をしてやろうじゃないかとすら意気込んでいたくらいよ。

取り敢えずスタッフに感染者が1人も出なくて、アタイ自身も何も問題がなければ学費はなんとかなる。働け三原!

そう考えていた矢先、また業務用の連絡で不幸な知らせが来る。

商業施設、てめぇこのやろう。

コロナウイルス警戒のため、商業施設全体の営業時間の短縮の連絡だ。

おいおいおいおい、まーた給料減るじゃねぇかよ。一日辺りの労働時間が1時間削減されまーす。ただでさえ客が来なくて時間削られているのに。

これも計算してみれば約4500円の機会損失だ。学費程度ならばまだ影響は出ないが、頭の病院に行く余裕がなくなりつつある。

病院も処方する薬局もクレジットカードが使えるならば、こんなつまらない事に対して大して頭を悩ませる必要もないんだけれど、このキャッシュレスが推奨される現在でクレジットに対応していない。現金オンリー。何それ?

薬を服用しないとどうしても死にたくなるくらい死にたくなってしまうので、ある意味命に関わる問題なのだが、さてどうしたもんか。

敢えて財布を忘れてくるというクソ貧乏人底辺思考を思いついたけれど、人としてそれでいいのだろうか。

ちなみにここまでウダウダ書いているが、アタイは貧富に関わらず現金はほっとんど持ち合わせていない。銀行からお金を下ろすのに並ぶのも向かうのも面倒だし、手が震えるから会計時に財布から小銭を取り出すのにもたつく悩みもある。

だから基本的には大きな買い物は月に9000円までを上限にAmazonで買うし、ちょっとした飲食の場合はクレジットカードから入金したモバイルSuicaで会計を済ましている。あんまり現金もメリットないよ。それでもお金が好きならば持ち歩いていりゃいいさ。

お金がない、あってもコロナの影響で遊ぶところもそんなにない。そもそも誰も遊びに誘ってくれない。

結局レポートをやるかと思っていた6連休は頭の病院で注射された向精神薬の副作用で体がだるくなり、文字通りずっと休んでいた。ブログでも書いてりゃ良かったと今になって反省しとるが、それすらも気力が湧かなかった。

ようやく副作用が解消されたと思ったら、今日から学費を稼ぐためにバリバリ働くことになる。消極的で滅多に喋らないアタイは無理やりにも仕事で元気さを振る舞うために、今からテンションを上げている。

あと考えついて親と計画していた、来月上旬に上野の博物館で大和時代の国宝を見に行くという予定(ああいうのは障害者手帳があればタダで入れる)も、結局政府の要請で美術館、博物館の開催規制のせいによって銅鐸も剣も見ることが出来なくなり、この企画はもう誰も見ることが出来なくなっちまったそうだ。ひでぇ。

金がないなら働け。ところが仕事もねぇ。無駄に遊びに出歩くな。

そうなると、残された最終防衛ラインの娯楽としてはネットで何かをする。これに尽きる。

アタイにしては珍しく2日連続でAmazon primeで映画を視聴していた。

LA LA LAND とイミテーションゲーム だ。

前者は最初の10分が最高にテンションが高くて良かったが、後の2時間は蛇足。取り敢えずどこでも突然踊り出すという本質的にはインドの映画のノリをハリウッドでやってみました感だけの映画。愛があれば困難も乗り越えられるみたいな話はもう疲れるわ。ただし見ている間は嫌な気分には不思議とならないわね。

イミテーションゲーム。 言い換えればチューリング・テストなんだけれどさ。 哲学用語としてもどっかに掲載されているワードではあるけれど、そんな崇高な話じゃないな。

アラン・チューリング。数学者が誰にも解読出来ないエニグマによる暗号を読み解くのをただ見守るだけの映画。この手の数学者関連の映画ってどうしても「私何やっても否定されるんです。不遇なんです。色々挫折も困難もトラブルもあるんだけれど、最後はちゃんと結果出すから頑張って見ててね」って感じなんだよな。ビューティフル・マインドとかもそうじゃん。

そもそものチューリング・テストっつーのはざっくり言うと

質問者と解答者がいて、解答者の姿は見えないけれど質問には答えてくれます。何回か質問をしてその解答の受け答えから「はて、解答者は人間ですか?機械ですか?」ってのを見極めるゲーム なんだけどさ。

この映画はただエニグマ解読のコンピューターを試行錯誤で作っているところに軍の偉い奴らが「お前それ意味あんの?」とか「実はお前なんか悪いことしていない?」なんていちいち邪魔が入るけれど、やっと暗号が解読できたぜイエーイ

でも暗号が解読出来た事を公表しちゃうとまた新しい暗号作る機械をナチスが開発しちまうからなるべく機密にしておこうな、少し犠牲でちゃうけれど結果としては14万人もの命を救えるしいいんじゃね? ちなみに俺ゲイなんだけれど、医者にホルモン剤投与されたらメンタルおかしくなって41歳で自殺したわ。

っていう、どの辺がイミテーションゲームなんだよ?という内容でした。

この当時はゲイってのは犯罪になるらしく、尋問で「イミテーションゲームで僕が人間かマシンか確認してみないか?」って周りくどい話のシーンがあったんだけれど、取締る側の人は「あなたは人間なのか機械なのか分からない」というオチで、はぁなんじゃそりゃ?となった。

こうしてタダで見られる映画は有難いものの、実際に映画館で金を払ってみるほどの価値があるのかどうかと問われるとアタリハズレを考えると娯楽としては些か贅沢過ぎる感じがしてしまい、アタイは3年に一度くらいしか映画館には行かない。

今はパラサイトが気になっているが、自宅から40分もかければ映画館に行けるものの面倒で行く気がしない。そのうちAmazonで見れるんじゃねぇの?と思ってすらいる。

アクティブログも織り交ぜて今回の記事を書いたが、実はこれはコンピューターが書いていて三原はただコーヒーを飲んでぼーっとしているだけなんだぜ。真偽はどうだと思う?

ってオチならばまだチューリングテストに近いだろう。大丈夫、この支離滅裂な文章は機械学習じゃ再現出来ない。

じゃ、今回はこの辺で。