三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

明けまして。そして物語が終わるまでよろしくお願い致します。

はーい、あけまして。

 

今年も雑談から

今、アタイは「あけまして」と書いたわ。なんで「おめでとう」と続けなかったのか?

それは読者様の実情を知らんからよ。そもそも「明けましておめでとうございます」「今年もよろしくお願いいたします」なんて言葉がいつから使われていたのか知らんが、毎年、年明けにはこの言葉が腐るほど使われている。

 

この「あけおめ」も、本来は昨年身内に不幸があった方には使っては行けないんだってのを、恥ずかしながら最近知った。年賀状は思考停止で誰にでも出していいものだと思っていたが、案外暗黙のタブーがあるだなんて。

 

もっと言えば普通に生きていれば、歳は嫌でもとるし、年は嫌でも開ける。残念ながら不幸があったら、そういうのは自粛しないといけなくなるんだね。それでもテレビ番組はそんな配慮なんか全然なくて、あたかも生きている事が普通のように、新年のご挨拶として「あけおめ」を使うわ。

 

「今年も宜しくお願いいたします」

これも陳腐。もううっさい。お前それ去年も一昨年も言っていたじゃん。

 

 

昨年は大変お世話になりました。  。。。ああ、そうよ、さんざんお世話したものね。

今年もよろしくお願いいたします

 

って、あれだけ面倒見たのに、まだ今年も面倒見なくちゃいけねぇのかよ

 

ってツッコミたくなるのはアタイだけかしら?ちゃんと日本語の意味を理解した上で使ってんのかよ?

 

ライフステージが変わる毎に友達は抹消されるとアタイはこのブログで何度も書いてきた。そう、過去の友人なんて存在しないにも等しい。今この瞬間に友達を何人思い出せる?それも極力付き合いが過去の人ね、それ友達なの?みたいな。

 

そんなわけで、年が明けてから本当に親しい友人2人に「あけおめ」メッセージを送った以外には一切誰からも連絡がこなかった。   のが理想だった。

 

ところがやっぱり想定外のどうでも良いやつから、あけおめのメッセージは来るのよ。

一人は去年たった一回しか会っていない先輩。上辺だけ仲良くしているけれど、アタイはコイツが大嫌いでただ一回大学の近くでカレー食っただけなのに、「昨年は大変お世話になりました」って来た。

 

いや、何も世話してねぇよ。むしろお前の事忘れようと努めていたのに、何気安くメッセージを送ってんだ。お前塾講師のくせに日本語わかんねーのかよ?

 

続けて年賀状を送ってもいいか、と書いてあったが「今年は申し訳ございません、受け取れません」と書いておいた。ブロックするのも失礼だと最低限の配慮をして、そのままトークルームは非表示にした。これで二度とこちらから連絡をする事は絶対にあり得ない。

 

 

もう一人来た。社会人の卒業生だ。非常に努力家で尊敬していた。話も合う。でも去年は一回も会っていない。こんなのつながっていても仕方ねぇじゃんとか思って仕方がないが、取り敢えずアリを踏み潰すのと同じくらいの気持ちで「よろしくですー! コロナ落ち着いたらご飯行きましょー٩( ᐛ )و」と書いておいた。そのままトー(以下同文)

 

そして今年こそは年賀状は誰からも来ないと思っていたら、辞めて4年経つ道場の師範から一通だけ来ていた。返事も出さずに放置。もうな、コミュニティに属するのはバイトだけで十分なんですよ。

 

なんでこんなに友達関係で捻くれているのか、その辺を踏まえて

 

去年を振り返ろう٩( ᐛ )و

なんでこの元旦は非常に雪が降っているんだ。めちゃくちゃゲレンデは快適だろうに。

どんなスキー場でも新雪を堪能出来る。

去年の年明け前には、白馬五竜に高い金出してスキー場に行ったが存分に滑れなかった。それだけがいつまでも心残りでな。

 

もうその時点から既にコロナは拡大しつつあったわね。大体昨日今日のブログを読めば、誰もが「今年を振り返って」みたいな記事を書いていたりして、その内容も100%「コロナ」というワードが記載されている。絶対だ。絶対に。

 

そんな事をアタイもしてみむとて、するなり。ホント頭ン中コロナ一色だね。年明けにはそんな事はなかったものになると信じていたのに。

 

「コロナさえなければ」

もっと楽しい一年だった?まぁそうでしょうね。アタイも大分予定を狂わされたよ。ヴァイトもパン屋から小売に変わったくらいだし。ノリで大学留年決定しちゃうし。

 

だけどさ、「コロナのおかげ」みたいなところもあるんだよ。学業しかなかったけどさ。

絶対にテストの回答が書けないと思っていた統計学。在宅で回答出来たから、結果としてA評価がとれた。まぁレポートは仲間に助けてもらったが。その仲間ももう、職場が変われば疎遠ですよ。

 

無駄に外出しなくても、片道90分かけて大学に行く必要もなくなった。毎年夏に行われる集中講義、「半強制エコノミークラス症候群誘発、寿命を削って単位を稼ぐデスラーニング」それも今年は自宅で酒飲みながら、悠々自適に受講出来た。

 

行くつもりだった講座も、在宅になったおかげで授業料が節約出来たし、こんな大不況でも逆に収入が上がったんだからメリットもあるわけだよ。(全員に共通する事項じゃないのは分かってるよ。個人的な話だ)

 

1日8時間労働を週五でこなして、クレームをもらいまくってまでしがみついていたバイトが、打って変わって週4で一日5時間で済むようになった。しかも給料が上がっている。徹底的にバイトを探したからよ。

 

普通じゃたどり着かないようなバイトに辿り着けた。労働量も負担も減って、有給までもらえて何も文句がない。ある意味コロナが転換点になった。

 

コーヒーを客に提供する事は出来なくなったけれど、とあるカフェで自分の焼いた豆を抽出してくれたりしたし、余暇でコーヒーについて向き合う時間が増えた。

 

家族親族誰一人感染者も出ていない。内心感染するんじゃないかとビビって神経をすり減らして鬱になった時期もあったけれど、今はメンタルだけは回復した。

何がまたきっかけでメンタルが崩壊するのか分からんが、職を失いかけた頃の精神的に追い詰められた感覚は忘れちゃいけないと思うんだ。

 

今日は のほほんと元旦恒例クソ特番を垂れ流して過ごしていたが、考えてみればどの職場でも感染者が家族内に出れば出勤停止になるっていうルールだから、アタイが感染しなくても弟がもらってくればアタイは働けなくなる。少しずつ貯金はしているが、万が一そういう事が起こりうると、ちょっと留年するための学費が払えなくなる。

 

学費は10万だ。1ヶ月働けば貰える賃金。でも出勤停止になったら、それは難しくなる。実はそんなリスクがあるのをちょっと忘れていた。親が出勤停止になれば、ちょっと飯を食っていくのにも困るし。

 

ホントな、何が起きてもおかしくないんだってのをちょっとだけ意識しなければいけない。意識しすぎるとまた壊れるから。多分アタイの場合は金銭的に困りすぎた時が一番駄目になる時なんだろうな。

 

平然と腹一杯になるまで飯が食えるのに、日本海側は豪雪で千葉では元日なのに断水。自分より不幸な人は沢山いるんだが、それでも頑張って生きている。アタイは頑張って生きていくのは無理だ。

 

明日は何が起こるか分からない。限界集落で一人で暮らす婆さんがどうなるかも分からない。

 

考えても仕方がない事だから、何があっても良いように備えておくことを決意した新年。

 

今年は良い一年になりますように。

 

これもありきたり過ぎて神社や寺の、聞き入れる神様もイライラしてくるだろ。

祈りなんか通じねぇ。何神にすがってんだよ。なりますように、じゃ駄目なんだよ。

 

今年こそ良い一年にしてみせます

 

くらいの意気込みじゃないと駄目なんだ。もっと言えば気持ちの問題よ。良かったかどうか、悪い年だったかどうかなんて主観で決めろ。

他人やニュースの意見をそのまま聞いていたってそりゃあ大多数が「悪い」と言えば、もう悪い年でした。で思考停止、軌道修正不可能なのよ。

 

大多数が不幸になろうと、しっかり年末ジャンボ宝くじでは一等の7億円が当たっている人もいるわけでしょ。そんな人が「いやー、今年は人生最悪の年でした。」なんて言うと思うか?

 

もっとも宝くじは「愚か者の税金」と言われているくらいだし、心理的にも経済的にも証明されているように、万が一にも当たった時には幸福はピークかもしれんが、結局は不幸になることは言うまでもないから、数年経ったらやっぱりその人も「あの年は最悪だった・・・」と言い出すのかもしれない。

 

だからアタイだって仕事を失って金に困っていた時期もあったけれど、去年に関しては女子と一日だけ遊んだり、新しい友達が一人出来たり、まぁそれなりに勉強し、お得に下呂の温泉に行くことも出来たわけで良いこともあったわけですよ。

 

ちなみに友達が多すぎると困るってのは、こういう年賀状みたいなすんげー無駄なやりとりが増えるのと、葬式に赴く回数もそうだし、何より全員に気を配れなくなる。薄っぺらいつながりを広げるよりも、限られた人数の友人を大切にしたいわけね。

 

ってなわけで

 

新年の抱負

やっぱりいつも目標なんかは漠然としている。焦点がぼやけていて、ちっともはっきりしてこない。

 

それでもやりたいこととか、書いてみたい。

 

・卒論を6月くらいには完成させたい

・2月までに18万は貯める

・5月には35万を貯め、6月には実家を出て自立する

・CGの本格着手

・肉体をパルクールが出来るポテンシャルにまで持っていく

・極力金を使わずに得をする

 

そんな感じでしょうか。卒論もさっさと終わらせましょう、おっと、その前に簿記があった。5日も休みがあるのに、まだ何もしていないじゃない。取り敢えず今日は一冊読み終わるまでは寝ないぞ。

 

お金な。若い内は経験に投資、とか言うけれど普通に貯金するよ。確実にリターンの得られる経験投資なんてほぼないじゃん。どうせ食うことも投資とか言ってアタイの場合は飲食に使って終わるんだから。

 

それで引っ越します。新居でひたすら思う存分、一人でカフェごっこします。ああ素敵

これで夜中にコーヒーが飲める。硬い飯が炊ける。好きな時間に風呂に入れる・・・。

 

CGね。せっかくハイスペックなMacBookがあるのに、何もしていないんだもの。無駄じゃない。だってほとんどブラウザしか使っていないのよ。今時パソコンなんて3万で買えるのにさ。

 

肉体だって鍛えるよ。それも武道をやっていた頃よりも強くなりたい。もう毎日筋肉痛になりたいわね。

 

なるべく金を使わずに得する。

何も消費だけが幸せじゃあないぜ。コーヒー一つにしたってカフェよりも自宅でドリップ、カフェの豆よりも自分で焙煎した豆の方が安い。それも腕を磨けば一層美味いものが飲める。

少しの努力で得して、些細な幸せに気づいていけるようになりたいのよ。

 

では2021年最初の三原氏物語はこのへんで。