三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

30代にもなって将来の夢〜とか言ってられるか?

やりたいことをやりきった後に残るのは・・・

 

雑談

就職したい

サラリーマンになりたい

事務員やりたい

やっぱり大学生になってもう一度勉強がしたい

バリスタにもなってみたい

将来は起業しようかな

 

なんて感じで、20代の前半をデイケアで過ごしたアタイは30歳の初頭に立って、残りの人生をどうするか?に迫られている。

 

20代前半。もっと言えば21歳くらいの時には自分はデイケアに通っていて、簡単なゲームとお絵かき、ちょっとパンが焼けたり料理が作れたりする、普通の人からすればすんげーレベルの低い世界で、狭い領域で、ポジションをとってちやほやされて過ごしていた。

 

週3のデイケアに行っては月曜お絵かき、火曜調理、金曜パン作り、特にスケジュールが決まっていなければUNOか大富豪、なんかレアなカードゲームであるphase 10をやるだけだった。

 

この頃はまだ高校の同期とかとかろうじて連絡が取れる状態で、皆は平然と大学に進学して「そろそろ就活だりぃっすわー」とかmixiでつぶやいているのを見ては「なんで自分はこんな頭の働かない奴らと一緒にゲームをするのに金を払っているだけなんだろう」と情けなくて仕方がなかった。

 

それでもデイケアでは何をやらせても自分は秀でていて、何をやっても褒められ、認められ、まるで自分が全能であるかのように徐々に錯覚するようになった。今でもその名残は少しある。

 

自分は喧嘩で絡まれても返り討ちにボコボコに出来る自信があって、大概の人間が「難しい」と頭を抱える問題に対しては時間をかければ解決出来ると思っていて、幾ら大企業に勤めていようが年収を幾ら稼ごうが別に所詮は同じ人間で、本当に凄い奴は自分の前には現れないし、いたとしても人口の0.1%くらいで自分が接触する機会はない。

 

そんな風に未だに錯覚している。

 

まぁデイケアっていういわゆる精神のリハビリみたいなものに通って培った能力と言えば大富豪がめちゃくちゃ強くなったくらいで、こんなところに通っている奴らと同類項にされていたら一生ウダツが上がらないまま衰えて死んでいくとすら思っていた。

 

週3で病院に通い、週4で無理して短時間のスーパーのレジ打ちをして医療費を稼ぐだけで貴重な20代の前半は終わったも同義に等しい。

 

ある時オヤジが「就活しろ」と言って、どこから見つけてきたのか知らんが就労支援センターというところに連れて行かれ、テキトーに無料相談で話し合っていたら「じゃあお仕事探していきましょう」みたいな流れになった。

 

あの当時の自分としては如何に楽に早く死ぬかしか考えていなくて、正直病状が悪いんだからバイトですらキツイのに、就活なんかさせるなよ、と言った心境だったが口答えをすると殴られるから大人しく従った。

 

結局アタイの人生はこいつのアメとムチに怯えているだけで、主体性も本音も一切表に出せた試しがねぇ。

 

まぁこのままダラダラとデイケアを続けていても仕方ねぇし、もっと給料が貰えるならば就活してやっか、みたいな感じで就活を始めたんだと思う。

 

半年後くらいにはデイケアをやめていて、なんか障害者向けの職業訓練校に通っていたと思う。タダでワードとエクセル、パワーポイント、社交辞令を習えたのは良かったが、だからといって就職が有利になるもんでもない。

 

これらは別に高校でも習うし、出来なくても独学で1週間くらいすれば身につくくらいのレベルだった。それを3ヶ月かけて習うわけよ。マイクロソフトの資格とかとったけれど、合同面接会では4社くらい落ちたし、結局障害者雇用っつっても頭が健全な身体障害者からまず採用されていって、その次に精神障害者で辛うじてフルタイムで働ける都合の良い奴が雇われるんだろうな、ってのは感覚で分かった。知的障害者なんてそれこそ最低賃金に届くかどうかの単純作業しか基本的には残っていないのが残酷な現実だ。

 

まぁ職業訓練校も無事に終了したが、あの当時の職業の選択なんてはっきり言って何も思いつかないし、就労支援移行のスタッフも「こんな仕事があるよ」なんて紹介してくれた試しがない。

 

結局仕事なんて作業所とかの単純労働か、障害者雇用の花形の事務員かくらいしか自分には思いつかなくて、結局楽そうだから、っつー理由でひたすら事務職を希望していた。

 

結局事務職に受かったものの、一日の労働時間は7時間で賃金は時給1000円。会社の雇用保険に入れるよーってくらいのメリットしかなくて、ぶっちゃけて言えばそれまで続けていたスーパーのレジ打ちの方が時給1100円で高かったので、入社した当初から「あ、自分は安く買い叩かれているな」としか思わなかった。

 

それでも7時間働けて、他にすることもないし金も使わないんだから、ってどんどん貯金ばっかり貯まっていって、暇すぎて年に3つくらい資格をとったり、道場に通いだしてものの3ヶ月くらいで全国大会準優勝しちゃったりして、多分あの頃が自分の全盛期だったんじゃないかとすら思う。

 

それでも賃金は上がらないし、いつまでたっても仕事は同じことの繰り返し、挙げ句上司はコネで雇われた使えないクズに変わって職場環境は悪化するしで、このまま同じ職場で続けていくのも限界だなぁと感じた自分はなんとか都合良く退職する理由を見つけるために、「大学への進学」を見出したわけですよ。

 

この時すでに26歳くらいで、今更大学受験のために受験勉強をするのも時間の無駄だし、丁度習いたかった広告とマーケティングについて学べる上にほとんど無試験で、学費も安い、しかも習いたい科目だけ通いに行けるという、完全に都合の良い大学が日本大学通信教育部だったからこそ、なんの躊躇もなく志願書を提出し、上司には「2ヶ月後くらいには会社辞めていると思います」とか宣言していたと思う。

 

運良く合格(どうやら名前と動機さえ書ければ誰でも受かるらしいが)したアタイは、会社を退職する事に。

 

入学式が先で、その1週間後くらいに会社を辞めることになる。

まぁ学費も自分持ちだし、親も大学で学ぶ事に反論はなさそうだし、親族も合意している、何も文句の無い完全に都合の良い条件だった。

 

事務員の頃から休憩時間にコーヒーを淹れていたのもあって、「なんかバリスタやってみたいなぁ」とか思っていたからこそ、在学中のバイトはカフェばかりやっていた。

 

最初がドトールで、先程述べた全能感は全てここで粉砕されることになる。何をやっても上手くいかない。ただ、ここで鍛えられたお陰で、今の自分があると思っている。

 

1年程度でドトールは辞め、次は東京は丸の内のパン屋で働くことに。2年半勤め、高学歴の仲間たちと仲良く働けたので、未だに名残はあるけれどドトールで鍛えたテクニックと持ち前の変人さでなんとか周りに嫌われることもなく、無事に勤め上げた。

 

最終的には度重なるオペレーションの変更と、新人を雇うという方針、週2は入れることが条件である上に、コロナでどうせ希望通りにシフトが出せない との条件が重なって退職届けにサインをした。

 

去年の緊急事態宣言のときに一切シフトに入れず、このままじゃやべぇと思い、丸の内界隈の小売のバイトに応募したらまぁ採用が決まり、しかもそっちの方が時給も良くて楽なのでパン屋の方にシフトを出さなかったら、結果としてこういう事になりましたよ。ってオチで、実はこんな情けない理由で憧れだったバリスタという仕事を辞めることになった。

 

さて、ここからが今回の伝えたいところではあるが、昨日あたりに大学の成績表の通知が来ましてさ。

4年かけて120単位を取得出来たわけですよ。卒業に必要なのは124単位でしてね。

 

ええ、誰でも分かるようにあと4単位足りないわけですわ。

これもテキトーに哲学科あたりの科目でもとっておけば、とっくに卒業出来たんだろうけれど敢えてしなかった。だから三原なんだよおめぇは。

 

そう、テキトーに他学部の科目を取っていれば卒業が出来た。でも、敢えて三原は卒業論文を書く道を選んだ。別に書かなくても卒業出来るのに。しかも2万字書けばよかったところを、1・6万字書いたところで辞めた。期限まであと3日くらいあったのに。

 

誰がどうみても最後の最後で逃げたとしか思えないが、それは否定しない。でも三原は卒業することをどうでもいいと思い、留年することを選んだ。

 

昨日辺りに結果が出された簿記論の単位はS評価。友達に協力をしてもらうところもあったが、最後の授業としては文句のない終わり方だった。

必要な単位は全て取り終えたので、もうレポートを書かなくてもいいし、理不尽なくらいに成績評価の厳しい単位認定試験に頭を使う必要もなくなった。

 

そう、あとは卒論だけ。

三原はたった残り4単位のために半年か1年、留年をする。

 

だって卒業しても別に何も無さそうなんだもん。お前、3月にストレートに卒業しても職業が大学生から「フリーター」になるだけだよ?

 

別に就職もしないし、起業するわけでもない。ただふつーに学校を卒業するかどうか、自分にとってはそれだけなのよ。

 

周りはもしかしたら「4月から仕事かー」とか言いながら、桜が咲いているのを見て何かを感じ取るのかもしれんが、別に自分にとっては「大学生じゃなくなるかどうか」っていうそれくらいしか変わらんわけですよ。

 

一般的な私立大学の文系だったら学費が80万くらいするのかしら、相場は詳しく知らんが日大通信ならば1年間留年したって10万しか払わない。

 

むしろアマプラ、spotify、maya3Dのサブスクリプションを使えば学割で余裕で10万くらい元が取れる。

 

去年の進級の時とは違って今回は貯金に余裕があるからこそ、ヘラヘラしていられる。

学費を払っても貯金が大分あるのとそうでないのとでは、メンタル的にも余裕が違う。

 

況してや不毛な校友会を退会した上に、一部お金が戻って来た。こうして無駄に1年で1万円も払うことなく、大学生活が堪能出来るわけですよ。

 

まぁここまでしておいて、来年の卒業の時期になって結局自分は何者にもなれなかったんだなと思えば、自分の実力なんてその程度なんだなぁと思い知らされるわけですよ。

いつまでもデイケアの名残で、どこか自分に全能感が付きまとう。

 

卒論は間違いなく4ヶ月もあれば仕上がる。

 

しかしながら、何が不満かって、ここまで結構それなりに勉強してきた上でGPAが2.98しか無いことですよ。

3.20くらい欲しかったわ。

 

この大学に入った一つの目標がGPA3.0を超えた状態で卒業することなんだけれど、現時点でこれしかないと、卒論で何が何でもS評価をとらなければいけないということになるんですね。

 

しかも単位って取れば取るほど成績が良かろうとGPAは上がりにくくなるんですよ。今回簿記がS評価だったのに、たった0.03しか上がっていないし。

 

つまり次の4単位でB評価以下ならば減少、何がなんでもAかSをとらなければいけないという瀬戸際に立たされているわけですね。

 

別に成績なんかよくても、向こうから就職の斡旋が来るわけでもないし、就活でもほとんど成績に関しては訊かれないから所詮はただの自己満足でしかないわけよ。

 

国立の大学院にでも進学しようかと考えた時期もあったけれど、どうせもっと成績がよくないと進学出来ないでしょうし、通信に比べれば6倍くらい学費が高くなるからコスパも悪いし、どのみち就活もするだろうし、そんなに自由な時間もないしで、結局フリーターの道が最適だと割り切るわけですね。

 

結婚も家庭もどうでもよくなり、如何にこれから親が死んだとしても自力で生きていけるかが自分の中では最優先で、まだ婆さんが生きていても介護なんかする気は微塵もなく、就職してもフルタイムで働けねぇし、バイト以上社員並の仕事なんか自分に出来るわけねぇだろ、大学はかろうじて卒業出来るが別に大した成績もとれませんでしたね、残念でした。

 

って感じですよ。

 

お金を使わずにスタバでコーヒーを飲んだり、コンビニで酒を買ったりすることだけに地味な楽しみを覚えていて、タバコを先日辞めた事への虚無感は払拭できてきたつもりでも、あんまりタバコ代が浮いた感じもしない上に相変わらず人生は目標も希望もなくて、卒論以外にすることも思いつかないまま、今日という一日が去っていく。

その一方で死にたくても死ぬ予感も全然しないし、なんなら平然と80くらいまで生きていけそうな気さえしていて、それでも一向に脳は向精神薬をもってしても最適化されなくてダルくて

めんどい。

 

気力は少し回復したが、頭はそんなに働いていない。あと1年自由時間があるにせよ、そろそろ何かを始めた方が良いとは思っている。どうせ何もしないだろうが。

 

じゃ、今回はこの辺で。