三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

純粋な日記を書くブログは終わりにした方がいいのだろうか

おはようだぜ!٩( ᐛ )و

 

雑談

とは言っても特段書きたいことがない。いつもブログを書く時は「あ、書きてぇ」と心が揺さぶられたら始めるので。

 

特にネタが無くても描くのがブロガーじゃないのか?お得な情報や面白いネタ、こういった情報発信だって出来ただろうに、してこなかったのには理由がある。

 

それは、してこなかったのではなく出来ないからだ。

 

趣味がコーヒーと言っても、別に「スタバを100倍有意義に活用する方法」なんて書こうとも思わない。なんとなくそういう記事を書けば今よりもアクセス数は3倍くらいは増えるんだろうけれど、どうしてなのか、さっぱり書く気が起きない。

 

趣味は珈琲、ブログ、読書。と言ってきた。それは今も変わらない。

 

で、なんで珈琲のノウハウ、ブログのマル秘テク、読んだ本の感想や紹介 ってのを普通ならば「すればいいのに」って思うだろうに、アタイがしないのかは恐らく

 

趣味の領域を披露して、否定されるのが怖いから

 

なんだと理解した。別にこのブログは連日誰からもコメントが来ないし、挑発的に書いたところで炎上したことも一度もない。つまり一度もバズったことがなく、はっきり言ってしまえば日本一平和で盛り上がりに欠けるブログと言ってもいいだろう。

 

だから趣味のことを書いてコメント欄にあーだこーだ煩く書かれる可能性は低いんだけれど、もう一つ問題点があった。

 

楽しそうに趣味の内容について一生懸命語ったところで、大して読まれなければそれもショックだから。

 

そんなわけで、このブログは基本的に思いついた一つのテーマを「雑談」として語り始め、その日にあった事を「アクティブログ(活動記録)」として、ダラダラと長文で展開するスタイルをとっている。

 

趣味はちゃんと持っていても、敢えてその話はほとんどせずに毎回どうでもいい事を小賢しそうに書いて、つまらない日常を如何に面白そうに書くか

 

こうして三原氏物語は成り立っているのだろう。

 

一応このブログも7年位は続いているから、何度もスタイルや方針、書き方なんかも変化してきているし、これからも変わっていくはず。

 

まぁ自分の発言に根拠や自信が無いから、お得情報やハウツーモノが書けないんでして、そもそもブログの本来ってのはweb上に日記を投稿する事だったはずなのに、そんな事をするのはかなり少数派で、辛うじて残存している絶滅危惧種生きた化石みたいなレアなカテゴリーになっちまった。

 

普通に考えればこの忙しい時代、況してや人生の全ての時間をネットに捧げてもコンテンツ全てを消費しきれないのに、こんな人間の日常なんか見ていても一分の得にもなりゃしない。

 

俳優のように容姿が優れているわけでもないし、作家のような惹きつける文章も書けない。猫のような癒やしの要素も無ければ、難関資格の取得を目指して日々奮闘する過程を綴っているわけでもない。

 

厳密に言えばこのブログは統合失調症を患った残念な人間の闘病記なんだけれど、昔の自分に比べりゃ今の方が幸せですよアピールは出来ても「完全に治りました!今日から俺は健常者に戻った!新たな人生を歩みます!! 三原氏物語〜完〜」には到底至らない。

 

つまらない日常を面白そうに書く事に関しては、常に念頭にあるけれど残念ながら今のところは、このブログは社会的弱者を勇気づける為に熱量を込めて発信しているコンテンツではない。

 

誰でも閲覧出来るブログではあるけれど、一体誰が読んでいるのかは自分でも分からないのでマーケティングやブログノウハウでは「ペルソナを想定しろ」と力説していても、結局は自分が面白いと感じる

 

その感覚だけを頼りに、理論武装した妄想を雑談として展開している。

 

 

ってなわけで

 

アクティブログ(活動記録)

 

現状ってどうにかならねぇのかな?

そんなことを思うようになってきた。特に他人と比較をしなければ十分満たされた暮らしなはずなんですけどね。

飯が食えて、その時の気分に合わせた音楽が好きなだけ聞けるし、特にクレームもなくバイトが出来て小遣いにも困らないくらいの稼ぎはある。

 

だけど、実際には「いつも何かが満ち足りない」状態が付きまとっている。

貯金が少ないから?彼女がいないから?友達がいないから?

 

考えてみれば死ぬほど頑張って疲れた経験が、ここ2年くらい無いなぁと思った。

日本でもトップクラスの忙しさの飲食でバイトしていたあの頃を、辞めて半年近くたった今でも何故か振り返ることがある。

 

頭の悪い客と、目まぐるしく変わるオペレーション、何故かイラツイている客、こんなのばかりを毎日相手にしていたのを今でも思い出すと腹が立つのだが、どういうわけか生きている実感があった。

 

今のバイトは本当にレジさえ出来ればそれで十分やっていけるので、たまに出勤前にカフェで珈琲を飲んで一息ついてから仕事に臨む日以外は別に楽しみがない。

 

ここ一ヶ月くらいニュースは見ていないから、コロナの感染状況がどうなったのかなんて全くどうでもいい。

 

取り敢えず接客でも日常でも、マスクをしていて極力会話をしなければ誰からも文句は言われないから、それでいいやと思っている。人並みに手洗いもうがいもするし、職場では消毒もしっかりしている。

 

働きがいのあった殺人的忙しさの飲食から、コロナ禍で諸々あって今のバイトに変わった事で、勤務時間も日数も減った一方で稼ぎは増え、労働的なストレスからは開放されたものの働き甲斐はなくなってしまった。

 

出勤時に電車の中で「今日はどんな風に動けば上手くやっていけるかな」と考え頭を使い、緊張しながら毎度職場に向かっていた以前と変わり、今は文字通り「毎日毎日同じことの繰り返し つまらねー」で、特に仕事の事なんか考えなくても済むので電車の中ではipadを使って読書をするようになった。

 

疲れた!寝たい!! と思う日は本当に減った。

同時に何もかも消極的になった。

 

今日もこれからバイトに向かうが、別にいつもと変わらないだろう。ただ数時間立っていられれば金になる。

 

幾らでも余暇に好きなことは出来るはずで、趣味を極めたり資格をとったり出来る時間があるだけで、今の自分の環境は本当に恵まれているんだが、特にやる気も出なくて自宅では酒を飲んでブログを書いているだけ。

 

何一つ面白くなくて、一見ストレスの無い世界なのに自分の病状は変わらない辺りが馬鹿らしい。

 

じゃ、そろそろバイトに向かいます。

今回はこのへんで。

 

今回は日常を楽しそうに書けなかったな。