三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

「若年性無敵症候群」

怖いもの知らず?現実を知らぬヴァカ??

 

雑談

身の程を知れとはよく言われるわね。相手を見誤るなとも。

 

改めて自分というものを、31歳になった今になってちょっと振り返ってみた。

何が出来る?何が劣っている?何が苦手?

 

これらを分析と言っちゃあ大げさだけれどやった事で、気づいたことと言うか、紛れもない事実があぶり出されたね。

 

大概の人間は自分よりも優れている。

 

だからこそ、自分なんて大したことないんだよと自重するわけですね。

その辺をうろついている、「ながらスマホ」をしている人だって自分より高学歴だし、年収だって平均や中央値を見れば自分なんて下の中くらい。

 

誰よりも長距離を歩ける自信はあれど、残念ながら走るのは100mが限界だし、大して速くもない。

喧嘩なんて人生で一度もしたことがないくらい、臆病なんだけれど勝てるかどうかは何となく分かる。

 

 

その辺の加減というものを常に意識するのが大事かなぁと思っていたのよ。

 

 

なんでもかんでも個人的にランク付けすること自体が不毛なのか、人間偏差値ってのが全然一般的には浸透していない。

つまり自分が今現在国民全体の中でどのくらいのレベルに位置しているのかを少し知りたいなと、不意に思ったわけよ。

 

偏差値なんて大概の人は大学入試の模試辺りを最後に測らなくなって、入学した大学で自分のヒエラルキーみたいなものを感じ取るじゃない。

 

ああ、貴方は慶応なんですか。じゃあお金持ちで頭もいいんですね。って感じで。

 

先に大学名を聞いてしまうと、アタイみたいな偏差値ゼロの大学に通っている人間からすると、萎縮するわけよ。

 

仲良く会話しつつも内心では「コイツ頭の悪い喋り方をするなぁ」と思っていたら、実は高学歴でした。ってオチは結構ある。

はっきり言ってその辺の大学生よりかはアタイは勉強している方だと自負はしているものの(大学生の平均勉強時間を参照)、どう頑張っても有名難関大学に通っている人達の方が頭がいい、勉強が出来る、という見方になってしまうのよね。

 

ただ、一見馬鹿っぽい喋りをする人たちでも、頭の良い人達は無駄なことを一切喋らない。

これが一つの相手の賢さを測る個人的な指標となっている。

そしてほとんどの偉い人、すごい人は皆謙虚で「俺ってこんなにすごいんだぜ?」っていう感じを前面に押し出さない。賢くて多分知っていることに対しても「そうなんですかぁ!」って共感するし、筋トレをしていてもパワハラみたいな威圧は一切してこないし、寧ろ守ってくれそうな優しさすら出してくる。

 

喧嘩に関してもそうで、アタイが好戦的ではない理由の一つは戦うと疲れるし、勝っても負けても警察沙汰になってずっと恨みがどちらかに残るからなのよ。

腕の太さと拳の発達具合を見極めた上で、相手と接する態度を考慮してコミュニケーションに臨む。あとは姿勢とかで、自分に自信があるのか、軟弱なのかを判断する。

 

だからこそ、アタイは出勤途中に毎度、通路の狭いトンネルを通るのだが、そこで正面からこちらに向かって来た人に対して自分が避けるか、相手に避けてもらうかのゲームをする。

 

オバサンならば絶対に避けないし、勉強しかしていなさそうな中学生を見れば普段以上に足音を強くさせて、威圧する。ダボダボの服を来たヤンキーは筋肉の量が見えないので、取り敢えず道を譲る。そうやって相手を見る目を鍛えている。そういうのが宜しくないんだけどさ。

 

しかしながらその判断を誤ることが、3年に1回くらいの頻度であり、その場合は土下座覚悟で謝るが反省は一切していない。つーか大概謝れば許してくれる。

 

こうしたトレーニングを経て、人を見る目というのが養われたものの「へー、じゃあ私もやってみよ!」と考えるのはやめて欲しい。

 

相手の学の量を推測する、自分より何が劣っているのかを識別する、相手は普段どんなことにどのくらい頭を使っているのか把握する。

 

これらを積み重ねていると「じゃあこの点においては自分の方が比較優位だな」という、結構危険な優越感が出てくるのさ。

 

そしてそれが蓄積されていく事によって、いつしか「本気を出せば大概の奴に勝てるな」

と錯覚するようになる。というか、アタイはなってしまった。決して好戦的ではないが、不意にぶん殴られても対処出来る準備が常に整っているのと、周囲を見渡していると結構ぼんやり生きている人が多いので、多くの人を心の底では見下すようになってきている。これはまずいなと。

 

 

昨日を以て31歳になったが、厨二病とそれはちょっと違う気がしてきた。そうだなぁ、この思考の癖に名称をつけるのならば「若年性無敵症候群」とでもなるのだろうかね。

 

ここまでをまとめると、自分は大したことが無い奴だと嘆いていたのに周りの話を聞いていると「大したことない、俺でも出来そう、本気出せば超えられる」とまるで自分に不可能なものはないという全能感、マリオで言うところのスターを取った状態になってしまう。

 

しかしながら、この「本気を出せば」ってところがミソで、結局スターを取った状態でほとんど何もしない。動き出せばパフォーマンスが発揮できそうなものなのに、じっとしている。

いざとなったらやればいいし。って感じで。

 

そして心身共に現状維持か衰退をしていて、とっくにスターの効力は切れているのに、そのいざとなった時にいきなり突っ込みに行く。これが滅茶苦茶危険で、大概ろくなことにならない。

 

自分も結局今の今まで、こうして勝手に相手に対して脳内でポジションを取ることで、ろくな目にあってこなかった。こうした考え方が一分でもあるならば、すぐに修正した方がいい。

まあ稀有な考え方なのかもしれないが。

 

 

 

ってなわけで、

 

アクティブログ(活動記録)

ええ、昨日は誕生日でした。多くの方に祝って頂き誠にうれしゅうございます。

そして毎年ならばプレゼントは特にないのですが(一部の友人を除き)珍しく母親から貰いまして。

 

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珈琲のマグカップですね。KINTOの。

けっこうガッシリとした重厚な作りで、熱も冷めにくい感じがしています。

何よりカラーがグレーに近いので、白いカップと比べると茶渋というか汚れが目立ちにくいのが嬉しいわね。

 

デザインもさることながら、プリントされているイラストも、本とメガネってのが自分らしくて気に入っています。

 

しかしながら勿体無くて使えない・・・!!

 

割りたくない、一生大事に使っていきたいと思ってしまうのよね。

だからこれは将来一人暮らしをして、やっと新しい住まいで落ち着いて珈琲を淹れられるようになるまで、箱に入れてとっといておこうと思っているわ。このマグカップを早く使えるようになるために、引っ越しが出来るよう頑張りたいです。

 

土曜は4時間程度のヴァイトに出勤してきました。

レジに入ったの何回くらいだろう、ってレベルで暇。暇すぎてこんなんで給料もらっていいんか、ってくらいに。

それは裏返せばいつまで店が持つか分からないという、地味な焦りがあるわけよ。

 

アタイの現在の主な収入源はこのヴァイトだけで、もっと稼ぎを増やしたいのと副業的な意味も込めてあれこれと自宅で手を出しては失敗(一切利益になっていない)なわけですね。

 

絶対に今のヴァイトはクビにされたり、店が潰れない限りはしがみつくつもりでいるけれど、現状+5万は稼げるようにならないと、いつまでも引っ越しも出来ないし、何も将来性につながるアクションが起こせないのよ。

 

そりゃあこの不景気なご時世で、ヴァイトですらろくに雇って貰えない状況で「更に5万稼いで一人暮らし」なんて、結構贅沢なことを言っているなぁって感じもしなくもないが、それも一つの夢みたいなもんなんだよ。

 

自立っていうさ。

 

一応メンタルは悪くなることはあっても、死ぬことは無いし、何より生きていくならば自力でそうしていきたい。

本当は6月には家を出ている予定だったんだけれど、思ったより稼ぎが悪いので、目標は6月でも最悪年内にはアパートを借りたいなぁと強く希望していますわ。

 

一方で大学に関しては、卒論の提出が6月と12月にあり、3月卒業を希望するならば12月に提出せよとの事だったので、猶予が更に半年延期されました。

 

現在もヴァイトが無い日は独学大全をベースに勉強の仕方を学修し、文献に目を通した上で論文の執筆を進めているわ。まぁよっぽどメンタルが悪くならなければ、終わるでしょう。

問題はS評価が取れるかどうかにかかっていて、あと教授との約束で月曜までにはメールで進捗を報告することになっている って感じね。

 

前に話したかもしれないけれど、あと直近の予定としては来週の月曜に頭の病院へ行って薬を受け取った後、一ヶ月3万円チャレンジとして、叔母の空き家を借りて一人暮らしの練習をするつもりでいます。 港区民生活を気取ります。贅沢は一切なしの方向で。

 

結局ゴールデンウィークの5連休の期間中は、1円足りともお金を使わないことに成功したので、やっぱり外出をするとお金を使ってしまう問題だけをどうにかすれば、案外お金には困らないんじゃないかなぁと言ったところでした。

 

現状では、欲しい物に関しても考えないと分からない

 

ってレベルなので、多分1時間くらいAmazonブラウジングするようなことが無ければ、大丈夫でしょう。どんどん悟りに近い生活になっていく。

 

常に変化し続ける人になりたいなぁと意気込んだところで、今回はこの辺で終わりとしましょう。全能感をモチベーションに変え、謙虚に現実と戦いながら。

若年性無敵症候群は30歳で終わりとしましょう。

 

以上、読んで下さり有難う御座いました。

 

 

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