三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

好きな事は無駄な事で良いと思う。

5時半起き。(一昨日の話)

 

雑談

早く起きすぎても暇を持て余す。洗濯を干したら途端に何もする気が起きなくなって、二度寝をした。そしていつもどおり9時に起きる。

 

天気も良いし暖かい(暑い)から、ちょっと早めに行ってカフェで作業をしようと思った。

やっぱり自宅に居すぎるのも良くない。気分転換は大事だ。そう、これは必要早急なんだ。そう言い聞かせた。

 

 

今月はなるべくお金を使わないようにしていて、来週の月曜からは港区の叔母の家を3週間借りる予定でいる。

 

今の使えるお金の範囲としては一日1000円。一見ランチも食べられるし、贅沢じゃないですかと思うかもしれないが、月にしてみれば31,000円でしてその中に病院代(精神科)と携帯電話、諸々のサブスク、そしてお小遣いと全てのお金がかかる要素を含めた上での、この予算としている。

 

お金があるような無いような。一応4月末の給料では13万円は稼いでいて、何が何でも9万円は貯金をしたいと企んでいる。そりゃあ一応6月末には35万ある状態にしたいですからね。

 

3週間の港区民生活も、言ってみれば本来の目的としては一日1000円で生活出来るかの挑戦みたいなもんで、一人暮らしと条件が違うのは家賃光熱費は叔母が負担していて、家電や調理器具は全て揃っているところにある。

 

まぁあの界隈は物価が高いので、スーパーで買い物をするにしてもかなり買える物は限られてくるのよ。なんだろう、無駄に1000円くらいする欧米のチーズとか、8,000円くらいするワインなんかも揃えてあるけれど、どう頑張っても一日1000円の予算じゃあそんな贅沢は出来ない。

外食をするにしても、港区補正で結構お高い。あと一見さんお断りみたいな店が多いし。

 

そんなわけで結局立地だけは港区で、やっている事は貧乏一人暮らし(ごっこ)になるわね。

 

まぁ親には「6月には家を出ますから!」なんて宣言しちゃったんだけれど、残念なことに実現しそうにない。いつも脳裏にあるのは現状+5万でして、四六時中お金を稼ぐことと引っ越しの事ばかり考えている。

 

 

 

 

毎度毎度引っ越ししたいね、っていう願望ばかり書いているけれど、ちょっと思ったのよ。

 

ほら、最近botを組んで過去記事を自動配信するようになったじゃないですか。

あれさ、誰も読んでいなさそうだけれどアタイだけは読んでいるのよ。

 

元々自分の書いたブログなんて過去のものは全く読まなかったのね。それを振り返るようになって、改めてその時にどんな事を自分が考えていたのか関心が生まれてね。

 

2年位前だったら、持病の統失の症状と珈琲を続けたい葛藤とか書いていたなぁなんて思ったりしてさ。そういやそんな事もあったね、とか読んでいて感じたわけよ。

 

大体自分の中でのブームというか、流行みたいなものがあってさ。

大学の単位が危ういとか、カフェのバイトが楽しいとか。

 

そのカフェのバイトは去年の10月くらいに辞めていたように記憶している。でさ、それ以降珈琲の話って三原氏物語ではほとんど出てこないのよ。

 

珈琲は好きだし今でも一日2杯くらいは飲む。豆だってスペシャルティを真空パックで取り寄せて自ら焙煎しているくらいだし。

 

なんでも3年で飽きるアタイでも、唯一続いているのはブログと珈琲だけなのよ。なんか数年前の記事には「開業してーなー」なんて書いていたけれど、その夢はカフェバイトをこなしている内に薄れていったというか、現実を知って「違うやり方で珈琲を提供したい」と思うようになったわけね。

 

要するにここ数ヶ月ずっと引っ越し願望の話ばかりしていたけれど、引っ越したら何がしたいって、自宅をカフェっぽくして友達を呼んでドリンクを提供したいってそれに尽きるのよ。

 

そもそもお前友達いねーじゃん、って話は兎も角、作ろうと思えば作れるのよ。アタイは結構わがままな方だから、基本的に誰とでも仲良くするけれどずっと仲良くしたいと思う人は極端に絞る。

 

もっと言えば貿易に於いて世界で石油の次にやりとりがされる代物が珈琲なのに、特段珈琲に対して興味を持っている人ってのは皆無に近い。

別に「俺の淹れる珈琲は美味いだろ?この産地にはこんな特徴があってだな・・・」と知識を披露したり価値観を押し付け、共感されたいんじゃなく、ただ単純に友達に求めたいのは一緒に珈琲が飲めるかどうかってそれだけなのよ。

 

昭和世代の上司と仲良くするには、酒が飲めて煙草が吸える事が重要な条件なんだと思っているが、そんな要素も最早平成が去って令和、そしてコロナに直面して消え去ったと確信する。

 

別に酒もタバコも珈琲も言ってみれば「少し気分が良くなるよね(人による)」ってだけで、本来無くても生きていけるもんだしさ。

 

ところがドトール以降カフェでバイトしていた頃からずっと感じていたのは、珈琲が飲めないのにカフェでバイトをしたがる奴が結構多いことだった。

 

そりゃあ接客も笑顔もアタイは勝てないけれど、奴らにはどことなく「珈琲なんておっさんが飲むもの」という概念があるのかもしれないし、なんで「飲めないの?」って訊けば「苦すぎて無理」という回答が多かった。

 

アタイとしてもビールの美味さだけは、何時間働こうが苦いだけで美味いとも思わないんだが、今どきの大学生くらいの世代もそういう感覚なのかな。

 

まぁ仮に近々引っ越して一人暮らしをし、じゃあ友達を家に呼んで珈琲を淹れよう!٩( ᐛ )و

となったとしても、思い当たる来てくれそうな人は5人くらいだろうか。

そもそも、その5人としか普段連絡もしないですし。

 

いや、一応珈琲だけじゃなくて、その気になればカフェラテも作れるし、なんならレモンスカッシュや他のドリンクだって作れるよ。ただ個人的には珈琲が淹れていて一番楽しいってだけさね。

 

結局大学生活のほとんどをカフェバイトに費やしてきて分かったのは、珈琲だけでは儲からないという事実と、店を作るとマジで借金抱えるよ って事だった。まぁそれが分かっただけでも、経験としては良かったと思っている。

 

だから営業許可を取得してカフェの開業をするってのは実にリスキーで、今になって思うのは個人経営のカフェでバイトしておくのも良かったな、ってのと 自分がプロデュースする珈琲は趣味でやるくらいが丁度いいな ってところでした。

 

珈琲が飲んでみたいと仰る方がいるならば、

焙煎した豆を郵送するし、会いに行ける距離ならば一緒に話をするくらいの暇はあるし、「ここのカフェはオススメですよ」って相手の好みに合わせたお店をチョイスすることもできれば、お宅の家庭にお邪魔してドリップすることだって出来る。

 

全然そういう話をしていないからなのか、誰も興味がないのか実情は知らんが今の所はDMやコメントも来ないので、そんな感じか。と思っている。

 

なんというか、カフェで提供するドリンクもチェーン店に関しては味よりも写真映りの方が重視されるようになって来ている気がしているので、そういう点でもますます「本当に美味い珈琲が飲める店」ってのは少なくなってきているんじゃないかなぁと考えるし、建前はカフェでも提供しているのは珈琲以外のドリンクばかりというオチ。純粋に珈琲を楽しめる人は見かけなくなってきた。

 

だから頑固なオヤジの経営するラーメン屋みたいに、「俺はこんなに美味い珈琲が淹れられるんだ!」と主張しても老害っぽくなるだけで、眠気を克服するために熱くて苦い珈琲を飲んで頑張る様な努力論も、価値観としては文化財レベルで古いのかもしれない。

 

考えや価値観の新旧、パラダイムミームの移行に関して珈琲では今のところはサードウェーブという流行に至っていると認識しておりますが、アタイの中では味よりも見た目→自宅で再現したいを叶えるという細かな波が1年単位で来ている感覚があった。

 

 

 

 

自粛が呼びかけられるこのご時世でも、ご家庭でプロの味を! と言いながら市場に出回るコーヒーメーカーの「これじゃない感」は、マニアにとってはブチギレものでしてカフェポッドなんていう濃縮された液体をいい感じにお湯で薄めたものを美味い!本格的!とか言って夕方くらいにテレビで特集を報じているリポーターの感動の浅さと言ったら悔しくて泣きたくなるわけよ。

 

カニカニカマくらい違う。

 

都内で在宅勤務の〇〇さんの一日は〜 ってナレーションが語り始めて目覚めからものの2分程度で美味しいコーヒーが自動で抽出されている ってのが、マスメディアが作り出した一種の広告というかある意味では「これからのあるべきコーヒーライフの姿」で、

 

アタイみたいに休日で尚且つ天気の良い日に豆を焙煎し、それを2日後にじっくりとハンドドリップで淹れる っていう試行錯誤と美味さを追求する楽しさを、このスタイリッシュにワイシャツを着ていい感じにヒゲを生やしたイケオジには一生理解できないことなんだろうなぁと思うと、なんかね。

 

そりゃね、原始人が歯茎をむき出しながら必死こいて起こした火で生肉を焼くのと、最新の調理家電で油や旨味を封じ込めたディナーくらいの差があるような感じがするけれど、どうなんでしょうか。

 

アタイもテレビに映るイケオジも、本質的には目覚めにコーヒーを飲む点では共通しているけれど、その過程には圧倒的なテクノロジーの差がある。

 

本当にこだわるならば、水は湧き水を電気ケトルじゃなくてヤカンで火にかけて沸かしたいし、豆だって電動じゃなく手で挽きたい。

 

詳細な科学的説明は出来ないが、そういう手間をかけたほうが何故か美味いわけよ。

 

その点ではアタイは電気ケトルを使うし、豆も電動ミルで挽くというある種の妥協があるわけなんだけれど、豆に関しては生産地が分かるものじゃないといけないこだわりがある。

 

このイケオジが特段何も消耗せずに悠然とコーヒーを飲みながらスマホでニュースをチェックして、定刻の数分前になったら仕事のスタンバイをして・・・というルーティンで生活を営んでいて、一休みする際もボタン一つでそれっぽいコーヒーが再びすぐに抽出されるのを見ていると合理的で無駄のないスタイリッシュな生き様に見える反面、何が楽しいの?と思うわけよ。

 

流石に電気代や水道代の節約、その方が心がこもるから なんて理由で未だに洗濯板で洗濯をする家庭なんて無いとは思うけれど、物事が合理的で無駄がない方が美徳とされるのは、会議とプログラムとスポーツ(特に武道)とデザインくらいじゃないかなーって考えたのさ。

 

だからこのイケオジにとっては「それっぽい」本格的なコーヒーが飲めればそれで満足出来て、報道側も「こういう生活がこれからのスタイル!」みたいに憧れの一つとして視聴者に擦り込ませ、消費者は共有出来るとっておきの一発!が投稿できる要素が得られれば、それなりに満足するんでしょうよ。

 

 

 

 

今回はたまたま例をコーヒーとしたけれど、他の事でも一緒でアタイに関して言えば「服にお金をかける」ってのは、誠にどうでもいいことだったりする。

 

流行なんかも最たるもので、Kindle Unlimitedで読みたい本が無かったから仕方なくダウンロードしたファッション誌を、今日は通勤中に読んでいましてね。

 

内容がビジネスとカジュアルをどう合致させるか、って特集でカーディガンがあるといいよとか、ビンテージのデニムはワンランク上の大人感を出せる と書いてあっても、枠外に記載されている服の価格を見て桁が一つ間違っているんじゃねぇの?としか思えないわけよ。

 

アタイが年間通して一番お金をかける服が、多分冬用のコートで2万くらいなんだけれど、あとはほとんどユニクロAmazonのレビューで判断して購入している。つーか服なんて肌着以外は年に2着も買わないぞ。

 

「遊びも仕事もこの一着で」というコンセプトで、ちょっとだけアクセントの効いたジャケットが10万円以上するのを見れば、アタイならば即座に「一ヶ月分の給料やんけ」と思うし、10万円あったら貴方は何をしますか?みたいな事がこの間政府から試されたような記憶がある(給付金の話)が、それこそジャケットなんて不要不急だろ。

 

普通の人はこれを着るために頑張って働いているのか?

これを着た自分が最高に格好良い状態なのか?

クレジットカードで何回払にしているんだろう?

給料日にこれ買っちゃったら、あとは三食カップ麺の生活なのかなぁ

 

って考えしかアタイにはないわけよ。

 

これを着ないと友達がいなくなる、それならばいなくなっちゃえばいいし。着ないとモテないならば、モテないままでいい。そういう服じゃなければ出来ない仕事だったら、別にその仕事はやりたくない。 それまでよ。

 

 

 

あとは美容院なんかもそうよね。

頻度としては6週間に1回くらいアタイは行くのさ。今日も行ってきたところだわよ。

アタイの中での相場は4000円になっている。以前は大学近くの3000円程度のところに通っていたが、通学定期もないので今ではテキトーに職場近辺で探していたりする。

 

一度だけマジでお金をかけて高いシャンプーと白髪染め(アタイは白髪が多い)のセットをした割には誰も染めた事に気が付かなかった事実があり、それ以来散髪にお金をかけるのは止めた。

 

モテない理由は顔と性格にあるんだと個人的には思っていて、髪型なんてよっぽど極端じゃなければ嫌われる要素にはならないと信じている。

 

職場の女子に美容院って月にいくらかかるのか訊いてみたら2万5000円と言われて驚いた。ちなみに今日アタイが行った床屋は1500円くらいよ。

 

何にそんなお金がかかっているのか、ちっとも分からない。貴方きれいね、とは思うけれど髪までは正直見ていなかったわ。ごめん。

 

アタイが知らないだけで、ビンテージもののシャンプーとかあるんか?

「俺のパソコン、メモリ128GBだぜ?!」みたいな見た目では分からないけれど実は超すんげー機能が搭載されてんのか?

髪だけじゃなくて全身が若々しく保たれて、一ヶ月バリバリで働けるようになる施術だったりするの?

 

疑問は絶えないが、あまり質問攻めにするとセクハラで訴えられて週末には法廷で戦うことになりかねないから、「頑張っているね」としか言えなかった。

 

つーか最悪、散髪なんて鏡とハサミさえあれば自分で出来るし。これは若年性無敵症候群由来の根拠の無い自信ではなく、マジで実際に実行した経験を以ての発言だ。

 

髪にお金をかけようとは思わない一方で、アタイは一応8年くらい前から風呂上がりには乳液をつけるようにはしている。効果があるのかも不明ながら、惰性で未だに続けている。乳液自体はそこそこするが、一回の使用料を考えてみればタバコ一本よりも安いのでそれで良いと割り切る。

 

しかしながらアタイは風呂をテーマに研究をして論文を書いているくせに、大の風呂嫌いで出来れば極力入りたくない。いや、風呂の構造とか文化には興味があるんだけど面倒くさいのと他人の浸かった湯に自分も入るっていうのが気持ち悪くて億劫なのよ。

自分だけが自分のためだけに風呂を掃除して入る、ってのならば構わないんだがそれは論文とは全く関係の無い話です。

 

まぁ乳液はつけるくせに、風呂には入りたくないわけですね。

ぶっちゃけ風呂なんて3日に1回で十分だとすら思っていて、ヴァイトがあるから仕方なく入っている程度に過ぎない。これだけテクノロジーが発達して、何事も効率化されているのに、どうして風呂だけは全くアップデートされないのかが理解に苦しむ。

 

服を脱いで体を洗い、湯船に浸かり、頭を洗い、流し、水気を拭き取ってまた服を着るという一連の動作(家庭や育ちによって順番は若干変わる)が、一体何故フルオートメーション化されないのか。

 

確かに風呂から上がればスッキリするし、なんとなく疲れも汚れも落ちた気にはなるけれど風呂に入るまでには莫大な勇気と覚悟が要求されるし、入る直前が一日で最も憂鬱な時間なのはアタイの中では揺らがない。

 

だから風呂にも特にこだわりがないんですね。毎日大量の水を廃棄する点に於いては非常に贅沢な習慣だとすら感じる。

 

珈琲は物凄く丁寧にじっくりと時間をかけてドリップするのに、風呂に関しては出来れば避けたい項目なんですよ。なので10分くらいで上がる。もしかしたら入浴時間よりも珈琲を淹れている時間の方が長いかもしれない。

 

長々と語ってしまった。

人間の個性ってのは物事の重要度の程度によって形成されているのかもしれない。好きと嫌い、頑張れるかどうか、向いているかどうか、楽しいかつまらないか、必要か不要か。

 

従って三原は「珈琲は好きだけれど、見た目に関しては無頓着」と言えそう。

 

まぁ最も強調しておきたいのは、やりたくない、割とどうでもいい物事を「便利な何か」で済ませていくと、努力や夢中のような気力に関わる領域は侵食されて縮小する

 

ということですね。なんでも便利になった。その一方で、何かが失われていく。

検索が出来るようになった→辞書を引かなくなる、本を読まなくなる

スマホで大概の事が出来る→スマホで出来ないことは、やろうとしない

面白い、きれいなもの、美味しいものを体験したい→SNSで勝手に情報が入ってくる

自宅で何でも注文出来るようになった→行動して獲得する達成感がなくなる

 

 

それでも今はそんなにお金もかけずに、漫画もアニメもゲームも映画も読書も音楽も十分に楽しめる現実がある。アタイ自身もその恩恵を享受しているのは知っているだろうよ。

ただ、ここまで来るとやりたいこと、なりたいもの なんて見つけるのは難しい気がするのよね。

 

ニッチを極めて生きていけるならば、そうしたいもんですが残念ながら世の中には楽しみ尽くせないくらいのコンテンツで溢れていて、自ら探し求めに行かなくても「大体ウケるもの」が飛び込んでくるから、いつまで経っても存在が認められない。

 

結局こだわりというのは、他人からしてみれば夢中になれる無駄に過ぎないのかもしれない。

そうなると珈琲が飲める人、その中でも自宅でも飲む人、ハンドドリップにこだわる人・・・と言った具合に細分化していけば、ニッチにはなれる。

しかし「ただ珈琲が飲みたい」という欲求を叶えるだけならば、コンビニに行けば100円程度でドリップしたものが飲めるし、スーパーに行けば缶コーヒーが70円くらいで売られている。

 

やっぱり「どこまでこだわれるか」が好きとか得意になっていくんだろうなぁと感じる。

 

長くなってしまったが、珈琲に関する投稿は減ったものの相変わらず好きで飲み続けている。ほぼ毎朝おはようのツイートに珈琲が美味い!٩( ᐛ )و みたいなことは書くけれど、画像は添付しないのにはアタイだけの秘密の楽園を他人にケチ付けられたくないからなのかもしれない。

 

 

今の所ここまで情報技術が発達しようとも、残念ながら匂いや味まではネットで投稿や拡散、共有が出来ないんだからアタイの淹れる珈琲の美味さはアタイしか知らない。写真映りは悪いかもしれないが、間違いなく快晴の青空のような一杯はここにある。

 

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そういう至高の一杯に近づけるまで、毎日欠かさずドリップを続けてきたし画像を見ただけの直感やフィーリングで中身まで勝手に推測されちゃあたまったもんじゃないのよ。

 

毎日当たり前のように美味い珈琲が飲めるようになるまでに、年間500杯以上は飲んで研究し、考えてきた。試行錯誤をして今の抽出に行き着いた。本当はそういう背景(ストーリー)があるんだけれど、タイムラインに流れた程度の画像じゃそこまで伝わらない。

 

伝える努力も必要なのかも知れないし、たかが飲み物でも飲む空間によって印象は随分変わる。それこそ、アタイにとっては珈琲を飲む空間はそんなに重要じゃないんだが、やっぱり空間や一枚の画像で良さを伝えられる力みたいなものも含めて考えた上で、ようやく次のステージに移れるのかもしれないなぁと思ったところでした。

 

久しぶりに長文を書いて支離滅裂になってしまったが、珈琲に関しては結構色々考えているのよ。じゃ、今回はこの辺で。

 

お疲れ様でした。

 

 

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