三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

ミニマリストVS熱力学の第2法則

もっと早く教えてくれよ。。。

 

雑談

バリスタ」だった頃のアタイと共に日々歯を食いしばり、戦場を生き延びたかつての「リーダー」は、今じゃ立派な詐欺師になりつつある。

 

「三原さん、お金に困っているならば儲かる仕事紹介しましょうか?」

 

忘れた頃に突然メッセージが来たりする。彼に対して頭が上がらない一つの理由は、飲み会でアタイがゲロ吐いた時に、リーダーが率先して掃除してくれたこと。

 

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だが、それと彼のビジネスを結びつけるのはよろしく無いと思う。アタイだって一見クズに見えるかもしれんすけど、一応信念みたいなものはあって出来ることは精一杯やるけれど、お金で人は助けないという点がある。

 

そんなわけで、アタイは募金なんてことは一切しない。最後にした募金は、東日本大震災の被災地への56円だった。何年前だよ。

 

正直な所、募金活動も、そして集計したお金の行く末に対してもアタイは懐疑的で、仮にそれがNPO法人だったとしても立派なビルを構えていたりするのを見た時点で、意地でも募金なんかするもんかと硬く決意するのよ。

 

そういや高校生の頃に何故か成績優秀でもないのに学級委員だったか、クラスのまとめ役みたいな係に勝手に任命された事があってだな。あれ、自称進学校だから考えてみりゃ分かるんだけれど、多分成績の伸びしろがなくて暇そうな奴をテキトーに指定しているんだろうな。

 

だって全国模試で上位に入る奴は何の役割もなかったもんよ。放課後の清掃すら免除されていたくらいだし。

 

そんな係でやっていた事で、唯一記憶にあるのが赤い羽根 共同募金って奴だった。

まぁ1円でも良いから募金してくれれば、何の役にも立たなくてすぐにボロボロになる赤い羽根が渡されるっていうそれだけの代物。

 

かんたんなシールで貼れるようになっていて、募金したその瞬間に大概の奴は学校のかばんに貼るんだけれど、やっぱり安っぽいからすぐに取れちゃったりしてさ。

んで、高校の最寄り駅のホームを見ると随所に赤い羽根の残骸みたいなのが散らばってんのさ。

 

果たして俺たちは良いことをしたのだろうかという疑問が今頃になって湧いてくる。それなりに金持ちの息子もいたりするクラスだったから、高校生の分際で1,000円札を入れてくれる奴もいたんだけれど、何故かアタイは当時からバイトをしていたんだな。つーか、させられていた。それでも10円しか募金しなかったと思う。

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この高校生バイトの話はまた別の時にするとして、結局のところ自ら積極的に「募金にご協力お願いしまーす!」と封筒を持って教室を回った当事者ながら、そもそも赤い羽根共同募金って集めたお金を何のために使っているの?ってのが13年経った今でも知らない。

 

コロナ前では、夕方くらいになるとどこの駅の改札前でも中学生が声を一つにして「募金にご協力お願いしまーす!(お願いしまーす)」とかやっていたもんだけれど、あれって部活動の一貫としてやっているのか、それとも内申点を上げるための単なるゴマすりなのか、実情は知らない。

 

ただ、誰も募金をしていない事だけは明らかだった。

 

都内の富裕層が集まる港区や千代田区で行うのと、アタイの地元(横浜)でやるのとでは集まる額も違うとは思うが、アタイの記憶ではせいぜい自分の通う学校で全部集めて7万行けば良い方 だと記憶している。

 

駅前で横一列に10人並べて調和して募金活動をするよりも、誰か二人くらい戦力になりそうな奴を推薦してコンビニで一ヶ月間バイトさせ、全額募金させた方が遥かにお金にはなる。少なくともアタイはそう思っている。

 

あのスケールメリットでお金を集めるってのは、馬鹿でも分かるくらいに能率が悪いので、時間と人材を無駄にしているようにしか思えないんだが、それを行う事で何か道徳心の様なものが芽生えるのだろうか。

 

ちなみに前にも言ったが、そうした内情を知らないのはアタイが中高一貫校の出身で、公立中学の作法を知らないからよ。

 

募金が不必要とは言わんが、何か課題を設定するなり仮説を立ててPDCAを回し如何に募金をさせるか、とか競っても良いように今妄想したところだが、そうすると未成年を金儲けの道具にするな とか言われるんだろうな。

 

まぁどうせ募金活動なんかさせても誰かに「だったらバイトして全額寄付しろや」とかいわれたりするんだろうから、どっちもどっちだと思うがね。

もっと競技性とかコンクールめいた、やり甲斐なんかがあっても良いとは思うが。

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手段を選ばず寄付金の金を運用したら100万円になっちゃいました、くらいの事があったら面白いのに。

 

 

 

話題が逸れ過ぎたじゃないの!

 

えーっと募金には懐疑的。人への心遣いは忘れないが、お金で助けることはしない。そんな感じでした。

 

まぁ、たまーに忘れたころに「リーダー」からの「お金に困っていない?」メッセージが送られてくるのよね。そうそう。

 

正直困っているようで困っていないわけですよ。答えはこれに尽きる。

大した趣味もないので、遊ぶお金とかほとんど必要としないし服も一着買えば大体4年は保つし。

 

って偉そうに余裕をかましていられるのも、せいぜい親が働けている間に限るわけよ。

アタイ自身も、なんか楽なバイトをしているはずなのにダルく感じてくるしさ。

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先ほど珍しくニュースを見たら、就活生が動き始める時期だそうで。と、知ったのね。これでもアタイ一応大学生なんだけどさ。

 

就活なんて障害者雇用でもまぁまぁ苦労したから、もう二度としたくねぇと思っているわけでして。そもそも普通の人間よりも人生のロスタイムが9年くらいあるんすけど、果たして労働市場で活きる人材なのかと訊かれりゃ、答えはNOだ。

 

ただでさえ持病の統合失調症と、向精神薬で判断力が低下しているのに社会人、社員として責任の伴う仕事なんて無理に決まってんだろ。

 

良くも悪くもヴァイト以上の仕事が出来ない。それが現実。

 

 

将来はタワマンに住んで、子供は二人いて、休日はランボルギーニで首都高を駆け抜ける。

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そんなことを夢見ていた時期もありましたよ。デイケアに通っていたくらいの時期かな。

とりあえず、そういうレベルになれたら障害者どころか、人間としても大成功だと。そう本気で信じていた時期もありました。

 

残念ながらそれから8年くらい時が経つと、考えなんて変わりますよ。

 

孤独なお一人様で、家賃5,6万くらいの物件に住んでいて休日は自宅で珈琲を飲みながら読書をする。

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それだけで十分だとね。

一度はランボルギーニのアクセルを踏んでみたいと思っていた時期もありましたよ。いつの間にか待受画像はアヴェンタドールから、自作のオリジナル画像になっていたくらい、興味は薄れたとさ。

 

今でも街でランボルギーニが走っているのを見れば、つい見えなくなるまで目で追ってしまうんだけれど、乗りたいという欲求はもうほとんどない。

 

もしも手元に2億円くらい現金を持っているならば、今言っているのとはまた違った事を言い出すんだろうけれど、正直デバイスと珈琲さえあれば、他にはほとんど何もいらない。

 

と、割と本気で考えている。

 

恋愛もしねぇ、遊びにも行かねぇ、友達もいねぇし、外食も出前もほとんど利用しねぇ。ときた。

 

生きていて一体何が楽しいんだ?って感じだし、特にこれからの未来に希望を抱いているわけでもなく、況してや結婚や出産なんて「ぼくにはまだ早いし・・・」と、中学生みたいな事を思っている。

 

正直なところ、性教育とか習ったのかどうかすら良く覚えていなくて、一応童貞じゃないはずなんだけれど赤ちゃんが女性の体のどこから生まれてくるのか、実は良く分からない。

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そんなわけで、三大欲求の一つである「性欲」は克服した。

こうして欲求というものを、徐々に確実に潰していくことで余計な事にお金を使わなくなる。

 

だから人生でキャバクラやラウンジに行ったこともなければ、パチンコ屋にだって未だに入店したことがない。

 

大人っぽい遊びなんてせいぜいシーシャがいいところで、これも2年位はもう行っていないな。

 

 

だから親元で暮らしている分には、ヴァイトの給料なんて小遣いにしては多すぎるくらいでして、だったら自活しろや というのが今の三原家の家庭の状況なんすね。

 

そうすると今度は途端に貧乏になるわけですよ。生きていく金がねぇと。

 

それで引っ越しを意識してからずっと、アタイは毎日電卓を叩くようになるわけだな。

毎日毎日支出を記録し、あれは削れる、これは無理だ・・・と頭を抱える。

 

「なんとか毎月プラス5万稼げれば・・・」

が常に脳裏に社訓のように掲げられ、頑張ってみたけれど178円しか稼げませんでした。

 

やっぱりアタイ、才能ないのかな・・・ と諦めかけ、これから母親が老化に伴って介護をするまで一生付き添うのかなとか悩んでいたところに、一つ、Twitterのタイムラインに誰かが何気なく発したツイートの中の一つのワードが三原の人生を変えそうになっている。

 

 

 

障害厚生年金??」

 

障害年金に関して言えば、2回申請したけれど駄目だった過去がある。最近になって情報が揃ってきたのか、「3級は対象外である。」というネットの記事が増えてきた。はよ言わんかい、通らないならば最初っから提出の時点でハジけよ。なんで落ちると分かっている年金の受給に診断書3,000円と手続き代(5,000円だったっけ?)を払って律儀に1ヶ月も審査の結果を待たなければならなかったんだ。アホか。

寧ろ年金事務所は1ヶ月も一体何に対して頭を使っていたんだよと。

 

それで、いわゆる障害年金ってのは一般的には障害基礎年金を指すものだとは理解したのさ。

じゃあ3級のアタイは泣く泣くクレームに怯えながらヴァイトをするしか残された道はないのかしら。。。と諦めていたところ、この障害厚生年金のワードを知ってググってみた。

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普通の国民年金だったら、よく「年金の一階部分と二階部分が〜」  って説明があるので、てっきり障害厚生年金も基礎年金が貰えた上でのさらなる条件だと勘違いしていたのよ。っつーか誰も教えてくれねぇし。

 

複数のサイトを照らし合わせてみると、障害3級でバイト程度の仕事しか出来ない者に受給の権利はある。みたいに書いてあるわけ。絶対条件が20歳になった時の厚生年金に加入していたかどうか、これはクリアしているぜ!と。(本当はもっと細かい条件が沢山あるけれど、いちいち書いていたらキリがないし、そういうブログじゃないんで割愛する。ここではアタイが知って驚いたり疑問に思った事しか書かない。)

 

最低でも年間58万くらいは貰えるらしく、12ヶ月で割れば月に4万ちょいは入る事になるわな。一応社会人だった時期もあるし、今も給料から控除されている年金も考えれば、もう少し貰えるんじゃないかなぁと妄想した。

 

調べていて分からなかったのは、現にヴァイト先から厚生年金分を給料から引き落とされているが、それは今後も払い続けて支給額は積立式に増えていくのかという疑問と、

 

世帯が一人暮らしと実家ぐらしでも額は同じなのか と言ったところでした。

 

取り敢えず来週の木曜には年金事務所にぶっ飛んで行くつもりでいます。

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ちょっとだけ希望が見えたか・・・?

 

 

 

ってなわけで

 

アクティブログ(活動記録)

「家事が忙しい」

 

って言っている奴の意味が分からない。

 

テニスコートやプールのある豪邸に住んでいるのならば、確かに家の掃除だけで1日どころか人生が終わりそうだもん。まぁそんなお金持ちだったらメイドを雇うのかもしれんすけど。

 

子供でもいれば、また考えや話は違ってくるのだろうか。

取り敢えず炊飯器と電子レンジ、洗濯機があれば他にすることはほとんど無いと思う。

 

正直、1日に1時間も家事に費やしているならば、よっぽど能率が悪いか潔癖主義なんじゃないかとすら感じるわけよ。

掃除ロボットだってあるくらいだし、現代を生きるアタイらがやるべき家事は水回りの掃除と、庭の手入れくらいじゃないのか。それに加えて家計簿がつけられれば、良いかなって。

 

なんとなく暮らしの参考になるかと思い、近頃Kindle Unlimitedでミニマリストの書籍ばかり読んでいるのね。

1冊が長くてもせいぜい190ページくらいで、「少ないモノで私らしく生きる」みたいなコンセプトで、ほとんどモノを置かない状態の暮らしをしているんだけれどそんな私素敵でしょ? って感じの本よ。

 

そりゃな、モノは少ない方が片付けも楽だし、掃除もすぐに終わるんですけど。

ですけど、アタイからすると貧乏を正当化しているだけにしか見えないのよ。

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それこそお掃除ロボットなんていらないし、調味料やシャンプーもきっちりとシンプルな容器に移して使用している。そんな生活だった。

 

書籍だからそれなりにキチンと見せるために片付けているのか、それとも普段から本当に何も無い状態を維持しているのかは不明だが、ただのモデルルームや無印良品店に住んでいるだけにしか思えないのよ。

 

一応掲載されている写真に6行程度の解説も添えてあるものの、こんなのをいちいち目で追って行かなくても見出しだけ読めば十分に足りるくらい薄っぺらい内容の割には紙の書籍で買うと1冊1,500円とかするらしく、結論としては「必要なものは全て無印良品で整えておけば、それっぽい」で話は終わる。

 

しかしながら、どこかワンポイントとして「ここだけはこだわりたい」っていう無駄を出すところが界隈ではイケているらしく、例えば珈琲の器具だけにはこだわったり、間接照明にセンスを見出したりしているわけよ。

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但し言及はされてはいないものの、徹底的に無駄を排除した割には大した生産性がなく、なんだかんだ結局手取り12万とかでワンルームの部屋に布団とパソコンだけ置いてある写真を眺めていると自由度が高いだけの囚人とそんなに本質は変わらない気がするのさ。

 

やっぱり人間の理性は自然界の秩序というか、物理的法則に抗えるようにはなっていないんじゃないかな。

 

熱力学の第二法則、あれよ、エントロピー増大の法則って奴。物体は限りなく散乱する様に向かっているっていうあれ。

 

つまり放っておくと散らかっていくようになっている、って言いたいわけさね。

だからそういう宇宙レベルでの自然界の秩序にわざわざ抗うように、キチンと片付けて整頓して、物を減らす っていうのは、確かに無駄が無いように見えるけれど実際は無意識にかなりのストレスを感じているんじゃないかと推測しちゃうのよ。

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物理法則と意識を結びつける事ほど難解なものは無いけれど、やっぱりそれなりにモノに囲まれて暮らさないと不安になるんじゃないかな。

 

美術館は作品だけに集中出来るようにするために、作品以外には何も置かない、飾らないを徹底しているわよね。でも、一つも作品が無い展覧会があって自分以外に誰も観覧者がいない状態を想像してみると、結構不安になるはずなのよ。

 

経済学では前提として、人間には無限の欲望がある一方で財は限られているこの状況をどうするか が問われているものの、十分に満たされた社会で生きているからなのか、それともアタイの頭がいい意味で病んでいるだけなのか、物欲はほとんど無いのね。

 

今すぐこのブログを執筆中でも、投げ出してそれを買いたい!欲しい!手元に届くまで気になって眠れない!なんなら借金をしてでも!! それが無い気がする。

あー、でも今使っているMacBookは一応分割払いだからなぁ。そうでもないのかな。

多分一つのモノで多くの事が出来るようになると、それだけ買うものも減るのかもしれませんね。

 

この世で最も不要なモノは、アタイの中では 6万円を超える服 なんすけど、ここまで来ると欲しいモノよりも要らないモノの方が沢山思い浮かぶわ。

 

じゃ、今回はこの辺で。

 

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