三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

内容を良くわかっていないのに何となく「いいね!」する奴なんなの??

一喜一憂?

 

雑談

残念なことに、アタイ個人のツイートがバズったことは一度もない。すごくどうでもいい話で別に気にもしてはいないが、前提としてほぼTweetをしないところに理由があると感じる。

逆に20分に一回くらいツイートしているアカウントに対しては「現実がよっぽどつまらねぇんだろうな」と勝手に思うようにしている。

 

一つのツイートに対して2つくらい「いいね!」がつけば自分の中では合格点。自分でも理解している様に、有益な情報も共感できる発信も一切していないからだ。今後もそういうツイートはほとんどしていかないだろうと考えている。

 

前にも書いたように、アタイは一日に30分程度しかスマホをいじらない。LINEモバイルのデータフリープランを契約しているので、通信量を気にせずにLINE,twitter,instagram,spotifyは無制限で使いまくれるのにも関わらずだ。

 

Spotifyに限っては一日5時間くらいは利用している。その時の気分で、それっぽいプレイリストを再生すれば自宅という空間はカフェにも、ラウンジにも、自習室にもなる。ノイキャンのヘッドホンがあれば、投票前だけ庶民に親しげに公道を凱旋する演説の選挙カーも消え失せる。

 

生産性はないが、自分の時間は大切にしたい。珈琲を淹れてデスクに向かい、さぁこれから何をしようか、とワクワクする。こういう気持ちが大切なのだと思っている。ほとんど考えているだけで何もしないけど。

 

 

 

さて、前も「油断をするとすぐ妄想に入り浸る」と書いた。これに関してはもうどうしようもないので、諦めるしかない。しかしだ。せっかく人が妄想の深淵にまで沈み込んでいる時に、急に現実に戻されることがある。

 

そう、スマホの通知だ。

今は標準機能で「集中モード」という通知をオフにする機能もあるが、妄想に入っている状態というのは、集中とは似て非なるものだ。つまり「今から妄想するので、通知をオフにしまーす」とはならないのである。気づいたら妄想状態に陥る。まぁメンタルとしては宜しくないのかもしれないが、最もストレスを感じるのは半強制的に現実に引き戻されることだ。

 

特に電話を突然かけてくる奴は最悪で、この場合例え相手が親だろうとブチギレながら応答する。次にムカつく要素がある。

 

ここからが本題だ。

アタイは数ヶ月前に、このブログ『三原氏物語』の過去記事を自動でTwitterに投稿するbotを組んだ。それ以降アクセス数は微々たるものだが、増えた。そしてどういうわけか、そのbotによるTweetに対して「いいね!」をしてくる奴が増えた。

 

今、アタイは「奴」と書いた。

そう、奴だ。残念ながら読者様ではない。このbotを組んでからというもの、毎日最低でも4回くらいはフォロワーでもない知らない奴からの「いいね!」が付く。

 

初めは嬉しかった。過去記事もTweetすれば需要があるんだな、と。

やがて気づいた。「コイツただ惰性でいいね!しているだけで中身なんか読んでいないんじゃないか」と。

 

もしかしたらハッシュタグの #ブログ に対して自動で「いいね!」をするbotでも組んでいるのかもしれない。暇な奴だ。

『十分に発達した計算機群は自然と見分けがつかない』というデジタルネイチャーよろしく、『不完全で未成熟な意識高い系は自然と見分けがつく』という話をしよう。

 

明日は休みなんだ。今夜は長いぜ。

 

 

チューリングテストという、コンピューターの概念がある。哲学の本でも議論されていたりする。文系でもこのくらい知っておけ。他にも『中国語の部屋』というのがある。

いちいち解説はしないが、こういう言葉を知っておいた方がただでさえ長いこのブログも、少しは文章の節約になるんだ。以前から言っているだろう。分からなかったら調べろと。

 

Anyway,

SNSの「いいね!」が然程つかないアタイだからなのか、今書いているこの考えに共感してくれる人がいるのかは分からない。とりあえず心を伴う「いいね!」とただハートのマークをタップするだけのほぼ機械的動作の「いいね!」の二種類があると断言したい。

 

友人や知り合い、会ったことはないけれど相互フォローしているようなアカウント。彼らが付けた「いいね!」は心が伴っている。

面白かった、へぇそうなんだ、あーわかる、それは悲しいね、おおすごい! 等の要素を包括した記号としての「いいね!」だ。

 

一方でただ「コーヒー美味いなぁ #コーヒーのある暮らし #自宅カフェ」などと投稿してものの30秒ほどで付く「いいね!」には機械的な処理の臭いがする。

 

最近だと流行らせようとするワードに関して、普及させたい張本人であるアカウントから瞬時に付く「いいね!」なんかが良い例になるだろうか。

そうだな、西野亮廣の『えんとつ町のプペル』という映画を予告すら見ていないのに、ハッシュタグをつけて「終始感動しまくりでした!」みたいなことを書いたらオンラインサロンのメンバーから、やたら「いいね!」が来たりした。そういう例だ。

 

何故いいね!を押すのか。「わからない、俺達は雰囲気でいいね!している。」

これに近いと思う。

 

 

訃報のTweetに対して「いいね!」を押すのはどうなのか、最早誰も疑問に思わなくなっている気がする。何が良いのか? 「昔っからあの芸能人嫌いでさ、やっと死んでくれて嬉しいよ!」から来るいいね!だとは思えないし、思いたくもないが。

 

友人の飼っている猫が死んだ、或いは10ヶ月の交際破局みたいな投稿は、それこそ「こんな時どんな顔していいかわからないの」に近く、変に既読を示す履歴要素があると「三原は同情してくれないんだ・・・」みたいになるので、そういうのも理由で極力SNSで知り合いや友人とつながるのは嫌いなんだ。

 

要するに、たかが「いいね!」の一つでも意味作用は多岐に渡り、『中国語の部屋』のように内容を理解せずに付ける機械的「いいね!」と人間なのかbotなのか判別を迫られる『チューリングテスト』のようなフィルターを乗り越えて、ようやく意思を込めた心を伴う「いいね!」なのかどうかが少し見えてくる というわけだ。

 

それを踏まえて「どんな奴がアタイの過去記事に対していいね!を付けるのか」とプロフィールを拝見してみると残念なことに、自称どえらいPVを誇る月収数十万円稼ぐブロガーのアカウントばかり出てくる。

 

いちいちフォロワーが4桁以上いるのがまた小賢しさを倍増させていて、字数に制約のあるプロフィールにも関わらずウザさが凄く良く伝わってくる。

 

タチが悪いのは、アタイが「今回は今ひとつシマラないな・・・」と思った過去記事に対して「いいね!」がついており、どうもその傾向を踏まえると「ぜってーこいつらアタイのブログ読んでねーぜ」としか判断出来ない。

 

そんな奴らに、これまで膨らませていた妄想空間を通知という針で破裂させられて現実に戻されるのは、誠に腹立たしいわけだ。

 

確かに妄想というのは、精神障害の特徴の一つであり、アタイ自身も「やたらに時間とメンタルを浪費する諸悪の根源」みたいに感じてはいるけれど、このブログのネタも、日頃関わる相手にかますボケも、全て妄想によって生じた残骸であったりするので、ある意味では喫煙や飲酒に似た不健康な娯楽に近い。

 

熱狂していたテレビゲームが停電で強制シャットダウンされたような残念感。分かるだろうか。

 

誰にも理解出来ないけれど自分にだけは面白さが分かるという、自分だけの専用の世界。この混沌を言語に落とし込んで伝える過程を楽しんでいる。そりゃあ誰かと遊びに行った方が遥かに健全だ。何が楽しいのか分からないだろうが、分からなくていい。アタイみたいになっちまうから。

 

大分長くなってしまったが、プロフィールにSEOマーケティングブランディング、PV、収入、フォロワー数等を書く奴は読者様と見做さない。

「読みました、面白いですね」等のコメントの一つでもくれれば気さくに応じはするが、以降こうした奴は徹底的にブロックする。

 

金のためにブログをやっているんじゃねぇ、生きてきた過程と妄想の残骸を記録するためにweb logをやってんだ。一緒にするな。もっと言えばブロガーじゃねぇ。アタイは「三原さん」を営んでいる。

 

以上、今回の雑談はここまで。共感出来たら、心を伴った「いいね!」をしてね!٩( ᐛ )و

 

 

 

ってなわけで

 

アクティブログ(活動記録)

これ書いていいのかなぁ。。。

 

あのさ、今地味に頭の病院をたらい回しにされかけているのよね。ウチじゃ見れない、この治療はウチでは出来ない つってさ。

 

いちいち役所まで時間をかけて歩いて行き、通院先の変更に伴う自立支援の変更手続きを何度したことやら。公務員もそろそろアタイの顔を覚えてきたんじゃないかしら。っていうか、こんな頻繁に役所に出入り可能なメンタルだったら特に苦労しないわよ。

 

まぁ医療費が浮くならば、くたばるまで手続きしてやるくらいの覚悟はあるよ。だけどさ、ここをどこだと思っているんだい?都内だよ?23区だよ?

 

程度の軽い統失1人すら受け入れてくれる病院がほとんど無いことに驚くよ。あれか?コロナ禍で皆鬱になっちまって、精神科の患者が増えているとかそういう理由か??わからねぇ。

 

兎に角行動範囲で通院可能な頭の病院が見つからないのよ。クスリが切れるまで残り10日。

それまでにゼプリオンの注射と処方箋を受け取らないと、自我が保てなくなる。

 

なんか根拠の無い全能感は常にあるけれど、注射の効力が切れたら復帰出来なくなるぞ。大体病院って初診の予約に10日以上かかる感じがしていて、今からそんなに都合よく病院が見つかるのか、って話よ。いや、だから役所にしろ病院にしろ、そもそもメンタルを良くするためのメンタルがそんなに無いのよ。

 

大げさかもしれないわね、アタイ今地味に命かかってんのよ。卒論どころじゃないの。銭湯で整いましたーとか余韻に浸っている場合じゃないの。精神科に!行って!受診して!注射打たれて!処方箋をもらわなくちゃいけないの!!

 

まさか紹介状を書いてもらって新しい通院先でさ、開口一番に「ウチ看護師いないから注射による治療が出来ないんだよねー」って優しい顔で言われてもアタイが一番困るよ。

医者って注射すら出来ないんかい。

 

っていうか、そんなの知らねぇし!

何?医療にも格差って存在すんの??もっと言わせてもらえば電話で尋ねた時に「統失なんすけど見てもらえますかー?」って訊いたら何なりと診察の予約時間まで案内してくれて、それで行ってみたら「ごめん、やっぱ無理だった」ってそりゃひでぇよ。

 

未知の難病でどの医者もどうすることも出来ないならば、潔く諦めるけれどさ。統失だぞ。それ関連の本には「100人に1人の割合で発症します」ってかいてあるんだぞ。一つ団地があればその中に2人くらい統失がいるんだぞ。それだけ身近なんだぜ。

人間界にさり気なく溶け込んでいる宇宙人みたいな話はあるけれど、アタイだって本質的にはそれに近いよ。だから色々無理が生じているんだよ。

 

嘘だろ?東大病院に行ったら「程度が軽いから別のクリニックに行って」と言われて、移ってみたらいきなり「そのクスリは俺には打てない・・・」みたいな話になってきたんだぜ。

 

それで残り10日分の処方薬だけ手元にあって、紹介状はそのクリニックに回収され、今から新しい病院探して尚且つ10日後に診察に行ける状態でなければならない。非常にまずいですね、これは。

 

とか言いながらこれを喜々として(危機として)ブログにしちゃっているアタイだよ。

 

通知にしろ転院にしろ、あまりペースを狂わされると調子が悪くなってくる。勘弁してくれよそういうのは。

 

全く卒論に集中出来ないし、近所の図書館で借りていた本の期日は明日だし、しかも選挙の投票日なのにどこに入れるかも決めちゃいないし、月末で金が無いと来た。

 

明日はキャベツ1/6と卵一つで生き延びなきゃっていう状況でしてさ。大体どいつもこいつも揃って「金が無いなら働けよ」っていうけれど、なんで常人と同じ軸でアタイを見るかな。

 

そんなことが可能ならば普通に就活してるよ。どんな仕事でもいいから正社員目指してたよ。

 

無理だろ。気安く言ってくれるな。常人と違って硬直もするし頭も働かねぇんだぞ。取り柄も無い上に生物的にポンコツなんだ、淘汰されるのが普通で生きている今の方が逆に凄いとすら思っている。

 

しかも現在生命維持のクスリが切れかけている。あの凄まじい破壊力のエヴァだってケーブルつないでなけりゃあ3分しか動けねぇじゃん。ウルトラマンだって三分だったろ、確か。アタイだってクスリがないと3日後にはどうなるか分からないんだよ。

 

そんな状態で卒論書きなさい、もっと働きなさい、硬直はするな、頭は回せ

って、厳しすぎねぇか?ゆとり世代だからそう感じるだけか?

わからねぇ。

 

現にこれを書いている最中に、既に3回くらいは自称webマーケターみたいな奴らからの「いいね!」通知が来る。もう嬉しくないわ。お前ら徹底的にアタイの認識から排除するから覚悟しとれ。

 

それかいっそのことアタイのスマホを常時フォーカスモードにしてやろうか。悩ましいところね。

 

さて、長々と書いていたら日付を超えてお昼になってしまったわ。天候は小雨。選挙に行き、そして図書館に本の返却に行く。

 

冷蔵庫の中にはリアルに調味料しか入っていない現在のアタイだが、明日になればクレジットの会計期間が切り替わるから、また細々と食いつなげるね。

 

引っ越してから筋肉が減少し、ろくに食事もしていないせいで体重は53kgまで低下しちゃってさ。この調子だと年末には40kg台に入りそうで怖いよ。

 

じゃ、今回はこの辺で。あ、また通知が来た。。。

読んでいただき有難う御座いました。 ٩( ᐛ )و