三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

何者にもなれずに2022年を迎えたアタイへ。

実家に帰ってきた。

 

アクティブログ(活動記録)

さて、新年2回目のブログ。そして今日は2022/01/03

年明けから盛大にブログの更新に失敗しているわけですが、まぁキリが良いかどうかだけの話よね。元旦の更新とか、そんなに目に止まらないんじゃないのー?ってそれだけの理由と、一年の計画を練るのに必死で終わってしまったからね。

 

昨日ブログを更新した直後、アタイは久しぶりに横浜の実家に帰ったわけよ。相変わらずエントロピーの高い実家。いつまで経っても片付かない。

アタイの住まいとは全くの対極的住環境。年々耳の遠くなることに対して無自覚のババアは、またテレビのボリュームを3つくらい上げていた。

 

基本的に日本のテレビってのは、放送が止まらない。電源さえつけておけば、嫌でもずっと何かしらの番組が垂れ流されるわけよ。それでぼーっと見ていると余裕で半日が終わっていたりする。だからテレビって嫌いなんだよね。

強制的にこの時間は放送中止、みたいな制限も無いから放送局側も「映像を止めたら負け」と言わんばかりに延々とコンテンツとCMで引き伸ばし、つなぐ。

 

正月の特番とか、特に興味を示さない上にもっと言わせてもらえばテレビに出ている芸能人の80%は名前も知らない。いや、名前はどこかで聞いたことがあるかもしれないけれど、顔が一致していないか、存じない人物なのよ。

 

せっかく12時過ぎに帰ってきてさ。漠然とテレビが付いているもんだから、見ていたら箱根駅伝だったのよ。

 

リアルタイムで現役大学生たちが大手町から箱根を最速で目指す毎年正月恒例の企画。スポンサーがサッポロビールなのが印象的な割には、一度もサッポロビールを飲んだことすらない。つーかあの企業って、ビール以外に製品あるのか?ってそんなことすら知らない。

 

アタイが実家に帰った時点でランナー達は早川辺りに到達していたかな。5区のトップを爽やかな青学の学生が走っているのを見て「カッコいいわねぇ・・・・」と、ちょっと胸が熱くなるのを感じた。

 

自分が真夏に予備校で夏期講習を受け、冷房の効いた自習室で目指す大学へ向かって勉強している最中、同い年の甲子園球児たちは炎天下で高校野球の頂点を争っていた。どっちも人生がかかっているのに、どうしてなのか高校野球は日本中を沸かせる。

 

志望校の大学に破れ、アタイは別の大学に進学し鬱になって廃人状態で寝たきりになっている大学1年の正月、同い年の大学生は国道1号線を襷をつなぐべく疾走していた。

 

気づけば年下には、羽生結弦大谷翔平藤井聡太なんていう「過去を振り返ってもこんなすげぇやついなかっただろ」みたいな人物がちらほら現れてきた。

 

はっきり言って野球やフィギュアスケートなんてまともにやったことすら無いアタイだけれど、その活躍ぶりはネットニュースに挿入されたハイライトを見ているだけでも凄い、素晴らしいと伝わる。

 

ただ、はっきり言って自分には全く興味関心が無い分野の人達なので、アタイは彼らを凄いとは思えど、どう凄いのかはブログをやっていても伝えきれないし、逆に批難もしない。

まぁあると便利だけれど、無くてもそんなに困らない道具の様な存在に近い。

 

ちなみに一度だけ、アタイは昼から大学に行く途中で、中央線で藤井聡太と思わしき人物を見かけたが、咄嗟に「将棋に関して彼から引き出せる質問」が出てこなかったので、サインどころか声をかけることもできなかった。

 

憧れの人物はアタイにも数人くらいはいるが、もし明日彼らに偶然会うとしたら何を話そうか。そういうのを考えたことはあるかい?

 

 

話は逸れたが、こうも年下が活躍しているとおじさんとしては非常に立ち位置が危うくなってくるのよ。嫉妬しているんじゃなくて、「アタイこんなんで良いのかな・・・」っていう不安に近い。

 

気づけばテレビも見ない内に、出演者は20代前半くらいの人が多くなってきた様に感じられ、夕食に自分じゃどう頑張っても食べることの出来ない山形牛のすき焼きを堪能している傍らで、番組は珍しい魚を干物にして食べたらどんなに美味いのかを描写していて、山形牛が其の辺のスーパーの見切りの肉と同レベルに思えてくる。

 

自分より若いヤツが、自分より良いものを食っている。そういう妬みみたいなものが湧いてくるのだろうか。こういうのが老害の初期症状なんだろう。

 

まぁ懸命に活躍した駅伝のランナーは、今頃は筋肉痛に襲われてまともにトイレにすら立つことも出来ないのかもしれないなぁとか、勝手な推測をして気を紛らわすわけですが。

 

実家に帰っている間、特にニュースは熱心に見ていなかった。東京の感染者が100人を超えましたって話に対して「まだやってたんかい」という感想しか出てこず、もしかしてウイルスが絶滅するまで一生この不毛な統計を取り続けるのかなぁとかバカみたいな展開しか予想出来なくてさ。いい加減国内新規感染者ゼロ人みたいな日が一日くらい来てもいいんじゃねぇの?なんて思ったりするけれど、どうも上辺だけのニュースだとその日の検査数全体が何人に対しての100人超えなのか、ちっとも分かりゃしない。

 

別に遊ぶ習慣はアタイには無いので、図書館さえ開いていればあとはどうなってもいいやという考えなので、幾らテーマパークが閉園・入場制限しようが知ったこっちゃないわけなんだ。

 

というか、そもそも一回買えば1週間くらい使える、よりフィルター性の高いマスクが300円くらいで売っていないもんなのかと考えてみても、未だに鼻とマスクの隙間から普通に空気が通り抜けられるようになっているスカスカの不織布のものが一般的で、コロナから3年経とうとしているのに、まだ改良されていないのかよというのが呆れてくるわけよ。

 

いい加減車の塗装のときに装着するようなガチのマスクがタバコより安く買えるとかでなければ、一生このまま「感染者ゼロにならないかなぁ」でウダウダやっていくことになるんでしょうか。

 

ニュースのサムネイルを見ているだけでも、海外の大統領とかが鳥のくちばしのような密閉性の高いマスクをしているのに、日本の政府はほとんど不織布の誰でも買えそうなものを着用しているのは、なんなんだろうな。親近感の問題か?

 

 

と、こんな具合にテレビを見始めると疑問が耐えなくなるので、真面目にニュースを深堀りしていたら時間が幾ら在っても足りないわけですよ。現に、実家に帰ってからガジェットの代わりにテレビばかりに注意が行ってしまって、ブログの更新はおろか、個人的につけている日記(ブログとは別のもの)すら満足に出来ない始末。

 

なんつーのかな、考える時間を与えない っていう、あの一方的なやり方がアタイ個人には物凄く向いていないんだろうな。だから学校や塾の授業、ノウハウを教える系の動画なんかは苦手なんだよ。

言われたことが素直に再現出来るのならば、多分テストでもそれなりに点数は取れると思うんだよ。どうしてこうなるんでしょう?って、そればかり考えているからいつまでも物事が終わらない上に、新しい項目がまた脳内に蓄積していって、消耗するサイクル。で、わけが分からなくなって辞めると。

 

多分な、これがアタイの人生の決定的な失敗の要因なんだよね。

教わったことに対してごちゃごちゃと根源を探ったり、何か使いみちを見出したり、反例なんかを取り上げたりして吟味する。

 

多分、あらゆる学問に「基礎」っていう部分が用意されていて、そこを素直に受け入れれば後は組み合わせたり例外を見つけたり出来たのかもしれないのに、「だって、そうなるって決めたから」みたいな基礎とか定義自体をいちいち疑って、ある意味いきなり難問に取り組み始めるから、こんなことになっちまったんだろう。

 

現に簿記とか勉強していても、幾ら勉強していてもどうして借方と貸方が左右どっちか決まっているのか、理由を教えてくれる本には出会ったことがなくてな。左は借方、右は貸方。なんで? ずっと考えていても、結局そんなのは知ったところで日商簿記の問題で問われることはなさそうだし、点数にもなり得ないどころか役にすら立たない知識に過ぎないだろうよ。

それでもこういうつまらないことに、頭を使っていかないといつかどこかでオカッパの5才児に「ぼーっと生きてんじゃねぇよ!」と論破されかねない恐怖に怯えているわけだよ。今のは喩えだがね。

 

昨日久しぶりにNHKでこのガキの番組を見て「年賀状にお年玉がついているのはなんで?」との問に、アタイは「販売促進の一つなんじゃねーの?」と思ったもんだが、答えは確か「戦後のニッポンを元気にするため」とかだったような。(違ったらコメントで指摘してくれ)

 

抽象的すぎねぇか?5才児相応の答え方なら、これでいいのだろうか。腑に落ちない。

ちなみにどうでもいいが、アタイはついに今年年賀状が一枚も来なかった。

5年行っていない道場の師範からの一方的な年賀状すら来なかった。師範コロナにでもなったんかな。

 

実家にいるから、親には誰から年賀状が届くかを把握出来るわけだが、中にはアタイが幼稚園児の時の友達の母親からのもあって驚く。27年くらい前の縁みたいなものを、まだ引きずっているのかと。大概の大人には幼少期の記憶がほとんど無い、って心理学の本で読んだように、アタイだって幼稚園児の記憶はそんなに無い。

この金箔よりも薄っぺらいつながりを維持するのに、1年で80円程度?(今の年賀はがきって幾らだ?)と考えれば安いもんなのかな。

大体こういうのに限って、「今年もよろしく」とか何の創意工夫も無いメッセージを手書きで寄越すんだ。アタイに届いたわけじゃないが、こんなつまんねー奴と文字通り今年一年よろしくやっていく必要性があるのか。

そうやって幼稚園限りの縁のはずの保護者のつながりは惰性で27年経っても続いていて、成人の頃だろうが同窓会をやろうという企画は一度も訪れず、ずっと返報性の原理に則って惰性で一年に一回はがきのやりとりをする魅力って一体なんなんだよと。

 

息子は運転が好きでトラックドライバーになりました。一緒によく遊んだ(記憶にございませんが)〇〇君は結婚して子供が出来たみたいよ

 

っていう、最高にプラグマティズム的に不毛な情報を伝達するために、たまに宗教の勧誘と共に選挙前に訪問してくることもあった。このつながり、必要かよ・・・。

 

ちなみに今年の年賀状のお年玉ってどんな景品がもらえるのか、今ググってみたら一等でも現金30万とかなんだな。小学生くらいの頃にはハワイ旅行とかだった記憶があるのに。魅力的になった部分は当選数がちょっと多くなったくらいだろうか。いずれにせよ、アタイは一通も受け取っていないので期待値はゼロだ。

そろそろ宇宙旅行くらいの景品じゃないと、出す気にならないのはアタイだけか?

 

 

貴重な三連休の最終日は、夕方までダラダラして17時に飯を食って帰宅をするというオチだった。ちなみに年明け早々気分をさっぱりしようと美容院に行くつもりだったが、マップを確認してみたら、あまりにも悪評だらけの店だったのでキャンセルした。

 

スタバの小賢しい呪文よりも、美容院で的確に伝わる髪型の注文の方が遥かに難しい。イラストで説明するとオタクっぽいし、写真を持っていくと「わざとハズしてんのか?」ってくらいに変なところにハサミを入れられる。

 

ぶっちゃけて言えば合わせ鏡さえあれば、自分でも時間はかかるが髪くらいは切れるんだよ。問題は片付けが面倒だね、ってそこだけさ。そうすりゃ散髪代も4000円くらい浮くんだがな。

 

明日からヴァイトだ。働きたくねぇ。

個人的に思う。新年の誓いを立てて3日で目標が崩壊するのは、4日目にして仕事が始まることで休みの日とペースが変わりノルマが達成出来なくなるからだと。

そして簡単な項目にすら複雑に解釈する癖のせいで、今年で32歳になろうと言うのに、未だに職すらまともに決まらないというオチで2022年の三原氏物語は新年の幕を明けようとしている。

 

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