三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

大して生産性も労働量もこなしていないのに、リフレッシュばかりしている。

唐突な質問に滅法弱い。

 

雑談

いつも小賢しいことを考えている。ナヴィエ・ストークス方程式の解の存在と滑らかさについて、コラッツ予想の証明について、そして今日の晩飯は何にしようまで。

 

今、アタイがやっていることは現在進行系でブログを更新することだ。

ところが頭の中はマルチタスク状態で、そろそろトイレに行きたいなとか、クリスマスの残りのローストチキンを今頃になって食べたら歯に挟まって口の中が違和感だらけだとか、今日仕入れた品物をメルカリに出せば確実に利益になるけれど面倒クセェな、なんてことを同時に考えている。

 

さて、来る1月の28日。今後の一年と人生を左右しかねない審判がくだされる。そう、卒業論文面接諮問。

元旦に、教授へと年賀メールを送る。ついでに、それとなく面接の内容を伺ってみた。

 

「いよいよ卒業ですね。思っていることをそのまま話して貰えれば大丈夫ですよ。」との返答。そうか、いよいよ卒業か。卒業確定という前提で良いのだろうか。

思っていることは、このまま卒業しても何も残らないところだろうか。5年前に社会人を辞めるきっかけとして都合が良かったから通信制の大学に進学した。

 

後にまさかの悪名高き日本大学に成り上がるとは思っても見なかった。どうせ通学過程とは一切縁がないのだし、日本大学に対しては特に愛校心もなければ、帰属意識も持ち合わせなくなった。なんせ大学生なのに2年以上大学に行っていない。ただ、三原は大学を通信教育で卒業しました。それだけで良い。

 

さて、店の店長にほぼほぼ卒業が確定しましたよ。と、報告した。現時点でアタイは31歳。見た目は真面目そうに見えても、頭の中は混沌に侵食された統合失調症。人間らしい生活に見切りをつけた現在の心境に、店長は三原に対して唐突に投げかけた質問はアタイを奈落の底に落した。

 

「で、君は今後どうするの?」

 

 

はい、来ました。進路について。来ましたよー。大学を卒業したら「普通は」就職するよね、っていうこの流れ。最高に最悪だ。

 

なんで就職なんかしなければいけないんですか。これでも一度は社会人やっていましたよ。一応ね。幾らでも代替の効く事務作業を週五で無意味に朝9時から。こなしてきましたよ、三年間。サボらず、ミスもせず、遅刻もせず、真面目にね。

 

だけどある時上司が、明らかにコネで入った無能に変わりました。部下は上司を選べないのです。職場も選べないのです。

 

今の職場の正社員は責任が重い割には賃金がバイトと大幅に開きがあるわけでもないですよ。手取りで諭吉が10枚分違うかどうかくらいでプレッシャーに潰されて働くくらいならば、普通にアルバイトしていた方が遥かに楽じゃないですか。

サラリーマンの頃は週五、朝9時からの7時間出勤だった割には時給はコンビニを下回る。それが障害者雇用の世界でした。

 

ところが今のヴァイトはどうですか。客が来ないから暇で、混雑した車内で朝から体力を削らなくても済む昼過ぎからの出勤で、しかも週4働けば贅沢はしなくても生きていけるんですよ。

 

それでいいじゃないですか。

 

ハッキリ言いますよ。「今後どうするの?」との問いには、こう即答しました。

「どうしようもないですよ。」

 

まだ今年も残すところあと360日余りありますが、ネガティブな話をさせてもらうよ。

あのですね、別に生きたくて生きているわけじゃないんですよ。かと言って、「めっっちゃくちゃ死にて―!!!!٩( ᐛ )و」と思うほどの強い動機もないんです。

 

たまたま心臓が止まらずに動いているだけなんです。たまたま、それなりに心身が機能しているだけに過ぎないのです。「なんか生きているから、生きている。」それだけですね。お金がなくなれば、食料が手に入らなくなったら、何もかも興味を失って絶望するまで、或いは何かの病にかかって廃人状態になるまで、生きていけるところまで生きていけたらそれでいいんです。

 

ガンになったら絶望はしても「ああ、そうなんですね」で受け入れる。余命半年だと言われたら一年の半分くらいしか生きられないのを時間をかけて納得しながら「はい、わかりました」と理解する。それだけですよ。

 

アタイの中に一貫してあるのは、「長生きはしたくないけれど、老けたくは無い」に尽きるのです。

 

生憎持病の統失は平均余命が短いそうです。あんま興味ないから知りませんが、それは自殺も含めた寿命なのか、それとも肉体的に統計上そうなっているのか、まぁ常人よりも少し短いそうです。

 

それに加えて地味に平均寿命を縮める病気がちらほらアタイにはあるんです。話しても面白くないので、いつも割愛していますが大体これらを考慮すると45歳で死ぬのが丁度いいという結論になるのです。

 

おっさん以上、ジジイ未満。このくらい生きれば上等じゃないでしょうか。人生100年時代とか言っていますけれど、1世紀も人間なんかやってられっかって話です。

 

だからこのままヴァイトを続けて、いつか体力が無くなって動けなくなったらハイ、それまでよ。持病が悪化して廃人状態になったとしても、ハイ、それまでよ。ガンや糖尿病になったら、ハイ、それまでよ。それ以上でもそれ以下でもないんです。

 

医療に関して言えば痛みを和らげるのは都合が良いので導入したいとは思いますが、延命まではしたくないですね。逆に寿命を縮める要因はニコチン・カフェイン・アルコールの3大栄養素が齎す作用だけで結構です。

 

ここまでをぶっちゃけて言えば、死ぬほど辛くもないので仕方なく生きてやってる。くらいの気持ちでしょうか。今後どうするなんて問いが如何に無意味か分かるでしょう。どうしようもないんですよ。

 

ダイエットで必死にカロリー計算をしている人達の苦労がアタイには分からないように、誰もアタイをまともに理解出来る人は精神科医だろうといないわけですよ。

「別に努力しなくても痩せているけれど、なんでそんなに君たちは一生懸命になれるの?」という感覚は、全ての女子を敵に回します。まぁアタイの今まで言ってきたことが理解出来ない点に関しては「結局誰も分からなかったんだな」ととっくに諦めていますが。

 

更に店長は付け加えてきました。

「就職や結婚とか、老後とかどうするの?」

就職に関しては上述した通りです。今の働き方が合っているし、逆に正社員みたいな働き方はできません。以上。

 

結婚?クズの言い分ですが、養ってもらうことは出来ても養うことは出来ませんよ。というか、パートナーがいるとどんな困難でも乗り越えられるのでしょうか。ただでさえ精神障害者のアタイを「まぁそういう面もあるよね」と肯定してくれる心に余裕がある人なんて存在しますかね?

 

普通ならば「気持ち悪いし面倒くさいから関わりたくない」これに尽きると思います。

 

相手を幸せに出来ない時点で自分には結婚する資格もないと思っています。それだけです。もしも手取りが充分にあって豊かならば、また違った考え方をするのかもしれません。そこはあまりハッキリとはわかりません。

 

老後?

なんでジジイになるまで生きている前提なのでしょうか。死ぬまで働けなければ、「ハイ、それまでよ」に尽きるでしょう。なんで年金をアテにするかな。多分破綻しないとは思うけれど、それだけで暮らしていくのは無理でしょう。結局アタイらは労働量はどんなもんか分からないけれど、死ぬまで働くんですよ。

 

究極的に言えば、「いざとなったら死ねばいい」と割り切っているからこそ、そんなに真剣に生きる必要もないわけですね。仕事は真面目にやっていますが、それ以外は適当です。

 

はて、卒論が終わってからアタイは今後何をするべきかをずっと考えてきた。

やりたいこと、出来ることを仕事にしよう。そういう本が図書館には山程あった。

 

他人からの評価はともかく、長文を書くことならば「人と竸べなければ」得意だ。時間を忘れて没頭出来ることなんて、コーヒーを淹れるか、ブログを書くか、銭湯に長時間浸かるくらいだろうか。完全にくつろぐための才能ならば、持ち合わせているのかもしれない。

 

今後どうして生きたいかを考える。言い換えれば死ぬまでの暇つぶしに近い。仕事に一生懸命になるとか、どうも違う。

 

ただ、ひたすら計画ばかり練っていても老いぼれていくだけなので、明確な目標や夢は大事だと理解はしている。そこでまた振り出しに戻る。「で?結局君は何がしたいの?」と。

 

やりたいことなんかあるのか? そりゃあ毎日が休みならば、寝起きからダラダラとパジャマ姿でコーヒーを飲みながらブログを書いて、昼飯を食べて読書をし、夕方くらいから銭湯に行き、たまに図書館に行くことしか思いつかない。ちょっと凝った料理が作れたら良いなとか、そういうのはある。

 

今の所それに近いライフスタイルが、いわゆるFIREだと思うのだが、言うまでもなくそれを実現させるに至る貯金や収入源があるわけではない。

 

だからなりたい自分みたいなモデルはあっても、やりたいことはただひたすらくつろぐだけだったりする。

そう考えれば、引っ越してからまだ6ヶ月くらいしか経っていないものの、東京に執着する必要もないのでは?となってくる。

 

30代まで東京で働いたら、あとは田舎でダラダラ生きていてもいいんじゃないかなぁと。

野沢温泉辺りに住みたい。

 

そうなると、東京にいる内に仕事を作り、それを田舎で継続するみたいなスタイルを確立することが一番今やりたいことなのかもしれない。

 

 

 

ってなわけで

 

アクティブログ(活動記録)

1月3日。実家から帰る途中の電車にて。何気なくこれから向かう美容院の地図をグーグル・マップで眺めていた。あの機能には、いちいち場所のレビューや星の評価まで付いていたりする。

 

そこでの美容院の評価は1.8だった。ありえないくらいに髪を梳かれる。カットだけで良いのにシャンプーを勧めてくる、断ると対応が雑になる。全てが最悪。などなどと、読んでいるだけで気分を害する内容だった。

 

ビビリのアタイは怖くなって、キャンセルをした。乙女は髪が命なのよ。(男だが)

 

ある意味無事にアパートに帰り、「ああ、やっぱ実家よりも落ち着くな」と安堵し、眠る。ただ、とにかく寒い。

 

4日は新年初ヴァイト。まぁ普通に終わった。年明けだから接客がぎこちないところはあったし、正月にまともな飯を食べたにも関わらず、あまり元気はなかったが無難に終わった。

どうしてなのかあまり声は出なかったが。

 

5日。出勤前に髪を切る。こうするだけで格段に仕事に対する姿勢が向上するんだ。一日幸せでいたいならば、髪を切ればいい。誰かが言っていたが、其のとおりだと思う。

リフレッシュして出勤すれば、ハッピーな気分で接客に臨める。まぁそこまでしないと接客が成り立たないアタイにも問題はあるが。

年末から溜まった洗濯物を今日こそは干すぞと意気込んだ6日。朝はまだ曇天だったが、コーヒーを飲んでぼーっとしていたら雪が降ってきた。なんとなくロマンチックな感じがした。

 

本来ならば靴を買いに行った後に、その足で浅草寺まで歩いて初詣に行くつもりだった。

 

結局いつもと変わらない休日の過ごし方のままで、本の返却日だったことを思い出して図書館に行き、あんまり面白い本がねぇなと感じつつも4冊くらいレンタルし、3cmは積もっている東京のアスファルトに何度も滑りそうになりながらも、その後銭湯に向かった。

 

果たして都会に降る雪はきれいなのかどうか。そもそも雪って埃に付着した水分が凍ったものじゃなかったかという議論はともかく、雪の降る中での露天風呂と、サウナ後の外気浴は格別なものがあった。

 

もっと言えば、雪だからなのかめちゃくちゃ銭湯が空いていて、客も6人程度。デカイ浴槽にアタイ1人だけ。いつも以上に脚が伸ばせて、お湯もキレイと来ればまさに湯〜とぴあ な状態だった。

 

足腰の弱い年寄は転倒するとガチで骨折したりするから、今日に限ってはめちゃくちゃデカイ音で痰を吐くクソジジイもいなくて最高に快適だった。銭湯側からすれば客がいなくて赤字の日なのだろうが、こちらとしては今までで一番満足の行く入浴だった。

 

納得の行く美容院で、これ以上ないくらいに髪型が決まり、今日は銭湯でととのう。

 

雪は一旦止んだみたいだが、明日は路面の凍結が若干心配なところはある。なんせアタイ自身も衰弱していて転んだら骨が折れるかもしれないからだ。

 

しかも明日は頭の病院だ。無事に病院に行けるのかどうか、それがまず大きな問題である。

 

じゃ、今回はこの辺で。読んで頂きありがとうございました。٩( ᐛ )و

 

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