三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

最後のステップと次のステージ

卒業式で会いましょう。

 

アクティブログ(活動記録)

 

・・・・卒業式っていつなのかしら?

 

 

Anyway,

教授は確かに「卒業式で会いましょう」とおっしゃった。しかし、いつ卒業式を行うのかをアタイは知らないのよ。ものの1年留年すれば、コロナ禍も少しはマシになって、マスクさえしていれば、ほとんど問題の起こらない世界が待っているのだと勝手に予想していたが、見事にハズレちまった。

 

東京は感染者数が17,000人を超えたそうな。へぇ、そうですか。

相変わらずコミュニティが狭いのと、友達が皆無に近いので未だに知り合いに感染者が出たという話を聞かないわけ。

別に能天気に遊び歩いているようなキャラじゃないのは、皆様もご存知でしょう。職場、図書館、銭湯、スーパーくらいの利用だけで日常を過ごしているのは、決して捏造じゃないわよ。

 

何かの強迫観念に駆られたのか、つーか元気に動き回れるのにPCR検査のキットなんか買っている奴ってなんなの?とか思いながら、いつも職場へと向かっているわ。

あの検査キットが体内のウイルスを全部吸収してくれるものと、どこか勘違いしているんじゃないのかしら。大体無症状だろうと陽性だろうと、出歩くなよと。仮に陽性だったらお前どうするんだと。そんな簡単に医者が薬を出してくれるような代物じゃないでしょ。

 

もっと言えば、絶対に検査をしなければ陽性にはならないんだから、アタイだったらちょっとくらい風邪っぽいと感じても検査はしない方が良いと思うけどね。だって職場も閉鎖されたり、色々面倒じゃんか。

 

流石に咳が止まらない状況だったら人前には出ないことを誓うが、残念ながら今のところは一切風邪っぽい症状が無いのよ。無駄に健康。

 

だから下手に陽性の判定を出すくらいならば、無症状で無自覚のまま終わった方が都合がいいじゃないですかと。色々突っ込みどころはあると思うけれど、コロナかどうなのかで人狼ゲームをやって消耗しているくらいならば、最初っから自宅で何でも完結出来る環境を整備してさっさと趣味に没頭していた方が遥かに有意義でしょうよ。

 

まぁ感染者数が多いのは否定出来ないからこそ、果たして卒業は出来ても卒業式は行われるのだろうかという疑問が生じるのさ。なんだろうか、あまり卒業式に大した意味は無いと思っている。

 

言ってみればアタイが在学していた日本大学なんて、学生数が多いだけでやっていることは中堅レベル。特に最先端の研究事例や何かの権威みたいな人も自分の学部にはいないし、もっと言えば入学自体は誰でも入れる「偏差値ゼロ」の世界だよ。

 

確かに学生数も日本一なだけあって、学力で言えば下はアルファベットが全部言えるかどうかの義務教育基礎レベルも怪しい奴から、上はTOEIC満点の予備校講師なんかまで、非常に多岐に渡る人間が存在していた。

 

コロナ前には夏季スクーリングという、大教室が満席の真夏の空間で朝から夕暮れまでぶっ通しで授業を受けるという、半強制エコノミークラス症候群状態での寿命を削って単位を稼ぐ集中講義を経験し、人間として何か強くなれた経験が出来たのは今となってはいい思い出なのだが、ほとんどの学生はそんなことはとっくに忘れているだろうよ。

 

歴史と政治と法律は一切勉強しない というスタンスで、興味のある科目だけを履修し、自己満足ながら存分に勉強したと思える学生時代は昨日の卒論面接諮問を以て終了したのね。

 

てっきり「この論文言っていること矛盾していない?」みたいな質問をクドクド追求される時間なのかと思ったら、「よく出来ています」の一言だけで、あとは近況報告をするだけであっけなく終わった。それがどう成績や論文の評価につながるのかは不明だが、同時期に卒論を提出した奴は揃いも揃って大学院に進学するらしい。・・・その情報いらなかったな。

 

通信制の大学の学費とは比較にならないくらい、大学院の学費は高い。そりゃあ学びたいことがあれば、博士課程までガチで進んでいたかもしれないが、とても個人じゃ購入できない実験設備が用意されている理系の大学ならまだしも、社会科学にそんな大層なモノはなく、ただ開放的なキャンパスが用意されて、学食で飯を食い、たまにレポートが終わらなくて大学に住み、一日の半分以上を図書館で過ごすようなことをしてまで学びたいと思える要素は大学院には無いのだよ。況してやコロナ禍だもん。大学より高度な授業をオンラインで受けて、沢山課題が出される。けれど学費は跳ね上がるよ、と来たらとてもじゃないがやってらんない。

 

貧乏人にも学ぶ機会を与えてくれた日大通信、そういう意味では感謝しているけれど、もう卒業は確定したも同然。「面倒見の悪い大学」と誰もが言っていたのは確かにそうかもしれないが、逆に「自力でも卒業出来る大学」だと解釈した者はそう多くないだろう。

 

能率は悪いままかもしれないが、ひたすら一つの問いに関して文献を読み込み、調べ、まとめ上げる能力は習得出来たと思っているもん。

それがこの大学における学位の授与って意味なんじゃないの、と勝手に思っている。

 

たまたま自分にとって都合の良い学修環境があり、習いたい教授がいたから入学した。それだけで充分だよ。食堂も図書館もない、教室だけのキャンパスだったけれど、その環境にいたからこそ、大型書店に通い、今では区立図書館を使い倒すくらいになるまで自分は変わった。

 

卒業後にどうしたいか、なんてビジョンは一切描いてこなかった。普通は就職でもするのだろうけれど、そうしなかった。

今後何をしたいのかを年明けから真剣に考え続けてみたものの、まだ答えが出なくてさ。何か自分を変えるきっかけやヒントがあるかもしれない。そういう微かな希望を抱いて図書館へ向かい、児童書から医学書に至るまで全ての棚に目を通してみる。

 

興味はないけれど、簿記は大事だよな。

数学も面白そうだけれど、どこから学べばいいんだろう。

本当は統計学も使いこなせるようになりたいんだよな。

イラストの描き方の本なんかもあるのかー。

あ、これ昔欲しかった本だ。

貧乏人が安い食材だけで栄養満点の食事が出来る料理の本とかないのかな。

死ぬまでに見たい世界の絶景ねー。

成功のバイブルや勉強の仕方の本もあるのか。

なんだこの本?誰に需要があるんだ?借りる奴いるのか??

 

書ききれないくらい、書棚に陳列された本の背表紙からは疑問や気付きが湧いてくる。この感覚があるからこそ、大型書店や図書館は楽しいんだよ。そしてウチの区立図書館のルールでは、20冊まで同時に借りられるんだ。リュックサックに入れられる分だけ借りて、帰宅する。寝食を忘れて読み耽る。

 

子供の頃に友達から借りたゲームソフトを自宅で遊ぶかのように、新しく仕入れた本の中の世界に没頭するんだ。読み終えた直後の自分は、さっきより少し賢くなった気分になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、そこでいつも終わるんだ。

 

何故そこから先に進まないのか。挑戦するのが怖いのか。前進せよ、行動せよ。今学んだことを早速活用しろ、どうしてそんな簡単なことが出来ないのか。

こうしている内に、日付が変わり、寝て、目が覚めると昨日読んだ内容なんてほとんど覚えちゃいない。

 

そしてアタイはこう思うんだ、いつもいつもいつも。

「なんか面白いことねぇかなー」って。

 

 

薄々気づいたことがあるんだ。興味を持って借りた本を読み終え、一日が経つと全てを体得した気分が失われ、興味がなくなっていくことに。

 

もしかしたら本を読めば読むほど、興味を失っていくのかもしれない。

 

極端に言ってしまえば、色んな分野に対して「中途半端に知っている」から、なんとなく分かるからこそ、突き詰めて学びたいことが出てこないのだろう。

 

いや、これはマズイ。同じ本を、出来れば良書を何度も何度も繰り返し読み込んで、自分の言葉で話せるようになるまで内容を咀嚼できなければ何の意味もないのでは?

図書館の会員サイトやKindleのアプリからは、借りた本の冊数が把握出来る。どれもこれも「なんかこんな感じだったかな」と言った内容しか思い出せない。どうしてこれがこうなるんですか、という流れが人に話せるまでに至らないんだ。

 

そういや、このブログって図書館に行った報告はしていても、何を借りてきたのか、或いは読書のレビューなんかもして来なかったな。今頃になって気づいた。

 

文献を読んで、レポートを書いて単位をとって卒業したらそれで終わりなのか。

もう卒業しちゃったら、あとは自由なスタイルで本を読んでいりゃいいのか。この本にはちょっと有益なことが書いてあったな、やっぱりあの本はレビューにもある通りクソだったな、とかそんな程度の判断で結果として自分は何か変わったか?

 

日本人の平均読書時間を凌駕している自負はあれど、人間偏差値で見れば間違いなく自分はFランだろう。

 

 

 

興味や、やりたいことは不明瞭なままだが、自分としての課題は見つかった気がする。現状月収10万の底辺生活。ここから図書館・Kindle・ネットを駆使して成り上がりたい。

図書館を後にし、夕焼けを見てこんなツイートをしたけれど、今この瞬間に改めて言葉に直せたと思う。

 

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