三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

10年かけて、やっと大卒となりました。晴れてフリーターになります。

常人よりも10年かかりました。

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アクティブログ(活動記録)

3月25日金曜日。日本大学の卒業式が武道館で行われました。学生数は日本一、学部によって午前と午後に分かれたこの卒業式で、通信教育部は午前の方に該当していた。

 

この日は偶然にも給料日と重なり、言い換えれば「次の一ヶ月を生きていくためのプランを練りまくる日」でもある。24日の深夜から、25日へと日付が変わる頃に口座に振り込まれた額を確認し、給与明細で何が搾取されたのか一通り確認を経て、4月分の予算を決めていく。しかも卒業式だぜ、と興奮してしまい中々寝られなかった。

 

6時半には目覚め、シャワーを浴びた上で簡潔に朝食をとり、いつも以上に気合を入れて身支度をする。写真を撮るだろうから肌色を良くするためにBBクリームを塗り込み、マスクをしていても強調できるように、少しだけマスカラまでつける始末。結局これは誰にもバレていないとは思うが。

 

教授から借りた本は全て揃っているかを再確認し、改めて日々の体温チェックが抜けもれなくできているのかも3回くらい確認した。

 

いざ、武道館のある九段下へ。大分早く着いたなぁとは感じていたが、すでに学生は軽く見積もっても順路まで500人は超えていたと思う。振り袖姿の女子大生(あ、大学生なのも今日までなのか)の群れを見て「ああ、これが若さなんだな」と痛感し、これから社会に出るのかどうかも良くわからないピアスをつけたスーツ姿のチャラい男子を見ては「日大ってこういうレベルなんだな」と再認識をする。

 

たまたま駅前に喫煙所があり、そこで時間を潰しつつ友人を待っていた。彼と会うのも随分と久しぶりだ。他に同期で留年した人はいるのだろうか、と辺りを見回してみたが兎に角学生数が多いため、況してや全く会っていないため、いるのかどうかは分からなかった。

 

予定通りに駅の出入り口で友達と再開し、仲良く武道館へ。

ちらほら1人で来たような奴もいる。ぼっちじゃなくて良かったと、改めて心の底から友人に感謝した。

 

つい3日前は停電の可能性があり、更に雪の降る地獄の様な日だったのに、この日は雲ひとつ無い快晴で、適度に暖かく、五分咲きくらいの桜も散見された。

 

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意外にも武道館までの距離は長く、入館までも少し時間がかかったけれど、近況を語り合うくらいには十分な時間があり、マスクをつけていることを除けば例年通りの、普通の卒業式に近かったと思う。

 

入場ゲートで学生証のバーコードを端末で読み取るのを見て「俺は健康観察記録の不備でここまでかもしれない。もし駄目だったら、せめてこの本を教授に返しておいてくれないか」とだけ告げ、端末の前に。

 

午前、午後と入力が必須な記録に対し、日付が変わった瞬間から両方の体温をテキトーに入力し続けて今に至る。まぁ不正だったら潔く帰るつもりだった。

 

 

 

 

 

バーコードは一瞬で読み込まれ、一つも疑われることなくゲートを通過できた。なんだこのザルシステム。意味あんのかよ?

 

もう少し来るのが遅ければ、不備でひっかかって参加出来ずに泣きながら帰る奴がいるのを見られたかもしれないが、そこまでのシャーデンフロイデは望んでいない。

 

いやー、武道館ってデカイっすねー。5年前の入学式に来た時以来だったが、特に好きなアイドルもバンドも推しもいないアタイにとっては、もしかしたらこれで来るのは最後になるかもしれない。

 

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校歌は心の中で歌うように。

それ以外は普通の卒業式だった。学長が知らない人になっていて、冒頭に「悪質タックル問題とか理事長の件で学生、保護者、関係者の皆様には多大なる迷惑を・・・」とお詫びをしていたが、愛校心が皆無と化していたアタイにとってはどうでも良いことだった。せめてそう思うならば年間授業料を値引けよ、とは思った。

 

これから社会に出るに当たって、3つの大切なことをお伝えします。真実を見極める目を養うこと、自己研鑚に努めること、あと一つはどう頑張っても思い出せない。友人に訊いてみたが、やっぱり分からなかった。 誰かブログに書いていないかなぁ。

 

ちなみにこの卒業式はYou TubeでLIVE配信されているそうだ。でも振り返るつもりはない。

 

 

高校の卒業式以降、アタイには学業的な卒業式は一切なかった。厳密に言えば最終学歴は自動車学校(教習所)卒だし、人生の一つの区切りである成人式も出席していない。

 

統失に苦しめられて棒に振った20代を、今回の卒業式を通じてリセット出来た気持ちにはなれた。

 

式は終わり、そこから通信教育部のある市ヶ谷までは歩いていける。学位授与式まで90分くらい暇だったので、友人と一緒にラーメンを食べた。最後の最後に学生っぽいことをしたな、と思った。

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↑なんかドラえもんに見えない??

 

 

腹も満たされ、学位授与の時が来た。

 

1限の授業に出席するにあたって、満員電車を回避するために始発から電車で早くキャンパスへ向かったこともあった。夏の短期集中講座を6ターム休まず受講したこともあった。誰も興味を示さない科目である数学を徹底的に1人で勉強していた時もあった。1限から夜間までぶっ通しで授業を受け続けるときもあった。レポートが通らなかったのは2回だけだ。

 

結果として主席にもなれなかったし、就活もしていないけれど、20歳の時に薬の副作用でほとんど寝たきりの状態になっていながらも「大学だけは卒業したい」という想いは今年32歳になろうとしている今、ようやく叶った。

 

長かった。長かったんだが・・・

 

 

 

 

 

卒業証書を受け取った瞬間に「・・・卒業ってこんなもんなのか?」と急に冷めてしまった。

 

通信制とは言えど大卒。確かに商業、ないしは広告について勉強したいとは思っていた。卒論もS評価だったし、バイトも遊びもそれなりにした方だったと思う。多分人生で一番友達が多い時期が1,2年の頃だったろうか。

 

貧富の差は開く一方で、ほとんどの学生は奨学金を借りて大学に通う。ウチは学費が安いから全額自分で出していたけれど、なんだろうな、達成感が全くないんだ。

 

その気になれば興味が無くても、楽単だけかき集めて3年次で単位を全て習得して、4年次は遊ぶなり起業に向けて準備しても良かったんじゃないか。

なんで自分は他の誰もがやりたがらない、自分しか興味のない科目を履修して、1人で勉強していたんだろう。それっぽく理由付けるならば「他人と違う俺かっけー」みたいなところもあるかもしれないけれど。

 

うーん、ここまで来ると卒業出来て当然なんじゃないかとすら感じてくる。金と時間さえかければ誰でも卒業出来るのでは?

 

一体この通信教育部の入学時と卒業時での卒業率はどんなもんなのか、どのくらい難しいことをやったのかデータが出てこないが、そんなに大したことを成し遂げた気にはならない。

 

つーかアタイの方がめちゃくちゃ時間あるのに、どうして社会人の方が勉強できるんだよ。なにそれ?

 

それなりにやってきて、最後に形として貰えたものが卒業証書と、記念品のボールペンと紅白まんじゅう。

 

大学を卒業して、明日からフリーター。それと名ばかりの個人事業主。春の陽気に浮かれていた一日だったが、翌日からはヴァイトがあり、そして月収10万程度でやりくりをする厳しい現実が待っている。

 

「大学生であること」というアイデンティティが失われたことで、そして10年かけて成し遂げた夢が叶って、今アタイは次のビジョンを見失っている。

 

 

キャンパスの前で改めて学位を取得した自分を撮影してもらって、表情は笑顔でも心は複雑だった。

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祝賀会の会場は飯田橋。中央線で一駅移動し、成績優秀者の表彰と、会食が行われる。

 

上には上がいるんだな、と思い知らされ、何か表彰されている人たちは何が凄いのかはよく分からなかった。自分だってわざわざ卒論を書いたのに。CINIIで検索しても自分の論文は出てこないのだろうな。

 

タダでありついた、久しぶりのまともな食事はメンタルが病んでいるからなのか、それとも軽度のコロナに感染しているのか実態は分からないが、味がほとんどしなかった。

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この一年、留年をしていて知っている奴は他に1人しかいなかった。感染を考慮して出席を自粛しているのか、それともほとんどの人は卒業をしたのか、或いは退学したのか。

 

いずれにせよ、今日一日中行動を共にした友達とは、サシでスノボーに行ったりしていたくらいに親しかったし、似たような悩みを持った仲間でもあった。

 

 

 

世話になった教授も祝賀会に参加するのかと思いきや、来ないらしく「これ以上ここにいても仕方ねぇな」と判断し、友人と飯田橋の焼き鳥屋で90分くらいサシ飲みしていた。ちなみに借りた本は一瞬だけ教授に会ったときに即座に渡した。2分くらいしか話せなかったと思う。

 

普通にしていたら絶対に通り過ぎるだろ、この店。そんな雰囲気全開の焼き鳥屋が、グーグル・マップでは評価4.3もあり、何を頼んでも安くて美味い。この日一番感動したかもしれない。

 

結構飲んだこともあり、帰れる程度の体力を残して解散した。コロナが落ち着いたらスノボーでも行こう、そう約束をして別れを告げた。

 

 

大体18時くらいだろうか。

丸の内に母親が来るらしく、会うことに。先日とは別に、改めて卒業祝いをしてくれるとのことで、母親の姉も来てくれた。

 

東京駅の丸の内駅舎にある、ステーションホテルのラウンジ。コーヒー1杯が2000円くらいする。ブルーマウンテンとトアルコトラジャが用意してあったが、ブレンドだったので辞めた。

 

それよりもお酒の方が安かった。うーん、オシャレである。

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デカくて高級感のあるソファで偉そうに座ってみたりして、丁寧な接客で給仕してくれるウエイターがいて、今の稼ぎじゃ一生ここには来れないなと、何か来てはいけないところに来てしまったような感覚に包まれる。

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そう、帰宅したら窓ガラスにヒビの入った、6畳ワンルームの日々だ。自ら望んで一人暮らしを始めた。何かを変えようと思って開業をしてみた。

 

ところがどうだろう、大学生じゃなくなった自分は次はどうしたらいい?肩書は30代フリーター(障害持ち)だ。

 

どうして自分は素直に卒業が喜べないのか。これも精神病のせいなのだろうか。思う存分お酒を飲んで、美味いものも一日中食べた。友達と一緒に卒業ができた。天気も良かった。

 

恐らく不安なのだろう。

これからの未来が。何をするにしても金・金・金!

遊びという概念を忘れてしまい、バイト先と図書館と銭湯を往復するだけの人生。

 

部屋の窓から見えるスカイツリーを見て、いつか行ってみたいと思っていたら半年が経った。引っ越してからちょっとずつ何かが変わっているけれど、改善しているのかは怪しい。

 

卒業式なんて無かったかの様に、翌日のヴァイトには平然と出勤した。今日からフリーター。小売の仕事なだけあって、飲料のペットボトルを補充するだけで軽く腰が痛む。もう若くねぇのかな。そんな気がしていた。

 

帰宅して、さあこれから三連休だ!٩( ᐛ )و

と喜んだ。3日も休みがあれば無限の可能性があるだろうと。勉強してもよし、日雇いの仕事に出るもよし、寝ていてもよし。何をしても許される3日間が、毎週与えられている。

 

この3日を有意義に使おう。元旦に一日の計画を立てる様に、土曜のヴァイトが終わると真剣に72時間の自由をどうすべきかに全力で頭を使う。

 

日曜。洗濯、ブログ。

月曜。読書、銭湯、ブログ。

火曜。図書館、ブログ。

 

これしか思いつかない。知見を広げようと、美術館情報なども検索してみたが感受性の低さから来るのだろうか、何一つ興味がない。

 

三連休は天気が悪いそうです。こうして半日が終わり、気力を振り絞って風呂に入って、現在長々と卒業式についてのブログを書いている。

 

何をしたいのか分からない。というか、興味が湧かない。

 

納豆とサバの缶詰を食べて、それが自分にふさわしい本来の食事なのだと納得する。外食なんて論外だ。遊びに行く?どこへ何をしに?

 

まいったな、10年越しに夢は叶ったけれど、どうやらまた振り出しに戻ってしまったようだ。

 

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