三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

明けましておめでとうございます。とうとう親父がアタイを創った歳になりそうだ

あれ、もう1月2日ですか?!

 

雑談

明けましておめでとうございます!٩( ᐛ )و

 

って去年の元旦にも同じこと言っていた気がする。いや、毎年言っていたような・・・。

とりあえずは自分なりに稼いで、自力で生活をして2022年を生き延びました。2023年を迎えられて嬉しいです。

 

今年はどんな年にしようか?

そんなことを12月の上旬から既に考えていたアタイでしたが、抽象的に、簡潔に述べると「2023年は起きている限り働こう」でした。

 

2021年と比べれば、所得は30万円も増えていました。果たして今年も確定申告で住民税非課税世帯に入れるのだろうか、とちょっと疑問に思っています。しかも10万の給付金と5万の給付金と、岸田から2回も高額なお小遣いを頂いているにも関わらず、新年のアタイの貯金は4万前後しかありません。

 

はて、一体どうしてこんなにもお金がないのだろうか?

低所得者なりに贅沢をし過ぎたのでしょうか?

 

今年の10月に思いつく限りの欲しいものは手に入れたつもりでした。自転車、本棚、iPhone13 mini ,満たされてはいるのです。

 

10月以降は消耗品と食料以外に特に買い物はしていないつもりでした。相変わらずコーヒーとタバコ、少しの酒に対しては「ちょっと消費が多いかな?」とは感じつつも、マジで貯金が出来ていない!

 

友達なんて片手で数えられるくらいしかおらず、スケジュール帳は仕事の予定しか入っていないアタイ。銭湯に行く回数も減り、欲望も枯渇しているのに、一体何にお金を使っているのだろうか?ふと、家計簿を見返してみると21年の頃よりもスーパーで一度に使う金額が増えているのが分かりました。

 

要らないものは買わないことを徹底していて、おやつもほとんど食べていないし、価格の高騰に関係の無さそうなものばかりを消費しているつもりでも、案外出費は増えているのだなぁと気付かされましたね。

 

岸田から貰ったお小遣いも、結局なんだかんだで無くなっていきます。家族への誕生日プレゼント、年末の帰省・・・

 

どうもお金が無くなると、心にも余裕が無くなってきます。年収200万以下でも幸せに暮らす!そういう一人暮らしを営んでいるつもりでしたが、やっぱり余裕は無い。時間だけは沢山あっても(だって週4日しか働いていないから)結局お金の計算と計画を練ることばかりをしていて休日もあっという間に終わってしまいます。

 

別に現状が楽しくないわけではないんですよ。

不幸ではない。でもギリギリで生きている。死にたくなるほど辛くはないが、特に生きている理由もない。

 

近頃ブログの更新頻度が2週に一度くらいになってしまったのは、簡潔に言うと「メンタル・金銭的に余裕がないから」

 

そりゃあ無理をすれば週6で働くことも可能です。そうすれば恐らく年収200万も超えるでしょう。というか、それが出来るならばとっくにアタイは就職していたと思います。

 

去年の3月に大学を卒業したにも関わらず、現在こうしてフリーターとして生きているのは自分の甘えな部分もありますが、無理をすると体調がすぐに悪くなる、決して治らない障害があるからです。

 

今年でアタイは33歳になります。33歳。

アタイの親父はこの33歳で、アタイを創造しました。つまり33歳よりも前に結婚をしていたわけですね。しかも月給もかなり貰っていました。働き盛りだったのもあるでしょうけれど。

 

どっかの書店でタイトルだけ見た自己啓発書には「まずは親を越えなさい」というものがありました。去年に関して言えば、ちょっと課金をしてマッチングアプリに手を出して「パートナーを探そう」なんて意気込んでいたこともありましたが、結局駄目でした。

 

年収は言うまでもなく、体力的にも、知能的にも、家庭に関しても、全てにおいて親父には勝てませんでした。人格や品性はアタイの方がまだマシだと勝手に思っていますが、そんなものが優れていても、結局は結果です。

 

時代が違うから?環境が違うから?アタイの努力不足?

言い訳出来る要因は挙げればキリがないですが、親父みたいなクズすら越えられない事実に軽いショックを受けました。

母親は若いのに、親父はアタイが生まれて物心ついた時から、既におっさんでした。つまり親父が本当に若かった頃を知らないわけです。

 

もう10年以上も親父と会っていませんが、一応生きてはいるらしいです。いや、もしかしたらとっくにどこかで死んでいて、アタイが悲しんでメンタルがおかしくならないように母親や弟が内緒にしているのかもしれませんが、別に今となっては会いたいとすら思いません。

 

親父、俺もこんな立派な大人に成長したんだよ!

 

そう胸を張って言えるような生き方をしていないからです。

幾らアタイが20歳の頃に統合失調症を患い、20代を漠然と過ごして終わった事を踏まえても、現実として20歳の頃の時給よりも今の時給は200円くらいしか上がっていないのですから。

 

結婚は愚か彼女すら、いや、ろくに友達すらいない人生。変に真面目に育てられたせいで、遊び方も分からないまま大人になった今。

アタイが生まれる前、昭和が平成に変わる頃、母親と旅行でハワイに行った親父はディスコでキングの座をとったそうです。その当時のハワイの新聞の切り抜きが、今も実家のアルバムのどこかにあります。

 

一方でアタイは、一度もクラブにすら行ったことがありません。夜遊びもしたことがなく、人生で一度もパチンコ屋やキャバクラに行ったこともありません。なんとなく雑誌で立ち読みした漫画でしかそういう世界を知らず、遊びというものがわかりません。

 

独身の頃はカナダにスキーをしに行ったとか自慢していた記憶がありますが、アタイは国内のニセコですら未だに行けていません。正月も母の実家である長野に帰ったけれど、お金がないのでスノボーをすることすら叶わず、家の前の雪かきをするだけで呆気なく貴重な正月休みは消えました。

 

無茶をすると体調が悪くなるこの身体で、無理をしない程度の無理をして、お金を稼ぎ、それなりに余裕が出来れば恋愛も出来るようになり、自己肯定感も上がって人生は好転するのでしょうか。

 

小学校高学年の頃から人生は親父に決められて生きてきました。自称進学校に入学するも、収入が減ったと急に口にし、高校生でバイト禁止なのにも関わらず勝手にバイト先まで決められ、その圧力に押しつぶされてイヤイヤながらも応募、面接をして受かってしまったイトーヨーカ堂。布団売り場という訳のわからないポジションで、展示用の家具を組み立てたり梱包していた当時の時給は1,000円。

稼いだ金で予備校に行け!という訳の分からなさで、学校に部活にバイトに予備校と、一時も休むことなく勉強も頑張ったのに、みるみる下がる成績。

 

当然第一志望の大学には落ち、なんとか滑り止めで受かった地方の大学に進学した結果、それまで張り詰めていた緊張の糸のようなものが吹っ切れて、アタイはおかしくなりました。

 

人の話していることが全く理解出来ず、引きこもり、聴覚過敏に悩まされ、実家に戻ってきた時も「医療費は自分で稼げ」と言われ、毎日デイケアかバイトのノルマをこなす日々。

その頃から親父は姿を消し、どこかへ行きました。

 

圧力に押しつぶされて自己肯定感も皆無だったアタイが初めて自由になれた瞬間だったと思います。それから10年以上会っていないわけですが、結局自由になれても病気の程度が軽くなっただけで、今も障害を隠しながら人間社会に溶け込んで、小売のレジ打ちをしています。

 

聞いてくださいよ、父さん。

高校生のころから、もう15年が経ちますが時給は200円ちょっとしか上がっていないんです。

これでも国内ではかなり高い方なんですよ。エリート育ちの連中にペットボトルの飲料を売ったり、売り場を案内しているんです。勤務地だけは丸の内・大手町ですがね。ええ、幾らでも代わりの効く仕事ですよ。もう働けなくなったら生きていけないんです。そういうリスクを抱えながら、なんとかやっているんですよ。

 

金銭的な事情とは言え、高校生の頃にバイトを強制的にさせられた。間違いなくあの時点で人生は悪い方に変わりました。男子校出身のせいで今でも女子との接し方が分からず、今年から売り場で生理用のナプキンの発注を担当するのですが、女子がどこからおしっこをしているのかすらも知りません。これでも一応童貞は卒業したんですよ。それだけですね。なんか人生が変わるような体験かと期待していたら、「なぁんだ、こんなもんなのか」と言った感想しか出てこず、それ以降生物としての役割を果たしてしまったのか、勃起不全になってしまいました。

 

金があれば考え方も価値観も変わるんでしょうかね?

新年明けましておめでとう。今年33歳になります。アタイは親父を超えることすら出来ませんでした。

 

 

 

 

 

 

ですが、次にもしも会う時があれば、一生介護が必要なくらいになるまでぶん殴ってやる。お互い死ぬまで会わない方が理想的ではないでしょうか。今日は1月2日で、親父の誕生日ですね。祝いの電話をしようにも、電話番号すら知らないんでスルーします。

 

まぁ今年からはアタイも今までの生き方を否定するような人生を送るつもりでいます。どっちが早く死のうが、葬式には行きませんし、逆に来ないでくださいね。

 

 

 

 

ってなわけで、

 

アクティブログ(活動記録)

結局予想通りダラダラして終わっちまったよ。2022年。

去年をどこから振り返ろうか?

 

一年を振り返るのはダルい。年末年始の話でもしようかしら。

 

仕事納めは28日だったのよ。まぁ首都圏の小売で年末年始休業なんて、珍しいんだけどね。どうせオフィス街だから営業していても客が来ないのが明らかなのでしょう。潔く休みにするんだよね。

 

社員は給料が変わらないけれど、アタイみたいなパートだと祝日や休業日の多い日は月給が減る。恐ろしいくらいに減る。

そんなわけで、6連休が約束されていたのにアタイは29日も別の店舗に応援に行ってきたわ。ここは小さい店舗で、やっぱりオフィスビルの一角にあるので客数も少なく、アタイが今の小売に就いて以来一番ラクな年末でした。

 

そうか、もう6月になれば今の職場で3年働いたことになるのかぁ。月日が経つのは早いわね。

その29日がアタイとしては仕事納めで、20時に退勤した後、即帰って寝る。こうしてブログを書く機会が失われたわけ。

 

30日は早朝から北陸新幹線で長野へ。母親と東京駅で待ち合わせをして出発。指定席をとってくれて、スムーズに乗車出来た。乗る新幹線の一本前から既にホームで待っていた母親は、東北行きの新幹線を逃した家族を見かけたらしい。シャーデンフロイデ。やっぱ他人の不幸話は楽しい。家族でホームに上がったら、丁度新幹線のドアが閉まるタイミングだったそうな。

 

ああいう馬鹿って必ず毎年存在するけれど、一体なんなんだろね。

多分指定席を予約したんだろうけれど、次の東北行きの車両の自由席に座るしかないのだろうか。せっかく家族で里帰りするだろうに、駅でじぃじやばぁばが孫の顔を楽しみに待っているだろうに、予定狂って最悪の年末になるんだろうな。誰が悪いとか、新幹線が早く出発しちゃったとか言い訳しながら終始イライラする様子が想像出来る。

 

とか言っておきながら、アタイも東京駅のカフェでヴァイトしていた頃には大晦日に客にコーヒーをこぼして大騒ぎになったことがある。トロいジジイが急に受け取るときに慌てやがるからだ。お互い最悪の年越しとなったが、ジジイはもう忘れているだろう。まぁ帰省で東京駅を利用しようが、なんかあの店に立ち寄ってコーヒーを買って新幹線で飲んでいこうみたいに思えなかったので、今回は別のコーヒー屋でテイクアウトをしたのを持ち込んだわ。このコーヒー屋もしばらく来ない内に不味くなったなぁと思いながら、都会から田舎に移る景色を眺めていたわ。

 

なんだかんだで90分もあれば長野駅に着くのよね。アタイは貧乏だから基本的に長野に帰る時は高速バスを利用するのよ。これだと片道5時間くらいでしょうか。なんせ暇だし、ドライバーが運転してくれるから本ならば2冊くらい読めるのに対して、新幹線は早すぎて何かをするには時間が中途半端なのよね。

 

結局コーヒーを啜っている内に到着。東京のコーヒーが少し冷めた程度で到着出来る現代の技術すげぇ!

 

ただしここからローカル線と、ローカルバスに乗り継いで婆さんの家に向かうのは大変なのよ。長野駅の立ち食いそば屋である、ナカジマ会館(なぜかそういう店名)できのこ蕎麦を食べて、電車に向かう。

 

一応の最寄り駅にある大型スーパーで必要なものを買いだして、ローカルバスに乗る。バスだけで50分くらいかかる。新幹線の短時間・長距離と比べれば圧倒的に能率が悪い。なんのために90分で長野まで行ったんだと。

 

それでも到着したのは14時くらいだったかな。高速バスじゃ、こんなに早くは着かない。

 

それでここから一日中テレビつけっぱなしのダラダラした年越しが始まるわけよ。

 

なんせ婆さん耳が遠くて、テレビのボリュームをかなり上げる。それで年の瀬の番組やニュースって何年経っても同じ様な内容ばかりで、「それ去年も見たじゃん」みたいな。

 

アタイの自宅にはテレビが無いから、それはそれは静かで集中出来る環境なんだけれど年末の毎回同じノリの番組を見るのが実に苦痛でな。仕方なく紅白歌合戦を見ていたんだが、あれさ、内容的に自分が高校生の頃に見ても違和感無いくらい歌い手も曲も変わっていないわけよ。

 

あれ、この曲高校生の頃によく聞いていたなー、みたいな。変わったのは歌手が老け込んだくらいか。ワンピースのキャラが歌うっていうのがあったけれど、安っぽいメタバースのそれと大差なくてガッカリしたし、鬼滅とかいつの話だよってなるし、よく考えたら高校生の頃は大晦日もバイトしていて紅白みていなかったわーとかなっちゃうしさ。

 

乃木坂なんてどれも同じ顔にしか見えなくて恐怖だし、もうおじさん今時の流行りについて行けない!一応Spotifyで最新の曲は聞いているけれど、「ああ、この歌ってこういう顔の奴が歌っているんだー」と紅白で初めて知るし。

 

つーか「死ぬのがいいわ」ってなんなんだよ。良いのかよ死んでも。

こんなネガティブな歌詞を流しておきながら、番組の司会は「2023年は素晴らしい一年になりますように!!」とか言っちゃっているし。

 

あのな、良い一年かどうかなんてほとんど流すニュースの内容で決まるんだよ。それで「ゆく年くる年」を見終わって3,2,1・・・明けましておめでとー!!٩( ᐛ )و

 

ってなって新年一発目にアタイが見たニュースは「ウクライナでの戦争が・・・」だったよ。

どこがどう素晴らしい一年のスタートなんだよ?あ?

一旦寝て起きておせち食べながらニュース見ていても「山形県での土砂崩れが・・・」とかさ、あれを見てどういう感想を述べりゃいいわけよ?

ウチは特に災害もなく平穏に新年を迎えられてとても幸せです。とか言っときゃいいのか?

それとも被災した家庭は不幸ですね、ウチはおせちが美味いけれど。とかメシウマみたいな、あるいは「コイツらに比べればウチは貧乏だけれどまだマシ・・・」とでも思わせたいのか。

助けて欲しいならば別にボランティアで行っても良いわけよ。元旦早々から。でもそういう類の電話番号も明記していないし、自衛隊を派遣してどうの・・・とか言っている時点で「あ、俺必要とされていないな」って察するじゃない。

 

新年早々、こういうプラグマティズム的にどうでもいい/アタイじゃどうしようもない ニュースばかりじゃ、「ああ、多分今年も大したことねぇな」ってそれなりに推測出来るわけよ。

 

こうしたノイズのせいで結局元旦からブログを書くことに失敗し、新年の抱負をipadのノートに書き込む間もなく2日になるわけよ。

起きたら箱根駅伝が始まろうとしていて、婆ちゃん「この辺で俺働いているんだよ!!」って一瞬しか映らないビルを指差してわざわざ教えているのに、生憎の難聴で「ええぇ?」とか聞き返されて終わりだよ。ちょっとでも孫が頑張っているところを孫なりにアピールしようと思ったらこれだぜ。ほんと年寄りってクソだよ。

 

それで10時くらいに婆さんの家を出て、栗の街で栗のお菓子を買った後、またローカル線に乗って今度は自由席で帰ってきた。臨時の長野発は思ったよりも空いていて、余裕で座れたので良かったわ。

 

多分明日がめっちゃピークで帰りヤバそうだから、今日帰っておいて良かったと思う。一応アタイは明日も休みだし。アタイは下町に一人暮らしをしているので、上野駅で下車して母親と別れを告げ、14時くらいには帰宅。

 

それから1人で黙々となんか考えていたり、今こうしてブログを書いていたりするんだ。

 

長野にいた時は「東京に戻ったらあれも、これもやりたいなぁー」なんて思っていたのに、ちゃんと自宅に戻ると途端に無気力になるのよね。

ご当地の美味しいものとか買ってきて、詰め込んだトランクを開けるのすら面倒で、「なんでこんなにきのこばかり買ったんだろ?」とか白けてくる。

 

折角、一応は明日が休みだから何かをしようと考えていたら1時間が過ぎ去り、窓から見えるスカイツリーを見て一服している内に日が暮れた。

 

散々栄養のある美味いものを年末年始は食べたから、夜はシンプルに貰ったご当地のラーメンを食べよう!と思って食べてみたら美味いものの急に虚しくなってくる。

 

今こうしてブログを書いているけれど、このままじゃあ例年と何も変わらないんだよなぁと感じつつ、結局明日の予定は洗濯と掃除。

昨日温泉に浸かったから今日はもう風呂に入らなくてもいいかなぁと思う始末。

 

今年こそは、今年こそは・・・!!

 

そう言って今年も残すところ後360日あまりとなりました。

いいのかな、親父?

今年で33歳になるのに、婆さんからお年玉を貰ってしまったよ。。。

 

 

じゃ、今回はこの辺で。

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 贅沢な時間のある暮らしへ

 

《三原氏物語公式LINEスタンプはこちらから‼ ⬇》

store.line.me