三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

手取りが増えたのに、物価も上がるから豊かにならないんだと気付いた

※月曜に書いた記事です。更新するのを忘れていました。

 

 

何故いつも金欠なのか?

 

雑談

たまには所得のお話でもしようじゃないか。いや、経済学的な雇用と労働、賃金のバランスについての考察・分析みたいな高度な話はしない。というか、出来ない。

 

自分の年収を公開している奴ってTwitterだとちらほらいるじゃないですか。ほら、大概ツーブロックでジャケット着ていて腕組みをした写真か、似たような画風のイラストをアイコンにしている奴。ああいうのと一緒にされたくないんだけどさ。残念なことに、全くアタイを知らない人から見れば、多分同類項なんだろうな。いやだいやだ。

 

ブログで月収100万!とか、副業1日1時間で月10万円稼ぐ!って「他に何か気の利いた言い回しねぇのかよ」とキレたくなるような、大量生産型のクローンじみたバカ。そういうのがアタイのツイートに反応してくる。気安くいいね!をするな。記事を読んでいないのは、アクティビティを見りゃ分かるんだよ。

 

そういう界隈同士で群れているからなのか、そいつらにフォロワーは2000人くらいいたりするんだよな。まぁそいつら同士でアタイのブログを拡散してくれるならば、それで良しとして放置していてもいいのだろうか。アクティビティに反応はなくても、長期的に見れば確かにブログのアクセス数は段違いで伸びた。コメント欄が荒れたり、炎上していないだけでもマシだと考えていいのだろうか。

 

いずれにせよ、こいつらは急にいなくなってもアタイとしては全く悲しい気持ちにならない存在に過ぎない。道端に生えている苔と同等。気にしたら負け。

 

果たして彼らの肩書である「月収100万」といった話は円なのか、ドルなのか、それともジンバブエドルか、或いはウォンか。なんでも良いが、間違っても「いつも良いね!をありがとうございます。どうやったらそんなに稼げるんですか?指導してください!!٩( ᐛ )و」なんてメッセージを送ったら最後、幾ら死にたがっているアタイでも借金を背負って臓器の一つか二つを奪われている末路がうっすらと見える。

 

1日1時間の作業で月収10万稼げるならば、バイトで食いつないだりなんかしないに決まっている。果たして3600秒で何をするのか。猛烈に集中力が要求されて、心拍数も上昇するような過酷な内容なのか。それとも、コンピューターに精通したわ・た・しを気取ってモニターに幾つもグラフを表示させて数値の値動きをチェックするのか。

 

これがブログだった場合、どう考えてもアタイの場合は1時間じゃ収まらない。基本、毎度長文を展開する三原氏物語は記事一本書くのに2時間ちょいはかかる。

ちょっと盛って、一日2時間のブログを書く作業を週に2回程度。これで月収は幾らになるか、オチは60円程度だったりする。

 

アタイのバイトの時給は都内でもかなり高い方だけれど、稼ぎだけで見れば圧倒的にブログなんか書く暇があったら、バイトの時間を増やした方が遥かにマシだ。

 

ざっと、月に20時間くらいがブログを書いている時間だとしたら、それこそ賃金の差はたかがバイトの分際でも天文学的に額が開いているのは、誰でも分かるだろう。

 

一体1時間程度で生み出せる記事で月に10万も稼ぐとは、どれだけ有り難いお言葉を並べているのか。作家の原稿料だって、それなりのプロでも一文字が数円とかってレベルだぞ。

 

 

あまりブログ論みたいな話はしてこなかったが、この際言わせてもらうと、アタイにとってのブログとは「生産性のあるパチンコ」と本質的にはなんら変わらないんすよ。

 

お金をつぎ込んでダラダラと当たりが出るまで思考停止で楽しむのがパチンコ。

時間をつぎ込んで、自分の好きな事を書いて「一発当たれば嬉しいな」と記事を書くのがブログ。

 

どっちも共通しているのは「打ち込む」ことで、決定的な差はパチンコが受動的でブログが能動的な行為であることだ。

 

 

更新頻度こそ低いものの、我ながら良くここまでブログが続いてきたなぁとは感心する。ちなみにアタイは神に誓って、パチンコ屋には入店したことが無いし、打ったこともない。

 

偉そうなことを言ってきたが、所詮はアタイもアマチュアのブロガーだ。それだけじゃ食っていけないから、当然何かしらの労働が求められる。

 

 

 

ようやく本題に入るが、そろそろ確定申告の時期が迫っている。これを確実にこなさないと、アタイは税金をむしり取られて死ぬことになる。死にたがっているが、死に方くらいは選ばせてくれ。納税が出来なくて資産を差し押さえられて死ぬようなことは、ダサくてゴメンだ。

 

さて、21年の年収よりも22年の年収は20万円くらいアップした。労働時間が増えたのと、時給が上がったのと、要因は2つだ。

この不景気な時代、コロナ禍(これまだやってんのかよ)と色々ひでぇ有様な世の中にも関わらず、アタイの去年の年収は人生で一番高かった。

 

え?

 

 

幾らかって??

 

 

 

160万円程度だよ。

 

婚活で門前払いされるレベルの稼ぎだ。自分一人でさえ、満足に養えない状況に近い。しかしながら、金銭的には最底辺でも人間としては充実しているとすら思える。

 

21年の確定申告を行ったことで、22年は住民税も所得税も一切払わずに済んだ。それどころか頭の病院の制度のお陰で、精神科だけに関して言えば医療費免除、非課税世帯に該当するために岸田から二回も小遣いを貰えた。

 

めちゃくちゃ幸せになれたわけでもないが、取り敢えず誰かに助けてもらって辛うじて生きていることには感謝をしなければならない。こんなクズが国の制度のお陰で生きているんだから、不思議なもんだ。

 

だが、これは裏を返せば変に所得が上がってしまった場合、急に出費が多くなってしまい今よりも暮らしは一層貧しくなることを意味している。

 

明確な基準までは覚えていないが、年収○万の壁というのはパートをやっている方達ならば聞いたことがあるだろう。ある一定の年収を超えると、家族の扶養から外れる、住民税がとられる、というアレだ。

 

アタイにとって確定申告が何よりも重要なのは、「控除」を適用させることで、そうした壁の問題をクリア出来るからに尽きる。最強の切り札である障害者控除が物を言わせるわけだ。

 

こうして切り札を水戸黄門の印籠の如く見せつける事で、「ああ、あなたはこれっぽっちしか稼いでいないのですね、仕方がない。。。税を軽くしましょう。」となる。(国の制度や法律などには滅法疎いため、解釈が合っているのかは分からんが)

 

そうすると魔法が色々起こるわけだ。毎月5,000円近く払っていた精神科の医療費が、薬も含めてタダになる。一向に何の解決も見えない政府に対して払う税金も無くなる。まともに払っている税金は、消費税、酒税、たばこ税のみ。これ以上のクズはいねぇよって自分でも思う。

 

その上、頭の病院をタダにしてもらっているのに、当人は死にたがっているのだから。高額納税者からすれば、「こんな価値の無い奴をなんで生かしておいているんだ!!」とキレたくなるのも分かる。

 

うん、はっきり言って自分に価値は無いと思っている。筋肉も体力も無いから奴隷にするにも向いていないだろう。しかも週30時間しか働かず、のうのうと時間を浪費して過ごしている。

 

自分を弁護する気は無いが、一応これでも障害者だ。生きていても面白いと感じる事が極端に見当たらない。飯の味も分からない。常に何かしらの不安があって、考え事をしている。

 

等価交換とは言ったもので、やはり何か恩恵を受けているからには、見えないところでそれなりの問題を抱えているわけだ。金持ちで税金を納めるのと、貧乏で恩恵を享受するのとはどっちが良いのだろうな。少なくとも自分の場合は雷に打たれて人生観と性格がごっそり変わるような出来事がないと、いつまでも貧困者のままだろう。

 

 

もっとも不思議なのは、所得自体は20万も上がっていて生活が出来る程度には豊かになれたのに、一体どうして貯金が出来ないのかだ。

 

生活レベルを変えていなければ、今頃口座には15万くらいあっても良いはずだ。引っ越して1年半が経過し、欲しいものも必要なものも無い状態。せっかくAmazon Primeの会員なのに注文なんて5kgの米を買う程度しか利用していないと来た。

 

自分で言うのも何だが、酒もタバコも嗜みはしても摂取量はその辺の喫煙者よりかは遥かに少ない方だし、唯一お金をかけるのはコーヒーの豆を買うくらいだ。外食も月に2回程度、ほとんどそれもラーメンとかだし、服はユニクロのワイシャツを同じもの3着持っていて着回している。家から出かける用事が無ければ風呂には入らないし、自宅で過ごしていても夜は電気をつけずに蛍光灯の明かりだけで暮らしているから水道光熱費もかなり安い。書籍に関してもKindle Unlimitedと図書館を活用しているから、大分お金は使わなくなった。サブスクも毎月かかるのはSpotifyの980円、年間契約だとAmazonPrime、Kindleはてなブログpro、ざっとこんなもんだ。

 

ふむ、ここに書いた中から漏れている何かに対して無意識に浪費しているのだろうなぁ。

もしかして「その月暮らし」でギリギリ生きていたレベルが、年収20万プラスになった結果として「ようやく少しだけお釣りが生まれる」レベルになっただけなのだろうか。

 

そうなると本当にお金が貯まるのは、かなり長期的な視点で見ていかなければならないぞ。。。

 

 

ってなわけで、

 

アクティブログ(活動記録)

何時に何をするか。そういうのを綿密に計画するのが最高に無駄だと気付くのに、1年かかったわ。友達と遊ぶ時くらいで十分でしょうと。それで次に新しいやり方を探していて、その日にやるべきことを思いついただけ書き出して、やる気のあるものから取り組む方が、まだ自分には向いているっぽいなぁと思ったのよ。

 

相変わらず休日が読書か、たまに銭湯行くかくらいで終わるのをどうも自分自身が気に入らない。どこかへ出かけようと思っても、障害者手帳で入れるところは大概月曜休み。

 

天気が悪ければ引きこもり、寒ければ尚更引きこもっちゃう。年が明けて薄々「やってみよう」と思っているのが、3,000円くらいするサウナに行くことと、新しいメガネを買うこと。

 

メガネにはこだわりがあるから、気軽にホイホイ買い換えられないのよね。今使っているのはもう5年くらい経つのかしら。撥水コートが剥げてしまって、マスクも曇りがちでさ。それにUVカットと、ブルーライトのカットもオプションで付け加えるから余計にお金がかかるのよ。

 

さっきも書いたとおり、最早欲しいモノは無いに近い。そりゃあ欲望を際限なく発揮すれば、もっと高級なコーヒーミルや、マットレスなんかもあれば豊かにはなるなぁとは思う。でも急いで欲しいモノにはならないわけよ。

 

話を戻して、行きたいところね。やっぱり銭湯になるのかしら。常連とみなされるくらいに良く行く銭湯は近所に2箇所あって、そこばかり行っても飽きてくるから、たまには違うところにも行ってみたいなぁと。

 

サウナが立派なところがいいね。いつも行くところは狭くてさ。それもめちゃくちゃ暑いやつ。ちょっと遠いし値段も高くなるけどさ。

 

 

お一人様でそれなりに楽しめる娯楽って、書店か銭湯くらいしか思い当たらないのよ。家電量販店に売っているモノを見るのも楽しくて魅力的ではあるけれど、そこまでの機能が必要?って考えると最低限の機能だけで十分だし。

 

貧乏人になると、趣味に関して言えば真っ先にコレクション性のある物は除外されるのね。トレーディングカードとか、DVD,漫画全巻とか。部屋が狭いから置けないというのも理由でしょうけど。

 

だから折角アキバまで自転車で行ける距離でも、結局モノは何も買わずにラーメンだけ食って帰ってくる。なんてことが良くあるわけ。

〇〇をするならばこの街、というのが東京には良くあるのね。日暮里の繊維街とか、かっぱ橋の道具街とか。服なんかユニクロでいいし、調理器具は・・・コーヒーはこだわりたいけれど、一通り揃っているしなぁ・・・と、どうも消極的になってしまって行くのを断念してしまう。

 

本郷から神田にかけてのルートには、数々の名門大学が並んでいてさ。ここで勉強出来たら楽しいだろうなぁって気になるのよね。通る度に。一般人を対象に日曜講座とか開いてくれたら嬉しいのに、あまりそういうのを見かける機会がないのさ。

去年はたまたま見つけた東大医学部の研究調査に参加させてもらってお土産まで貰ったのに、あまり公には開かれていないのが残念だよ。

 

やっぱり学ぶならば入試を突破して、高い授業料を払わないと何処の大学も受け入れてくれないのかなぁと、残念に思うよね。今って国立でも年間80万くらいするんだっけ?とてもじゃないが、自力じゃ払えないよ。

 

子供や受験生には「大学ではこんなことを研究するんだよー」ってちょっと見世物をしてくれたりするのに、どうして大人になるとラテン語入門とか、デカルトの考察、多様性社会の実現に向けて みたいな公開講座しかないんだろうか。無駄とは言わないが、心の底から「うぉー!受けてー!!」と思えるものが無い。無さすぎる。実用的な学問である、商学経営学関連の講座もありそうで見当たらない。

 

一体自分が何のために東京にいるんだか、分からなくなってくる。東京でわざわざ金を払って銭湯に行かなくても、母の田舎の実家だったら存分に無料で温泉が堪能できるし、食材は近隣の山で採取も出来る。それこそネットさえつながれば、図書館以外は不自由しないもんなぁと感じるようになってきてさ。

 

30代まで東京で働いたら、後は余生をダラダラと住心地の良い田舎を見つけて移住したいなぁと考えていて、スキー場に関連する仕事だったら何でも良いかなぁとかぬるい未来を描いています。

 

まぁ東京にいても、何をするにしても金が必要になってきて、遊ぶこと以前に出来ることがほとんど無いのが現状なので、うんざりするじゃないですか。かと言って田舎に行っても、精神科に通うのに車で小一時間なんてことは避けられないし。

 

徹底的に真面目に働くか、有り金を使えるだけ使って遊ぶか、それしか選択肢が無い気がするのよね。東京は。

 

どうもスケールが小さくなりがちです。海外へ行こう!みたいな発想が消えてしまった。

結局、明日も銭湯に行って帰ってくるだけで一日が終わり。火曜から仕事。休日何をしたー?って女子との会話では「うん・・・銭湯・・・」としか答えられないつまらなさ。

「それ前にも言っていたよね?」いつもこの繰り返し。

 

どう頑張っても面白い体験をした話が出来なくて困っている。関心が狭すぎるのか?

 

じゃ、今回はこのへんで。

 

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