三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

その暖簾の奥を知らないまま、銭湯が廃業していく

はぃぃぃ、もうすぐ4月ですか。

 

雑談

エイプリルフール。嘘だと言ってくれよ、その日は自分の店で働いてから、途中で別の店舗に応援に行き、また戻ってくるというハードスケジュールなんだ。しかも移動時間は労働に含まれないから、1時間分くらい給料が減る。ふざけんな。

 

今日は2023/03/30

木曜日、快晴。銭湯に行こうか迷ったが、面倒になり辞めた。結局ずっと自宅に引きこもってコーヒーを飲みながら読書をしている。まぁいつもどおりだ。

 

自転車で20分するかどうかの距離に、明日で閉業する銭湯がある。今日しか行くチャンスはなかったが、行かなかった。めちゃくちゃ熱い湯と電気風呂しか設備のない、古い銭湯だと聞いた。どうせ同じ金を払うのならば、色んな浴槽のある銭湯を楽しみたいのが道理である。

 

しかしながら、明日で廃業するということはこの期を逃すと、あとは幾ら願っても二度とその銭湯には入れない事を意味している。どんなに金を払おうと、まだ見たこともない浴場の富士山の背景画を拝むことが出来ない。

 

店主の肉体的な限界を迎えての廃業だとかネットニュースには書いてあったと思う。その跡地にはマンションが立つのだとか。

 

『浴室内における広告展開の現状と課題』というタイトルで提出した卒業論文。書くのに二年かかったが、それなりの出来を認めてもらえたのかS評価を貰った。そこでも言及していたのだが、「いつか行ってみようと思っていた銭湯はいつの間にか廃業しているのを度々目の当たりにしている」

 

今回もそうだった。区の総合図書館の裏のほうにあり、交通アクセスは悪い。銭湯の向かいにはカフェがあって、たまにそこで借りた本を読みながらコーヒーを飲んでいたが、最近は行かなくなった。カフェの窓から見えるのれんを眺めて銭湯自体にも「いつか行こう」と思っていたが、結局最後まで行く気がしなかった。

 

卒論の締め切りも迫ってきたあの当時にも、「キングオブ銭湯」と呼ばれるほどの名高い銭湯である大黒湯が潰れた。ここも「卒論を出したら近々行ってみよう」と漠然と思っていたら潰れたパターンだ。王が崩落した。

 

今現在、生き残っている銭湯は昭和時代から続いていて、尚且つここ6年以内にリニューアルしたところばかりである。もちろん昔ながらの古き良き銭湯も、近所にはあるがやはり「いつか行ってみよう」と思うだけで、未だに行っていない。

 

 

 

仕事帰りに駅から自宅に向かって歩くとその古びた銭湯の前を通る。こんなところに誰が来るんだろう、なんていつも思っていながらも案外入り口の周りにはチャリが沢山停められていて、湯に浸かって心身温まったジジイが幸せそうな顔でのれんをくぐって帰っていく。

 

アタイが普段行く銭湯は、その駅とは反対方面の住宅街にあるリニューアル銭湯だ。最新の設備で、炭酸風呂もサウナもジェットバスも、外気浴も薬湯も楽しめる。マナーのなっていないジジイが多いのは仕方がないが、それでも快適さの方が上回る。

 

同じビールなのにスーパーよりも値段の高いものを買い、ソファでグビグビ飲みながらロビーに陳列されている話題の漫画を読む一時が最高だったりする。この銭湯がアタイにとっての「ホーム銭湯」であり、駅側にあるボロい銭湯にはどことなく「いつか潰れる候補」として頭の片隅にはあるが、結構頑張っている。

 

ドトールでバイトしていた頃に「カフェを一軒作るには3,000万くらい必要」と営業部長から聞いたことがあるが、銭湯はその3倍くらいの設備投資が必要になる。風呂掃除をして、あとはお湯を張ってカウンターで待機しているだけかと思いきや、意外にやることは多い。下町の銭湯は営業時間が割と長く、12時間くらい開いているのはザラだ。それに加えて浴場の清掃、開店・閉店準備、ボイラーの調整なども加味すると明らかに激務だ。絶対にカフェの労働よりも大変だ。

 

スーパー銭湯と異なり、都内の公衆浴場に該当する銭湯は現在入浴料が500円。水道光熱費を考慮しても、それで元がとれるのか結構疑問である。近頃のリニューアル銭湯の多くにはサウナが導入されているところが増えている。そして入浴料とは別途、サウナ料金を頂くことで少しは利益になっているのかもしれない。

 

自分には推しであり、銭湯一箇所にしか行けないならどこにする?と訊かれたら間違いなく近所のホーム銭湯を推すが、銭湯回数券という便利な代物があってどこかの銭湯で10枚分を購入すれば都内の銭湯ならば、どこでも使えるという魔法のようなチケットなのである。

 

つまり、アタイは気分に応じて行く銭湯を使い分けている。良質なお湯に入りたいならばここ、温泉を使っているのはここ、サウナがすげぇのはこっち、贅沢するならあっち、ただ身体を洗うだけならば自宅、何もかもが面倒ならば風呂にすら入らない、と言った具合だ。

 

風呂に入るのには、ものすごく莫大な勇気が要求される。それは銭湯でもほぼ同じで、自宅の風呂ならば行こうと覚悟するも入るのに2時間近く、銭湯ならば行くかどうか迷うのに前日の夜からぶっ通しで考え続けるくらいだ。

 

基本的に雨の日はハズレ。露天風呂で雨に打たれる。外気浴をしていたら屋根からの雫が身体に当たってなんかばっちぃ感じがして嫌だ。快晴だと客が増える。だから混雑していて行く気がしない。

 

一番理想的なのは、雨が降るかどうか微妙な天候の日だ。それも開湯から30分後。オープン直後は脱衣所が混雑するし、洗い場の場所取りにも苦労する。30分経過すると、それが緩和されるのだ。

 

そして日頃湯に浸からない分を取り戻すかのように、だれよりも長湯をする。最長で3時間くらいは入る。短くても2時間くらいは入る。そうすると嘘のように倦怠感が消え、世界一活発に動けるんじゃないのか自分?!と思うくらいに元気になり、1週間は頑張れるようになる。

 

まぁ行けば確実に元気になれる、ある意味パワースポットみたいなものなのだが、行くまでがしんどいことには変わりがない。

 

そこで秘密兵器として、自宅の風呂に湯を張り入浴剤を用いる。爆汗湯という入浴剤がまぁまぁ良くて、43度の湯にこれを入れて風呂に浸かると滝のように汗が出る。そのあと冷水のシャワーを浴び、自宅の窓を全開にして外気浴をすれば完全に自分だけのサウナの様な気分に入り浸れる。冷凍庫でキンキンに冷やしたビールを飲みながら、スカイツリーを見てプライベート空間を存分に堪能する。

 

本当ならば毎日実行したいところだが、水道代、ガス代、入浴剤を考慮すると結構な額になるので、2ヶ月に一度くらいしかやらない。歩いて3分のところにドラッグストアがあって、それなりに入浴剤のコーナーが充実しているからこそ、実現する入浴スタイル。

 

ちなみに普段はシャワーしか浴びていない。もっと言えば、予定のない日だったら風呂にすら入らない。

 

高度成長期に団地が増えた影響で自宅に風呂があるという、内風呂が普及した。平成も終わりに差し掛かる頃から、自宅の風呂所有率という統計は99%を超えたのを最後に打ち切りとなったらしく、基本的にはどの家庭にも風呂かシャワールームくらいはあるのが当たり前となっている。

 

営業時間を気にせず、いつでも自由に入れる風呂が自宅にある。だからこそ、こうして出勤ギリギリの時間にしか風呂に入らないアタイみたいな奴がいる。汚れを落とすという意味で水を使うわけだが、正直に言えばこれだけ技術が発達した現代で、未だに風呂に入っているのはどこか無駄というか非効率な気がしてならない。

 

たまの気分転換で大浴場に行くのはアリだと思うが、アタイにとって風呂とはただ薄汚ねぇ老廃物を流し落とす作業に過ぎない。平安の貴族だって風呂に入らなくて臭えのを香木なんか焚いてごまかしていたわけだし、かつては宗教的に入浴はタブーだとしていた時代・地域も存在した。

 

そもそも卒論のテーマに浴室内の広告を選んだのも、たまたま大学時代の友人とスノボーに行って温泉に浸かっている際に「ケロリン桶」に対して意味不明な疑問しか浮かんでこなかったからだ。

 

あれは結論としては、コマーシャル湯桶という特殊な広告媒体でありながら、製品でもあり、鎮痛剤の種類が増えた上に医薬品の販売が限定された現在となっては広告効果は皆無に等しいものの、その特有の耐久性によって全国の浴場に普及した代物だったと分かった。

 

この湯桶について徹底的に調べ上げ、その他浴室内の広告を研究していたものの、特に風呂が好きだからという理由でやっていたわけではない。このブログを始めた頃から相変わらず、何よりもアタイはコーヒーが好きだし、風呂は恐らく年間200回くらいしか入らないのに対して、コーヒーは年間700杯以上は飲んでいる自負がある。

 

ただ、あの黄色い湯桶が持っている意味不明さと、誰もそこまで興味ないだろうという着眼点、そして書きやすさ(それでも時間はかかったが)の点でこのテーマに決めたに過ぎない。

 

 

 

 

明日で閉業する銭湯がある。今日が休みの自分は結局風呂に入らない。明日の出勤前にシャワーを浴びればいいやと考えている。明日は仕事があり、もうその銭湯には懇願しても入れない。誰が願っても、もう二度と入ることの出来ない銭湯。地域の人に長年愛されて、明日その幕を閉じる。「行けばよかったかな」とちょっと後悔している自分がいる。自分の職場もやがて誰にも惜しまれずに潰れたりするのかな、なんて考えてしまったりする。

 

自転車で近所を散策していた時に、偶然廃業した銭湯を見かけたことがある。唐破風の、りっぱな造りだった。引き戸の窓ガラスは割れていて中は真っ暗で薄気味悪かった。取り壊すのにも金がかかるのか、放置されているような状態のその銭湯は、今でも客を迎えるかのようにのれんだけはかかっていた。かつてはここに集い、湯に浸かり、牛乳でも飲みながら世間話に興じていた時代があったのだと思う。内風呂の普及、深刻な後継者不足、高騰する燃料費、重労働、利用客の減少・・・

 

今年公開された銭湯を題材にした映画『湯道』。これも結局いつか見に行こうと思っていたら機会を逃した。いつでも出来ることを後回しにしていたら、いつの間にか出来なくなっている。東京の銭湯に限らず、地方の寂れた温泉街もそうだ。アタイの婆さんの家の近所では廃業になった温泉センターが、今でも湯を垂れ流し続けている。でも管理する人がいないから、入れない。

 

やれる時にやっておかないから、後になって後悔するんだ。そういうのは小学生の頃の夏休みの宿題で経験しただろう。そして自分はいつまでも夏休み気分で人生を謳歌している場合じゃないんだ。

 

 

 

アクティブログ(活動記録)

不意に思ったんだよ。いつまで、この生活を続けられるのかしら?って。今のバイトは勤めてそろそろ3年を迎えようとしているのね。なんだかんだで、パン屋と同じくらいは働いたのかぁってしみじみ思うんだけれど、前から書いているように赤字店舗。テナント契約でいつ閉店するのか分からない。

 

大学生時代も終わりに差し掛かった頃に今の職場に採用されて、なんだかんだで手取りも増えた上に仕事も楽になったのさ。大した苦労もしていないくせに、「疲れを癒やしに銭湯へ」なんて言っている自分が、他の労働者様に対して失礼な気がしてきて申し訳なく思っているくらいよ。

 

勤めて1年経った辺りから今の東京の下町に引っ越してきて、通勤時間と交通費が節約出来た。労働時間も増やしてもらって、ギリギリ食っていける程度のお給料を貰っている今があるんだよね。

 

しかし、いつまで続くのかなぁ・・・・って。

「今の若者は死ぬまで働く運命」とか言われているくらいだし、それなら極力楽に働き続けられる環境を選びたいじゃない。でも予防線として、できれば月に10万くらいは別の収入源があると安泰なイメージが自分の中にはあってさ。

 

ここ最近書こうと思っていて忘れていたテーマがあって、それは「大学を卒業して丁度1年が経ちました」って話なのね。厳密には去年の3月25日に卒業したのよ。桜が咲いている九段下の日本武道館で、盛大に行われた卒業式。マスクをしていても、笑顔だと分かるくらいに浮かれた気分だったさ。あの日を以て常人よりも9年遅れたけれど、やっと大卒になれたんだって嬉しかったんだけどさ。

 

だけどさ、今でも2週間に1回くらいの頻度で、卒業間近になって履修登録に不備が発覚して1単位足りなくて留年するという夢を見るのよ。そんな夢を何度か見ている内に、「あれ、自分って高卒なんだっけ?」と錯覚するようになってしまってねぇ。

 

それどころか3ヶ月に1回くらいの頻度で、高校の定期テストで数学の問題を解く夢まで見るわけよ。あれ、こないだ問題集で解いたのに思い出せねぇ、とか焦ってさ。そうすると今度は「高校も・・・卒業出来たんだよな・・・?」とか冷や汗をかくのよ。

 

今日も夢で高校時代の自分に遡って、センター試験を皆で受けるという場面になった。そこは共通テストじゃないのね。国語の試験が80分という設定で、何故か途中で担任に呼び出されて電気屋にDVD-ROMを買いに行かされる展開。え、俺国立志望なんすけど。今試験中で、回答時間無くなるじゃないですか・・・とか慌てながら、DVDのお金を渡されて買いに行かされる。慌てて買って戻ってきたら、残り時間は30分を切っていて泣きながら回答に取り組んでいたら急に激烈な尿意を催して理性を失ってトイレに駆け込むと同時に、試験監督が自分の解答用紙だけを回収する。俺の人生は終わったんだ・・・と泣きながらトイレに入ると、立小便器の前に深い溝みたいなのがあって、地味にションベンが便器まで届かない距離・・・正に絶望というところで目覚めた。

 

統失だからなのか、こういう変な夢をよく見るのよね。他にありがちな夢としては、夢の中でも未だにパン屋でバイトしているところとか。目覚めると夢だって分かるんだけれど内容は激務で、しかも夢だから給料も出ない上に、寝たのに疲労感が半端ない。そういうのがよくあるのよ。

 

昔は幸せな夢とか、デジャヴとかあったのに、最近はちっともそういう夢は見なくなったわね。なんでかしら。

 

 

 

夢の話はここらにしておいて、卒業して1年経つのに大卒の実感が全く無いわけね。そりゃあ就活もしなかったし、大学生から現在に至るまで今の職場だからというのもあるでしょう。

 

そういう意味じゃ、何も成長していないのと同義ね。

いずれにせよ、いつまでこの仕事と生活が続くのか、漠然とした危機感を抱いているのよ。

特に実家が太いわけでもないし、もうすぐ33歳だし、障害持ちの資格無し。はっきり言って絶望しかないじゃん。

 

だからさっさと文章で食っていけるようになれよ!と自分に言い聞かせているのに、動けないでいる現状よ。これじゃあ「ラッパーになる!」って豪語していい歳して未だにバイトで食いつないでいる人と大して変わらないじゃない!

 

一体何のために大学を卒業したんだい、

一体何のために東京に引っ越したんだい、

一体何のために個人事業主になったんだい、

一体何のために就活もせずに今の職場に甘えることにしたんだい、

 

 

モノ書きとして食べていくためだろうよ。

 

有り余る時間と、夢を叶えるための道具は用意されているのに大学を卒業してからこの1年で何をしてきた?あ?

 

ブログの更新頻度は低下し、徐々にひきこもりがちになって毎回同じ話題、図書館もあまり利用しなくなったし、人付き合いは皆無になった。

ろくに出かけもせずに、自宅でコーヒーばかり飲んでいて、何か一つでも形に残る実績みたいなものは出せたのかよ。東京にいる意味ある??

 

最貧困の現状みたいなルポをKindle  Unlimitedで読んで、コイツラよりかは自分はまだマシだなとか安堵している場合じゃねぇだろ。いずれそうなりつつあるんだよ。

 

仮に失業したら、誰が助けてくれるの?

友達もいない、親族も頼れない、コネも無いし、まともな救済制度の利用方法も分からない。

 

そのくせに毎日いつまでもダラダラと寝ていて、気が向いた時だけブログで長文を展開して職人気質に入り浸っている。

ここまで文章を書いていて、一度でもバズったことがあったか?はてなブログのトップに自分のブログの記事が掲げられたことがあったか?ねぇだろ!

 

いつまでも夏休みじゃないんだよ。今の自分は始業式ギリギリまで徹夜で宿題をこなしていることになる10時間前の自分なんだ。

 

あれだけ休みがあったのに、ずっと一人で何をしていたんだろう。どうしようもねぇクズだぜ。週30時間労働、週休3日。それなのにどうして君は何者にもなれなかったの?

馬鹿なの?死ぬの?

 

賢くて可愛い誰もが憧れる無敵の障害者。それが自分の目標であり、理想じゃなかったっけ?

自然になれるとでも思ってる?甘えよ。

 

やっと暖かくなってきたというのに、いつまでも寝ているやつがあるか。頼むから無理やり起きてくれ、そして体力の限界まで活動してくれ。網膜が焼けるほどの熱い文章を書いてくれ。思うように行かなくて一人アパートで存分に苦しんでくれ。徹夜で頭がもっとおかしくなるくらいに頑張ってくれ。

 

もう時期人生の夏休みは終わる。せめて自由研究だけは、周りに評価されるような出来であってくれ。