三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

引越しの整理どころか、遺品の整理も万全の状態よ!!

お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを任せるな

雑談

子供の頃から思っていた。 聞き取る能力がめちゃくちゃ低い。

この冒頭の一文は、TOKIOが歌う宙船という曲の一部から、「自分はこう聞こえるんだけど」と思いながら書いてみた。

結構そういう何言ってんのか聞き取れない曲ってのは多い。 それがラップだったりアニソンだったりと関係なくだ。 早口でもゆっくりでも分からない。

なんだろうね、脳に障害でもあるのかな?

良く考えてみると、人と会話するときにも瞳孔が開いて顔が引きつるからやっぱり聴覚刺激の処理が苦手なのかな。

そういうつまらない自虐はさて置き、この歌詞に「お前が消えて喜ぶ」というワードがちょっと気になったんだよ。

最近さ、病院変更したのはこのブログでも書いたじゃん?

三原氏物語、少しは物語として進歩したか?と思うじゃん?

まぁ新たな医者との取り決めにより、ライフワークのコーヒーが奪われ、この一週間面白いこと何にも無くて死ぬことしか考えてないわけよ。

ウジウジしてねぇでさっさと行動に起こした方が良いのは分かっているが、幻聴がそれを遮るんだよ。死ぬことも出来やしない。

たまたま先程、宙船が「頭の中のipod」から流れてきた。

で、1つの歌詞がすんごく気になるわけさ。 「お前が消えて喜ぶ者」

たーっくさんいるんだよね。 ずーっと、ダルい体でこの一週間何も出来ずに横たわっていて、過去の思い出でも振り返ってみるかと自分の頭の中で記憶を再生させるとまぁ・・・ろくな思い出がない訳だ。

大体ツイッターで月に1回くらいの頻度で見かけるもしもう一度10代に戻れたらなぁ

みたいな発言。 それはまだ、

昔は良かった。

っていう心の拠り所があるわけで、自分としては戻りたい過去なんか無いんだよね。 高校2年くらいが楽しかったかな。それだけだな。

先日公開した職業適性検査のグラフから示している様に、「形態」という項目が著しく低い。

何としてでも国立理系に行きたかった高校生の自分は、微塵も理解できない物理をやっていたんだが、今頃になって「ああ、あの学問は自分には能力的に理解が出来ないようになっているんだ!」と分かった。

いや、物理法則を言葉で説明されりゃ言いたいこたぁ分かるんよ。 じゃあ図を使ってみましょうね!ってなると途端に分からなくなる。

どんなカリスマ講師に教わってもダメだった。

そういう事ならば、さっさと諦めて無理やりにでも地学で入れる大学か、親を説得して都内のどっかの文系の大学に入れて貰えば、もう少し違った人生が歩めたのではないだろうか。

と、人生の言い訳をしてみる。 話は脱線したが、アタイが消えて喜ぶ者は、悲しむ人よりも圧倒的に多い

そういうもんなのよ。

やっとアイツ死んだか。

そんなツイートがちらほら出そうな、そういう世間体よ。

昭和の根性論だと、

こんな奴らに負けて悔しくないのか!見返してみろよ!!

なんて言われる予感しかしないが、 「奴ら」と言われる時点で敵は複数いて、そいつら全員にマウントを取る能力がないから、こんなにクヨクヨしていて熱量も伴わないんだと言いたいんだが、想像力がないのかなぁ?

実はずっとガキの頃から一貫して自分が探し求めていたのは、成功するノウハウとか、普通の人間になれる手段なんかじゃなくて、取り柄なんだよね。

これだけを探し求めて生きてきたような感じはする。

だから小学生の頃はスポーツができなかったから、勉強をしていた。

でもだんだん年取ると周りが高校、大学受験を意識して勉強し始めるから、相対的に学力は落ちていく。況してやアタイはバイトさせられていたし。

絵だけは上手かったけれど、それも過去の話で今は手先が満足に動かせないからボツ。

コーヒーは医者に止められたのは、ここ最近しょっちゅう話している通り。

となると、取り柄も無くなった自分が今更奴らを見返す能力もない状態で、しかも様々なハンディキャップを携えていると、もう生きる希望もクソもあったもんじゃない。

生きてりゃそのうちいい事あるさ

って、それはいつ来るんだよ? 漠然と馬鹿みてぇに病んで生き続けて、医療費ばかり貪られてある時不意に、彼女が出来ました!

なんて物語よりも、さっさと死んだ方が機会費用としてはお得だろう。

どうせ平成も今年で終わるみてぇだし、だったら自分も平成で終わるのが丁度良いのかもよ。

また明日病院に行ったら気分が変わるかも知れないが、近々この物語も終わる可能性も少なからずある事は抑えておいてくださいな。

じゃ、今回はこの辺で。

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