三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

ブログが書けない自分への戒め

三原、ブログはもう終わりなのか・・・?

 

雑談

去年の9月くらいまでのブログの更新日に着目してみた。この辺りからアタイのブログは10日に1回程度の更新となっていたと気づいたわけだ。更に直近になってくると、2週に1回くらいになる。

 

はて、何故ブログを書かなくなった?あるいは、書けなくなった??

 

そうした要因について今回は考察する。断じてこれは「ブログが書けないあなたに送る、やる気の出る10の方法」みたいなものではない。

 

先に要因を列挙しておくと、

  1. メンタルの余裕のなさ
  2. 労働時間・曜日の変更
  3. やりたいことはあるが、億劫
  4. 区切りの良い時間が少ない

に大別出来ると分かった。さぁ、早速これらを分解して見てみよう。

 

1.メンタルの余裕の無さ

一言で言えば、心に余裕が無い。貧乏暇なし、とは言ったものでアタイは自由な時間があると、ついあれこれと考えてしまう。いや、厳密には「どうしようか悩んでいる」。

 

個人事業主とは名ばかりで、実態は単なるフリーター。オマケに統失。これがアタイの肩書となるわけだが、そういう働き方をしているのにも、それなりの理由がある。無理をすると病状が悪化するからだ。

 

どう考えても1日8時間労働を週5でやるなんておかしい。これが大前提にある。だからアタイの週辺りの労働時間は30時間前後で、出勤日数も週4だ。そうでもないと、とっくに自殺していると思う。

 

時給制で働いており、当然祝日で職場が休みとなれば給料は減る。それでもこの程度の労働時間のおかげで、贅沢さえしなければ生きていけるということが分かってしまったので、それに甘んじているわけだ。

 

どうだい、随分のんびりとした生活を過ごしているように見えるだろう?

しかし当然ながらデメリットも多い。まず雇用が不安定であること。一応保険証が貰えるくらいの立場ではあるが、言うまでもなく非正規雇用だ。そして給料から年金が少なからず引かれているが、老後に貰える額は正社員と比べれば圧倒的に少ない。自己責任と言われればそれまでだが、こういったことを考えていると将来が不安になってくるわけだ。

 

そしてこの不安も年を追う毎に重くなってくる。今の所の心的状況としては「働けなくなったらそれまでよ」という頑張れる内は一生懸命働くスタンスと、その一方で「多分45歳くらいまでには自殺しているだろう」と言うネガティブすぎるが楽観的な考えの2つが柱となって、脆弱なメンタルを支えている。

 

弱い生物の宿命として、危機に直面すると潔く生を手放す本能みたいなものがある。決して抗わない。本能的に勝てないと判断したならば、逃げるか諦めて死ぬかの選択肢しかないのである。間違っても歯向かってはいけない。

 

要するに「最悪の状況に至った場合に起動するリセットボタン」を設けているからこそ、こうしてヘラヘラ生きているわけだ。とは言っても、それにはかなりの覚悟がいる。それが出来ないから大概の社会人は今日も7時くらいには目覚めて、職場に向かい、日が沈んだ頃に帰宅をするのだろう。

 

この「覚悟」を持つと、大概のことはどうでも良くなる。しかし副作用があり、将来を考えるとすぐにリセットボタンを押したくなる衝動に駆られてしまうわけだ。

 

今はのほほ〜んと、消耗しない程度に働いている。だけど年老いて体力が無くなり、仕事ができなくなったらどうするの?年金が貰えたとしても、それで生活していけないけれどどうするの?今年で33歳になるのに、家庭も無いとかヤバくない?いつまでフリーターが務まるの?

 

こうした自分を不安にさせる問は数え切れないほど存在する。そしてそれらに対して、何かしらの関連書籍等には、それっぽい答えも書いてある。だが、それは一般人に対して言えることであって、一般人から外れた底辺障害者には「その答えの通りに実行するのですら、ハードルが高すぎるのですが・・・」となってしまう。

 

筋トレをすればポジティブになれる!→時折動けなくなる病気なんですが?

年収200万からの貯金術!→昨年の年収は170万くらいです

誰でもできる!→それ障害者に対しても言えますか?

健康こそ最大の資本だ!→一生治らない病気を患っているんですけど

 

と言った具合になる。

 

完全に自分に対してアドバイスが書かれた都合の良い本なんて存在せず、一応近所に生活支援センターという精神障害者の相談所みたいなところもあるが、自分の悩みがここで解決した試しが無い。他の相談者は「どうしても夜型になってしまって、朝起きられないんですけど」とか「早く元気になってバイトしたい」「欠かさずに薬を飲むにはどうしたらいいか?」と言った悩みを打ち明けるわけだが、この程度のことはアタイからしたら「なんで出来ないの?」というレベルだ。別にどっちが優れているか、といった議論ではなく段階が違う。

 

要は健常者と障害者の中間のような存在で、一般人レベルの暮らしは実現出来ないが、かと言って誰かの助けを必要としているわけでもないのだ。

 

そして一部の「精神障害者の回復記録」のような書籍、エッセイ、漫画はカリスマ経営者の自伝・成功体験並みに再現性が低く、全く参考にならない。

 

こうしてアタイは働いている時間を除いて、ほとんどの時間を現状の打開策を考える/悩むことに費やしている。

お金、老後、健康、友人、職場関係、時間をどう有効に使うべきか、やりたいことは何か、etc...

 

こんなことばかりを考えているので、メンタルには余裕がほとんどなくなっている。むしろ考えている時間が長すぎて他に手が回らないのである。

 

しかしながら、昔は大学の授業を受けた後にバイトに行き、それにも関わらずしっかりブログを更新出来ていたような気がする。あの頃と今とで、何が違うのかを比較してみると恐らく実家に寄生していたのが大きいと思う。飯も風呂も洗濯も家族で協力してこなしていた。何より家賃の支払いがなかった。だから割と自由に、思いつくままに行動が出来、何かを実行するにしても躊躇いなく動けたのだと思う。なんせ今は収入の40%が家賃の支払いで消えていく。この差がとても大きいのだと思うが、今更実家には戻りたくない。

 

 

2.労働時間・曜日の変更

前に書いたかもしれないが、22年の年収は21年の時よりも30万ほど増えている。資格をとったのも理由の一つだが、単純に労働時間が増えた。それまで20時間ちょっとだったのが、今では30時間前後となっている。

 

そして少し前まで「毎週3連休だぜ!ヒャッハー٩( ᐛ )و」と書いていたのが、11月から平日が2日と日曜が休みのサイクルに変わってしまった。

 

環境が変わると体調が悪くなるタイプなのだが、こういう生活リズムが変わる出来事にも滅法弱い。未だにこのサイクルには慣れておらず、休日の時間配分が上手く行っていないのは間違いない。

 

ウチの職場も色々とあるため、誰かが辞めたり新しい人が入ってきたり、或いは社員(責任者)が変わったりすると固定シフトのはずなのに調整が生じるわけだ。

通常主婦が午前中、学生が夕方からクローズまでという具合で働いているのだが、それでも不足した時間帯は誰かが埋めなければならない。

 

主婦には家庭があるし、学生には当然学業がある。去年の3月まで学生だったアタイはほとんど大学に行く必要がなかったので、こうした調整にはほぼ「yesマン」だった。そして卒業をして晴れてフリーターとなった今、家庭もなく、(建前上は)他に兼業もなく、更に特にノルマや予定もないと来ているわけだ。

 

これは社員にとっては非常に使い勝手のいい存在で、言い換えれば「暇なんだからどの時間でも入れるでしょ」を意味する。働けばちゃんと給料が出て、尚且つサビ残も無い職場なのは有り難いが、こうしたお願いを断る理由が無いからこそ苦労している。

 

自分が障害者だとは職場の誰にも打ち明けていないが、絶対に週5で働くことだけは避けている。時折他所の店舗に応援に行くのは、社員・上司へのゴマすりの意味と、顔を売るため。そして自宅にいてもダラダラ悩んでいるだけなので、働いていた方がまだマシだからである。

 

しかし、それも毎週のようにどこかへ応援に行っているとメンタルをおかしくするため、多くても月に二日までに留めている。

 

勝手に応援に飛ばされることはないが、シフト自体はコロコロ変わると生活リズムが狂って調子が悪くなるのは間違いない。特に金曜は閉店まで残り、土曜は早朝からの勤務となるので、幾ら早く死にたがっているアタイでも寿命を削って働いている感覚が否めない。

 

そして体質なのかは不明だが、自分の場合は極度に疲れると寝られなくなる傾向にあるので、土曜は開店から閉店まで働くために帰宅後に何も出来なくなってしまうのだ。なんとか日付が変わった頃に布団に入っても寝付けず、最高に調子の悪い日曜を迎える。とてもじゃないがブログを書く気力などなく、1週間近く溜まった洗濯物を小さな洗濯機で処理するだけで半日近くがかかり、部屋の掃除をしていたら1日が終わる。

 

ちなみにアタイが最近銭湯の話をあまりしなくなったのは、休日が変わったせいで休みと銭湯の混雑する曜日が重なったためでもある。好きな銭湯が近所に二箇所あるのだが、片方は入浴の介護ボランティアが来る日、片方は毎週その曜日にやってくる常連のキ○ガイが風呂の湯を汚すためだ。日曜は大変混み合うために行く気が起きず、平日の休みはいずれかの銭湯が休業日となるため、嫌な曜日を避けられない。

 

シフト次第でメンタルの余裕も大分変わってくるのである。やはり土曜がキツイのが全てを台無しにしているのかもしれない。無理を言って再度三連休にしてもらうべきか・・・。

 

 

3.やりたいことはあるが、億劫

金がない。しかし、先程「年収は前年よりも30万円増えていた」と書いた。貯金くらい少しは出来るだろうと誰もが考えるだろうが、以前の記事に書いたように地味に物価が上がったせいで支出が増えているのだろうと推測している。

 

そしてアタイは大の風呂嫌いである。特に出かける予定が無い日は風呂に入らない。これ以上書くと読者様が離れるかもしれないが、実は仕事から帰ってきても風呂に入らない。翌日に仕事があるならば、仕方なく出勤前に風呂に入る。そういう生活サイクルで過ごしている。

 

お陰で水道代、ガス代は他の単身世帯と比べても安い方だと思う。別に節約のために入浴を避けているのではなく、純粋に風呂に入るがしんどいのだ。顔と頭と身体を洗うだけの作業。15分程度で済むのに、とんでもなく面倒くさい。

 

例えば「仕事から帰ってきた!明日は休みだし、どこかへ出かけようかな」と思っていても、翌日起きて出かける前に風呂に入ろうと考えた瞬間に出かけるのがどうでも良くなる。

別に今は冬だし、1日入らなくても対して臭くはない(と自分では思っている)のだが、なんとなく身をキレイにしておかないと出かける権利が無いような気がしてしまう。

 

そもそもの話だが、出かけたいと思っていてグーグルマップやブラウザを起動して行き先を考えると、選択肢が多すぎて決めるのに悩む。それだけで1日が終わったこともある。

出かけるのに正解は無いのだとは思っているが、その「どこへ行こうか」を決めるのを考えるのが大変過ぎるので、折角東京に住んでいてアクセスも抜群なのにほとんど何処へも行かないで休日は終わる。

 

そして行きたいと思った場所にいざ向かうと、カップルや子連ればかりでお一人様で来ている人はいない。これが最高に最悪なのである。

どこにも「単独での入店禁止」とは書いていないが、とにかくこの様な場に1人でいるのが苦痛に感じてしまい、どんなに魅力的なエンターテイメントも感動味が薄れる。集中出来ない。

 

結局安くて1人でも楽しめる場所として、遠くの銭湯か図書館に行き着く。ウインドウショッピングにしても、特に気に入っているブランドが無いため(昔はあったが、日本から撤退した)結局全身をユニクロで固めている。年中渚カヲルみたいな服装をしている。

 

自宅のインテリアは作業を第一に考えて家具を置いているし、プロのバリスタには敵わないがそれなりに美味いコーヒーが自分で抽出できるので、カフェでコーヒーを注文してパソコンを開くのが馬鹿らしくなってしまった。

 

こうしてどこにも出かけないが故に感受性が低下してしまい、ブログに関しても新しい知見がほとんど出てこなくなる。お一人様でも楽しめるエリアは秋葉原くらいだろうか。近頃は大型書店に出向いても欲しい本が無くて悲しい。

 

一応毎月予算は組んでいて、出かけるためのお金も確保してあるのだが、1人で行動出来るというのは結構凄いことなのだなぁと改めて体感している。そして今週末もどこへ行こうかで2時間近く悩んでいる。

 

 

4.区切りの良い時間が少ない

隙間時間という概念が何より嫌いである。言い換えれば、まとまった時間が無いと物事に集中出来ない。

 

休日が週に3日あるのだから、もっとブログを更新出来るはずだろう。自分でもそう思うが、ここまで述べてきたようにメンタルの余裕の無さ、土曜で精魂尽きて日曜は何も出来ない、休日に出かけないからネタが生まれないといった原因があるわけだ。

 

確かにその気になれば通勤中の車内で、スマホからブログの一本くらい行きと帰りの時間で更新出来るかもしれない。一度集中すると3時間くらいは休憩なしで、ぶっ通しで継続する癖があるために片道30分程度の通勤時間ではテンポが悪くてブログにキレが無くなってしまう。

 

一応出勤前或いは帰宅後にブログを書こうと思えば出来るのだが、出勤前だと風呂に入っていて時間がないし、帰宅後は地味に疲れていてパソコンを開く気力すら残っていない。本当に仕事をしながら毎日欠かさず更新出来る人は尊敬する。

 

そりゃあ書きたいことは山程あるし、まだあれもこれも書いていない・・・と、提出期限が近いレポートに追われているような心境ではあるが、肉体がついて行けていない。その上、この『三原氏物語』は毎度毎度長文を展開するために、どうしても一記事書くだけでも3時間近くかかる。

 

好きでやっていることとは言えど、出勤日に3時間もの纏まった時間を確保するのは結構難しい。もっとも、この長文を毎回全て読みきれる猛者がいるのかも疑問ではある。自分でも一回は読み返すが、結構長い。

 

もっと簡潔に2000字前後を目安に記事を作るべきだろうかとも考えたりはする。長文になるほど、何を伝えたいのか曖昧になってくるからだ。2000字ならば、恐らく通勤中でも更新が可能になる予感はする。

 

それでも長文にこだわる理由は、文章の量でブログへの熱量を見せつけるのと、初めて閲覧される読者様にも分かり易く、あらすじの様な説明を設けているからなのかもしれない。

だから「毎回似たような話ばかりしているなぁ」と感じてしまうのだろう。

 

責めてこれからは休日くらいは欠かさず更新出来るように努めたいところだ。ダラダラと悩んでいる場合ではない。

 

 

 

 

こうした個人的には重要でも、他者からすればどうでも良すぎる悩みに毎日取り憑かれている。出来ない言い訳よりも、出来る理由を探せよ!といった具合でここからは自分なりに解決策を挙げてみる。

 

a.最低でも週1で外出する

b.毎日パソコンに触れる

c.「今日は○時にブログを更新する」と宣言する

d.ブログを書くことで将来的にどうなりたいのかを具体的にイメージする

 

の4つが思い浮かんだ。

 

 

a.最低でも週1で外出する

やはり自宅に籠もっていても新しい知見は得られない。SNSから流れてくる情報とスマホの通知、そして手の届く範囲にある書籍の内容くらいしか触れるものが無いからだ。

 

そうなると、日記形式のブログを書くアタイとしては「今日は熱めのシャワーを浴びて、昼間からビールを飲みました」と言ったつまらない記事しか書けなくなってしまうわけだ。

何より引きこもっていると明らかに脳が退化していく感覚がある。一人暮らしでは誰とも話さないし、誰かに見られる可能性も無いからだ。これは楽だ。楽なのだが、人間社会でやっていくには、このままでは駄目になるのは間違いない。

 

博物館でも図書館でも、何でも良いからとりあえず出かけてみる。つまらなかったら、それはそれで良いじゃないかと割り切る。どこへ行こうか迷ったら、地図も見ずに体力の限界まで自転車を漕いで知らない土地を走る。それで良いと思う。この際、風呂に入ったかどうかは気にしなくてもいいと思う。

 

面白いことを書くには、面白い人である必要があると感じている。少年漫画もまだ見ぬ世界へと冒険を繰り広げるから面白いのであって、いつまでも同じ街で主人公がウダウダしている漫画は即打ち切られる。

 

このブログは商業誌に掲載している代物ではないから、打ち切りは無い。でも、『三原氏物語』なのだから、「今日は自宅で本を3冊読みました。コーヒーも美味しかったです」みたいな感想を書いているだけでは、いつまで経っても物語としての進捗が見られない。

 

ブログを書くことが自分にとっては難しく感じられつつあるが、幾ら一生懸命長文で話を広げようとも内容が詰まらなかったら所詮は自己満足であり、何より読者様に対して失礼なのだと理解した。

 

行き先が定まらなくても、時には狭い6畳のアパートから飛び出して広い世界を全身で味わうのが大事なのだ。

 

b.毎日パソコンに触れる

基本的に暇さえあればipadを使用している。スマホもパソコンも持っているが、スマホの1日辺りの使用時間は2時間前後となっており、いつもipadを使用して考え事をしている。

スマホですらもこの程度の使用時間なので、パソコンとなると更に使用時間は少ない。もしかしたら開かない日の方が多いかもしれない。

 

何故か。タブレットがあまりにも便利過ぎるからだ。本も読めるし、ノートをとることも出来る。そしてノートパソコンよりも軽くて持ち運びが楽だからだ。

 

ますますパソコンに触れなくなる。プログラムを組んだり、高度な編集を特に必要としていないのも理由の一つだろう。見出しの画像もスマホからAIが生成してくれる。個人的にはあまりパソコンを必要としていない。重いし、バッテリーの消費も早いからだ。

 

それでもブログを書く時は、ほぼパソコンのタイピングに依存する。スマホでは全文を見渡すのにあまりに不便だし、タブレットでもカーソルを合わせるのに地味なストレスを感じるからだ。キーボードの方が入力の速さが違う。

 

それでも普段はパソコンを使用しない理由には、「ブログを書く以外に使い方を熟知していない」のが大きいと思う。

 

 

c.「今日は○時にブログを更新する」と宣言する

約束は守りましょうというだけの話。宣言をしたのならば、書く以外にやることはない。

半強制的に書かざるを得なくなる。果たしてそれが楽しいのかは、また別の話だ。

d.ブログを書くことで将来的にどうなりたいのかを具体的にイメージする

時折「こんなこと書いていて、何かの役に立つのだろうか」と疑問を抱き、書けない壁にぶち当たることがある。一応はこのブログは自分のために備忘録として書いているところもあるので、少しは自分のためになっているとは思うが読者様の共感は得にくいところがある。

 

書く前と書いた後で、明らかに変わるのは達成感だ。やりきった!今回も全力を尽くした!今の自分出来ることを精一杯やった!という自己満足。

 

しかしそれには膨大な熱量が要求される。当然疲れる。腹も減る。c.と共通することもあるが、ブログを書くことで「こういう出来事があったから、次はこうしてみよう」と言ったことに意識が働く時もある。

 

自分で書いておきながら「あれ、こんな言葉が自分の中から出てくるんだ」と、驚くときもある。

 

少なくとも書くだけで何かは変わる。失うものは時間くらいだろうか。書いていく内に、将来どうしたいのかが見えてくる時もある。これを何度も更新を重ねていき、より具体的なイメージに落とし込んでいく。そうした取組の結果が失敗に終わることは多い。それでも、何も記録をしていなかった人よりも遥かに、読めば記憶がフラッシュバックする記事が出来上がる。

 

これこそが自分のためにブログを書くことの醍醐味なのだと思う。

 

長々と書いてきたが、これらのブログが書けない要因と解決策には、根本的に「体力が無いからブログを書く気力が湧かない」のだと結論づける。

 

いつまでも6畳の空間で計画ばかり練っていても、事態は進展しない。出かけて、気分転換をし、いろんな物を見て、何かを感じ、それを文章化させる。たったこれだけで良い。

 

体力が無いならば、限界まで出歩いて活動する。一人暮らしに門限は無い。出勤日になるまで、時間が許す限り行けるところまで行く。風呂に入っていなくても、とりあえず家から出る。入れたら尚良し。筋トレを兼ねた遊びだと思って外に出る。天気が雨だったら大人しく自宅でコーヒーでも飲みながら読書をする。

 

さぁ、週末はどこへ出かけようか。そうしたら次はどんな話が出来るだろうか。まだ飲んだこともないコーヒーを飲んでみようか、自分が一生働いても購入出来ないような作品を見に美術館にでも行こうか、それとも一日中どこかの銭湯でふやけるまで入り浸ってみようか。

 

自力で帰れなくなるくらい、体力の限界まで週に一度は遊び倒してみよう。どこへ行くかは行きながら決めてもいいかもしれない。

 

仕事で疲れたならば、遊んで更に疲れてみる。遊びながら体力をつける。それが今年の方針であり、ブログを書けるようになる理由でもあると考えている。

 

じゃ、今回はこのへんで。

 

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