三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

沖縄旅行概要。全てが最高だった!!٩( ᐛ )و

楽しいことしかねぇのかよ!!!!

 

前置き

4泊5日の沖縄旅行が無事に終了しました。起きてから寝るまで、つまり寝ている時以外全て充実し過ぎていてブログが書けませんでした。

全貌を書いたら間違いなく1万字を超える予感がしたので、今回の記事では総括を、そして旅の行程をその日事にそれぞれ別の記事で書いていきたいと思います。アタイにしてはめずらしいでしょ。٩( ᐛ )و

今は羽田へと向かう飛行機の中でブログを書いています。Wi-Fi使えるってアナウンスがあったのに、一向に通信が出来る気配がないわ。仕方がないので、メモアプリで書いた文章を東京に戻り次第、テザリングを用いてアップするかな。

 

(補足:

東京に戻って真っ先に友人Hの家に向かって宅飲みをしたあと、一緒に別の友人Nさん宅へ酒を持っていって二次会へ。しかも酔いつぶれて一泊したため、またブログの更新が遅くなる。家に帰るまでが遠足/旅行とは言うが、いつになったら帰るのかが分からないアタイ。それも旅の醍醐味だと勝手に思っている。はい、やっと帰宅して少し寝てからブログを書く時間が出来ました。すみません。。。

 

 

ってなわけで、

 

 

旅への動機など

 

ことの発端。

いつまでも辞めた職場のことをウジウジと文句を言っていても何も前進しません。でも仮に現在も働いていたとしたら、陰湿なババアや社員共にいじめられて有給も貰えずに死んだ目で今日も働いていたのは予想出来ます。

 

過去のブログを振り返ってみれば、少しくらいは沖縄に行く理由が書いてあったかと思いますが、ちゃんと説明をすると

  • 失業中で時間に余裕があった
  • たまたまマイルがめっちゃ貯まっていて、期日までに使わないと一部失効しそうだった
  • ゴールデンウィークとか言う馬鹿みたいに混雑する時期に暇人が出かけるなんて愚行があるかよ、常人よりも早めに楽しんでおいたほうが絶対にいい
  • 行き先は沖縄か台湾で迷ったが、パスポートを取るのが面倒だったのと台湾でやりたいことがどれもピンと来なかった
  • 偶然アタイには沖縄に二人の友人がいたので、会いに行こうと思っていた
  • 実は沖縄は4月が年間で最も気候が快適な時期らしいという抜群のタイミングだった
  • 国内でも珍しいコーヒー農園の見学が出来るのがこの時期辺りまでだった
  • 閑散期のようで、旅費、宿泊費がかなり安かった

といったところでしょうか。

 

 

こうして沖縄旅行が決まったところで、ひたすらGoogleマップを眺めたり、Kindle Unlimitedや図書館で沖縄の観光ガイドマップを見ながらやりたいことを決めていった。

 

やりたかったこと(欲望が強い順)

  • ビーチで夕陽が海に沈むのを見たい(断じて泳ぎたいとは思っていない
  • 連絡は出来るが、まだ会ったことのない友達に会いたい
  • 沖縄にあるコーヒー農園を体験する
  • 自分と似た名前の名所があるらしく、ネタになると思ったので行きたい
  • 沖縄でしか食べられないものを腹いっぱい食べたい
  • 琉球ガラスの器で欲しいものがあった
  • 東京の夏もキモいくらいに暑いので、かりゆしが一着欲しい
  • 過去に何度か沖縄に行ったことはあるのだが、今回は大自然を堪能したかった(断じて泳ぎたいとは思っていない

 

こういった動機があった。

もちろんそれに基づく観光スポットを幾つも周ったのも事実だが、今回はアタイの友人2人のお陰でそれが実現出来た。本当に感謝しかない。

 

当初、マップこそ見ていたものの、沖縄本島のスケール感が今ひとつ実感が沸かず、その気になれば自転車か原付きさえレンタルすれば島の最も北まで行けると、かなり甘く見積もっていた。なんなら東西へは地理的に幅が狭いから、自分の脚で走れば小一時間程度で東海岸から西海岸まで行けるんじゃねーのと本気で勘違いしていたくらいに馬鹿だった。

実際に那覇から、ブログ仲間のゆきにーさん(もうちょっと細かい説明は後々のブログで紹介する)に読谷村のカフェに連れて行ってもらっただけでも気が遠くなるくらいに距離があり、しかも山を幾つ登ったり下ったりするんだ?!ってくらいにどこへ行くにもアップダウンが激しい。

これを自転車で実行していたら朝から出発して目的地に着く頃には夕陽が差していて、間違いなく戻って来ることは出来ない上に3日は回復しないであろう筋肉痛に苦しんで何も出来なかっただろう。

 

現実的な話をすれば、ゴールドの運転免許こそ持っていてもアタイは統失を患っていて医者から運転を禁じられているせいで、免許を取った直後の3回しか運転をしたことがない。しかも15年前の話だ。風に吹かれたら飛んでいくくらいに薄っぺらいペーパードライバーになる。

 

友達2人には、幾ら感謝をしてもしきれないくらいの恩がある。ガソリン代や貴重な時間を割いてまで一緒に遊んでくれることになるを想定していたので、何かこちらから出来ることをアホなりに悩み、考え抜いた。

 

 

友人2人に対して自分がしてやれることは何か

おかしな奴が沖縄に上陸した。これは前回のブログでも書いたが、なんせ3日間は2人の友人にお世話になるのである。微塵でも不快な発言や動作をしたら外灯もない道路で降ろされて詰む可能性は0%ではないのだ。

 

過去にヒッチハイクをした時もかなり意識をした点があり、その時は口外しなかったが道をナビで確認する時以外は絶対にスマホを触らないこと、運転者を退屈させないこと、自分だけ疲れて寝るようなこと は絶対にしなかった。

 

退屈しなかったかどうかは、当人に聞いてみないと分からないがこうした自分ルールは車に乗せてもらう以上、絶対に守った。というか至極当然で、マナー以前に大人の人間として本来ならば意識しなくても、目的地に着くまで運転してくれる相手へのリスペクトの問題だと思う。

 

その気になればスマホで撮り溜めた画像をSNSに投稿していいね!を稼いだり、記憶が鮮明なうちにブログに観光スポットのことを書き綴ることも出来たのかもしれないが、今自分のために車を出してくれる相手よりも優先するほど大事なことって普通は無いだろう。

 

まぁ思えばドライブ中にコーヒーを奢るくらいはしておくべきだったと反省しているが、そこまで気が利かなかった。申し訳ございません。

 

 

一方で、友達はどちらもコーヒーが好きだと知っていたので、事前に東京で2個所のコーヒー屋と食器の専門店に足を運んでプレゼントを用意していた。

 

ありがちな検索で「東京 コーヒー豆 オススメ」とググってそれを買いに行って平然と渡すのではなく、アタイはこういう理由でこの豆とこのカップをご用意しましたと、ちゃんとした理由とストーリーをかなり考えた。

 

確かに2人にプレゼントするために購入したコーヒー屋は同じでも、それぞれの趣向に沿った豆を自分の経験と相手の立場や環境を踏まえた上で、お店のスタッフと相談した上で選んでいるので、実は全く同じ商品をそれぞれに渡しているわけではない。

 

一方には不調でスランプのような状況で陥っており、どこかで「この銘柄が好きだ」と聞いた記憶があったので、自分の経験の中から間違いなく推せるマンデリンを提供する店を選んだ。

もう一方は妻子持ちで、普段からアタイへ宅急便で食料やお菓子などを送ってくれる上に、今回は有給まで取得して家族よりもアタイのために2日間も時間を割いてくれるのを踏まえて家族で楽しめるようなブレンドと、お子様も食べられるチョコレートを用意した。

 

そして共通して、よりコーヒーライフを楽しんでもらうためにデザイン・性能どちらにもこだわったマグカップをお渡しした。消耗してなくなってしまうコーヒーと、半永久的に残るマグカップカップは壊れるまで使って欲しい。それぞれに宛てたメッセージカードを添えてお渡しをした。

 

無類のコーヒー好きが、日常生活がちょっとだけ豊かになるようなプレゼントを贈ることが自分の考えつく、精一杯の気持ちだった。

 

 

4泊5日の内容を簡潔に説明する

4/19:テンションが上がってしまい、家にいても仕方がないから早めに羽田空港へ向かう。しかし想像以上にやることが無さすぎてヒマを持て余す。珍しく一日に2本もブログが書けるくらいだった。那覇に到着して、真っ先にステーキを堪能。必要以上に元気になってしまい、漫湖まで歩いていった。詳しくは前回のブログ参照

 

miharashimonogatari.hatenablog.com

 

miharashimonogatari.hatenablog.com

 

 

以降、詳細は日にち事に記事を別個書いていきます。今回は概要だけに留める。

4/20:

予定より早くゆきにーさんがホテルまで迎えに来てくれた。一言で彼を説明するならば、全てにおいてアタイの上位互換のような存在である。昼食に沖縄そばを食べ、移動して読谷のバンタカフェへ。リゾート地のカフェとしての完成度が極限まで高められていた。その後はちょっとコンビニに寄ったりしながら「豆ポレポレ」というロースタリーカフェに連れて行って貰った。焙煎に関する数々の賞を貰っているらしく、トロフィーや賞状が沢山ある。せっかくなのでブレンドの豆を購入してみた。もっとゆきにーさんとコーヒーやブログについてあれこれ意見を交わしたいところだったが、時の流れは早くすぐに夕方になる。国際通りの入口付近で別れを告げたアタイは、目当てのかりゆし専門店へ向かい、ネットで目をつけていたアイテムをゲット。1度ホテルへ戻ったが、ギリギリ日没まで時間があったので近くの海沿いにある公園まで歩く。水平線の向こうに日が沈むのを見届け、そのまま夕飯を食べにうろつく。郷土料理屋で一人ごちそうを食べていたら隣の席の東京から来た御夫婦と仲良くなり、そのまま日付が変わるくらいまで飲み歩いた。

 

 

4/21:

もう一人の友人Zさん。2日間お世話になります。朝食をコメダ珈琲の系列であるパン屋で摂る。この日は南部を中心に案内をしてもらった。まずは旅の主目的である斎場御嶽を目指して進む。珍しく霧がかかる日だったらしく、本来ならば絶景を見ながらのドライブが、見事に視界が遮られる。斎場御嶽を視察し、そこから見えるはずだった神聖なる島である久高島もほとんど分からない結果に。移動し、秘密のビーチにポツンと立っている石碑を見に行った時には距離がそこまで無いのに超☆快晴になっており、「お前にサンクチュアリはまだ早い」と言われているようだった。昼食に沖縄そばを食べ、ガンガラーの谷へ。発掘調査が現在も行われている洞窟をガイドに案内してもらって探検気分。次はすぐ向かいにある、おきなわワールドで再び鍾乳洞を見学したあと、ハブの博物館や沖縄の平屋を見た。夜からZさんと飲もうぜとなり、1度ホテルで下ろしてもらった2時間後くらいに栄町市場の居酒屋や国際通りのバーに連れて行ってもらった。

 

 

4/22:

お互い前日の疲れもあるので、どちらが寝坊しても仕方がないと割り切っていたが、どちらも時間通りに合流出来た。A&Wで朝食、アメリカンビレッジでコーヒーを購入し、名護・本部方面へ向かう。道の駅で簡単に軽食を摂り、琉球ガラスのお店で目当てのキレイなグラスが購入できたあと、近くの中山コーヒー園に。国産のコーヒーの生産地を見学、その貴重な豆を焙煎、そして実際に飲んだあとは美ら海水族館に。地元神奈川にも幾つか水族館はあるが、ここでしか見られない生き物や、スケールのデカい水槽に圧倒される。アタイとZさんの共通の友人が関東には数名いるので、お土産を購入するためにイオンモール沖縄ライカムに立ち寄ってくれた。フードコートでタコライスを食べ、ホテルまで送ってもらう。最後に別れを告げる際に、ここまで自分に色々してくれたことに対して感極まり、泣いてしまった。早くちゃんとした収入を得られるようになって、また沖縄に行けるようになりたい。この日は早めに寝る。

 

 

4/23:

最終日。朝からホテルの大浴場でととのう。13時にはフライトだったので、あまり那覇市を観光している余裕はなさそうだった。雨も降っていたし。那覇空港に到着し、時間には余裕があったので最後に美味しいものを食べようと思って沖縄そばやポーたまを食べる。全く、最後まで幸せな旅行だったぜ、全てに感謝。

いつも何かしらの行動を起こすと、必ずだせぇオチで終わるアタイ。帰りの飛行機は乱気流で揺れて墜落をするかと思ったが、あっという間に羽田空港に着陸。預けた手荷物を受取次第、割と近場の友人H宅へ向かい、旅の報告と酒盛りをしていたらNさんの家に行っても良いと許可を得たので飲み明かしていたら寝泊まりをしてしまった。

 

 

4/24←new! :

Nさんも仕事があるのに、よく泊めてくれたなぁと優しさに感謝。通勤時間帯に家を出たのだが、絶対に電車が混雑していると判断してカフェで時間調整。10時半にはようやく自宅に帰ることが出来、こうして長い旅は終わった。

 

 

反省と感想

ドライブ中に相手を退屈にさせないように留意したと先ほど書いた。そうは言っても、事前に何を話そうとかあまり考えておらず、唯一考えたネタが21日の南部へ向かう道中、ニライカナイ橋を通過するのだが、「ニライカナイになら行かない?」というギャグが大いに滑った。こういうふざけた考えをしているから神々に嫌われて、折角の絶景スポットが霧に覆われて何も見えなくなったりするのである。

 

お金も余裕を持って7.5万円を用意したが、思ったより出費は少なかった。Zさんが出してくれたことも大きい。計算上、貯金は減ったが失業保険が続くのであれば今後も余裕で生きていける。まずは沖縄の友人2人に最大限の感謝。

そしてZさんとアタイが知り合うきっかけとなったH氏にも感謝。どうも彼は今朝起きたら顎関節症を発症したように思われたが、ちゃんと歯医者には行ったかな?

 

 

元来アタイはディズニーランドやゲーセンなどの、誰かが用意してくれた娯楽というものが大嫌いである。行けば何か楽しいことが待っているだろう、お金を払えばスタッフ達が感動させてくれるだろう、そういう受け身が嫌いなのだ。

 

今回の沖縄旅行、行った場所の多くは自然との関わりが強い。もちろん何の知識も無しに見学をしたところで、何一つ分からないまま「なんかすごかったなー」で終わるところを、ガイドや親切なスタッフ、当然ながら沖縄に詳しい友人2人のお陰で最後まで楽しめた。

 

天候なども考慮して旅程を組んだのだが、ちょっとくらい想定外の霧が出たところでアタイ達の友情が霞むことはない。ガイドブックやSNSに掲載されているような美しいシーンを撮影出来なくても、その日その時の事実をフレームに納めて撮るのが本来のあるべき姿だとアタイは思っていて、むしろ画像だけでは分からない、伝えられないそこで感じたことや経験などを如何に文章で記録し、伝えるかがアタイのブログとしての役割だと悟ったところだ。

 

実は沖縄には過去に3回ほど家族旅行で来たことがあり、その多くはビーチが近いプール付きのリゾートホテルの宿泊ばかりだった。風呂嫌いのアタイからお察しの通り、本質的に水に浸かることが大嫌いな身としてはナマコが近くにいるのに海で泳ぐとか、害は無くても最高に不快なものであり、どうしても海で泳ぎたくなくて砂浜でお城を作って遊んでいたいのに、オヤジにぶん殴られて泣きながら海に連れ込まれたのが今でもトラウマになっている。

 

あの頃はそれなりに豊かで、金に物を言わせて贅沢ばかりしていたから、キレイで広いホテルに泊まることが出来た。けれど、結局大人になってそこまでお金に余裕が無くても、自分で予定を計画し、友達と日程を調整し、終始笑顔でいられて、空調に融通の効かない狭いカプセルホテルに泊まった今回の旅行は今までのどんな旅行よりも充実していて楽しかった。

 

こうしてゆきにーさんとお会い出来たのは、アタイが長年ブログを続けていたからだと思うし、Zさんと会えたのも大元を辿ればSNSで共感したH氏とのつながりから始まったものだと思う。別に投稿や記事に大していいね!がつかなくても、インフルエンサーどころかバズった経験が1度もない自分でも、長年文章を書き続けた結果、わずかにでも共感してくれる人が現れて、友達として会ってくれる人がいるんだから人生何が起こるのか分からない。

 

金にならないからブログは無駄だとか、そういう話じゃないんだよ。ここまで続けていたって、賃金に換算すれば日給10円程度だ。読んでも大して役に立たない、駄文に近い日記だけれど、やってきてよかったと思っている。

 

どんなにキレイなグラフィックのゲームだろうが体験出来ない旅をしてきた。今回よりも楽しい経験なんて、次に来るのかどうかも予想がつかない。今後の人生もどうなるのか、誰に聞いたって分からないし、自分でもどうなるのか分からない。それでもこのブログを書いてから、散々不満やおかしなところなどを指摘しつつも、確実に人生の幸福度は日進月歩で上昇していっているし、タイムマシンが存在していても戻りたい過去なんか無い。誰にも真似できない生き方をしてきた自負はあるし、いつも考え事をしていて何も手につかない。無気力そうに見えるが、案外きっかけさえあればノリ良く同意する側面があるのがアタイの強みだと思っていて、ここまで変わった人間・おかしな人生だと言われても、まだまだ変態性は極まっていない。

 

直近だと、そろそろボランティアが終わり、旅行の全日程の記事を投稿したら、いよいよ現実と向き合う日々が始まる。今回の旅行で何を学んだだろうか。優しくされたならば、その恩恵をバトンのように次の誰かにしてあげることかな。世界平和は言い過ぎだが、ちょっとずつ近しい人から幸せになっていくようなことならば自分にもすぐに出来そうだと思った。

 

 

じゃ、今回はこのへんで!٩( ᐛ )و

 

オマケ

エイの真似