三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

尊敬出来る年寄は皆死んだ(敬老の日)

近頃のジジイと来たら・・・

 

雑談

相変わらず暑いことに変わりはないが、今日は快晴で気持ちの良い月曜の朝を迎えた。しかも祝日らしい。

 

「らしい」と書いたのは、自分にとって祝日などどうでもいいからだ。サービス業に従事する労働者が祝日に休みを謳歌出来た試しがない。前提としてシフトに則って定刻通りに働き続ける人生。ああ、そうさ、今日もアタイは観光地にある職場に昼過ぎから出勤だよ。

 

ご丁寧にMacBookが画面の右上に通知で「敬老の日」と示している。33年も生きてきて、全く疑問に感じなかったのだが、改めて「敬老」ってなんだよ?と寝起きにパソコンを起動したアタイは早速ググることにした。

 

Wikipediaがそれっぽくまとめているが、読んで字のごとく「老人を敬う日」だそうで。ほーん。まぁ今の俺達があるのは、前の世代の人たちが築き上げてきたからですよ。ご年配の方々が授けてくれる知恵にも感謝しよう、みたいなスタンスだった。

 

予め断っておくが、アタイは老人が嫌いなんだ。血の繋がっている実のじいさんばあさんですらも、そんなに快く思っていない。

 

流石に33歳にもなると父方も母方も、アタイにとっての爺さんは亡くなってしまっている。特に父方の爺(以下ジジイと呼ぶ)は、老害の極みみたいな奴で、大した額のお年玉もくれなければ、里帰りをする度にオヤジと喧嘩ばかりしていて、ろくな思い出がない。原付きに乗って畑まで連れて行ってくれたり、なんか列車でジジイの友達の家に遊びに行った記憶はあるが、いつも何かにイライラしていてタバコばかり吸っていた。特技は七輪の火起こしくらいだろうか。アタイでも出来る。

 

ジジイはしばらく会っていない内に、気づいたら亡くなっており、個人的に面白いと思っているのは誰一人孫が葬式に参列していないことだった。なので死んでから一度も墓参りにも行っていないし、そもそも墓がどこにあるのかも知らない。

 

 

一方で母方の爺(以下、おじいさんと呼ぶ)は贅沢を嫌う謙虚な人だった。元々少食で、ほとんど酒も飲まないので一体何が楽しくて生きているのかは未だに疑問ではあったが、アタイが小学生くらいの頃には胃がんで胃を切除しており、ますます少食になった。

 

暇さえあれば新聞ばっかり読んでいて、「お前も新聞くらいは毎日読んでおけ」とは言われてきたが個人的には同意出来ない。尊敬出来た点としては、既に年金暮らしではあったものの「国民の皆に食わせて貰っている」という理由で、別に誰からも文句を言われもしないのに、絶対に正座をして食事をすることだった。それでもすぐに腹が一杯になってしまうので、大概の婆さんが作った料理を残すのには矛盾が否めない。

 

末期にはボケてしまって、介護をしてくれていた従兄弟や娘に対して暴言を吐いていたらしいが、その辺は詳しく知らん。

 

結局アタイのジジイ、おじいさんはどちらも二次大戦の頃を生き抜いてきたわけだが、どちらも戦争時代の体験を一切語らなかったので、何が大変なのか全く知らないで今に至る。

一応孫であるアタイとして受け継いだのは、変人気質の性格はジジイから、根が真面目なところはお爺さんに似ているのだと思っている。

 

別に宗家でもなんでもない家柄なので、家宝とかもなくて、教わった先人の知恵みたいなものもほとんど記憶にない。どちらも「もっと男らしくしろ!」とはいつも言っていたが、アタイはどこで道を間違えたのか気づいたら女々しくなっていた。

 

そんなわけで、おじいさんが亡くなった時は悲しんだものの、今になって思うと「敬老」的な要素はどこにあるのかを考えてしまう。

 

おばあさんは現在も長野県の限界集落で一人で生活をしているが、重度のテクノフォビアでスマホどころかネット回線すらつないでいない。子どもたちとはガラケーの通話機能さえあればいいという考えで、インターネットは悪くて危険なことしか無い世界だと信じ切っていて、娘たちが幾らスマホを導入しようと言っても、受け入れようとしない。

 

時間は腐るほどあるので、何か勉強をするとか好きなことをすればいいのに、いつも「風邪っぽい」と口にしていて一年中市販薬の風邪薬を飲み続けている。

 

すごいところは、漬物の技術が無駄に高く、冗談抜きでおばあさんが作ったものよりも美味しい漬物を食べたことがない。その技術を継承する人もいなく、アタイは生きている内にノートにまとめろと会うたびに言っているのに、一切やろうとしない。

 

あと、どんな腹痛も一発で治す謎の秘薬を持っている。どこから仕入れているのか知らないが、ホコリを被った瓶に入っているペースト状のそれは、口にすると死ぬんじゃないかってくらいにばっちぃのだけれど、何故か腹痛が治まる。

 

数年前に心臓の大手術をし、運良く今も元気に生きてはいるものの、それでも「残された命を大事に生きよう」みたいには全く感じられず、多分今日も居間でダラダラしていると思う。

 

 

 

身近なお年寄りですら、良いところはほんの少しだけ、悪いところは山程出てくるところを見ると、「敬老」とはなんなんだろうと考え込んでしまう。

 

そういう自分だって、まだ30代なのに新しいモノはあまり受け入れられなくなってきている。必要性が感じられないのも理由だろうが、Googleの提供するサービスは全て使いこなせているわけでもなく、AIが身近になってきても相変わらず自分の頭で考えることに執着し、なんとなくビットコインを持っていても「どうしてこれに価値があるのか」を理解していない。

 

仮にアタイが今、4歳くらいだったらこれらを何の抵抗もなく受け入れられたのだろうか。昔の子供に比べて、今の子供は遥かに賢くなったのか。テクノロジーが全てだとは思わないが、幾ら金を積もうとも、カブトムシやクワガタの捕まえ方を孫のために手取り足取り教えてくれたお爺さんの代替は今後も現れないだろう。

 

 

 

 

通勤途中に近所の老人リハビリセンターの窓から見える、年寄りのお遊戯。

椅子に座りながら「手を思いっきり天井まで伸ばしてみましょーう!」と指示されて硬い関節と抗うように取り組むじいさんばあさん。

 

自分のじいさんばあさんは、こうならなくて良かったなぁと思う一方で、それでもあまり尊敬をしていない自分がいる。

 

自分の今の生き様だと、こんな老後でも迎えられたら勝ち組だとは考える。なぜならば、どうシミュレーションをしても死ぬまで働かないと生きていけない人生だからだ。

 

ボケても、足腰が弱って歩けなくなっても、大病を患っても子どもたちには迷惑がかかる。だからなのか、自分としてはそうなる前である45歳くらいで死ぬのが妥当だと考えている。

 

 

 

折角天気の良い祝日なのに、一体どうしてこんなネガティブなことを書いているのか。敬老の日なのに、尊敬出来る年寄がおらず、また自分もそうなれる気がせず、今日も肉体と精神に「働かなければ生きていけないぞ」と言い聞かせてイヤイヤながらも仕事に向かうからだろうか。

 

根本的には、自己責任とは言えど精神障害者が健常者を装って、祝日にも関わらず8時間労働をし、精神的に余裕が無いからそう考えてしまうのだと思う。

まいったな、通勤中の電車内ではシルバーシートに座ってipadで読書をしようと思っていたのに。

 

 

 

ってなわけで、

 

アクティブログ(活動記録)

 

病気というか、気の持ちようなのか。勤務日になると体調が悪くなるのよね。

今の観光地の職場も初めの内は楽しかったけれど、2週間くらいで飽きてきた。外国人が多いのは別にいいんだ。周りに楽しい店が沢山あって、色んなグルメもある。

 

でもそれは消費者側の視点なのよ。実際にそういうところで働いていると、実にこの界隈の労働者は笑顔が少ない気がしている。いや、店で働いているときだけは笑顔で、退勤をして一歩店から外に出たら途端に無表情になるというか。

 

価格競争と目まぐるしく入れ替わる商店街の広告が街の特色でもあるけれど、毎日のように通っていると、あらゆるものがモノクロに感じられてくる。

 

高校生の頃はこの街に来ることが一種のステータスだったんだ。それから卒業をして10年以上が経ち、まさかその憧れのフィールドで働くことになるとは想像もしていなかったけれど、そんなに面白いもんでもない。

 

ある種のミニマリズムを貫いているアタイとしては、この街で本当に必要なものなんて1%も無いかもしれない。定番のモノから最新のモノ、マニアが欲しがるニッチなモノまで何でも揃っているこの街は所有欲の塊で構成されている。

 

たかがカードゲームのレアカードに対して1万円札を60枚も払うバカが本当に存在している。ネタとしては面白いが、すぐにゴミとなりそうな物をしげしげと眺め、買い漁っていく奴が沢山いる。

 

滅多に行かないが、ゲーセンを覗けば「そこまで上手くなるのに幾ら費やしてきたんだよ・・・」と、尊敬と同時に情けなさを感じる存在が平日の昼間でも、ここでは達人の領域のオーラを放っている。

 

そういう意味では流行の最先端みたいなこの街ですらも、毎日いると新鮮味が損なわれる。広告に掲示された美少女のイラストは「間違い探しかよ」ってくらいにどれも同じ構図で同じ顔をしていて、それを前に記念撮影をしている奴もいる。

 

時給が良いのと、喫煙所が店の近くにあるのが理由で今の店を選んだわけだが、どうして勤務日になると憂鬱になるのか。理由はありすぎて、書いているとキリがない。究極的言えば、この勤務地に受け入れられなかったのだと思う。

 

幾ら深夜でも煌々と輝くネオンが近未来感を出していても、どことなく美しくない。流行の最先端と書いたが、数年後にはこの街も歌舞伎町のような治安の悪い街へと変わっていく予感がしている。

 

どうしてドン・キホーテが出店しているエリアは押し並べて治安が悪くなるのだろうか。地元近所の伊勢佐木町もそうだし、実家の長野駅前もそうだ。そう言えば横浜駅西口もだ。

 

なんでも揃っていて安いのに、店の前を通るだけでも襲われるのではないかと軽く額に汗を流す激安の殿堂。

 

そうだ、どうして気づかなかったんだろう。ドンキのあるエリアに近づいてはいけないと。

ああ、なんと愚かなことをしてしまったのだろう。どうして今の勤務地の近くにドンキがあるかを調べなかったんだ、クソ。

 

良い子も悪い子も、皆ここに通うと悪い子になる。義務教育の教科書には載っていない何かを雰囲気で教えてくれる、そんな場所。欲しい物を安く手に入れる代償に、あらゆるものを失っていく。

 

かつての小洒落た感じの横浜駅西口は消えた。立派な木造の駅舎の長野駅の向かいにあった、大型書店はドンキに生まれ変わり、蕎麦の匂いが立ち込める駅周辺はタバコの吸殻が散乱する汚い町へと堕ちた。

 

今働いている観光地もそうだ。

昔は良かったなぁって言い出したらおっさん化したも同然だが、あの当時の街の混沌とした自由さは、弱者男性の最後のサンクチュアリだったのに、今じゃイキったヤンキーが肩で風を切るようになっちまった。

 

 

そうか、駅に降り立つと嫌な感じが込み上げてくるのは、ドンキがあるからだ。そうに違いない。

 

本来勉強をしに学校に通っているはずなのに、実際はいじめられに行くようなあの気分。うん、これが一番近い。

 

さあ、天気の良い月曜の祝日。飯食ってゲロ吐いて職場へ向かおう!

 

じゃ、今回はこの辺で。

 

 

 

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