三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

10万円貰えそうだけど、皆はどうするの??

もっと賢しこそうな質問はできねぇのか?

雑談

さーて、喜べ庶民。お国が各世帯に布のマスク2枚と国民一人当たり10万円の給付をしてくれ・・・るのかなぁ?

今ウチには母親、アタイ、弟の3人が住んでいる。オヤジは別居していて生きているのかどうかも不明。つーか7年くらい連絡も取っていないしクズだから会いたくもない。

3人で住んでいて、そこにマスクが2枚やってくる。わぁ、ありがたい!でも残念ながらアタイの分は用意されていないみたいだわね。母親は時々出勤。弟もバイトに行く。アタイだけ自宅でお勉強。全く生きている価値なし。優先順位低い。だから事前に「俺はいらねぇ」と断っている。

このマスクをたった二枚ずつ全国に配るだけでも、あのスカイツリーを建設するのと同じくらいの費用というか税金がかかっているそうじゃないですか。まだ自宅には届いていなくて実物を見た訳でもないが、ニュースを見る限りでは小さくてズレるし、あんま効果ない って言っちゃっている。

もっと他に出来ることはないのかよ・・・。って思うわけだが、一番疑問なのは「あらゆる意思決定は遅いくせに、どうして今回のマスクの配布だけはこんなに仕事が早いの?」だった。

洗って使える代物ではあっても、どうせ耳にかけるゴムがすぐに緩くなるだろう。第一小さい、ってもう書いたか。幾らタダで貰えても、有り難みが全くない。どうせならばもっとガチで長期の使用に耐えうるモノを寄越すべきだったはずだ。オヤジは飛行機の整備士だったので、たまに職場で貰ってきたシンナー塗装用の防毒マスクとか見せびらかしていたけれど、あれくらいの物じゃないとちっとも安心できやしない。3回使えばゴムが緩むようなモノを貰ったところで、マスクの品不足も解消されなければ、メンタルが幾分か楽になるもんでもない。

偉そうに言うさ。だって必要ねぇんだもん。受け取りの拒否が出来るならばそうするからその分小銭でもくださいよ、って話だ。大体ウチには常時マスクが50枚はストックされているし。最近貰ってきてまた増えた。マスクだけに関しては、大富豪みたいな状態だ。  だから貰ったところで一番困るのは、子供でさえもお礼を言うように教育されているのに、大人のアタイは誰に対してマスクを貰ったお礼を言えばいいのか分からないところよ。

次は少しだけ、懐が潤う話が出てきたところだ。国民全員現金一律給付。10万円?!へぇ、ありがてぇ。

ここでタイトルの愚問に戻る。 くれぐれもここの読者様はこんな愚問はしないで欲しい。「現金10万円貰えたら、何をしますか?」

何をしますか?じゃねぇよ、どうせ緊急事態宣言なんだからちょっとお金が入ったくらいですぐに調子に乗るんじゃねぇ。何もするんじゃねぇ。

この同調圧力の中で、自粛している。さて、実情はどうなんでしょうか?学校に行けない子供、何もする気が起きないアタイ、仕事が無くて困っている人、する事が無いとか思いつかなくて暇を持て余している人、売り上げが伸びなくて死にそうな人、昼間から酒が飲める人もいるかもしれん。本当に様々だ。

ここまでニュースを見ていても、今ひとつ流れが分からない。緊急事態宣言が解除されてから給付をするのだろうか。それとも自粛しているこの期間の内に始めるのだろうか。

後者だったら不意に入った10万円で喜んだのも束の間、どこも店はやっていなくて飲みにも行けねぇぜ、ストレス溜まるなチクショー とか思う人もいそうだよね。服屋とかも閉まっているだろうし。食品以外に買い物というか、お金を使う用途がない。あとはAmazonみたいな通販くらいか。

今すぐにでもお金が無いと困る人にとってはありがたい。そりゃそうだ。1ヶ月前のアタイがそんな感じだったもん。給付する時期も考えもんだが、検討を重ねていて気付いたらもっと手遅れになっていた、なんてならなきゃいいがアタイがどうこう口を挟むようなもんでも無いわ。

さて、10万円。三原ならばどうする?

つい昨日までメルカリで1000円程度の買い物ならば何買ってもいいよ、って親の期間限定ポイントを見せられて、それで無理やり欲しいものを考えていた。本がいいかな、それともコーヒーの器具?とか考えていたが、案外1000円程度で欲しいものってのが無い。

安物のバッグフックか、あるいはラテアート用のピックにしようか迷った挙句、どっちも要らんわとなり、この件は弟に同じように好きな買い物をさせるように選択させた。だって本当に欲しいものが無かったんだもん。況してや中古だし。

じゃあそれが話は変わって10万円、しかも現金だぜ、おい!٩( ᐛ )و ってなるとどうですか?取り敢えず100000 そう、ゼロが5つも付く。確かにありがたい。ありがたいけれど・・・ 実はアタイが1ヶ月、一日7時間勤務を週3くらいでするのとそんなに変わらない金額だったりする。大金に間違いはないが、別にめちゃくちゃ自由になれるもんでも無い。やっぱりお金を使うにしても、現状では使う場所が無いからだ。

ちょっと友人を誘って昼間から焼肉と酒でも堪能しちゃおうぜ!とか考えちゃうけれど、やっぱり三密は回避してくれよって指摘は撤回されないだろうし。

元々アタイはそんなに物欲が無く、服とかもシーズン毎に言えば4着ぐらいしか持っていない。食欲だけは旺盛なのでどうしても過食気味になってしまうが、今の状況では特段活動もしていないから、そんなにお金も使わないしかからない。一応タバコも辞めているし。旅行だって今は無理だろ。

やっぱり安心はしても結局何も出来ないし、何もしない性格なんだろうな。だから結論に入ると、10万円入っても頭の病院代と、ちょっとした分割払いの請求金の支払いくらいしかしないと思います。ほら、ケータイ代とか。それで残りのお金でせいぜい100g1300円くらいのコーヒー豆と、5000円相当の読みたかった書籍を買って、あとはまた自粛するのかしら。

強いて欲しいものを挙げるとすれば、MacBookかiPhoneSEくらいだが現時点では特段不具合もないので早急に必要なモノでもないし。壊れてもiPadがあれば代替できるわ。

それでも10万って言えば、アタイの大学の年間授業料に相当しているし、マジで無駄遣いさえしなければ4,5ヶ月はこのまま働かなくても済むという、千載一遇のチャンスでもある。

断じて働きたくない訳でもないが、何か自分の取り柄を身に付けるならばこのままストイックに、コロナが収束してバイトが再開できるまで引きこもって能力でも身につけたいところだが、どうなんでしょ。

近頃何かと体調が悪いが、10万あれば無理して働かなくても生きていけるという安心感が生まれる。現時点でも何も用事がなければ2ヶ月は生きられるんだけどさ。

このブログの読者様はほとんどが20代後半と統計で出ていたけれど、前回リーマンショックの頃に定額給付金が配布されたのは覚えていらっしゃるかしら? 調べりゃ出てくるが、あの時の金はいくらだった??そんで何に使った?何に使ったのかなんて、案外覚えていないだろう。ちょうどアタイは前の大学での夏休みの時期だったのもあって、確か・・・ipodを買った気がする。多分ね。

そうそう、ちょっと前に流行った本で宝くじで1億円当たった人の末路ってのがありましてね。もう結論だけ書くと、この手の不意に訪れた可処分所得って受け取る前は「幾らまでは使って・・・あとは貯金かなぁ」なんて謙虚に考えるけれど、案外貰っちまうと一変して身に余るような無駄遣いをしちゃった挙句、一文無しになりがち 結局宝くじは、買って当たっても外れても不幸になる っつー内容でした。

今国民が10万円を受け取れるという雰囲気だけれど、さあ、果たしてそんなに謙虚に10万円が温存できるかしら?コロナで自粛しているストレスを発散させたくもなりますが、果たして10万円を不労所得で得られると、この国はますますどうなるか心配になります。

個人の責任感や日頃の衛生意識など、必要以上に気になるし、そうさせられている感じが否めない。間違いなく、この令和の時代は昨年の超大型台風と言い、個人が試される時代だと感じる。もう台風といい、コロナといい、割とピンチに直面していても案外アタイって死なねぇなーとか思うけれど、そう思えている内が幸せなのかもしれない。

周りの大学生が就活はどうするの?授業はいつから?バイト探さなきゃ!とか言っていたり、暇を持て余しているからと言って外に出ることもままならないから平日の昼間から缶ビールを開けてネトフリ見ているようなのとは、

差を縮めるというかむしろ踏み越えたいくらいに思っている意識高い系です。まぁ頑張ると体調悪くなるので、できる範囲での努力ですが。

試される時代、次は現金の使い道に人間性が生じると思う。パーっと使っちまうのか、借金の返済に充てたりするのか、地道に貯金?

それともこの10万を如何に増やすか、とか効用を最大化させるにはどう使えば賢いのか(ミクロ経済学だと全額使い込むことになっているけど)、10万を挑戦するための資金として捉えることだってできるけれど、貴方はどうしますか? が問われる。

で、ZOZOの社長みたいに現金配るよ! 的なツイートで情弱を釣る詐欺師も現れる事を予測しておく。 まぁ貰えても貰えなくても10万円ってのは予定を狂わせるものですよ。

10万円人徳チャレンジ。アタイらは取り敢えず平等にマスクが手元に2枚と、10万円が与らえれる。はず。さて、危機やピンチは乗り越えられるのだろうか?将来性の見通しは?逆に10万で足りそう?

一応言っておくが、このブログは個人的に考えた事、ほとんど妄想をアウトプットしているだけで、自分のために書いているようなもんですし、「これが正解なんだぜ!」と吹聴しているもんでもないです。むしろ妄想と戯事と雑談の塊、時々コーヒーなんだけれど、何か読んで鼻で笑ってくれればブロガー冥利につきますわ。

ってなわけで

アクティブログ(活動記録)

生活は朝型になった。ニコチンが体内から消えていき、吸いたい気分も衰退して行った。取り敢えずそんなに眠くもない。しかし今日もお腹の痛さに悩まされていた。結局レポートは着手出来ず。いいの、試験はあと3回あるんだもの。

昨日は外出したからなのか、気分だけはいい。体調は最悪だが。それで一日いったい何をしていたのかっつーと、ひたすら存在意義について考えていたような気がする。要するに何も生産性のあることはしていないっつー訳です。

近頃体調の悪さと反比例するように、地味にブログの収益が向上していきもうすぐ念願の達成額に行きそう、おいおい、待ちに待ったお金が振り込まれるかもしれないわよ!٩( ᐛ )و って状況です。ほとんど不労所得には違いないが、嬉しい事に変わりはない。このデジタルデータの8000円が現金の8000円に変わる感動っつーのがデカイ訳ですよ。

それに加えてLINEスタンプの売上金が振り込まれましてさ。スタバに2回くらい行ける贅沢が出来る額だな。銀行に出金させると手数料で220円も取られるのが気に入らないので、このままLINE payとして温存しておくのが宜しいのだろうか?

さらにさらに、メルカリで教科書を売り捌くことによって、また少しだけお金が入る。

ここまで大金を稼ぐ!という訳じゃないが少しだけでもお金が入ると、あたかも自分が労働をしているというか、何かをしているような感覚に囚われる。しかもすぐに調子にのるアタイは「あれ?もしかして俺、商才あんじゃね?!」とか思っちゃう。コーヒー豆は全く売れないのに。

どうもパン屋のバイトと良い、メルカリにしてもそうだが自分で何かを生み出して販売するよりも、他人のモノを横に流してお金を受け取る方が得意なんじゃないかという何の希望にもならない特質みたいなのが薄ら見えてきた。

働かないで金を稼ぐ、みたいな緩いことは考えていないし今回のコロナの件で暇すぎると逆にストレスになる ってのも良くわかったからこそ、仕事はしたい。そりゃあ他人に迷惑をかけないならば自分で仕事を生み出すに尽きるが、現実そんな甘っちょろいもんでもねぇし。ってことで今日は存在意義と一緒に将来を考えていた。

30歳学生、取り柄なし。不況ですがどこか雇ってくれたりするんすか?微妙だわな。ってなり、考えるだけ無駄だと結論に至った。

結局無難に食いつないで行くならば、裏方の基盤的なポジションの仕事くらいしかない、カフェみたいに表で笑顔でスチームノズルいじっているような仕事ってのは実は割と出来る人が限られてくるんじゃないかとすら思えてくる。自宅でラテアートを楽しんでいるようなレベルだが、それを仕事にしていくってのはますますハードルが上がってしまったし、アタイが思い描いていた学園祭のノリの延長みたいな経営っつーのは、限りなくありえない世界だと業界を見て話を聞いている内にすぐに分かってしまった。

他人の役に立てる存在になりたい! ってのも実はレベルが高くてアタイがこの先生きていくには 如何に他人の邪魔にならない存在としてやっていけるか がまず脳裏に浮かぶ。

またそういう事を考えると、お腹は痛くなるしネガティブにもなるのでもう心の底から考えるのを辞めたいと思ってしまうほどだ。完全に思考停止状態になりたいものだが、そうすると頭が腐りそうでね。かと言って複雑な事を考えるには脳のスペックが足りない訳だ。

昨日の記事も、今学んでいる統計学がキッチリと理解出来ていれば確実に読者様には説得力のある話が書けたのに。そういう頭の使い方ができない。だから浮かび上がる雑念から面白そうなものをピックアップして話をつなげていくんだが、やっぱり根拠に欠けるから「足りないブログ」になってしまう。

どうも勉強とか大学とか以前に、9年くらい前に通っていたデイケアという精神のリハビリみたいなところで真っ先に取り組むのは、廃人と戯れて社交的になる訓練よりも、適切な頭の使い方を叩き込むべきだったのではないかと思っている。

思考が複雑に絡まり合って何も出来なくなったらどうする?

何回読んでも文章が頭に入らない場合は放置してもいいのか?

不安を解消する行動でやってはいけないことは?

残念ながらそんなのは教わらなかった。実は統失になってから最初の数ヶ月以外、今日に至るまで医療費もデイケアも全額自分で出してきているのだが、その医療費を払う際に提示するお得な手帳がある。

自立支援手帳。世帯所得に応じて1ヶ月の精神科の医療費の上限が定められていて、それ以上払う必要ねーぜ っていう有難いシステム。

どこまでも勘違いしていたアタイはこの自立の意味を、何か独立というか親元を離れて生活していけるレベルになるまでの支援だと思っていた。どうも周りの患者とかを見ていて感じたのは、この自立って文字通り「自ら立てる」みたいなすんげーレベルの低い基準みたいにアタイには見えて、つまり作業所に通える、寝たきりにならずに好きなことに没頭できる、ちょっとだけ積極的、あわよくば働ける みたいな意味での自立 ってのがようやく分かった。

そうなると上記の事は若干抵抗があっても一応こなせて、今は仕事がないけれど障害隠してバイトも出来て、大学を卒業したら実家を出て開業したい なんて思っていて、そこまで出来るのが自分にとっての「自立」だったのだが、ここまで意識の高い障害者になってくると 健常者からも障害者からも煙たがられるという誠に困ったポジションになって来るわけよ。

つーか自立支援 って有難い制度だけれど、もう自立は今までの話で言えば多分出来ている。薬だって1人で飲めるし日常生活だけならば特に金銭面以外で困ることは今は無いからだ。どっかの会社員にでもなれていて、別に障害者手帳も持たなければ恐らくこの自立支援は外される。自立しちゃった後の精神病患者。はて、アタイはどうすればいいんだ?と路頭に迷う訳だ。結局ハローワーク?仕事探し?今からやりたい事とか、夢とかそういうのを追い求めるまでもなく雇ってもらって社会に還元するのかと。

自立は出来ても、今度は会社に勤めると来ればこれは会社に養ってもらっているのと同じな訳で、ある意味会社に迷惑をかけているしお世話になっている。それが普通になるんだけれど、雑談でも書いたようにもっと違った生き方は出来ねぇのかい?と。

多分障害者の中ではアタイは勝ち組の方だと思うんだけれど、人間としては十分に負け組でレールから外れた生き方をして、どうでもよくなったから普通ならば大学4年で就活をするもんだけれど、こうしてヘラヘラしている。

脱線したらまた元のレールに戻る、そうしなければならない みたいな考えじゃなくて、脱線しちゃったら「列車はダメだから別の乗り物で別の目的地を目指すか」みたいな自由な発想で生きていきたいのが本音なのですが、誰も同意しないし理解もしないしアタイも説得力も実力もないから、脱線した車両の下敷きになって身動きが出来ないまま助けも呼べずに時だけが過ぎていってしまったのが現実です。時間だけはあるから、ここでどうするかが人生を左右しそうなんだけどなぁ。あれかな、受験生が夏休みに如何に勉強を頑張るか、みたいな期待感に近いのかなぁ。

じゃ、今回はこの辺で。