三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

新章 三原氏物語 いきなりコーヒー屋の夢がうやむやになる?!

また振り出しに戻ったわけだけれど、何もかもを失ったわけじゃない。

 

初心表明

昨日をもって三原氏物語の20代編は終わった。今日からは30歳。新たなステージでの冒険を繰り広げることになりそうだ。

さて、昨日と今日で変わったことは何だ?年齢だけか?もしかしたら白髪が昨日よりも6本くらいは増えているかもしれない。

 

ちょっとこの場所に気づいて欲しかった。そう、ブログの表現のフィールドが変わったことに。

この誕生日の1日で、アタイはマジで原点からの「初代」三原氏物語であるライブドアブログ

と、

現在進行形で続いてきたWordPressでの三原氏物語をつなぎ合わせ、

 

今日から心を新たにはてなブログさんの場をお借りして、物語の続きを展開させてもらうことにしました。いろいろ悩んだのよ。このまま誰にも読まれないブログにお金を払い続けていてもいいものかと。

別にブログは趣味だから、少しくらいお金を払うのは全然構わなかった。

 

しかし元来タダでも出来るこの表現に、果たして個人的には年間8000円近く払うのは贅沢すぎやしないかい?と躊躇してしまったのよ。ええ、一番の理由はアタイの仕事がなくなって、将来的にサーバーの代金が払えなくなりそうな気がしたと言うセコすぎる理由ですけどね。

 

はてなさんも、書いた内容によっては削除されることもある なんて噂が出てきたりしたものだけれど、その場合は三原の書く文章に不快な要素がある のを指摘してくれている と解釈し、成長できるきっかけだと受け止めた。

 

どうもワードプレスの頃は、「俺は自分で金を払っているんだから、好き勝手なことを書いてもいいんだ」と心の底で勘違いをしていたのかもしれない。

お金を払ってフィールドを展開していて得られたものは何だったのか?

それを今日、従来のライブドアブログワードプレスを統合し、新たにはてなでブログを展開しながら過去の自分をカエリミテイタ。

 

一度ブログを移転してからは、ライブドアの方は一切手をつけていない。とある記事だけやたらと外国語(ロシア、英、中国、韓国、フランス、スペイン、ベトナムアラビア語)などの多言語で荒れている記事があった。何を言っているのかは分からない。ただのグローバルな宣伝なのかもしれない。

この記事だけは全く不可解なことにコメントが700件くらい、まるで放置していた空き地の雑草のように蓄積されていて、

 

この際だからと、初めてブログを書いたあの日から、30歳になる今日までの全ての記事に付けられたコメントを整理していた。

大学の友達、Twitterのフォロワー様、通りすがりの武道経験者、お菓子好きの女子、メンタルの不調に悩まされる子、元カノ、ほぼ毎回3年くらいコメントをつけてくださった一度も会った事もない熱心なファン、昔の方が三原氏物語は面白かった と言う読者様、そして時には「読者を舐めるな」と一喝してくださった方もいれば、一応血の繋がった親族まで

 

幅広い方々からコメントを頂いていたのだなぁと、しみじみ思った。

継続年数7年、総投稿数2166記事、毎度毎度展開される小賢しくて長ったらしい駄文。

 

自分で書いておきながら、昨日の内容すら思い出せない日記。毎日継続してきたわけでもないが、たまに1ヶ月くらい間が開いてもここまで続けてきた。そのモチベーションを聞かれても、自分には分からない。本当に夢中になれるものがたまたまブログだった、それだけかもしれない。

 

20代の7、80%をここに残してきた。自分でも読み返す気力はない。でも何年前のいつくらいにはどんなことをしていたのかな、ってのは、内容が充実しているかどうかは別として誰よりも思い出せる、そんな自信がある。

未来は誰にも予測できないみたいだけれど、確実に記録してきた過去はここに在る。

 

プロブロガーってのが何なんだろう?そんな好奇心で、しかも自由に文章が書きたい と言うだけの理由でプロ仕様のブログに手を出していたのかもしれない。あまり移行した動機は思い出せない。ブロガーのプロって何だ?とも思うが、やっぱり最近アタイが話していたハイスペックマシンと使用者のパフォーマンスの話のように、アタイがお金を出してハイスペックなブログエディターを導入しても、いい文章は書けないものなんだと痛感した。

 

ざっと過去を振り返ってみれば、ニートからフリーターになり、事務員になり、副業で漫画家をやりたいとか、コーヒーが好きだ、ランボルギーニに乗りたいなんて豪語していて、会社員をしながら道場に通ってみたり単独でヒッチハイクをしたり、そして大学生になって・・・ と、自分で言っていてもどことなく支離滅裂な人生を送る物語だなぁと感じる。

 

流石に7年も続けていれば三原も少しは変わる。考え方や口調も変わる。

初期に比べれば格段に文章は上手くなっていて欲しいところだけれど、継続年数に反比例するかのようにブログのコメントは減少していく。要因はなんだい?アタイのブログが面白くないから?昔のようなウィットに欠けた文章の方が親やすいの?それとも皆SNSばかり見ていて、ブログはオワコンなの?

 

と、ちょっと悲しくなりもした。

 

このブログのスローガンも、

誰もが憧れる障害者を目指す

最底辺から最先端へ

快晴の青空のような一杯を淹れる天国に最も近いコーヒー抽出士を目指す

 

と言った具合にコロコロと変わりその度に常連の読者様は愛想を尽かして離れていき、たまに新規で毎回ブログをチェックしてくださる方が現れる。しかしながら本当に初期から今までずっとこのブログを観測してきた人はおらず、今日に至る。

 

これから先もスローガンは変わるかもしれない。

将来がどうなるか分からないけれど、もう悩んだり考えたりして立ち止まるような余裕は若さとしても、時間としても残されていないような年代になってきた。今更将来の夢・・・とか言ってられなくなってきて、もう頭の中は常に「どうやって生きていくか」と言う深刻な悩みに煩わされていくようになる。

決して喫茶業を諦めたわけではないが、志高く30歳を迎えたところで、

 

アクティブログ(活動記録)

もう悩んでいる余裕はない!

そう思った。7月近くまでバイト先は休業、しかも景気が回復する保証もないのでシフトに入れるかどうかも怪しい。

このままダラダラ夏になるまで好き勝手LINEスタンプを作ったり、メルカリで中古品を売り捌いて食いつないでいくしかないのかなぁと若干不安になっていた。

f:id:shaggydot:20200509001213j:imageFluffy cloud white bear – LINE stickers | LINE STORE

一応5月4日にとある場所のアルバイトに応募していて、どうせ不景気だし取り柄も資格もないから受からないだろう とものの4分程度で自己PRと志望の動機を記入した履歴書を持参して美容院で髪を切ってから面接に臨んだら、まさかの採用を頂いた。

いつから働けるのか、あまり確かなことは言えないが採用は採用。2ヶ月くらい働けば憧れのMacBookに手が届きそうなレベルまで急に飛躍した。

 

こうして4ヶ月近くに渡る、長すぎた春休みがようやく終わりを告げた。気づいたら30歳になっていた。

 

先ほど書いたように、そりゃあ本来は飲食でコーヒーを提供するのが一番好きな仕事になるんだけれど、今回採用を頂いたバイトは全く飲食ではない。さほど興味もないし、志望の動機つったって、本音はただお金が稼げればそれでいい だった。

今最も恐れているのは、この仕事に夢中になりすぎて、そもそものパン屋のバイトがテキトーになり、やがてはコーヒーを販売することに対して熱意を失ってしまわないだろうかと勝手に心配しているのだ。

 

所得的な意味ではそこそこバイトとしては安泰なポジションだが、肩書としては「こいつ何がしたいのかさっぱり理解できない」と言うダメ具合。それでも生きていくんだよ。くれぐれも忙しくなった なんて理由でブログを辞めるようなことだけは無いようにしたいわね。

 

じゃ、今回はこの辺で。