三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

不安と倦怠感を背負って歩んできたこの物語の結末とは

無敵になる。

 

雑談

怖いもの知らず。自分に関係のないことは全てノイズ。誰が幾ら稼ごうが、いつ死のうが知ったこっちゃない。

 

「今、アイツはどうしているだろう」

そんな事も全く関係ないくらいに世界はどうでもいい。幼い頃からガンと戦っている従兄弟や、8年以上会っていない親父、ハゲ散らかした弟、衰えていく母親、辞めたバイト先のメンバー、同じ教室で授業を受けた同級生、

旅先や飲み会でノリで連絡先を交換したまま、何も連絡をしない奴ら、一緒に授業を受けた大学の友達

 

そんなもんが人生の大半を占めている。本当に大切な友達なんて、5人いれば多いほうかもしれない。寧ろそれ以上は把握ができない。

 

一応そんなどうでもいいヤツら、全く知らない誰かが見ても良いように、ここに生きてきた証を残している。自分が面白いと思う事だけを書く。自分の生き様をここに残している。

 

そんなつもりで続けてきたこの三原氏物語。ところが、書いている自分自身でも前回の内容なんて覚えていないし、前回、今回、次回で主張が大きく変わることもある。もっと言えば、自分のために書いているようなものなのに、自分自身でも読んでいない始末。

 

元はと言えば、統失デビューした辺りからの闘病記みたいなノリと、あわよくばお金が稼げるかも。と言うセコい理由で始めたブログだった。

 

実は初期の方がコメントや読者様も多く、8年近く続けてきた現在では1日のPVは10人前後。

病状は完全に気分によるもので、どんなにいい薬や良心的な精神科医に当たろうが、結局は外部要因に大半を左右されている。

 

このブログを始めた頃の自分の境遇としては、徹夜で受験勉強(浪人)をしていたら頭がおかしくなり、そして精神科に行ったら病名をつけられて廃人状態になったところからスタートしている。

 

デイケアで毎度、ノートに自分がその日やったことを記録するようになっていて、それがきっかけで「日記を書くくらいならば、自分でも出来そうだ」と、連日ダルいのにも関わらず開始した。

 

第一回目は家族で近所に花見に行く話だったと記憶している。

それ以降は地味な改変を繰り返しながらも、気が向いた時に更新をするという流れで、一応は現在に至る。

 

タイトルである『三原氏物語』は、見ての通り『源氏物語』に由来しているものの、残念ながら平安時代の上級国民(貴族)の物語は1000年以上前の話だろうが恋愛モノな上に、覚えづらい登場人物ばかりなので、わざわざ京都の源氏物語ミュージアムに行って学習までしてきたのにも関わらず、アタイ自身は一切ストーリーの説明が理解できていないし、説明出来ない。

 

せいぜいアタイが理解している事は、

光源氏が超イケメン、

気になるあの子を壁の隙間から垣間見るシーンだけが印象的

ミュージアムにあったラストの場面、夢の浮橋がめっちゃ天国っぽい

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だけだったりする。

要するに古文なんて理解できないし、理解しようとも努めていない。最大限の努力として、あさきゆめみし という漫画は読んだが、やっぱり理解が出来ない。教育が足りていねぇとは反省しているが、あれはどう頑張っても個人的に面白くないんだ。

 

 

それに対して『三原氏物語』は統合失調症を患った現代を生きる青年の闘病記。であり、やりたいことが三年おきに変わる上に、何もかもが中途半端で、やることは全て市場で評価されない。それどころか、障害者なのに障害年金も貰えない有様で、かと言って正社員のような働きぶりも出来ない残念な人間の日常を記録したものだ。最新のMacBookで書いているこのブログも、残念な事に平安時代インフルエンサーにすら勝てないのが現実だ。

 

同病の方達からは「障害者っぽくないね」と言われ、健常者からは「アイツはおかしい」と指摘され続けてきた。気づけばアタイは人生の1/3 ,10年以上を建前は障害者として生きているのに、集合的に言えば A∧Bだと思っていたら、どうやらnot(A∨B)に属していたらしく、簡単に言えば健常者でも障害者でもない存在になる。

 

そりゃあ普通に考えれば、これまで会社が終わったアフターファイブに道場に週3で通ったり、ヒッチハイクで数百キロも移動したり、脱サラして学生になる なんて行動は障害者は愚か、健常者でもしないなとは思った。これが変人故の為せる技なんだと勝手に高揚していたが、どうやら根本的に何かがおかしいようだ。

 

三年おきにやりたい事が変わるのも、考えてみれば現状維持が嫌いなのと、「これに挑戦してみれば人生が変わるかも!」という期待というか希望を夢見て実行している。

確かに誰にも真似出来ない変わった人生だとは自負しているが、そうだからこそ周りからは理解しにくく、共感しづらいところがあるのだろう。

 

色々とやりたいこと、やってみたいことを叶えてきたにも関わらず、それでも人生が変わったと思える出来事は無いし、世界中のリゾート地やナイアガラの滝やアステカのピラミッドなんかを見てきた経験をしていても「こんなもんなのか」程度の感覚しかなく、一体何が実現・実行出来たら真の満足に到達出来るのかは毎日考えているのに未だに答えは出ない。

 

大体45歳で死ぬだろう。

そんな勝手な前提を条件に、思いつく限りの成りたい自分へと時間はかかっても、叶えてきた感じはある。

 

漫画家になりたい

ちゃんとした社会人になりたい

もう一度学生としてやり直したい

バリスタになりたい

引っ越したい

 

いつも何か不都合があって挫折をし、夢は転々としていく。次は何を目指そうか。そうやって妄想を膨らませて進行を続けていたこのブログ、三原氏物語に対して最近気がついた事がある。

 

「あれ?もしかしてまた振り出しに戻ろうとしている??」

 

 

近況報告

 

おかしいな、いつもの三原さんだったら何か出来事があればすぐにブログを更新していたのに。

 

いや、自分でもそのはずだったのよ。

確かにここ数ヶ月、ヴァカの一つ覚えみたいにずっと「引っ越してー!!٩( ᐛ )و」と言い続けてきたわ。

 

今週の木曜に物件の下見に行ってきた。数ヶ月以上の空き家。にも関わらず立地としても家賃としても条件は自分には余るものだと感じていた。まさかの風呂とトイレが別。南向きで日当たりも良い。

しかも鉄筋コンクリート。駅徒歩10分以内。

 

安いからには、何か理由がある。その理由が強いて言うならば室内外の温度差で窓ガラスにヒビが入る、というものだったのよ。

別に雨水や風、虫が入り込むようでも無さそうだったから、アタイとしては「こんなの誤差でしょ」みたいに思っている。周りにこの話をしてみると「ヤバそう・・・」といった感想が返ってくるけど。

 

正直、完全に誰の支援にも頼らずに一人暮らしを実現させるからには少しくらいの不便さは覚悟しておかなければいけないと割り切るしかないのさ。仮に事故物件だろうが、アタイには狭い住宅街の路地にある6畳程度のこの物件は、自由への招待だと輝いてみえた。

 

アタイこの物件に決めた!٩( ᐛ )و

 

今の給料ならば、贅沢をしなければ生きていける。元々贅沢なんて珈琲以外はしない方だし、余裕だろと。外食?先月は2回しかしとらんわ。

遊び?1日だけだぞ。それも2ヶ月ぶりとかだし。

 

ただ自分の部屋で新品のクッションが効いた椅子に座って優雅に珈琲を飲みながらSpotifyでカフェのBGMでも流しながら読書と珈琲を楽しむ。

 

それだけが自分の最大の贅沢であり、それ以上に幸せな事は無いと確信していたのよ。

 

 

ところがだよ。

 

 

 

・・・最近珈琲を飲まなくなっちまったんだよね。

 

 

ドトールでバイトしていた頃は1日に5杯くらいは飲んでいた。

前のパン屋の頃も3杯は飲んでいた。

今の小売になってからは、1,2杯程度。

 

サラリーマンの頃に習ったドリップのやり方を常に意識していて、その辺のカフェバイトよりもよっぽどマシな珈琲が淹れられると今でも思っている。誰よりも珈琲が好きだし、NO cafe No life な人生だと思っていた。水分補給も当然珈琲。熟練したドリップの腕前は神がかっていると勝手に思っていました、すみません。

 

おかしい。

やり方は昔っから変わらないはずなのに。むしろ今の方が上手く、美味くなっているはずなのに。

 

おかしい。200g 2,000円くらいのスペシャルティ珈琲を買っているのに。

 

いや、認めたくない。要因は色々考えつくけれど、どうしてだ??

 

 

珈琲が不味い。

 

 

最後に感動するほど美味い珈琲を飲んだのはいつだったろうか。こないだ友達と遊んだ時か?

 

心の底から美味い、もっと飲みたい!!一生この珈琲しか飲めねぇ!!

そう思える珈琲に久しく触れていないからか?

 

不味い珈琲を飲むと死にたくなる。というか、1日の幸せな気分は目覚めの一杯の珈琲で決まる。

 

それにも関わらず、規定通りに抽出した珈琲が不味い。飲むと目眩がする。挙げ句には出勤途中に気持ち悪くなるし、職場でも調子の悪い状態で働いている。

 

だるい、キモい、だるい、キモい・・・

 

気づけばここ2日、珈琲を飲んでいない。というか、出勤日に珈琲が飲めない。何故?

 

タバコの吸いすぎ?

睡眠不足?

水分が不足している?

ケトルが故障した?

単に病んでいて味覚が分からない?

珈琲に飽きた?

カフェインを体が受け付けない?

水か器具が悪い?

それとも先日、コロナワクチンを打ったから??

酒の飲みすぎ?

 

分からん。分からん。分からん。

これら全てかもしれんけど、今はあまり珈琲が飲めない。

 

おいおいおいおい、ようやく物件も審査に入ろうとしているこの大事な時に、1日のパフォーマンスを左右する珈琲が飲めなくなるなんて事があるのか?

 

それとも何だ?これから一人暮らしをする事に対する不安か?

ビビってんのかよ、31歳。

 

 

その時、気づいたよ。

 

一人暮らしをした自分。

珈琲は飲まなくて、学生で、なんかいつも孤独で、一人で読書ばかりしていて誰とも会話せず、運動もしないし、趣味もほとんど無い状態で、気を紛らわせるのにSNSばかり見ているあの状態。

 

これさ、前の大学生の時の自分なんだよね。

 

あれから11年、いや、12年経ったのかな。

ようやく病状も落ち着いてきて、これから自立するぞと意気込んだところで不意に思い出した。

 

また振り出しに戻っているじゃんって。

 

12年経って、また同じ状態に戻ろうとしている。そしてこのままの流れで行くと、何もかも気力を失って卒業出来なくなって退学。持病の統失が悪化して、また別の大学病院に連れて行かれて薬を変えたり増やされたりして日中寝たきり。

薬が体に馴染むのに数年かかって、気づけばどこも雇ってくれなくなるという現実。実家に戻ってまた親の世話になるのか、ひたすらそればかり毎日言われて、8年以上会っていない親父も実家に戻ってきて家庭環境が悪化。完全に親の年金に頼って生きるしか術が無いという絶望感と働かない頭で仕事を探す日々。

 

なんだろう、そんな風になる予感がしてきた。

 

今度こそは上手くやる、上手くいくから! そんな根拠の無い自信が途端に無くなる。

 

「あれ、もしかして万が一風邪で1日でもヴァイト休んだら、翌月生きていけないんじゃないの?」

 

ちょっと待ってよ。ここまで来て、なんで既に絶望してんの?そりゃあ不安にもなるよ。

テレビ持っていないのにNHKが集金に来たら? 早朝から町内会費の徴収に近所のジジイが来たら? もしかして隣の住人がアタイ以上にやべぇヤツだったら。

 

やっと思う存分風呂に入れると思っていたのに。数少ない友達を部屋に招いて珈琲を振る舞おうと思っていたのに。

 

ここまで来て急に不安になってくる。そういやワクチンの二回目、まだだったな。副作用とかどうなんだろうか。

 

暇な上に孤独だとネガティブになる。それは間違いない。

変な時期に新生活を始めようとしている。それなのに、何故か不安だらけ。

 

頼む、早くアタイを安心させてくれ。それは昔っから変わらない。

まぁ珈琲でも飲んで一息つこうよ。そう思っても、飲むと地味に気分が後々悪くなってくる。

 

ここ一週間、引っ越しの事で頭がいっぱいでブログを書くメンタルの余裕がなかった。4700字も書いておきながら、頭の中では「これから先、生きていけるのかよ・・・」と、ネガティブな要素が次々と湧いてくる。

 

思考がまとまらない。誰だってそうだと思っていたのに、それは障害だったらしい。

 

結局これから引っ越す事で、三原氏物語は円環的に一周して12年前と同じ状況になる予感がしてな。そう思うと、これから先の人生もやっぱり齢をとっていく以外は同じことの繰り返しで、物語は死ぬまで「これ、前にもあったよな」が展開されるだけになりそうな気がしていて。

 

そして不意に思ったのが、ループするだけで前進しないならば引っ越したところでこの物語は「障害者の自立としては大成功だと勝手に思っている」という、自分なりの括りで終わりにしようかと少し悩んだわけよ。

 

断じてやる気がないとか、ネタが尽きたというもんじゃないよ。ただ、辞め時っていつなのかなぁと。

 

新生活が始まるぞ!じゃあそこから三原氏物語の新章スタートだ! それが多分普通のやり方なんだと思うよ。いや、ホントね。どうしようかと。

まだ物件の審査が降りたわけでもないし、引っ越したわけでもなく、こうして連日続く雨の日々の中、一人でじっと考えているわけなんだ。

今後の在り方なんて引っ越した後に考えれば良いや。そんな感じでいいか。と何故か割り切れない。

 

病んでいるんじゃなくて、悩んでいるのよ。常に不安がつきまとう。根拠の無いちっぽけな自信も、ちょっとしたきっかけで一瞬で崩壊する。その繰り返し。これをずっと繰り返してきた。多分これからも続く。

 

オワコンどころか、始まってすらいないこのブログは結局一度もバズる事無くしれっと終わるのだろうか。なんか最後は「統合失調症が治りました」とか「結婚しました」みたいな話で終わるのがカッコイイとは感じるけれど、「アタイの物語はどこかでまだ続いていく。いつか別の形でお会いしましょう 完」で誰にも読まれずに締めくくるのか。

 

8年近く続いたのは自分としては大成功だが、何かが引っかかるのさ。いや、ただ天候が悪いからこその一時的な気分の問題なんだろうけど。

 

最底辺から最先端を目指す、誰もが憧れる無敵の障害者。

 

そんな風になりたいと漠然と夢を抱いていたのに、実際は誰にも相手にされない障害者でも健常者とも言えない微妙な存在。

 

幻聴がこれじゃねぇと叫ぶ。

自我がどうしていいか分からないと嘆く。

 

グダグダになってしまったが、今回はこの辺で終わろう。結局6,000字近く書いておいて何が言いたいのか分からない内容になってしまったわね。ただ単純に刺激に飢えているだけなのかもしれないわ。

 

またしばらく更新の期間は空くだろうけれど、じゃ、今回はこの辺で。

 

読んで頂き有難う御座いました。

 

 

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