三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

公園に自由を!アタイに体力を取り戻せ!

このままでいいのだろうか。

 

雑談

最近、暇になると常にこのテーマが脳内を侵食する。「このままでいいのか」

 

一応年金は払っているものの、老後よりも今、現在、この場面が割と危機的な感じがしている。

 

「ヴァイトをしていれば最低限の暮らしはできるさ」確かにそうなんだよな。ええ、今現在のところは。

今年の7月くらいに引っ越すと同時にコロナワクチンをブチ込んだ。それでも倦怠感のみの症状が出るのみで、「しんどいな」と感じつつも5時間程度の勤務をこなせた。

 

毎年冬になると、必ず流行するインフルエンザ。

いつか交通事故に遭うかもしれないリスク。

或いは持病の統失が悪化して、廃人状態になるかもしれない。

 

まぁ中途半端に病気に苦しみながらも、常人を装ってヴァイトをし続けてきた。これがここ5年くらいの人生だ。

そこら辺のおっさんだって50過ぎても働いているのが現実だが、アタイの場合はどうなんだろうか。最近、そういうことを無駄に考えるようになった。

 

近頃お金に余裕を持たせるために、日曜から他所の店舗に応援に行ったり、勤務時間を延長している。それでも週の労働時間なんてせいぜい30時間行くかどうかと言ったところだ。もっと言えば、週に2日は休みがある。

 

それでも果てしなくしんどい。

大元を辿れば、デスクワークという業務が異常なくらいに退屈だったからこそ、事務員を辞めたのは理由の一つだった。

机でじっとしているよりも、色んな人間と接する接客業の方が楽しいと思い込み、職場こそ変わりながらも5年間続けてきたわけだが、気づけば20代じゃなくなっていた。そう、現在31歳だ。

 

白髪こそ多いものの、未だにタバコを買うときに年齢確認をされるくらい見た目が若い、又は幼いんだろう。ここはポジティブに捉えたい。

 

ところが、顔は別として肉体的にはどうだろうか。

卒論の締め切りに気合を入れるために食べた大盛りのカツカレーで具合が悪くなる

商品のJANコードが読みにくい(老眼っぽい)

手先が震える

ビニール袋が開けない(手が乾燥してきた)

 

などの「おっさん化」が進行しているのである。もっと言えば記憶力も低下している。

 

ボケるとか足腰が弱る こういった老化現象に対しては、ついこの間まで「だらしねぇからそういうことになるんだよ」ってマジで思っていた。

 

三原は悟る。

若さは永遠じゃなかったんだと。

 

無限の可能性を秘めた若者っていう齢じゃなくなったと、ようやく理解したわけだ。

 

目薬が、ハンドクリームが、のど飴が、、、こうしたものが無いと地味に日常に支障を来す年齢に差し掛かっていると気づいた。

 

三原は覚悟を決めた。

若返ると。

 

手段も予算も無いが、そう決意した。

メタボではないが、おっさん化の進行を食い止めねばならない。本能がそう告げている。

 

それと同時に、接客業が肉体労働の一種なのだと痛感した。

どうも仕事というのは6時間以内ならば休憩無しで働くケースがあるようで。労働基準法とかあんまり気にはしなかったが、先日の応援で6時間ぶっ通しで休憩無しの業務を終えて翌日はくたばっていた。

 

本当に疲れると12時間は平然と寝られるし、困ったことにそれ以外に何もできなくなる。

休みの日には自由気ままに読書とコーヒーを堪能しよう、そういった余裕がなくなる。

かと言って休憩時間が設けられても、拘束時間は増えるし賃金もその分減る。どっちもどっちだ。

 

体力までも衰えているのである。

 

女装子になってそれで少しは食っていけないかな、そういう中途半端な覚悟で臨み、今のところは「現在準備中」と言ったところだろうか。しかしながら身体を細くするために、筋肉の量を圧倒的に落としている。多分その辺の女子と対等に腕相撲で勝負出来るくらいにまで削ぎ落とした。

 

毎週木曜のヴァイトが無い日には銭湯に行くアタイだが、風呂上がりに乗る体重計では週を追う毎に500gずつ減量していっている。引越し前は58kg在った体重も、いまでは53kgになった。

 

食事の量が減ったのも理由の一つかもしれないが、筋肉って案外簡単に落ちるもんなんだなというのが本音でもある。あとは、実家では通勤の度に山を超えて駅まで向かっていたのが、都内に引っ越してからは平地で且つ短時間となったのが理由で筋肉が減少したのかもしれない。

 

いずれにせよ、華奢になったと言えば聞こえは良いが、実際のところは衰弱が加速しているだけに過ぎない。

 

何か運動をしないといけない。そういう危機感みたいなものが湧いてくる。

ところが残念なことに、近所にはやたらと公園があるくせにボール遊びは禁止とかフザけたことを抜かした注意書きをよく見かける。

大声で騒ぐのも駄目で、サッカーも出来ない。オマケにタバコも吸えない。

 

10年前の都内の公園事情とか知らんけど、ただの砂利の広場の脇に丁寧に植えられた花が咲き、水が飲める水道とベンチがある程度。さて、ここで一体何をどうやって遊べばいいのか?

 

運動というと、何となく強制的に「させられている感」があるので、個人的にまず取り組むべきことは「子供のように遊ぶこと」だと思った。

それこそアタイが小学生の頃は1時間は友達の家でゲームをしたら、その後公園でボール遊びか鬼ごっこ という流れだったのにな。

 

高校生くらいには公園でモンハンをやっている中学生みたいなのは沢山見てきたが、今の小学生くらいの子って何して遊んでいるんだ?

 

 

とりあえず木曜日、銭湯に行く前に公園を通り過ぎて図書館へ向かうと、三輪車に乗った子供を連れたアタイくらいの齢のお母さんを見かける。

 

雑木林で長めの棒を拾った時の無敵感を経験する要素が一切なく、どこまでも計算され尽くした都市計画の一部と化した23区内の公園では、母親達が世間話をしながら、子どもたちは三輪車をシェアするなどして、遊んでいる?のが実際のところだ。

 

なんというか、創造性が無い。仮に自分が5歳くらいに戻れたとしてこの子たちと一緒に遊んでいて楽しいのだろうかと絶対に悩む。

何か棒の一本でもあれば、地面にマスでも描いて「踏んだら死ぬんだぞ―」とかいう滅茶苦茶理不尽なゲームを開発したもんだが、公園には棒どころか、ゴミ一つ落ちていない。

 

図書館は静かで空いているが、地域性の問題だろうか児童書がウエイトの6割を占めている。一昔前に流行った漫画は大概揃えてあって、タダで読めたりするのがラッキーとか思いつつ、館内を見渡せば小学生でもグループで宿題をしに来ていたりするから驚く。

 

「お前、図書館じゃ騒いだりしたら駄目なんだぞ。全く、子供だなー」こんな会話を小学生がリアルにしている。うん、アタイもお前をお子様と認めたくないよ。だってアタイより頭良さそうだもん。SDGsに関する発表会みたいなものの資料を探しに来ていたのかな、アンタらのおじいさんくらいの世代が「大量生産、大量消費!!」とか言っているから資源も環境も失われて「持続可能な社会を目指していくことになってしまったんだよ」と言いたくなったが、多分子どもたちの方が良く知っていると思うからアタイはそれ以上の詮索はしなかった。

 

話は逸れたが、現代における公園って何をするところなんだ??

 

せめて一通りこなせば200kcalくらい消費出来るような健康器具だけでも導入してくれりゃいいのに、マジでベンチしか無いもん。

 

何?運動したけりゃジムへ行けよって、そういう時代になっちまったのか?

 

まぁそもそも誰かとボール遊びをするような相手がいないから、個人的にはスポーツウェアを着た状態で、昔やっていた武道の型を再現するか、遊具を駆使して適度に筋トレするのが目的なんだけどさ。

 

ただな、平日の昼間からいい歳した大人が公園で運動しているっつーのは、世間的にはほら、あれだよ。「この人普段何してる人なの?」ってなるじゃん。

それでその正体が「暇を持て余して運動不足を感じている30代職業学生且つアルバイトの、統合失調症を患った男性」と判明したら、通報モンじゃないですか。

それで同じ齢くらいのお母様方から「あの公園、最近変質者が出るのよ」なんて噂されたら、アタイは二度と社会どころか外に出られないね。

 

自宅で運動をするのも良いなぁとは思うんだよ。6畳一間の空間でヨガマットを敷いて何かする。っていうそれだけね。

 

幾ら住んでいる物件が鉄筋コンクリートでも、下の階の大家に物音は立てたくないし、もっと言えば未だに隣の住人の顔も知らないのにいきなり文句を言われたらたまったもんじゃない。

根本的に、好きで住んでいるこの狭い物件から気分転換がてら公園でリフレッシュしたいという欲求があるわけですよ。だから自宅で筋トレとか、やってもいいけれどあんまり面白くないのよ。なんせ休日は一日中家にいますからね。出かけないと、それこそ足腰が弱りますよ。

 

そこで、金がなくても出かけることができる。それだけが唯一の公園の取り柄だと思っていたんだけれど、1人で何かをやるってのがとてつもなく参入障壁になる。

 

今は割とYou Tubeで検索すれば誰かがアクロバットとか解説していたりするから、公園でそういう練習をしたいなぁと考えているわけですが、そこんとこどうなんでしょ?

まぁ教えている動画配信者自身が、人気の少ない街の川沿いとかで撮影しているくらいだからな、やっぱり居場所ねーんじゃねーの?

 

そうこう考えている内に、肉体は刻一刻と老化に向かっていく。アタイの近所には隅田川があって、リバーサイドを走れるようにはなっているけれど、極寒のこの冬にそれを実行する勇気は生憎持ち合わせていない。

 

 

ってなわけで

 

アクティブログ(活動記録)

一度書いたブログを中断して、ヴァイトに向かう。帰ってきてから続きを書こうとするとさ、なんだろうなその時の熱意というか考えていたものがぶっ飛んでしまって、残された詰まらない文章を完成させる気持ちというものがなくなってしまうのだよ。

 

前回のアップから、2回も3000字以上のブログを書いては中断してヴァイトに行き・・・ というのを繰り返していてさ。要するに2回もボツになった駄文があるわけですよ。それぞれ3000字以上ね。

 

何にしてもそうなんだが、アタイはまとまった時間がないとやりたくない人なんだよ。スキマ時間とか、そういうのが苦手。寝るなら寝る。遊ぶなら遊ぶ。働くなら働く。

 

だから今日みたいなガチでノルマの無い日は、徹底的に部屋を掃除することに全力をかけたわけね。床、水回り、玄関、そういうの全部よ。6畳しかないのに14時くらいまでかかってしまい、それから銭湯に行くわけ。

勿論自宅にも風呂はあるんだけれど、個人的な唯一の娯楽が銭湯なのよ。つーか一人暮らしで浴槽に湯を張るのは贅沢すぎる。あと掃除が面倒。

 

いつものシャワーは10分程度で済ます。これ言うとフォロワー減るけれど、翌日に何も予定が無い日の場合はアタイは風呂に入らない。限り有る資源は有効に使うのは、水もガスも同じですよ。そう、実はアタイ大の風呂嫌い。

 

それでも週1で銭湯には行く。なんだろうな、サウナと露天風呂が目的なのかな。行くと2時間くらいは入っている。カフェのコーヒー1杯が500円程度で滞在時間が小一時間だとすると、銭湯は480円だからお得かもしれない。気分の良さは次に風呂に入るまで持続するし。

 

コロナ禍だろうと、女湯からは世間話の声が聞こえ、男湯は「誰が一番大きな音を立てて痰(タン)を吐けるのかを競っている」のか、ってくらいに

 

クァァアアーッッッ      プェエェッッッ!!!!!

 

って、うるせぇの。

 

あれなんなんだろうな。動物的だよな。人間じゃねぇ。威嚇か求愛行動みたいな要素を感じる。壁を隔てた向こう側の女湯に対して「俺はここにいるぞー!!おおおーっ!!」っていうアピールなのかな。

 

入浴マナーに関してうるさく言ってくる古き良き老害はいないな。いわゆるヌシみたいな奴。

時間帯の問題なのかな。

 

そういうのがいないからこそ、どいつもこいつもいきなり浴槽に浸かったり、サウナから出てかけ湯もせずに水風呂に潜ったりするんだもんな。いい歳したおっさんのほうがそういう傾向があって、大学生くらいの年齢の人の方がしっかりしている。

もっと言えば徹底的に銭湯文化を予習してきた外国人の方が丁寧さを感じたりする。

 

もしかしたらアタイ自身も意図せずに不快感を与えているのかもしれないが(だって風呂に入らない日もあるもん)デメリットよりも、開放感の方が遥かに上回るので銭湯通いはしばらく続くだろう。

 

帰宅してからカレーを作り、酒を飲みながらKindleで読書をしていた。自分の理想としていた自由な時間なんて案外こんなもんしかないんだなぁと実感する。

誰よりも時間は有る方だと思っていたが、金が無いとこういうことになるんですよ。

 

年内フルで働いたら、とりあえず3連休はある。そうしたら元旦に一年の計を立てて、人間最大の資本である若さと体力を取り戻すとするよ。

 

今の所考えている目標としては、図書館とKindle、銭湯、コーヒーだけを武器に成り上がることだろうか。それに自由度の高い公園が加われば文句は無いのだが。。。

 

じゃ、今回はこの辺で。読んでいただきありがとうございました!٩( ᐛ )و

 

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