三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

理解できないが、何か良い。そういう感覚。

すごくどうでも良い話をしよう。

 

雑談

音楽性について。

このブログでは、たまに「spotifyで音楽を聞きながらコーヒーを飲んでくつろいでいます」みたいなことを書いてきた。

 

じゃあ具体的に何を聴いているのか。そしてどのような意義があるのかについて、ちょっと書いてみることにした。

 

一応好きなアーティストは、須藤元気さんがプロデュースする「world order」だ。人生で唯一パフォーマンスを見に行ったユニットでもある。しかしながら、最近はほとんど聴いていない。

いつでも聴ける様に、お気に入りリストに追加はしているものの、やっぱりあのユニットが本領を発揮するのは度肝を抜くような奇抜なダンスがあってこそで、動画でPVを見るのが一番だという結論に至ったからだ。

 

基本的にアタイは動画を見ない。唯一You Tubeで登録しているチャンネルが、このworld orderであり、今後もそれは変わらないと思う。

あの動画は何度見ても飽きないし、曲が何のジャンルに該当するのかは知らないが自分には合っている。

 

しかしながら、「普段何の音楽を聴くの?」という偶にある質問に関して「world order」と答えると、ほとんどの人は知らない。

5年位前はそれこそ毎日ずっと聴き続けていたが、そうしている内に最近何が流行っているのか?というのが分からなくなる「おじさん化」が進んできたので、今は興味が無くても新着の配信楽曲などを聴いたりはしている。

 

色々聴いてきて分かったのが、ピコピコしたサウンドのEDMがジャンルとしては好きなのだということ。これも該当するのか分からないが、邦楽だとパヘューム(perfume)はイケている。まぁどことなくworld order と似ているところがあるからなのだろうか。

 

個人的な音楽に対する解像度があまりにも低いため、曲は歌詞を聞き流す事が多い。いや、聞き逃すと言った方が近いのかもしれない。

要するに「ちゃんと聴いていない」

 

これは英語のリスニング問題に近く、真面目に聴いていても聴き取れないか、聴き間違えることがあまりにも多いのが原因だ。アタイ自身としてはそこら辺の奴より少しはボキャブラリーがある方だと勝手に思っていたが、どうも歌詞が日本語だろうとまともに聴き取れない。

 

英語のリスニングというのは、「自分の知っている単語しか聴き取れない」と、過去に大学で習ったことがあるにも関わらず、日本語の歌詞で知っている単語でも聴き取れないのは如何なもんか。

 

そのため、まともに歌詞を聞き取ろうとし、そこに何のメッセージが込められているのかを理解するのは相当に困難なのである。

だからミスチルの歌詞、いいよねー と言われても、アタイがまともに聞き取れるのは「ほうき星」くらいしかなくて、全然そこから先の話が広がらない。

 

結局アタイにとっての「音楽を聴く」という行為には、ただメロディを聴いて「あ、なんかいいな」と思うだけであって、「ここにはこんな表現が盛り込まれている、何の楽器を使っている、演奏や歌の上手さ」などは一切理解していない。

 

そもそも小学生の頃から授業で音楽を習い、それがアタイは高校まで続いたわけだが、いつも成績は悪かった。まず楽譜が読めない。何が「ド」で、何が「レ」なのかも分からない。というか、ドレミファソラシドって「ド」が二つあるじゃねーかよ っていうその違いすら理解していない。故に、絶対音感の何がどう凄いのかも何回説明されても理解できないし、究極的にはアーティストが歌っていることが「お前、何言ってるのかわかんねーよ!」という感想しか出てこないのである。

 

ここまで感性が鈍いと、サカナクションなんて到底一生懸命歌っているようには聞こえないし、B'z に至っては発狂しているのと区別がつかない。ラルクは格好いいなとは思っても、結局何を伝えたいのか分からない そういう解像度で音楽を聴いている。

 

従って、アタイ自身が音楽にケチをつける理由は無いことになる。だって、良し悪しが分からないのだから。自分の中にある基準としては「聴いていて気分が向上するかどうか」それだけなのである。

 

況してやラップなんて、マジで何を言っているのか聴き取れないし、韻を踏んでいるのかどうかさえ理解していない。かろうじて伝わったのがファンキーモンキーベイビーズだけで、あとは大体「なんか喋ってんな」くらいにしか思わない。そもそもこれは歌なのかどうかさえ分からない。

 

話のネタを広げるためには、こういうのが理解出来た方が良いのだろう。多分ブログの文章のリズムとかにも活きてくるのだと思う。

一度だけイベントで、ラップを体験してみよう みたいなのに参加した時、なんで皆がスラスラと韻を踏めるのかが理解出来なかった。そして、悪そうなヤンキーに見える格好をした奴らが達者な言い回しをするところに、真面目そうな三原はここでも「超えられない、勝てない壁」のようなものを感じ、落ち込むのであった。

 

 

アタイが一番聴いていたラッパーは、エミネムだった。lose yourselfとか特に聴いていた。特に内容を理解していないが、一時期は歌詞を覚えていたこともあった。でも結局彼の何が凄いのかは、あれから15年くらいが経った今でも理解していない。

 

先程、ジャンルとしてはEDMが好きだと書いた。まぁ聴いていりゃ嫌でも元気になってくる。あまり歌詞が無いのがまた良いのだろうか。

 

EDMのDはdanceのdだ。クラブで流れるような音楽なんだと勝手に思っている。なぜ想像なのかというと、結局一度もクラブに行ったことが無いからだ。

というか、何のためにクラブに行くのかが、これまた理解出来ない。

 

アタイの中でのクラブのイメージは、映画マトリックスとかで出てくる若者がホールで変な色の光の下で無秩序に酒やタバコをたしなみながら、踊るところだった。その影響なのか、なんとなくクラブには銃を持ったサングラスの奴がいる気がして、怖くて行く気にすらならない。

 

音楽性もさることながら、ダンスに関しても一切の才能は無い。変な動きは得意だが、曲に合わせて踊ることがまず嫌いだ。今の義務教育ではダンスが必修とか聞くと、改めて「ゆとり世代で良かったわ」と実感する。

 

だから歌とダンスに関しては、今後も一生分からないまま終わるんだろうな。メトロノームの意味すら理解していないし。

 

ちなみに唯一音楽っぽいことを真剣にやったのが、ヒューマンビートボックスだった。あの頃が一番動画を見ていたかもしれない。You Tubeを何回も再生して、マネして技能を習得していった。あながちYou Tubeだけで寿司屋になるってのも嘘じゃない気がしてくる。

 

楽譜がなくてもそれっぽい。楽器がなくてもどこでも演奏できる。金がかからない。人と違うことが出来る優越感。そういうのがビートボックスにはあった。

 

あまり人前で披露したことはなく、ただの自己満だったが楽しかった。そういう時代もあったのよ。

コロナ禍を迎えて「スタイリッシュに飛沫を撒き散らすパフォーマンス」は避けるようになり、そして引っ越したことで近所迷惑を考慮するようになり、ビートボックスはやらなくなった。

 

今でも音は出せるが、あの頃のようなリズム感とかは全部どっかに行ってしまった。自分の中での音楽はこうして終わった。

 

毎朝起床後にコーヒーを飲んで一服をし、パソコンかタブレットに向かう時に必ずspotifyで音楽を聴く。異国の民族音楽だったり、新進気鋭のアイドルだったり。

 

その時の気分を音楽で決める。そのために月額480円を払っている。しかし音楽の良さは金を払っても理解には程遠い様である。

 

 

 

ってなわけで

 

アクティブログ(活動記録)

前回何を書いたっけ?案外そんなことが思い出せなくてな。

確か原宿のカフェからブログを更新したんだったな。

それが月曜の18時くらいだったかしら。

一旦帰宅したのよね。何かを思ったのよ。「今日は一日贅沢をしたい!」ってね。

 

それで深夜でもやっている鶯谷にある銭湯「萩の湯」さんに行ってきたのよ。山手線でアタイのところから数駅くらいだけど、思いの外歩いても行けることがわかった。

この日は合計で12kmは歩いている。

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銭湯ってあんまり若い人いないのよね。だけどこの萩の湯さんは、都内でも大規模なサウナがある銭湯でして、年齢層が少し若め。とは言っても、メタボなおっさんかガチの筋トレオタク、そしてにわかサウナ―が中心。

 

アタイみたいなヒョロいのはほとんどこない。

とにかくサウナ目当て。そんな感じの銭湯。あと水風呂が広い。そしてメタボなおっさんが水風呂に潜って浮かんでいる様が、絶妙に人間味を失っていてなんとも言えない。お雑煮の餅が浮いているような光景かな。現実離れしているのよ。ああいうキモいおっさんには成りたくないわね、そうやって自分を反省させるのよ。

 

サウナの健康効果があるのか、メタボなおっさんでも結構肌ツヤが良いのよね。それがキモさを増すわけですよ。

 

深夜なのもあって、結構混雑していたわ。開店から8時間くらい経っているから、湯船にリアルに垢が浮いていたりする。おっさんはそういうのを気にしないのか、顔を湯に浸ける。

 

果たして銭湯は衛生的にいいのか悪いのか、結構難しいところがあるよね。プールみたいに塩素が入っているわけじゃないし。

そりゃあ理想としては、別府とか草津みたいな温泉に入るのが一番ですよ。それが出来ないから近隣の銭湯で脱日常を図るわけでして。

何百人も利用している銭湯でも、案外キレイにはしているのよ。そこは好感が持てる。ただ、湯船はきたねぇと思う。それでも嫌悪感よりも快楽の方が上回るのよ。なんだかんだ3時間は入っていたかな。

 

翌日はめちゃくちゃ調子が良かったよ。火曜の話。ヴァイトも疲れ知らずでフルに元気よく働けた。夜もぐっすり眠れた。

 

水曜の今朝は早朝に起きて、こうしてブログを書いたり本を読んだりしている。やっぱり朝の時間って貴重だわ。そう思わずにはいられないのよ。

 

まだ銭湯の恍惚状態が続いているのか、今は何もかもが美しく何でも許容出来るくらいに心身共に調子がいい。マリオカートでスターを使用しているくらいに自分が輝いているとすら思っているわ。

 

コーヒーが美味い。本が面白い。ブログを書く余裕がある。何を伝えたいのか分からないけれど音楽が心地いい。

 

これがずっと続けばいいのにな。

 

そうなのよ、この感情みたいなものには波がある。恍惚状態が終わると、急に何もかもがどうでも良くなる。ダルくなる。飯の味も分からなくなる。

 

そういう両方を行ったり来たりしているから、当然疲れる。

今「は」調子がいい。明日はどうなっているのか分からない。

 

明日は休みだから図書館に本を返却しに行ったり、役所に再び自立支援の手続きに行かなければならない。誠に面倒だけれど、恍惚状態が続くのならば楽しくこなせるし、逆に調子が悪くなれば夕方近くまで寝ているかもしれない。そんなもんですよ。

 

本を返しに行くのも面倒だから延長しようかな、とかそういう考えになりがちなのよね。

 

じゃ、今回はこの辺で。

読んで頂き有難うございました!٩( ᐛ )و

 

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