三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

自分の生まれた病院で33年ぶりに泣いた話

しばらくぶりでございます。

 

雑談

ふむ、何を話そうか。大分間を開けてしまいましたね。

リアルが充実してくると更新頻度が下がるのかもしれない。友達がウチに遊びに来て、一緒にコーヒーを飲んだりした後に鍋と酒を堪能するという、学生時代のノリの延長のようなことをしばしばする。

 

その辺のカフェでコーヒーを一杯注文すれば、ウチに遊びに来るのと同じ交通費くらいのお金がかかる。しかもそこまで美味いコーヒーじゃない。外食をすれば全員で4000円くらいするから、自宅でコーヒーを飲んで、鍋をしたほうが沢山食べられるし、安上がりだ。

 

たまたま自分も含めてお金が無い人達の集まりなので、自然とそういう集まりになってくる。せいぜい外食をしてもサイゼリヤだったり、飲みに行ってもせんべろ居酒屋なんかが真っ先に候補として出てくる。

 

基本的に金がない。それでもやりくりをして生きていかねばならぬ。

まぁ生きていける程度の最低限度の稼ぎとして、アタイは敢えてバイトの出勤日数を週3日にまで減らしてみた。結果、手取りは13万。贅沢をしなければ生きていけるというギリギリのレベルだ。

 

本来ならば週の残り4日ある休みを存分に活用して、ブログでも何でも良いから副業的な意味で月に5万円は稼ぎたい。そうすれば真の自由が手に入る。5万あれば家賃だって払えるし、大分貯金も出来る。

 

普通に考えれば、これだけ時間があるなら余裕で達成出来るだろう。三原は時間があっていいなぁと思うかもしれないが、どういうわけか出勤日に「次の休みはこれとこれをやろう・・・」と企てていても、いざ休日が来るとやる気が出なかったり急に体調が悪くなって、ほとんど何もせずにまた出勤日がやってくるというサイクルを繰り返している。

 

いい加減、趣味の一つである記録に関して、そろそろデータを有意義に活用出来ないものかと悩んではいるのだが、どうにも考えているだけで時間が過ぎる。というか、記録を付けることだけで満足しているのかもしれない。

 

昨日は休みをフルに使って、ChatGPTとも相談をしながら自分が如何に休日を有意義に過ごせるのか、目標というかタスクを作ってみた。課金をしていないからなのか、返答が地味に指示内容と異なるところに苛立ちを感じながらも、なんとか出来上がったタスクをstreaksというアプリに落とし込んで実行してみている。

 

要するにこれらのタスク(6つある)を4連休の内に見事消化できれば、自分は高みを目指せるわけなのだが、残念なことに結構難しそうなのである。少なくとも副業をするというのならば、常人以上の努力をしなければならないと思っているアタイは、4日間で30時間分のノルマを課している。ダラダラしていたらいつまでもタスクは終わらない。早めに終わらせないと出かけることが叶わない。

 

こうしてひたすら引きこもって勉強と作業に没頭する仕組みを作ったものの、それで良いのか疑問を抱いている。

 

 

ってなわけで、

 

 

 

アクティブログ(活動記録)

遡ること今月18日。これよりも前に母親から、石川県の特産品であるふぐの卵巣漬けを貰っていたので、この日にウチに訪問してくれた友人と食べている際の話だ。白子みたいな濃厚でクリーミーなものを想像していたら、見事なまでに塩の塊と大差のない味でガッカリしていたところ、母親から突如LINEで「お婆さんが骨折で入院した」と連絡が入った。

 

コーヒーも飲んでいたのだが、いつも以上に眠気がぶっ飛ぶ嫌なニュースだ。友達が脇にいるにも関わらず、すかさず親に電話をする。手術が必要らしい。

 

アタイはてっきり、せいぜい足にギブスをしてベッドで安静にしている程度を想定していたのに、どうやら大腿骨の付け根の方から折れてしまったらしく、かなりの大手術になるとのことだった。

 

孫のアタイとして出来ることは、せいぜい元気な顔を見せて励ますことくらいだった。まぁ死にはしない怪我なので、当初は「仕事をサボって婆様に会いに行ける」というクズ根性丸出しで、建前としては「緊急だから俺も行くよ!」と母親には電話越しに志願していた。

 

それからすかさずバイト先に電話をし、「忙しい時期ですが祖母が入院してしまって様子を見に行かねばならないので休ませてください」との旨を告げ、休みを貰う。

新幹線でお婆さんの入院する病院に向かう日は、バイト先の小売は特売日だったので絶対に忙しいその日を避けることがなによりも自分の中では大事だったからだ。

 

19日の日曜は普通に深夜まで働き、20日の早朝から上野発長野行きの新幹線に飛び乗る。

どうせ寝ても睡眠時間は5時間程度しか確保出来ない上に、寝たら起きられない予感しかしなかったので徹夜で朝を迎え、上野駅のカフェが6:30からオープンだったので、それに合わせて出発した。

 

母親とは7:30にカフェで待ち合わせ、8時の新幹線で長野まで一直線。「かがやき」という新幹線は停まる駅が極端に少なく、新幹線の中では作業をする間もなくあっという間に到着する。

医者からの説明があるために、午前中には病院に到着する。手術の同意書のサインや説明などを受け、レントゲン写真を見た時にはバッキバキに折れた脚の様子が素人目にも分かって驚いた。

 

18日の朝5時にトイレに起きた際に転んで骨折をし、救急車で運ばれたのは昼頃らしい。意識はあるし、ボケていないから近所の人に電話をして助けを呼んだみたいだが、手術を受けられるのは20日の17時を予定していた。

 

病院の待合で通話が出来たのだが、すぐ近くにいるにも関わらず面会が出来ない。距離にして20mも離れていないところから電話で会話をするしかないという、コロナ禍とインフルが流行っているご時世では非常につまらないものだった。

 

時刻はまだ12時にもなっておらず、時間があるから一度婆様の家に寄って必要なものを取りに行った。あれも必要か、これも必要か。そんなことを親と話しながら到着した誰もいない家は、まるで事件現場のあとの様に散らかっており、相当大変な思いをしたんだろうと察する。

 

まぁ二人で協力して荷物を用意するほど逼迫はしておらず、アタイは少し暇だったのもあって婆様の利用している共同浴場に行ってきた。ちょっと近隣を散歩して紅葉の少し残った山々を撮影しようとも思ったが、そこまで時間は無く15分だけ温泉に浸かって即戻ってきた。

 

 

隣のお爺さんに救急車を呼んでくれたり、助けてくれたお礼を兼ねた挨拶をし、その後はタクシーで街まで戻るつもりでいたが、そのお爺さんが車を出してくれて交通費がかなり浮いたことには感謝している。助け合いの精神って大事だなとしみじみ感じた。

 

17時には手術予定だから、その前後で麻酔科医からの説明を受けたあとに最後の同意書にサインをしてから手術開始!となるはずだったのに、この時点で誰かの手術が長引いたのかトリアージされて急患が入って順番がズレることになったのか、19時に変更になった。

 

延々と待合で待機しているが、予定が明確にならないまま何かを作業をする気にはなれず、少しイライラし始めていた。病院から歩いて5分ほどのコンビニには喫煙所があったが、山間部にあるこの街では気温が5度程度で非常に寒く、一服するにもかなりの労力が必要だった。

 

近所にドトールみたいなカフェチェーンでもあれば長居をするのだが、田舎なのでそんなものもなく、病院以外に居場所がない。わざわざ苦労してパソコンまで持ってきたのに、何もやる気が出ない。

 

そうこうしている内に19時となり、看護師が駆けつけて「30分ズレます」との報告。いい加減にしてくれよ・・・とキレそうになりながらも、やっぱりどこも人手不足で大変なのを察して怒る気にもなれなかった。徹夜なのもあって疲れていたからなのかもしれない。

 

そして19:30になると再び「申し訳ございません、20時になりそうです」と伝えられ、ここまで来るとホテルを予約した長野駅まで戻る電車があるのか心配になってくる。

 

大体20時くらいになると、若いのに目が充血していて如何にも過労な雰囲気を出している麻酔科医と執刀医がやってきて、最後の手術の説明に入り、ようやくサインをして手術が始まろうというところまで来た。

 

病室から治療室へと移動する廊下で、2分だけお婆さんと話せた。何か麻酔を打っているのか、特に痛がってはいなかったが、弱った身体がやけに可愛そうに思えてしまって「退院して歩けるようになったら大好きな寿司を食べに行こうな!!」の一言が口から出なかった。

 

心のない言い方にはなるが、頑張るのは医者達であって、当人は麻酔で寝ているだけだ。それでも「頑張れ!」くらいしか声がかけられず、アタイは泣いていた。笑顔で元気な孫の顔を見せて励ますために来たようなもんだったが、泣き顔しか見せられなかった。

 

しかし早朝から医者の説明を受けて、ようやく手術をしてもらえるのが20時。一体医者は何時間働いているんだよ。頭が下がる。麻酔科医も執刀医も疲れ果ててボロボロだ。失敗の許されない仕事。ずっと病院で待機をしていても2分しか顔を合わせられない辛い現実。

 

流石に手術後までは待機していられなかったので、お婆さんの顔も見られたことでちょっと安堵し、母親とアタイは長野駅に移動をすることに。ちなみにお婆さんの入院している病院は、アタイが生まれた病院でもある。

 

駅前の海鮮料理屋で寿司とか刺し身の盛り合わせを注文し、いつもより美味い酒を飲みながら食事を堪能していても、この最中にも手術は続いているのだと思うと、素直に食事が楽しめなかった。

 

大体一通り食べ終えたところで母親の携帯に着信があり、手術は無事に終わったと医師から報告を受けて一日の疲れがようやく取れた気がした。

婆様も骨折から2日経っているのに、よく耐えたなぁと尊敬している。

 

随分と長い一日だった。ホテルに着き、喫煙所で一服してやっとの思いで寝られる。

 

翌朝はホテル近くのカフェでモーニングを注文した。ネルドリップと思われるまろやかな味わいのコーヒーが温かくて、妙にほっとする。久しぶりにまともな朝食を食べた気がした。

 

さっさと身支度とチェックアウトを済ませ、お婆さんのいる病院まで電車で向かう。術後のお婆さんは思ったよりも元気そうで「また正月に遊びに来いな」と言ってくれた。今回は15分ほど話せたと思う。もうリハビリを始めるらしい。

 

しかし高齢者の大腿骨が折れるというのは、治療が完治しても多くは歩行器を使っての生活、酷ければそのまま寝たきりになってしまい余命は2年くらいと医者からは言われていたのが引っかかる。

 

また何かあったら駆けつけるから!と話して別れを告げ、ご当地スーパーのTSURUYAで1万3,000円分くらいの食材と調味料を買い付ける。そして長野駅に戻ってくるなり、駅ビルのそば屋でランチをし、新幹線で東京へと戻る。

 

 

急遽20日に休みを貰ったために、21日の火曜は遅れてもいいから出勤してくれという店からの命令だった。まぁ手術の同意書を書くに当たって親だけではダメな書類もあったから、休ませてくれた店には感謝はしている。

 

新幹線が上野に着いてから荷物を持ったままアタイは職場に向かった。

 

 

アクティブログ2

24日は友人の誕生日で、自宅に招待しました。駅前で待ち合わせてからシーシャに行き、そして自宅で誕生祝い。喜んで貰えたならこれ幸い。素敵な一年となりますように願っています。

その翌日は別の友人二人が夕方に訪問。高い日本酒を持参してくれて、お礼に近所の銭湯へご招待しました。とても楽しかったのだが、後日になってから脚にグミみたいな出来物が生じて引いている。

 

それから3連勤のち、久しぶりに4連休。

昨日は昼過ぎに起きてから洗濯をひたすらし、夕方からチョコザップに。ようやくスターターキットを入手出来て、体重計を持って帰れた。ちなみに体重は61kg.

以前銭湯で計測した時は58kgだったので、随分と太ったなぁと実感しております。酒の飲みすぎかなぁ。

 

夜はずっとchatGPTを使いながら自分を高めるためのプログラムみたいなものを練り上げていました。ちゃんと達成出来るように努めます。

 

今日は友達の家にパソコンを持ち込んで作業しています。近所の中華料理屋がとても美味しかった。幸せ。さぁ、午後も頑張るわよ!٩( ᐛ )و

 

じゃ、今回はこの辺で。

 

 

 

☆=====三原さんが他にやっていること=====☆

 

無類のコーヒー好きのアタイが、ガチでコーヒー「だけ」を語る。三原さんの新たな領域!

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