三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

自分で決めた目標も達成出来ないくらいに能力が低い自分へ。

気温は昼には20度もあったらしい。

 

雑談

現象に対する言葉があると、それ以上深く考えなくなる。

 

純粋に年齢を重ねていくと体力が低下したり、足腰が弱ってくる。これを一言で言うならば老化や衰えが該当するだろうか。

 

じゃあもう33歳でEDで統失みたいな境遇にある自分は、どうなんだろうと。グーグルフォトが過去のアーカイブを自動で作成してくれる。暇な時にこれを見ていると、懐かしさよりも昔は随分とアクティブだったなぁという悔しさのほうが上回ってくるのはアタイだけだろうか。

 

貯金ならば少しだけあり、時間は人生でも今が一番有り余っている。暇で人生を浪費している感が否めなくて、それを回避すべく常に頭の中では「このままじゃヤベェ」という焦燥感で満たされている。確かに行こうと思えば、毎週4連休あるのだから旅行くらいできる。

 

それを実行すると、その後どうなるのかあまり分かっていないから不安になる。貯金というのは想定外の出費に備えておくべきものであると思っているし、もしかしたら来月には持病が重症化して働けなくなることだって十分にあり得るからだ。

 

 

 

ちょっと自宅を出て大通りに出るだけで今日も誰かが必ずスマホを凝視している。感覚的にはSNSかゲーム、動画の視聴のどれかに9割が当てはまる。そんな狭いディスプレイでコンテンツを消費しても面白くねぇだろうよ、とはいつも思っているのだが(というか、個人的に下町は自転車の往来が多い上に路地だらけなので、スマホを見ながら歩く勇気がない)5Gがそれなりに普及した現代の恩恵ってこんなしょうもない世界だったのかとかなりガッカリする。

 

なんだろうな、メンタルに余裕がないから娯楽を素直に享受出来ないのだろうか。別にお金が無くてもYou Tubeくらい見られるし、SNSだってチェック出来る。でもそれをわざわざ外出先でもやる必要があるのか。

 

山手線を使って職場の最寄り駅を利用していると、並行している路線には稀に伊豆の方まで向かうのだろうか、特急が走っているのを見ることがある。平日に旅行が出来るのは学生の特権だと思っているが、車窓から確認出来る座席の乗客は窓の外には目もやらず、ただ俯いているだけだ。まぁスマホをいじっているのだとは簡単に推測出来る。

 

晴れていて、行楽日和。進行方向から左を見ればスカイツリーがバッチリ見えるのに、そんなものはもう見飽きていますよ、ってくらいに興味が無さそうだ。確かに乗車から降車までずっと窓の外を見ていても全部記憶出来るわけでもないし、飽きさせない風景がずっと用意されているわけでもない。折角の旅行なのに、いつでも見られるようなコンテンツに夢中になっているのもどうなのかという感覚を久しぶりに思い出した。

 

思い出した、というのは自分にも心当たりがあったからだ。自分が小学生の頃に折角家族で旅行をしているのに自分は特に興味も無さそうにゲームボーイポケモンに熱中していたからだ。自分が大人になってから海外へ旅行なんて叶わなくなったのに、あの当時はそれが当たり前だと本気で思っていたのだ。

 

また親にどっか連れて行かれるのかという消極的な印象の方が強く、自分が大人になってから自力で稼いだお金で国内の様々な場所を好き勝手一人で旅行している方が何倍も楽しい。ちゃんと大人になれたのか今でも自信はないが、子供の頃にあれだけ婆ちゃんに依存症になるんじゃないかと心配されたゲームは一切しなくなったし、アレルギー症状が出るくらいに動画は大嫌いなのでテレビも一切見ない。

 

悠々自適に余生が過ごせる老後が約束され、それが実現していて尚且つ足腰が弱っていたらずっと動画ばかり見て死ぬのを待つかもしれない。根本的に何事においても受動的なことが大嫌いなので、取り組むからには主体性があったり、自分なりに意義が見いだせる物事の方を好む。

 

それにしてもこんな年齢でも案外、たかが映画を見ているだけで目が霞んできて涙が出てきたり(内容がアクションだろうと)、薬の副作用で手が震えてひどい場合にはタイピングすらまともに出来なかったりする。

 

これに加えて近頃はあまり本も読まなくなったので記憶力も衰えるし、酒ばかり飲むようになったから太るし、歳月を重ねるごとにどんどん自分はだらしなくなっていく。

 

こうもダメな人間になってしまったのは一体何が原因なのだろうと自分年表を振り返ってみると、どうも社会人から大学生になったのを機に道場を退会したのが大きいと感じた。事務員の頃は障害者雇用だったので、就業時間は一日7時間労働を週5(土日祝休み)だったと記憶しているが、あの当時はひたすらアカシジアという脚がムズムズする症状が続いていて、加えてずっとデスクワークだったので何か大暴れしたい衝動に駆られていた。

 

仕事終わりに近所の道場に行き、日曜もサザエさんが始まる頃にはガチで全日本選手権の優勝候補を相手に戦っていた(一度も勝てないどころか、技を当てた経験もない)くらいだから、相当な運動量だったと思う。そんなハードな生活をしていても意外とエネルギーは余っていて、年に資格を3つ取った年もあったし、今の生活と比較すると生産性が段違いで自分でも驚くほどだった。もっと言えばブログの更新頻度も今よりずっと高かった。

 

大学に入ってから2年くらいはその運動していた頃の名残があったからなのか、まだ体力も集中力もあって本も年間100冊以上は読んでいた上に日本一忙しいパン屋でバイトをしていたのに、気付いたら公園で小学生相手にサッカーで負けそうになったりするくらいに衰えていた。

 

道場は会費が月額3,000円だったので、今思えばチョコザップより安い。そして今頃になって「あのまま続けていりゃ良かったな」と少し後悔している。

 

 

ただ、それが出来なかった理由としては接客業の業務内容が想像以上にメンタルを削るところにあったと思う。いざとなれば客なんぞぶっ飛ばせるぞという全能感も、想像を絶する馬鹿を一日中相手にしていると流石に参ってくる。これで疲れて道場に行ったら間違いなく身が保たないと判断して、バイト以外の日は基本的に寝るか読書か自習をして過ごしていたらコロナが流行り始めた。

 

人々が忘れつつある、あの当時の緊急事態宣言によって外出の自粛を余儀なくされ、バイト先も休業状態に入ったので今の小売業に転職したわけだ。この時「あ、用事って思ったよりも外でやる必要がないんだ!」という合理的だが味気ない人生が始まり今日まで続いている。

賃金は増え、職場はめちゃくちゃ暇で楽だったので、ちっとも消耗しないが何も楽しくない人生がスタートし、一人の友人と共に大学を卒業した後は職場を異動するまで孤独で一人6畳のアパートで悶々と悩むことを繰り返し、ここまで来るとかつて道場の師範と本気でぶつかりあっていた闘争心というか牙はすっかり抜け落ちてしまい、完全な腑抜けになるどころか、まさかここまで肉体的に衰えるとは想像していなかった。

 

老化とか衰えという言葉を使うと、今まで出来ていたことが出来なくなってもなんとなく許されるような感じがする。それこそ甘えに近い。もう一度8年位前のバイタリティを取り戻せたら、何でも出来るは言い過ぎだが、可能性は広がると思う。要は若さを取り戻せたらなぁ、という願望だ。

 

では、一体若さとはなんなのか、改めて考えてみると疲労からの回復が早いところにアドバンテージがあるのではと思うわけだが、ここまで闘争心がなくなってくると今まで無かった気力が更に失われて行って、今はまだ「自力で稼ぎたい」という攻めの野望があってもその内に「如何に消費をしないか」という守りに入ってしまうのではないかと勝手に心配している。

 

 

 

そうは言っても、一体今日は何をした?ダルくて不調で、ウダウダしていたら一日が終わりそうになっている。自らの老廃物が蓄積されて薄汚くなってくる。最後に風呂に入ったのは一昨日の朝だったか。久しぶりに浴槽に湯を張って入浴剤まで入れて浸かっていたら汗が出てくる。ヒアルロン酸だかが配合されていて、この湯が唾みたいに糸を引くのが最高に不快だった。それでも我慢して1時間入り続けながら、スマホでブログを書いてみようと試みたものの、どうも文章にキレがない。

 

汗を出してデトックスした気分になり、風呂上がりに水を飲んだら目眩がしてくる。そしてとてつもなく身体が重い。そんなに太ったか?そんなに今日は体調が悪いのか。

 

なんとか食事を終えて、意地でも今日中にブログを書いてやろうと意気込むが、どうにも能率が上がらない。ここまで何度も書き直している。

 

思えばどうしてそんなに働いていないのに疲れているんだ。最低限のレジ打ちと品出しだけでギリギリ飯が食える今の働き方の何が不満だ。いつまで持病が、体調が、と言い訳をしている。明日こそは、明日こそは!来週の連休こそは!くそ、今週も生産性が発揮出来なかった!

 

いい加減気づけ。これが自分の実力なのだと。これが自分の本気だったんだと。認めたくなかったんだ、その事実を。本気でやればもっと高みを目指せる、今までは実力の20%も発揮していなかっただけなんだと言い訳がしたかった。真の意味で障害が克服出来ると思っていた。「夢の自販機」さえ完成すれば、一旦はそこがゴールなのだと目標を打ち立てた。それでも頑張ろうとすると決まって翌日は体調が悪くなる。一生頑張れないまま終わるのかよ。私の人生は100人に1人が患う精神病によって台無しとなりました、来世に期待しましょう。そう言われて「ああ、そうですか」で終われるか。もうレールからは脱線しちまって、普通の人生は歩めないんだよ。だから誰にも真似出来ない人生を送るしか手段がなかったんだ。このまま皆と同じ目的地に向かうならば、自分だけが快適に生きていける安住の地を見つけるのがせめてもの救いだろ。こんなんなっちまったけれど、まだ自分には「可能性」があると本気で信じているから、自殺もせずに今日まで生きている。頼むから頑張らせてくれ。死ぬまで努力をさせて欲しい。だから数字で優劣をつけることのない世界へ導いてくれ。視野の狭い世界で夢だけを見せつけられるのはもう勘弁だ。誰よりも時間はかかってもいいから、納得の行く人生にしたい!やれば出来るってことを証明したい!多分・・・これが人生最後のチャンスのような気がするから・・・・。

 

 

 

アクティブログ(活動記録)

そうは言っても身体が動かない。思い出すのもおぞましいくらいに、恐怖と不幸しか無いような夢をみたせいだ。目覚めたら汗だくになる、こんなことがリアルにあるのか。10時くらいに友人から電話がかかってきて起きた。家に遊びに行く予定だったのだ。こんな夢でも、珍しく朝起ちしていたのは意味が分からない。いずれにせよ身体が動かない。冬季特有の硬直の症状かもしれない。なんとか起き上がれるようになったのが13時頃。なんだよ、一日の半分以上が終わっている。

 

気温を確認すると昼間は20度もあったらしい。出かけるには最高の天気だったが、夢のせいか今日は家から出ると不幸な目に遭う予感がしたので、自宅で大人しくしていた。単純に気の持ちようだとは分かっているが、何か本能とかそういう上手く説明出来ない部分で嫌な感じが続く。

 

日頃はあまり自分が頭をおかしいと自覚しておらず、そういった齟齬から他人と会話をしていると度々会話の流れがおかしくなることがある。今日に関してはどんなに頑張ってコミュニケーションをとろうとしても、間違いなく疎通が出来ないと判断したので、別の友人からの誘いも断らせてもらった。

 

多分どこへ出かけても誰かとトラブルになるような予感しかしなかった。現に腹が減っても近所のスーパーに行くことすら出来ず、風呂から上がって少し感覚がまともになると自覚出来るまでほとんど何も食べていない。実はそれまでにブログを2,000字程度のものを2本くらい試しに書いてみたのだが、どうも面白くないのに加えていつもみたいにスラスラ書けない。昨日そんなに頭を使うことがあったかすら思い出せないが、LINEの全員通話みたいな機能で既に言葉が上手く出てきていない時点で「脳が麻痺してんな」と気付いていたが、まさかその翌日にこうなるとは思っていなかった。

 

こうなるとしばらく元には戻らないのが経験から分かっている。2週間くらいかかるだろうか。その間にもバイトに行ったりしなければいけない。そして理由も分からずクレームが発生する。反省はするが、理由が分からないから改善の仕様がない。脳が麻痺するとそういうことが起こりうる。

 

あと2日休みはあるが、一体自分はどうなるのだろうか。できるだけ接客業を止めたい理由の一つが、意図せず誰かを困らせることがあるからだ。というか、脳が麻痺している時に人前に出るのは自分にとっても世界にとってもよろしく無い。なので自宅でも稼げる方法を模索しているわけだが、ただでさえ仕事が遅いのにもっとパフォーマンスが落ちているのだから本来は頑張っちゃいけないのかもしれない。

 

なるべく支離滅裂にならないよう、細心の注意を払って書いているつもりではあるが、今の頭の中は夢と現実の区別がつきにくい朦朧とした状態に近似している。二徹したくらいの感覚といえば近いだろうか。

 

明日はどうなるのやら。努力をすることも容易じゃない現実と、あっという間に過ぎ去る時間の残酷さに疲れているのだろうか。過程を楽しむほうにウエイトを置いているが、結果も出していないのに休んでもいいのかと問いかけ、ゆっくりと休んでいられるメンタルの余裕すら失っている。

 

 

 

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