三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

実力でマウントが取れるような職場で働きたい(願望)

やる気と目的さえあれば、少しは動くんだよ。

雑談

お試しプログラマー生活二日目、と言ったところだろうか。

もうここまで来たら稼げるとか以前に、職に就けるかが一番の問題となってくる。

 

まぁ目的というか目標が出てくれば、ちょっとくらいはそれに向けて頑張ろうという気になってくる。駄目だったらそれはそれでヨシと割り切る。

いつまでも無職を謳歌している場合じゃない。十分休んだだろう、遊んだだろう、楽しい思いをしただろう。ここから寿命で死ぬまで、長い労働を続けていく覚悟で三原は立ち上がる。

 

 

 

ちょっと今後のビジョンを書き出してみたい。

まずアタイはエンジニアになるに当たって、何の資格が必要なのかを調べた。一番根底にある基礎的な位置づけの資格が、国家資格であるITパスポートだと分かった。これも試験日なんかを調べていくと、都内では至る所で毎週のように開催されている。流石に申し込みは早めにしておくべきだが、目安として勉強時間3ヶ月を見積もりたい。

 

直近のプライベートな予定としては、明日(誕生日でもある)にハロワで失業保険給付の認定日がある。職業訓練校についても調べていたアタイは、通学のある日に認定日が重なった場合はどうなるのかを必ず訊いておきたいところだ。

 

そして次の週辺りに頭の病院がある。薬の残りのストックを考慮しつつ、訓練期間3ヶ月の間を通院せずに済む方法を模索したい。アタイは服用する薬は少ないが、3ヶ月に1度向精神薬の注射をブチ込む必要があり、多分次回がその機会だったと思う。

 

医者との相談を踏まえて、訓練校の説明会に出席、そして応募、面接となる。やる気があっても訓練校の時点で落ちることも有りうるのが怖い。合格すれば晴れて6月3日から通学になるんだけれどなぁ。

 

通うことで即戦力や、同じような志の人達と関わることが出来る・・・と、あまり大きな期待はしていないが、募集年齢が35歳までなので、これが人生最後の職業選択となるかもしれない。

 

というか、完全に独学だけである程度の資格を取れば雇って貰えるのか、その辺が良く分かっておらず、訓練校に通えたらスキルの習得に留まらず、履歴書の添削や模擬面接の練習なんかも出来るのを考えると、かなり分が悪いことになってしまう。

 

そもそも面接の為に着ていくスーツや革靴すら無いという現状であり、最後の貯金をはたいてこれらを購入するのも躊躇してしまう。大体こういうのって、募集要項に「面接時、服装自由」とか書いてあっても暗黙の了解で皆スーツを着てくるから腹立つんだよな。

幾らアタイの普段着が白のワイシャツと黒のパンツと決まっていても、流石にリクルート面まではカバー出来る服装ではないからね。

 

だったら必要なときだけスーツを借りた方が安上がりじゃないかとも思ったんだよ。ジャケットだけはあるけれど、これは明日が誕生日なのでクリーニング屋に出すのを忘れないようにしないと。(バースデー割引がある)

 

 

ちなみに今日やった、今後に向けての活動はITパスポートの公式サイトから全ての過去問をダウンロードし、最も新しい試験問題を一通り眺めてみただけである。今の無勉強状態の知識だと、3割くらいの回答は出来るかなーと言ったところ。

 

アタイがドラッグストア時代に取得した(医薬品)登録販売者の資格と同じくらいの難しさだと、資格偏差値を出しているサイトで判明した。うーん、3ヶ月あれば行けるかな。

 

もはや仕事が向いているかどうかではなく、やるしかねぇんですよ。持病や薬の副作用であれが出来ない、これが出来ない・・・そういうのが沢山出てくる中で、なんとか出来そうで一番稼げそうな仕事がこれだと判断したんです。

 

止めるならば今のうちだぜ。

 

 

 

ってなわけで、

 

アクティブログ(活動記録)

5/7:

アタイが33歳である最後の日。と同時に、おばあさんの誕生日でもある。

回りくどい言い方だが、今日はおばあさんの誕生日、明日はアタイの誕生日なのだ。

 

冬に自宅で転倒して足を骨折して以来、退院後は老人ホームに入居したらしい。久しぶりに電話で誕生日のお祝いの言葉をかけてみたら、元気だった頃に比べてずいぶんと喋りが遅いなぁと感じられた。87歳になったのかな? Xで90歳でもマクドナルドで働く御老体という投稿がバズっていたのを見たが、年上の方が元気なのが解せない。アタイのお婆さんがマクドナルドで働く姿なんて想像出来ないもんよ。

 

ちょっとずつ筋トレや知能の訓練をしていけば、あんな風に働ける日が来るのだろうか。アタイはろくに年金も納めていないし、貯金も底を尽きかけているので失業保険が切れて、それこそ働けなくなったら生活保護にでも頼らないと人生が終わりだ。

 

そう考えるとおばあさんよりもアタイの方が先に死んでしまいそうなくらいよ。ほんの10年くらい前ならば世間的には老後の心配だけしていれば良かった記憶があるのだが(自分は将来の心配が優先だった)今じゃ誰もが目先のことだけを考えるようになってしまったように感じる。その日暮らしとまではいかないが、来月の給料が貰えなくなったら食うに困る「その月暮らし」の世帯は多いのではないだろうか。

 

 

肝心の給料日が来たと思ったら、クレカの返済でほとんど無くなる。そういうのをどこの職場でも目にしてきた。少なくとも支出額さえ把握していれば、返済のためのお金が足りない!という事態にはならなさそうだが、案外そんな簡単なことも出来ない人はたまにいる。

 

かく言うアタイも基本的に支払いはクレジットカードであり、給料日の直後の引き落としが来ても2万くらいは残るようなお金の使い方をしてきた。大学の学費を全て払い終えた後は、特に欲しいものが無かったので必然的に余ったお金をタンスに貯金していて、そのお陰もあって今もなんとか生きていられる。

 

そうは言ってもお金持ちとはほど遠いから、失業した当初は「余命3ヶ月か・・・?」と発言していた。こうして失業保険が降りるのは実にありがたいことだが、改めて生存確率で考えてみると年明けにおばあさんとアタイのどっちが豊かなのかを想像すれば、おばあさんの方が圧倒的に強い。

 

「あんたの嫁の顔を見るまでは死ねないんだよ」とかつて、おばあさんは言っていたがアタイが一向に結婚する気配がないので、おばあさんは今日まで生きているのだと思っている。結婚や彼女はおろか、仕事すら今後どうなるのか分かりゃしないのに。。。

 

 

 

広い意味でエンジニアになるにはどうすればいいか、関連書籍をKindleで読み漁り、ITパスポートの過去問を全てダウンロードしたところで満足していたアタイ。夕方にカレーを作り、一人で黙々と食べていた。この一人暮らしのお陰で格段にカレーを作るスキルが向上したと思う。

 

 

 

あまり最近コーヒーや銭湯の話を最近しなくなったが、コーヒーに関しては自分なりの淹れ方が確立した上で、あらゆるカフェのドリップの仕方がほぼ誤差なく忠実に再現出来ることが分かった。沖縄の友人に差し上げた KOFFEE MAMEYAの豆をアタイもストックしていて、今日はどこかスッキリしない天気だったので、試しに店員に教わったとおりに抽出してみたのだが、時間もお湯の量も完璧に出来たときはマジで自分が天才だと思ったくらいだ。

 

ただ、今回コーヒーを淹れながら思ったのは、同じ人間でもコーヒーへのこだわりも様々だし、人によってはいちいちドリップするのが面倒だと感じることもあるんだよなぁという点。

 

楽しんで平然と、しかも誤差なく抽出が出来るのを自分では当たり前だと思っていたが、見方によってはこれも才能なのかなぁと。結局、仕事が続けられるかどうかの大きなポイントとして、やっていて苦痛じゃないか、そして取り組む内容に面倒だと感じずに働けるところに着目した方が良さそうに思えた。

 

それこそ不定期更新ながら、ブログだって書くのが苦痛だと思ったことはほとんど無いし、一日の活動内容をノートに詳細に記録しているのも、自分にとっては当たり前だが普通はそこまでしないんだよなぁと気づいた。

 

その一方で、風呂に毎日入る行為はありえねぇと本気で思っていて、食事も栄養さえあればそこまで美味くなくても良いと割り切っているくらいだ。金のかかる趣味なんてコーヒーくらいなもんで、何かをコレクションしたり推しを応援する心理はどう頑張っても理解が出来ない。

人それぞれだな。コーヒーだって見方次第では「おっさんが好む口が臭くなる苦い飲み物」という認識もあったりするだろう。

 

それでも特に抽出することに抵抗がなく、毎日欠かさずドリップをしてきたからこそ、今の腕があるわけだし、仕事に関しても本来ならばこのくらい当たり前に出来れば、そんなに憂鬱ではないかもしれない。

 

大概の仕事が嫌になる理由の一つとして、地味な困難があるから辛くなってしまうのではないかと考える。多分だが、少人数の小学生にひたすら算数のドリルを解かせるだけの仕事だったら、特に問題は起こらないだろう。苦労するのはひっ算のやり方を教える時、教えても分かってくれない時ぐらいなもんで、あとはずっと計算問題を解いているのを見守っていればいいからだ。

 

ただしこういう仕事は、ほぼボランティアに近いか、或いはとんでもなく給料が安い。世の中のおかしいところは、専門的な仕事ですらもそれ一本で食っていけないような職業が沢山存在することだ。そうなると理想的な仕事というのは、個人的には口笛を吹きながら出来るくらい余裕でこなせるけれど他の多くの人にとっては苦手とする物事かつ稼げる仕事が良い様に思えてくる。

 

 

自宅にコンピューターが導入されたのは小学4年生の時で、せいぜいペイントと画像一枚表示するのに5分くらいかかっていたインターネットくらいしか出来なかった。もっと興味を持ってあの当時に「コンピューターってこんなことが出来るんだ、すげぇ!」と魅力に取り憑かれていたら、すんなりとプログラムが組めて何か能率を上げるようなことが出来たかもしれないが、そうじゃなかった。

 

コピー用紙に落書きばかりしていて、そういう絵は少し上手くなっていったが統失を患って手が震えるようになってからは、ほとんど絵を描かなくなった。

 

誰一人今の自分がコーヒーを淹れることだけは上手くなったと予想した人はいなくて、要するにこれからパソコンを仕事にするにしても、やるからには余裕を持ってこなせるくらいになりたいな、と妄想している段階である。

 

まぁこういうのは、まだやったことが無いから甘く見ているのであって、実際にコードを入力し始めれば全くワケが分からず3時間くらいモニターを見つめたまま一人で勝手にイライラして喫煙ばかりすることになる未来は予想出来る。

 

そもそもアタイが完璧主義を目指す理由としては、100点を目指したつもりで取り組んでも結果として6,70点くらいになってしまうからである。

 

「試験は6割取れれば合格」「提出する資料やレポートは7割くらいの完成度で良い」と、こういう耳あたりの良い発言が許されるのは優秀な人だけだ。

「じゃあアタイもギリギリで合格出来るくらいの点数でいいや」なんて割り切ると、最悪赤点だったり、単位を落として留年なんていう冗談じゃ済まないことが起こり得る。そこで最初から満点を目指すことで、どうにか70点くらいが取れるという理屈なのだ。

 

何度も提出や失敗が許されて、しかもその度にフィードバックが得られるのであれば「まぁこんなもんでええやろ」で、気楽に取り組むのだが、試験も資料も多くは一発勝負である。「来年もまた受験出来るから・・・・」というのは、言い換えれば人生の寿命1年分をその目的の攻略のために再び時間を割かねばならないことであり、合理的に考えれば無駄に近い。

 

だからこそ、やらなくて良いことは徹底的に省く。しかしそこまで能率を上げても結果は7割の得点なのである。試験には受かったが、「やはり自分は馬鹿なんだ・・・」と素直に喜べないわけだ。

 

 

将来的に働くに当たって、就職先が大手かどうかで威張るのではなく、仕事内容が簡単過ぎて職場でマウントが取れるくらい余裕がある逸材になりたいもんです。

そういう考えがいつも職場のオツボネや昭和生まれの上司をイラつかせて居心地が悪くなるのがアタイのいつものパターンだけどね。

 

じゃ、今回はこのへんで!٩( ᐛ )و

 

 

☆=====三原さんが他にやっていること=====☆

 

無類のコーヒー好きのアタイが、ガチでコーヒー「だけ」を語る。三原さんの新たな領域!

www.rokujo-coffee.net

 

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