三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

考えていないで、それをブログにアウトプットすりゃよかったんだ。

10年前から何も成長していない。

 

雑談

さーせん、15年前からでしたわ。

つまり高校生の頃から。

 

「あの頃はよかったなぁ」「俺は昔はこんなに凄かったんだぞ!」と、イキるつもりもないけどさ。

昔と何が変わったんだろうな。

最寄り駅から自宅までの帰り道は、若干住宅の改廃があったくらいで特段変化はない。

大体毎日同じ道だよ。通いなれた道、歩み進んでも戻れない。

 

最寄り駅から自宅までの帰り道は2通りある。

トンネルを使うが事故る可能性が高く、その代わり坂道は緩やか。

もう一つは急坂だけれど車は通らない歩道。しかし心臓が破裂しそうなくらい疲れる。

 

いずれも時間はそんなに変わらない。

 

高校生の頃は陸上部だった。

毎日部活で走り回って、その後予備校に行ったりバイトしたりといろいろやったが急坂の道を進んで帰った。この当時のバイトの時給は1000円ジャスト。高校生にしては上出来だった。

 

そもそも高校生という頭脳も肉体も全盛期みたいな頃に、いちいち働きたくなかったけれど親の圧力によって仕方なくバイトをさせられ、その給料で予備校に通って成績を上げろというむちゃくちゃなやり方だった。

 

普通に考えれば成績は下がる。この当時から人生がどうでもよくなりつつあった記憶すらある。むしろこんな逆境みたいな状況でも成績を上げられて、どこでも行きたい大学に行けるんだったら、間違いなく今頃年収は2000万くらい稼いでいる。

 

そんな境遇に嘆いていても仕方がないが、今になって思うのは勉強したければてめぇで稼いで趣味でやっていろ、大学の授業料だけは払ってやる。そんな感じだ。

 

言うまでもなく第一志望には落ち、地方の大学なのかどうかも分からないような進学先で日本海の厳しさにやられてメンタルをおかしくし、結果としてこの30歳になっても未だに学生でバイトをしながら食いつなぎ、家計的には数百万円は損していると痛感している。

 

あのキツイ坂を登れば、その先にはきっと有望な将来が待ち受けているもんだと、心の底では勝手に思っていたのかもしれない。

 

真面目に生きていても誰も助けてくれないし、とっくに将来も人生もどうでもよくなっているので、あれから15年くらい経っても大学生をやっている身分でしかも現在4年生。

普通なら、普通なら就活とかしているのかもしれないけれど「もう30だしな」「コロナのご時世に就活も糞もあるかよ」「もともと就活する気なかったし」

 

なんて言いながら、卒業してもバイトしか拠り所のないまま、ここまで来てしまった。

 

心臓に負担をかけないけれど事故に遭う可能性が高くなるトンネルからの帰り道を歩きながら、いつの間にか反響するエンジン音の五月蝿さにも慣れ、割と車と衝突してもどうでもいいやと思えてくる感覚の麻痺した自分は生きていて何なんだろうと思っていた。

 

いつしか急坂を登るという選択肢は頭の中から抹消されていて、負荷のかからない楽な道を行けばその先には冷房の効いたコンビニがあり、ずっと連載が続いている少年ジャンプのワンピースを週一でちょっと流し読みして「今週もおもしれぇな」とか重いながらバイト先と自宅を往復しているだけの人生がそろそろやべぇと感じているところよ。

 

ちょっと金銭的に余裕があれば、そのコンビニで酒とタバコを買って帰るというクソさ。

高校生の自分は急坂を登って、横浜駅周辺が一望出来る夜景と墓地が広がるパノラマを見て一息つきながら、また坂を少しだけ下って自宅に帰り、親を起こさないようにしながら作り置きの冷めた飯を温め直して食べ、それで翌朝の6時半にはまた高校に通学するというサイクルを繰り返していた。

 

ところが今は好きなだけ寝て、バイトが有る日はせいぜい11時くらいに起きる程度。

寝起きにコーヒーと、バイト先で貰ったパンを食べて #リッチな朝食シリーズ とか言いながらSNSに画像を投稿して数件のいいね!を得て承認欲求を満たし、タバコを吸ってニコチンを摂取しながら気分が悪くなるかどうかで一日の体調を占い、

 

顔と歯をキレイにして都心に建前ではバイト、気分的には出勤をしに行くだけの繰り返し。

 

自宅では一切笑わないがバイト先では笑顔で接客をし、何が本当の自分なのか分からなくなる。

 

 

スンゲー前に書いた下書きなので、ここまではボツ。

 

 

今年の1月に最後の講義を終えて以来、大学に行っていないと確信した。

「永遠に春休みが続くのだろうか」という疑問は、今は「夏休みに入ってしまった。卒業式まで大学に行かなくてよさそうだ」に変わった。

 

特段バイト以外にすることはないと思っていたが、通信教育部の夏休みはちょっと違う。

そう、夏季の集中講座があるのだ。

 

普段は3日間で半年分の全15コマを受講するという半強制エコノミークラス症候群と寝不足で、文字通り寿命を削って単位を稼ぐというやり方だったわけだけれど、

 

今年のこういう密になってはいけないよ、っていう指針の中では6日間時間を設けて15コマ分の授業動画と課題を用意したからこなしなさいよ、って内容で、しかも1タームに2講座受講も出来るという有り難さがデカかった。

 

そんなわけでどうでもいい科目を後回しにしていたツケが回ってきて、現在4年生のアタイは必修科目の保健体育と、簿記、そして総合科目を受けることになったんだ。

 

保健体育は前回のブログを振り返ってみたら、終わっていることが書いてあった。評価はいずれ分かるが単位は確定だろう。

 

簿記と総合科目(コンピュータの教養)は、2つの講座を6日間で学習しなければいけないという配分になってしまって、これは自己責任ではあるが睡眠時間を削ることでなんとかこなすことが出来た。

 

というか、簿記に関しては勘定科目も仕訳も理解していないのに、700円程度で買った指定の参考書を見るだけでものの見事に94/100点をとってしまい、つまり何も学習していないのに好成績をあげることになったわけよ。

 

ええ、貸借対照表損益計算書の違いもあんまり理解していません。もっと言えば用意された映像もただ垂れ流すだけで、一切頭に入っておりません。ワークブックの問題に取り組むように動画内で指示されていても、一切手をつけませんでした。なにせ別の科目の課題が多かったもので。

 

強いてこの授業で頭を使ったのは、小テストを全部で何点取ってそれが100点換算でいくつになるのか計算したくらいです。

はっきり言って仕訳とか理解していなくても国語力でカバー出来る選択式の問題だけで、平常点も何も考慮されないので運と勘だけで乗り切れます。

この先生はゆるい授業だった、それだけで高感度が上がる。そんな感じだったね。

 

同時並行で受講していた総合科目は、コンピュータ誕生の歴史から始まって後半はインターネットはこんなに危険なんだよ、って中学生でも分かる内容をひたすら長い動画を見て学習することだったのね。

 

スマホを落としただけでまさかこんなことになるなんて・・・!!

 

って、どっかの映画みたいだけれど、そんな内容を真剣に学習するわけですよ。

アタイははっきり言ってTwitterで会ったこともない人からメッセージのやり取りをして、一度は会ったり、時々焼いたコーヒー豆を贈るまでになった友達とかもいるわけで、そういう点に関してはセキュリティは甘いのかなぁとかちょっとは授業を通して反省するんだけれどさ。

 

昔じゃとても考えられないことだよね。

知らないけれど意気投合した人からコーヒーを送ってもらうとか。

それを「個人情報の漏洩が・・・」とか言っているのもどうかと思うものの、究極的には幾ら自分がセキュリティに気をつけていようが、友達の誰かが気安く「三原ってこんな奴なんだぜ❗」って画像をインスタにでも投稿すれば、プライバシーもクソもねぇわけですよ。

 

 一応法律でそういうことしちゃ駄目よ、っていうところまでも学習したけれど友達の中の一人がパソコンを電車の中に置き忘れてきたとか、その程度で軽く個人情報なんか漏洩するわボケ、っていう低次元のレベルで我々は平和っぽい感じでのうのうと生きているわけですよ。

 

つーか中国製のIoT機器が何気に取得したデータを中国に送信していた、みたいな話をバイリンガルニュースで聞いた時点で「個人情報なんて漏れたところでそんなに影響ないだろう」ってのが結論ですよ。

 

当然友達の情報を明らかに分かるように書いたりはしないけどさ。第一そんなに友達いねぇし。

 

アタイなんか弱小ブロガーで、特段フォロワーが多いわけでもなくツイートしてもいいねなんてほとんどつかない程度の存在よ。

むしろ興味を持ってくれている人がいるなら逆に大切にしたいわ、なんて思っているくらいだわ。

 

変なメールが来るのはともかく、流石に知らないやつから四六時中電話がかかってくれば「これはやべぇな」ってなるけれど、そんなことないし。

 

そもそも電話なんて家族以外出ないけどね。

 

それでも個人情報を死守したいならばネットのない世界で暮らすのが妥当じゃねーの?

 

 

ってなわけで

 

アクティブログ(活動記録)

 

「今年はおかしい」

アタイの婆さんが毎年夏に口にしている一言。

少なくとも記憶に残る最古の発言ではアタイが幼稚園児の頃から言っていた。毎年毎年それを繰り返しているんだから、まぁ健全な夏の天候のイデアを体験していた頃とは事情が違うんだろう。

 

身体は衰える上に、毎年ダウングレードを重ねる気候変動。

そういや今年は台風が来ないね、って点では強ち婆さんの言うことも間違いじゃない。

 

なんかさっきも書いたけれど、アタイはバイト以外はある意味年中休みみたいなもんなんだよ。

 

たまに短期の授業があったりする程度さ。

6月の単位認定試験では初のC評価を獲得し、GPAは下がる一方。

そして絶対合格不可能だと思われた統計学は、まさかの合格でレポートの再提出だけで単位認定となってしまった。

 

そうするとあと大学に関してやるべき事はレポートを除けば、簿記と卒論だけなんですよ。

ノルマすっくねー! って喜ぶのはいいんだけれど、バイトとそれだけをこなして卒業を迎えてそれで良いのか三原? ってなっているのが近頃の心境ですわ。

 

あれだけ自粛とか暇な時間がくさるほどあった割には、特段やったことがない。なんだかんだ自宅の部屋の椅子に座ってはどうでもいいことを考えているような気はするが、実態は思考停止に近く、何か考えているはずなんだけれどこうして文章にしてみると案外何も言えないようなどうでも良いことだったりする。

 

答えの無い問にいつまでも考えているような感じはしていて、それはつまり何も解決していないのを意味する。

 

そういうことを数ヶ月単位でやってきたので、今ブログを書きながら我に返ってみれば「本でも読んでおけばよかったな」とか後悔するわけですよ。

 

思えばiMacが不調を来して、最新モデルのMacBook Proに乗り換えたわけでして、一応スペックとしてはCGも作れたり動画編集もこなせるくらいのマシンなのに、やっていることはSafariを開いてAmazon MUSICで音楽を垂れ流しながら、Googleカレンダーを眺めてスケジュールの確認をしているように見せかけた思考停止を起こし、気が向けばブログを書く程度なんですよ。

 

なにそれ、別にMacBook airでも十分やんけ。

 

そういや先月はてなブログもProにアップグレードしたのに、あれから書いた記事なんて5本程度だし、あらゆるものを持て余しているなぁと反省しているわけですよ。

 

もっと言えば先日ネットで買い付けたエルサルバドルスペシャルティコーヒーだって、せっかく真空パックで送られてきたのに未だに冷蔵庫の中で未開封のまま眠っていて、暑いとかだるいとかが理由でまだ焙煎すらしていない。

 

そんなわけで何もかもが中途半端で、お前何がしたいんねん?将来どうすんの?とか訊かれても「どうしようもねぇよぉっ」としか答えようがなくて

 

挙げ句気が向いた時に読んだ本では口々に「やりたいことをやれ、好きを仕事にしろ」と書いてあっても、何もかもが非現実的過ぎてどうしたら良いのか分からず思考停止。

そんな繰り返しですよ。

 

さっきツイートした内容では

 

 

 

 

なんて書いたんだよ。

 

自分にとっての幸せってのは、他人からすればしょーもねーことなのかもしれないが、これが実現すれば何となく孤独でもなく楽しい日々が送れる気がしてきたわけさね。

 

もっと言えば週に2日くらいはジムに行って気の済むまで筋トレをして、冬には友達を二人くらい連れてスノボーに行けて、要は話の遭う友達と割とすぐに会えるような境遇になりたいわけですよ。

 

友達関係を築く努力を惜しんでいるのか、これでも結構顔の広い方だと自負している自分でもついぞそんな仲間は大学でもバイトでも現れることがなく、

 

結局休日は部屋で思考停止していて、バイトに行っては普段とは打って変わって冗談ばかり言う三原さんに変身し、大学なんか今になっては卒業式以外どうでもよくなっている。

 

一体どうすれば自分が生産性のある人間になれるのか、が今の一番の課題なんだがこの考え事をすると思考停止している脳のバグを改善するパッチみたいなものを独自に極力努力をせずに生み出さないといけないなぁと判断したところでございます。

 

さて、明日は卒論の下書きを提出。

 

明後日からはバイトが6連勤。

全部夕方からだが、やはり帰宅して思考停止しているのだろうか。

 

ベーカリーカフェもほとんど出勤していないな。度重なるオペレーションの変更にもうついていけなくなっているわ。つーか次のシフトっていつから申請出来るんだよ。それすら分からなくなっている。

 

じゃ、今回はこの辺で。