三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

敗北宣言。解釈は委ねるが、これが最後のチャンスなんだ。

ここから先へは、僕は行くことが出来ないんだ。。。

 

雑談

最高に試される10日間。前回そんな話をした。はずよね?

大学生活もクライマックス。あとは簿記のテストに対してそれなりに回答をし、友達に確認してもらうことでS評価を待ち望むだけ。

 

卒論もバリバリ書いていて、春にはサクラサク。みたいなノリをちょっと思い描いたりしていた。

 

働きたくないため、ノリで大学生になった俺。

コーヒーにハマってカフェでバイトに精を出すアタイ。

1年生の頃は結構好き勝手生きていて、20単位くらいしか取得していなかった。

2年生で挽回し、ハイスペックブレインホルダー(つまり高学歴)達と丸の内のパン屋で日夜働いて、なんか分からんけれど自分まで高学歴になった気分でいた。そのおかげか48単位とった。

 

受けたい授業もほとんど受けてしまってもうこの大学用済みだぜ。とか思い始めて三年次は週に1コマしか大学には行っていなかったが、しっかり単位はとっていた。

そんなに頻繁に会いたいような友達もいなかったし。授業受けない分学費が節約出来て今まで以上に勝ち誇っていた気さえする。但し成績は低下気味。

 

4年次。

3年の終わり、つまり今年の1月から、ちらほらとコロナの話が出てき始めた時期。いずれにせよ大学には一切行くつもりもなかったので、それで良いやとか思っていたけれどパン屋のバイトも仕事がなくなって来て、次第に人と話す機会が薄れて喋れなくなる。

1週間の会話全体を100とした場合、パン屋での会話が90くらいだったので障害者のアタイが色々薬の副作用で心身に支障を来していても、「まぁ声帯なんか必要ないかな」くらいにまで思えるくらいに発声器官は人類には不要だと確信するに至っていた。文字さえ書ければいいだろうと。(考えなくても、しゃべれねぇだけで接客という仕事はできなくなるな。そしたら働けないじゃん。)

 

anyway,

パン屋が休業になり、可愛いあの子も頭の良いあの子とも小賢しいジョークが交わせなくなってしまい、オマケに年間授業料を払ったばかりで金もなく遊びにも行けないし困ったなぁと頭を悩ませていた5月。

 

そろそろ仕事探した方がいーんじゃねーの?って判断したアタイは大手町のとある小売のバイトをすることにした。業態は小売りだよ。種類は大手町にもコンビニとか本屋とか、色々あるけれど「こういう店!」って言うと間違いなく特定されるから言わないで置く。内心会いに来てくれて何か買い物してくれるならば、ベラベラと喋るんだけれど絶対上から警告されるし変な電話かかってくるから口が避けても言わないで置こう。

まぁ読者様はアタイの顔を知っているし、大手町の小売なんてそんなやたらと有るもんでも無いから、バレるのは時間の問題かしら。つーかそんなに隠す気もないけどね。

バリスタ気取っていたあの頃の三原はどこへ行ったのかしら、ってくらいに今の日常はつまらなく、100としていた会話も現在じゃあ40くらいに減っていると感じるわね。

 

仕事は楽だし、稼げるしで文句はないんだけれどアタイは・・・そうだ、そろそろ卒業だったわね。

思えば色々あったわね、まぁこれでも充実した4年間だったわ。

 

なーんて言って、近頃遺品を整理していた。

いや、まだ死んでいないけどね。とりあえず4年間で読んだ本の一覧とかアプリのメモとか読み返していた。「ふーん、昔はこんな事かんがえていたのねぇ」なんてさ。

アップル製品の良いところは勝手に自分のデバイス間でデータを共有、閲覧出来るところにあると思っていて、ipadをメインのタイプライターとしていた頃、つまり会社員時代に大学に入る際に当たっての志望の動機の下書きをしていたメモが見つかった。

 

普通の学生に比べれば遅咲きだけれど、友達と一緒に勉強がしたい。

4年間しっかり勉強して広告とマーケティングの知識を習得したい。

 

なんて事が書いてあるわけよ。それだけじゃなくて、起業するつもりでいる。みたいに意識高そうな目標まで書いてあった。こんなクソみたいな動機でも受かる大学ってある意味すげぇな。

 

それでも当時の頭では全力で考えた文章だし、あの時の気持ちは正直だった記憶がある。

4年で卒業したい。とも書いてあった。

 

まぁよく受かったな、って思ったものの実際には名前さえ書ければ受かるらしいんだがな。

 

 

 

 

ただし卒業、誰でも出来ると思うなよ?

 

そうよ、アタイは確かに試される10日間 と書いた。そしてテキトーに論文書いて卒業、久しぶりに会った友達と飲んでさようなら みたいなラストも思い描いたと書いた。

一方で死んだ爺さんへの誓いというかプライドみたいなものがあって、テキトーに勉強して卒業することが何か意味があるのか、っていう葛藤が自分の中であるわけよ。

 

もっと言えば字数だけならば2万字なんて余裕なのに、ただの文献のまとめを書きましたみたいな論文を提出してB評価もらってどーすんの?ってなっているわけよ。

まぁ全てはもっと以前からしっかりと日々研究していればこんな事にもならなかったんだけれどさ。書いていたらそれはそれで何か斬新な理論とか思い浮かんできちゃって、それを今になってなんか一般的な数式に出来ないかとか考え始めたわけですよ。

どーせこんなの出したって教授しか読まないのは分かっているんだけれどさ。

 

思い出しても見ろよ三原、

高校陸上部の引退試合、県大会で最後に放った砲丸の記録は?2投目で自己ベストを出したけれど、本当に最後の最後は線からはみ出してエラーだったじゃねぇか。

人生で一番の勝負所、センター試験の結果は?

一切高校で習っていない独学の地理が最高点で、模試でも偏差値65あったのにあの時の点数はひどかったもんだぜ。一人だけ自己採点後に空き教室で泣いていたんだ。

 

唯一受かった大学に進学した末路は?

慣れない環境とついていけない勉強、本屋に行くのに島を渡るとかいう僻地で絶望して目出度く統失デビューだった

 

それから実家に帰って来て、週三でデイケアに通う人生だった。あのコミュニティの中でだったら、何をしても秀でている方だったけれどあそこにずっといるのはヤベェといつも思っていた。

 

無理やり生活サイクルを治して就活して8社落ちた挙げ句に採用された保険会社の事務員。スーパー楽で、女子の恋人に近い友達もいたし、武道を始めたらものの2ヶ月で全国大会の新人部門で準優勝しちゃったり。

ヒッチハイクしたりとか、あの頃が全盛期だったのかなぁ。

 

統失になる以前から、まともに何かを成し遂げた記憶がない。せめて二度目の大学くらいは卒業してくれよ、ってのが全親族の同意なんだろうけれど、なんかまだ卒業するわけには行かない変な感覚が今つきまとっているのよ。

 

一生子どもでいたい、みたいなピータパンシンドロームなのかしら。

 

そりゃあ「普通の人間」は4年で卒業するんだよ。

況してや私大文系だぜ。留年する理由がない。そんなに大学のお勉強は難しかったかい?ってなると、苦しんだ記憶もあるが自殺していない時点でそんなに苦でもなかったのかもしれない。

 

なんだかんだ体調不良で落とした単位は幾つかあっても、結局「まったくかなわねぇや」ってなったのは英語音声学以外はないと思った。まぁそれも原因は休みすぎってのがあるんだけど。

 

卒論に着手するのが遅かった理由はレポートの採点が気になって何もする気が起きなかったからだ。もちろん客観的に見ればただの言い訳よ。出来ない理由は上げればキリがないわね。

 

アタイの中での「普通の大学生」ってのは、

バイトとサークルを謳歌して週末はデート。3限くらいから大学に行って、特に授業も無いのに早く起きた日はキャンパス最寄り駅のスタバで意味もなくパソコン開いちゃったりして、誰かと待ち合わせしたりで、それから学食で飯食って授業に出席するも眠くなって居眠りする。

テスト前には最前列に君臨するチー牛のノートを買収して事なきを得て、なんだかんだ大して頭も使うことなく平然と卒業をしていく。でもさり気なく資格を取ったり就活で内定を得ていたりする。これが普通だと思っている。

 

一方でアタイと来たら

最初から受けたい授業しか受けず、出席する授業は常にガチで取り組みテストは完全回答を目標にS評価を狙う意識高い系。でも成績は良いとも悪いとも言えない中途半端なGPA2.95。学内では誰よりも本を読んでいて、バイトは失敗ばかりでも常に売上を気にして働くが賃金は上がらない。カフェに行くもコーヒーの味が気になりすぎてちっとも作業は捗らず、以外とお金がない現状。学食がないのでいつも近くのドトールミラノサンドを注文して、そればかりたべていた。兎に角成績を取る事にばかり固執するあまり、資格も全く取らず。しかも「大学は本来研究機関だから」ってのを理由に勉強ばかりしていたのと、年齢が8年違うから話にならないと決めつけて就活すらしていない有様。せいぜい遊んだ記憶なんてスノボーに友達誘って行ったのと、公園で小学生相手に大学生達でガチでサッカーをしたくらい。10年以上行っていないディズニーランドに誰か遊びに誘ってくれるだろうと思っていたら、結局誰にも誘って貰えなかった。良かった事なんてほんのいっとき彼女が出来て、ノリでヤッてみたけれど童貞を失っただけで人生観が劇的に変わるもんでもなく、「こんなもんか」で終わり。彼女は別れるどころか大学を辞めたっぽいが、アタイのせいじゃないよな?

 

こんな感じですんげー不完全燃焼なんだよ。

大学に入った時の勉強以外の動機として、自力で稼いでいく方法を獲得する ってのがあったんだけれど、それもまだ実現に至っていないし。つまりまだ大学を卒業するには早いんじゃねーの?と。

 

社会人になるつもりも無いけれど、大学を卒業したら言うまでもなく「大学生じゃなくなる」んだぞ。年金払わなきゃ、税金収めなきゃ、国民健康保険に加入して・・・ って、しかも借りていた奨学金の返済も始まったりするわけだ。

学生の頃にはあれこれと作ってみる事が出来たクレジットカードだって、アタイみたいにフリーターになっちまったら、もうそんな容易に発行なんて出来なくなる。

つまりあらゆる責任が伸し掛かってくる。自分の事すらままならない奴が、一度にそんなに色々急に出来るかよ。それこそ再び病状が悪化しかねない。だけど普通の奴はなんだかんだ文句を言いながらもこなすんだよ。普通の基準ってすごく高いぜ。

 

普通じゃなくて、もう言うまでもなく底辺なアタイ。このブログを書いていたらとうとう卒論の提出期間である12月に入ってしまった。

今から全てを犠牲にすれば提出には間に合うのかもしれない。だけど駄目だ。ここから先には進めないんだ。まだやり残していることがある。

プライド、信念、ポリシー、しがらみ、枷、こういう似たような言葉に今、囚われている。

 

別にちっともアタイは同期に対して「勉強頑張ったな」とは思わない。誰よりも勉強している自負があるから。お前らはただ大人しく毎週決まった時間に90分座ってこれただけだ。スマホばっかりいじりやがって。株の取引でもしてたのかよ?1円も生み出していないだろ。

本とか何冊読んだんだよ?そういや貸した本が返ってこねぇぞ。その程度か。

 

楽単ばかり履修しやがって。何を学んだんだ?サボるノウハウか?

そう偉そうに言っても自分も何を学んできたのか、上手く説明出来ない。だからまだ勉強するんだよ。

 

そんなに慌てて社会に出る必要もないんだ。自分のペースでやっていけ、って医者も教授も親も言っているじゃねぇか。自分だってそう思っている。

 

9月卒業で良いだろう。三原らしくていいじゃないか。誰も知り合いがいない中での卒業。

最後の最後に卒論でS評価を取れれば、この大学を楽しみ尽くしたって事に出来る。それでいいんだよ。

 

何を言っても言い訳にしか聞こえないだろうけれど、言ってみればまだ大学生相応の頭でもないし、大卒相応の人間にも至っていない。

そんなに遊んできたわけでもないが、かと言って勉強していたわけでもない。

今になって、もっと物事を深く考える能力が欠如していると気づいた。要するに何でもかんでも考える事が面倒だったんだ。

 

本を読んだだけで賢くなった気がした。それっぽい授業を受けただけで頭が良くなったと錯覚していた。半強制エコノミークラス症候群とか馬鹿な事言って夏の短期集中講座を5ターム受けた時は流石に座りすぎて死ぬかと思ったけれど、それでも努力不足感が否めない。

心の底からコイツと友達になれてよかったと感じる同期もいないし、大学に愛着が有るわけでもないが、あと半年あれば自分を変えるには十分な時間だろう。そこで例え世界がどうなろうとも、生きていける能力が身につかなければ三原は今度こそ、この程度だったで終わる。

学費なんか有ってないようなもんだし、半年フリーになれる猶予が買えるならば安いもんだ。自分で出しているんだし。

三原はもっと学ばなければいけないんだ。それだけよ。

 

このままじゃ終われないが、

今回はこの辺で。