書いてはボツにし・・・
雑談
あれ、アタイ・・・ブログが書けなくなっている・・・!!?
前回の更新から一週間程度が経ちました。はい、エベリディ,i'm too hima.
その前回のブログから、実は2回くらい更新を試みていた。いずれにせよ3000字くらいは書くんだが、途中で書くのを辞めて休憩し、再開しようと読み返してみて「これ・・・面白いのか?」と書いている自分でもびっくりするくらいつまらない内容しか書けなていなかったので、頑張った様な気がしなくもないがボツにした。
しかも何を書いていたかも思い出せないから、多分その程度の内容だったんだろうな。
さて、去年の1月から足を運んでいない大学も、アタイは主体的に留年を決定することによって長い長い春休みが、まるでいつ終わるのかもわからない緊急事態宣言の延長の如く、更に長くなりました。
コロナ関係なく、学年が上がるに連れて普通は大学に通う頻度も少なくなるんだけれど、アタイはこのままもしかしたら一度も大学に行くこともなく、来年の4月に卒業をするのかもしれない。まぁ元々通信制だから行く必要もないんだけどさ。
残された卒論という科目だけに対して、S評価をとれればそれでいい。でも今は春休み。
大学生の長期休暇は春休みが一番長い。ってことはアタイは4月中旬まで自由を謳歌していいのかしら?卒論そっちのけで。ってならない?
そういうわけで、急に自由になった三原はそれとは引き換えに突然何をしたらいいのか分からなくなって鬱になっていた。
毎日がお休みだ!バイト以外することねーぜ!大学も卒論だけだし、今は春休みだし休んでいいだろ!でも何か目標とか欲しいなー٩( ᐛ )و
・・・俺って何が出来るんだろう。。。。
って感じになっていたのよね。
書店に行くと偉そうな奴が偉そうに「やりたい事を仕事に」って内容の本を出しているのを見て思うんだが、特段やりたいことなんかねーわけよ。あとは得意を仕事に、とかね。
やりたいことがないならば、みつかるまで探せ。・・・そもそもその気力がねぇし。
自宅でカフェを趣味程度でやるという夢くらいしかない。
得意なことも・・・やっていて嫌じゃない行動と言えばコーヒーを飲む、読書、ブログを書く
くらいが思い当たるけれど、いずれにせよ他人と比べられたら自分なんかクソでございます。
いや、ちょっと本とか出版しちゃったり、ネットで支持を得られるような人になっちまうと、皆忘れてしまうのさ。自分が初心者だった頃を、どうやって苦労してきたかを。
覚えていても今じゃ通用しなくなっていたり、あるいはそれを体系化させて情報商材なんかに加工しちゃったりするのかもしれんけど、クソの思考回路は成功者には理解が出来ない。
その逆もしかり、成功者の思考回路は読んでも理解した気になり、賢くなった感じがし、俺も人生うまく行きそう!とか思ったりするだけで、結局クソには使いこなせない知識だったりするもんなのよ。
もっと言えば、人がせっかくやる気だしてブログとかSNSで頑張ろうと思い始めたところに、そういうプラットフォームを開くと果てしなく上には上がいて
下手したら「アタイってその辺の何も考えていねー奴と実はそんなに変わらないんじゃねーの?」とか思っちゃうわけですよ。
極力他人と自分を比べない
ようには努めているが、こんな世界を相手に駆け出しの勇者が一体何が出来るんだっつー話だよ。オープニングと同時にラスボス戦を体験してから、冒険が始まるんだぞ。
万が一勝っちゃったりしたら「なんだ、案外大したことねーじゃん、アタイすげー」ってなるけれど、特に防衛技術もないのに一撃必殺なんか喰らっちゃったら回復の薬なんか幾らあろうと死んだも同然になるわよね。
ところがこのSNSっていうゲームではラスボスに「誹謗中傷」っていう回数無制限で、しかも最小限の労力で「想定以上にメンタルにダメージを与える」ことができちゃったりするんだよね。
だからSNSで人を叩くのが辞められないんだよ。通りすがりに、挨拶代わりに最小限の労力でダメージを与えていくことが出来る。普通のゲームにはない、嫌な機能だよ。
される方も嫌だし、客観的にそれを見るのも嫌な気持ちになる上に、やっている人間は心が荒むというろくでもない循環が生じるわけだが、残念ながら駆け出しの勇者がステップを踏んでラスボスにアプローチしなくても、いきなりダイレクトに通常攻撃(メンタルにはクリティカルヒットする可能性もある)を与えることが出来るからタチが悪い。
それでもSNSの頂点に君臨するこの人達は、フォロワーが1000人に満たないアタイには想像もつかないくらい連日スマホは通知がうるさくて、どうでもいいリプライが絶えず、時に理不尽にキレられ、光る発言を受け取る機会が増えるわけでもないのに、絶えず魅力的な発信を続けているわけですよ。
そうなってくると、自分はすでにSNSを使うという時点に置いても負けているし、専門性もないし、好きなことも得意なこともない。
結局15年前のマクドナルドでチー牛みたいな顔した仲間たちと放課後に広大なフィールドで狩りに出かけるゲームをしていた頃のほうが、まだ幸せだったんじゃねーかなと。
どっかで読んだが世界一幸福な国とされるブータンで、近頃ネットが普及したお陰で世界中の幸せな暮らしを観測出来るようになった影響で、ブータンの国民の幸福度が低下している、なんつー話ですぜ。
そうなるとやっぱりインターネットというか、通信はPSPのモンハンくらいが丁度いいのかもしれない。今みたいに複雑で、知らない人とも繋がる事が出来るってのは案外面倒だろう。上には上がいるのも分かるし。
ちなみにモンハンは改造セーブデータってのが横行していて、それを使ってどんなモンスターも好きなだけ自在に狩れるっていう非正規の遊び方があり、個人的にはアタイはそっちのほうが好きだった。
だから今でもツイッターの公式アカウントが金で買えるとか、LINEのサブアカウントを所持する裏技、インスタのストーリーにリンクを貼る方法とか、地味な裏技が溢れているわけだが、そういう一部の金で手に入る無敵感ってのは、言ってみれば河合塾の全統模試の前日に答案が運良く手に入ったけれど、それで東大A判定の全国1位という座を獲得したところで何か意味あんの?ってくらいに意味がない。
まぁ真っ当に戦うこともせず、ラスボスに石を投げるのも心が痛むし、チートを使うのも躊躇われ、オマケに自分のパラメータが何一つ秀でたものがない。
こうなると、最後に残された道は商人になることだと思うのよね。
自分が世界を変える勇者になるなんて無理!だったらそんな重い責任や手柄なんか誰かにさっさと明け渡して、自分は勇者相手に何かを提供出来る人になろう。ってさ。
それも自分を守る事のできる武器商人なんかがいいのかもね。どうやって武器を手に入れたらいいですか、って訊かれたらもう黙るけどさ。
でも世の中にはゲームに登場するアイテムに名前を付けるだけの仕事 ってのもあるらしいし、アタイが好きだったゲームでは主人公に技を教える事で金を貰っていたりしたから、そういうところから始めてもいいんじゃねぇかなぁ。
話は回りくどくなったが、この春休み中にちょっと自分に肯定感が生まれるような生き方というのを見出してみようかなぁと考えとったわけですよ。
いえ、承認欲求の最大化とかそういうのじゃなくてね。
なんかこう・・・自分のやっている事が他人に喜ばれるみたいな。
最大多数の最大幸福じゃなくて、最小限度の最大幸福を目指していくみたいな。
そうしていけば、自己肯定感が生まれて6月くらいには実家を出ていけるのかなぁ。。。