三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

30歳がそろそろ終わるのと、近況報告

なんか新しい話題でも書こうか。

 

雑談

31歳になるまで、あと1ヶ月を切りました。だからと言って「やべぇ!30歳のうちにしておきたいことは、えーっと・・・あれとこれと・・・これもまだやってねぇ!!」とはならない。

 

普通に1年生きていれば、普通に1歳分の歳を取る。

80年生きれば誰だって80歳にはなる。とは言っても、20代でハゲる奴もいるし、50代でも若くみえる例外は幾らでも存在する。

 

ペットは嫌いだから一切飼わないけれど、犬は人間よりも早く齢を取るわよね。これも自分が普通に生きていれば犬の方が先に死ぬっていうだけの話なんだけれど、お犬様を飼っていらっしゃる方は「犬の誕生日」に毎回何かお祝いをするのかは話を聞いたことがないから分からない。だから同い年の奴が「お前俺よりも成長速度が2倍位早いね」とはならないし、この齢でシワシワの爺さんみたいになった奴は多分いない。

 

齢を取るってことは、毎年必ず誕生日が来る。一回だけ小学生の頃に女子のお誕生日会に呼ばれたことがあるけれど、メインの女子を祝う気なんて全くなかったくらい、あの当時から白けていた。ごめんな、記念すべき10歳のお祝いをぶち壊して。

 

まぁ心理学の観点から言えば幼少期の記憶って結構失いがちなんだけれど、当人は今フェイスブックを見る限りでは結婚して子供の誕生日を祝っているくらい幸せなんだから、誕生日会に俺を呼んだ事はとっくに忘れられているだろう。いずれにせよ、人の誕生日を祝うってのは特に面白くない事だけは言える。

 

さて、そんなアタイは5月の上旬に31歳になる。相変わらず実家に寄生していて、未だに名ばかりの大学生をやっていて、それでも31歳を迎える。

 

古いアニメで魔法陣グルグルってのがあり、そのオープニングの曲で歌詞に「誕生日を祝う度に何を祝うのかずっと謎だった」ってのがある。

生まれた時から不景気で10年に1回くらいデカい不況が来ていて、今もそんな感じなんだけれど別に病気にもならないし(風邪や身体に著しく行動制限がかかる病の事)家庭は貧乏っぽいものの、特に「今日はお金が無いから晩ごはんはお粥よ」みたいな事にはなっていない。

 

普通に飯は食えるし、美味い。そして特に望んでもいないが、誕生日は毎年やってくるし祝ってくれる家族がいる。

 

誕生日を祝う理由ってのは勝手な解釈だと「○○歳まで生きてきたんだ、すごいよね、めでたいよね!」ってのが理由だと思っている。

 

ところが三原家に関して言えば、22を過ぎた辺りから「普通ならば自立しているから」って理由で誕プレもなくなり、ただケーキを食って終わるだけの恒例行事に過ぎない。実際はそんなもんよ。

続いて毎年毎年「あんたももう○○歳かー」って言われて、アタイも親もとっくにそんな事は諦めているけれど結婚や出産の時期だよね、みたいな話になる。

 

どう考えても結婚も出産も自分にとっては合理的じゃないし、養えない上に自分の時間も無くなるのでしないと思っているが、子作りはしなくても結婚くらいはしておいた方がいいのかなぁなんて、最近になってちょっと思い始めた。でもこんな人間と24時間一緒にいられるパートナーなんてまずあり得ないし、待っていてもやって来ないのは十分に理解しているからこそ、探すのも面倒くさいし、周りから「ブサイク」と言われたことは一度も無いが別にモテるわけでもないので、このまま孤独を貫いていくんだろうな。

昨日自分の理想とするパートナーが見つかる確率、みたいなものを性格診断でやってみたら16000人に1人しかいないらしく、幾ら「相手は星の数ほどいるさ」と言われてもこんな変人がまともに暮らせる理想の惑星なんて皆無に近いのは考えなくても十分に分かる。

 

 

 

自分は女子じゃないが、年齢は割と気にする方で特に実年齢より若く見られるかはかなり気にしている。白髪こそ多いものの、先日スーパーでお酒を買った時に年齢確認をされたのが物凄く嬉しかった。まだ未成年でイケるのアタイ!? みたいなね。

 

若く見られるってのは良いことだと思っている。老けているよりかは数百倍マシよ。若いって事はこれから老いられるってことだけど、老けているってのはこれから衰えていくって感じしかしないもんね。

 

 

とは言ってもだよ。

 

そうさ、このブログのコアな読者様ならばちょっと感じたんじゃなかったかな?

「あれ、三原って45歳で死ぬんじゃなかったっけ?」って。

 

はてなに移行してからこのネタはあまり触れていなかった気がするので、おさらいしましょう。

 

三原は取り立てて日常生活に重大な支障が生じる程ではないが、上は髪の毛から下は足の親指まで地味な病気が結構ある。そして脳はとっくにぶっ壊れている、統合失調症

 

見た目は白髪の多いお兄さん(だと思っている)だが、結構節々にガタが来ている。手相占いには詳しくないが、生命線はかなり短い。

 

あと見た目からは分からないが、統合失調症に加えて漏斗胸っていう体型の問題があり、これらの寿命が短い(らしい)とのネットの情報から総合的に自分の寿命は45歳だと勝手に推測しているわけです。

 

それより生きるかもしれないし、もっと短いかもしれない。

ただし、自分としては老けてもいなくて若くもない45歳で死ぬのは理想的だなぁと思っている。

 

そう考えるとあと14年後にはしっかりと死んでいるはずなんだが、これが逆に長生きしちまうとめちゃくちゃ面倒なことになる。

 

いくら今が大学生だと言っても、就職する気も一切ないし結婚なんて論外。惰性で年金こそ払っているが、別に65まで生きられる自信もなければ生きたくもない。

 

仮に景気が良くて未来に希望が有っても、残念ながら自分に希望がないのでそういう考えになるんだろう。

 

もう皆忘れ去っているだろう100日後に死ぬワニじゃないけれど、14年後に死ぬ(かもしれない)三原はどう生きる?って訊かれたところで

 

特に残りの命を大切にしようとも思わないし、何か人の役に立ちたいとか社会に貢献したいなんて考えも皆無で、社会人みたいな変な責任を負わされるのなんて嫌だし、なんなら精神障害者らしくずっとベッドで横たわっていてもいいんだけれど、案外症状が軽くてそこまで至りもしない。

 

死ぬまでにやりたいことリスト ってのも、せいぜい思いつくのが北欧でスノボーを堪能したあと、ホテルでオーロラを見ながら酒を飲みつつ温泉かサウナを堪能する事くらいで、それが叶ったとしたら「次は何がしたい」ってのは全く思いつかない。

 

考えてみればこの三原氏物語では触れていなかったが、自分のやりたい事、なりたいもの、ってのは大体3,4年遅れで実現している。

 

サラリーマンになりたい、バリスタを気取りたい、大学生として勉強をしたい、

 

これらは全て実現してきた。

 

 

今念頭にあるのは、引っ越して自活したい って事だけで、それが実現したらまた何か新しいやりたい事が浮かび上がるのだろうか。自分にも分からないわね。

 

そもそもなんで引っ越したいのか、って理由には触れていなかったな。まぁそれはまた別の機会に話そう。

 

anyway,

あと14年しか生きないのだったら、どうするか。

やりたい事をやる人生ってのはしょっちゅうどこでも謳われているものの、丸々一週間時間を設けて本当にやりたいことを考えてみても、そんな凄く「これをやって稼いでいきたい!!」という熱意のある物事は残念ながら思い浮かばなかった。

 

自宅で美味い珈琲が淹れられて、spotifyで音楽を再生しながら読書をして、腹が減ったら炊き込みご飯でも食べられれば十分贅沢。たまに気が向いたらブログを更新して、もっと余力があればLINEスタンプをバンバン量産していければいいや。っていう価値観が理想だなぁと思っている。

 

友達は皆無に近いし、そんな毎日会いたいほどではないからこそ、3ヶ月に一回くらい飯に行ければ上等で、一応人間らしく週4でバイトではあるが仕事に行ければまぁ満足でしょう。

 

 

こういう他人から見れば「誰でもそんな生活しているよ」っていうレベルの生活を自力で営んでいくっていうのが、本当のなりたい自分、やりたい事であって「これを仕事にしたい!」って願望があるのは強いて言うならばブログくらいだろうか。

 

現実としてかれこれ8年以上やっていて2200記事を超越する量があるにも関わらず、1日のアクセス数は残念ながら10人もいらっしゃれば良い方で、本当に初期の頃に申請したから取得出来たAdSenseも未だに収益としては7600円くらいで、一度も振り込まれたことがない。

 

自分でいうのもなんだが、結構それなりに面白いことを書いているつもりでも、実際市場では一切評価されていないのは明らかで、普通ならばとっくに挫折して市場から撤退し何か新しい事を見つけて頑張るのが真っ当な判断なんだと思うわけですよ。

 

それでもブログをやっているのは、ただの馬鹿なのかもしれない。流行りに乗ってYouTuberになるとか、一瞬考えたがどう考えても面白そうに思えなくて結局簡単に編集出来て割と好きに書けるブログの方が自分にとっては楽しいんですよ。

 

果たしてあと14年続くのかは不明だが、三原氏物語をやっていく事が自分の余生を送る唯一のやりがいがある事なのかもしれないわね。

 

 

ってなわけで

 

アクティブログ(活動記録) 近況報告ver.

大学に最後に行ったのが去年の1月とかだったか。それ以降オンラインで数コマの授業を取ったりはしたが、気分的にはほとんど春休みがずっと続いている状態で、一応今年も1月から4月の12日までは春休みだったので、通学していなかった事実だけに目を向けると1年近く休んでいたようなもんです。

 

さて、今日から春休みが明けて授業開始となりました。大学や授業によっては通学するんでしょうね。

アタイは120単位取得し、あとは卒論を提出するだけとなっているんだけれど1年休みだったのに実は去年の12月以降一切手をつけていない。授業は取る必要もないし。

 

昨日やっと、久しぶりに再開したけれどほぼ出来上がっていた論文は読み返して見るとあまりにも知能が低く感じられたので、大幅に修正を加えることになりそうですね。つまり、大学生らしい内容じゃないと判断した。

 

いずれにせよ大学に通う必要は皆無だが、「少しは勉強したらどうなの?」という感じにはなってきた。

 

大学事情はこんな感じですかね。

 

 

日常は普通に週4でバイトに行くだけでしょうか。緊急事態宣言や蔓延防止などと言われて目まぐるしくシフトが変更されて、予定というかリズムが狂わされるのに苛立ちを覚えながらも取り敢えず出勤している。

 

日曜は本当に久しぶりに友達と食事に行った。一年ぶりか。新宿なんだが全然コロナ関係ねーぜって印象だったな。人多すぎ。街全体でクラスターが発生しても何もおかしくないだろってくらい凄かった。

 

あとは前回も話した通り、週に20時間はプラスで在宅で働く(とは言ってもただ試行錯誤して収益を生み出すだけだが)をしている。

大学の教科書が無料で32単位分申請できるので、それをメルカリで転売して6000円くらい儲けた。こうして地味にお金を稼ぐ事に変な楽しみを覚えている。

 

他には如何に金を使わないかにハマっている。大概の雑費はお店のポイントとかを駆使すればかなり融通が効く事が分かり、活用させてもらっている。引っ越しの資金ももう少しで実現するだろうか。

 

最近SNSに投稿をしなくなったのは、単純に飽きたからだ。有益な情報を発信するアカウントも複数あるが、別に有益でも実行するわけではないので別にいいかなと。

何よりパン屋の同期の投稿を見て以来、知り合いの幸福自慢みたいなものが大嫌いになり、極力見ないようにしている。

 

 

まぁそろそろバイトだけに収入を依存しないような働き方を工夫していこうと考えた30歳終盤のアタイでした。じゃ、今回はこの辺で。