三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

夢を描くだけで祝日が終わった

ビジョンが曖昧んでしょう??(涼宮ハルヒの声で)

 

 

雑談

まぁ我ながら良くも一日のアクセス数が少ないにも関わらず、ここまでブログを続けてきたもんだと感心する。一度辞めているが。

 

集客だ、SEOだ、とアクセス数を増やす方法は沢山あるみたいだけれど、そのどれも実践には至っていない。面白ければ、その分読まれると勝手に思っているからだ。そしてこのブログは何度でも言うように、1人の精神障害者の有りの儘の日記であるから、無理やりにでも検索ワードの結果上位に組み込まれる様な発言は避けている。

 

ほとんど読み手がいないのに、毎度3,000字以上も語る理由は何なのだろうか。「ちょっとアタイの話を聞いておくれ」という、それだけがモチベーションで成し遂げているのかもしれないと、ふと感じた。

 

ただ、ブログを続けていて書き手のアタイ自身が抱える最大の問題が「この『三原氏物語』って全然物語になってなくね?」だった。

 

 

 

そこで今日は「本当だったら一日中天気が雨の予定で引きこもるつもりだったのに、結局曇りで損した気分のアタイ」が久しぶりに自分だけの有意義な時間をフルに使って、これから先をどうして行きたいのか(生きたいのか)を考える時間に当てていた。

 

今年だけでも既に出来事としては、開業、大学卒業、資格試験の合格と中々充実していたが、その先の事は自分でもあまり考えていなかったし、もっと言えば誰も一緒に考えてはくれないのである。

 

何か長期的な、明確なビジョンがアタイにもあるはずだ!とひたすら書き出して考えること2時間。10年先まで考えてみたが、今よりも不景気になる未来しか予想出来なかったので、とりあえずこれから2年先までに留めておいた。

 

そもそも今の生活状況はと言えば、貯金が無いのに「バリスタFIRE」している様な感覚に近く、ハッキリ言うと働き盛りの30代前半にして、既に労働環境が定年退職後のおっさんの第二の人生を先取りしているのと近似している。

 

そう、この生活ぶり。彼らとアタイで何が違うかと言えば、貯金・資産の有無。

アタイの場合は中途半端な若さと、有り余る可処分時間が用意されているけれどもお金が皆無に近い現実。

 

気づけば「その月暮らし」でジリ貧でやってきていて、いつも目先のお金を心配していたせいでこれからの将来マジでどうすんの?という、誰もが直面する難問と向き合うのを避けていた。というか、考えている余裕がなかった。

 

改めて自分が何をしていきたいのかを考えると、

モノ書きとして生計を立てながら、居場所を提供するカフェを運営することだった。

 

パン屋のヴァイトを辞めてから、コーヒーの話をあまり口にしなくなった気がする。それ以降も毎日欠かさず目覚めの1杯をドリップしていて「こんなに美味いコーヒーを自分で抽出出来るアタイってなんて幸せなんだ・・・」とか思いながら、優雅な一日を迎えている。

 

日本一忙しいパン屋と噂されるくらいに、毎日死にものぐるいで働いていたあの頃と打って変わって、今の小売のヴァイトは楽だし給料も高い。この間受かった資格試験によって、さらに時給が上がる。理不尽な客はほとんどいないし、健康状態も遥かに改善した。

 

それでアタイは余暇で何をするようになったか、今一度自分を見つめ直してみると、お一人様でくつろいでいるだけだった。

 

ほとんど出かけもせず、最近ようやく納得のいく作業スペースを自宅で完成させたことでますます外出の機会が減ろうとしている。最早カフェで作業をしているヤツは「美味いコーヒーを淹れる能力が無いのと、自宅を片付ける能力が無いから仕方なく来て作業をしている」のだと思い込み始めた。

 

この間スタバでフラペチーノを購入した時の値段は680円だった。材料にコーヒーを使っていないのに、どうしてここまで高く出来るんだ!しかもクリームを覆うように取り付けられるはずのフタが環境への配慮で「ご協力頂けますか?」と、渋々同意させられて、無くなった。

アタイの時給は1200円くらいなので、単純に考えると店内に30分は滞在していないと元が取れない計算なのだが、ここまで値段がするならばルノアールに行った方が椅子も良いし遥かに静かで集中出来ると考えてしまった。

 

何がスペシャルティコーヒーストアだよ、と。豆一袋買うにしても欠点豆ばかりで、ドトールの方が安いしクオリティも高い。スタッフの接客のレベルが高いのは認めるが、要するにカフェで作業をするのは無駄だから辞めると決めた。

 

仮にその作業で金を稼いでいるのならば、カフェでバイトしていたほうが儲かるんじゃねぇの?と、疑い始めた。

 

そもそもスペシャルティの意味が分かってんのかよ?とツッコミたくなる店舗が増えすぎていて、それと比例するかのように高くてマズいコーヒーが市場に溢れるようになった。純粋に美味いコーヒーを飲みながら作業が出来るならば、週1で通うだろう。結構色んなカフェを見てきたが、結果として自宅を集中出来るスペースに、納得行くまでデスクの配置換えを試行錯誤して、静かな部屋で1人で納得の行く1杯を抽出して飲んでいる方が遥かにマシなんだ。

 

話は大幅に逸れたが、つまりアタイにはカフェでコーヒーを飲むのも躊躇うくらいお金がないわけだ。

つい最近までは図書館と銭湯通いが休日のルーティンだったけれど、自宅には大量の未読の本があることに気づいて図書館には足を運んでおらず、銭湯も悪くはないが物事の優先順位としては非常に低いので、行っていない。今にして思えば、なぜ卒論のテーマを銭湯にしたのか自分でも理解が出来ない。

 

 

自宅にはコーヒーを淹れる器具があり、風呂もある。それで十分な気がしてきたのだ。

 

こうして別にコロナ禍だからどう・・・とか言うわけでもなく、「開放的な空間を求めなければ、ほとんどが自宅で完結するな」と悟ってしまい、どこへも出かけない分時間が有り余っているので将来について考えていたというわけだ。

 

そんな休日ばかり過ごしていると、視野が狭くなってくる。近頃は寒くなってきて、外に出るのがますます億劫になり、地味に鬱っぽいのか関心事が薄れてきた。

 

昨日も洗濯と掃除以外にすることがなかったので、叔母から貰った本に目を通していた。何かヒントがあるかもしれない、エネルギーが得られるかもしれないという淡い期待を込めて。

 

タイトルは省くが、自分の夢を戦略的に実現させるノートの作り方 みたいな本だった。要は自己啓発だ。

 

これまでのアタイは自己啓発は読んだら賢くなった気になり、そこでいつも終わっていた。

大学に在学の頃から少し時間に余裕が出来ると、使えそうなところは実践してみるように変わった。このノートの作り方も、ぶっちゃけて言えば6ページで足りる内容に対して無駄に詳細な説明を加えることで一冊の本に仕上がった感じがしている。

 

前提として、そもそも夢が無いんだけれど・・・ っていう悩みなのだが、そこはもう無理やり捻り出した。お金とか時間とか関係なく、本当に実現させてみたいことってなんだろう。こんな小学生の作文でも書けそうなテーマに対して、自分なりに図を作って3時間くらいかけて考えていた。

 

根本的に精神障害者であるアタイは45歳で死ぬ前提で生きているので、将来も希望もクソもないわけだが。まぁその辺も無視することにした。

 

こうしてなんとか捻り出した夢が、上述した太字の箇所だ。

モノ書きとして生計を立ててみたいな、そしてもう一度カフェを、それも自分の店でやってみたいな、だった。

 

 

 

このブログであまり夢を語ってこなかったのは、純粋に自分に希望を見出だせていなかったからだ。自己肯定感もパラメータで言えば最低に近く、内向的で何事に対しても悲観的。惰性で日記を続けてくれば何かが変わるかと思ったが、案外立てた目標があっさりと実現すると「こんなもんか」という気分になる。

 

別に熱量があるわけでもないが、毎度毎度長い文章を展開するスタイルのこのブログも記事数だけで言えば2300を超えている。これらの出来の優劣はともかく、自分より凄い人はもっと沢山いることも承知の上だが・・・実はそこそこブログが得意(自分の中では)なんじゃないのかという気にはなっている。

 

夢よりも圧倒的に恥を書いてきたからこそ、自分にしか書けない世界があると信じている。

 

他に興味のある分野として、マーケティングがあるのを忘れていた。大学で卒論まで出すほどに研究したのに、それを口にするのはどこか「情報商材屋」と同類項で括られるのが嫌だったからだと思う。

 

 

そこでだな。

この統合失調症生存戦略マーケティングの理論を用いて説明出来ないだろうかと、ふと思ったわけだ。もっと噛み砕いて言えば、自分の経験が誰かの役に立てないものだろうかと。

 

初めて精神科で統合失調症と診断を下されたあの日。

障害者手帳を申請して受け取った時の、落伍者として公認されたような気分。

薬が合わなくて一日の半分以上を布団で過ごしていた20代前半。

一抹の期待を込めて申請した障害年金の審査が通らなかった時の絶望。

高校時代の友人が大学生活を謳歌し、「そろそろ就活かー」といった投稿を目にしながらもしんどい肉体でスーパーのレジ打ちと病院通いしかしていなかったあの頃。

オヤジに引きずられて連れて行かれた就労支援センターで、健常者と遜色ない業務遂行能力の認定を得られたにも関わらず、障害者雇用の就活では何件も落とされたこと。

やっと得た内定先の給料が、その当時勤めていたスーパーのバイトの時給よりも低かったこと。

メンタルに余裕が出来て、ノリで入会した道場での大会で準優勝したこと。

自分の限界に挑戦したいと思ってヒッチハイクで仙台まで行ったこと。

明らかにコネで入った使えない上司に変わった時点で、早くこの会社を辞めないとヤバいと感じたこと。

もう一度大学に挑戦したいと思って貯金を叩いて入学した日大通信。

健常者の正社員が始業後2時間で逃げ出した現場でも1年間勤め上げた喫茶業。

殺人的な忙しさでも、それなりに活躍して充実できたベーカリーカフェ。

完璧主義が祟って1年留年して卒業した大学。

開業届を出しても何も事態が好転しなかった現実。

 

これらは全て事実で、不幸と絶望から立ち直っていく軌跡でもある。相変わらず、なるべく早く死にたい気持ちに変わりは無いが、昔ほど酷くはなくなった。

いつでも死ねる準備が出来ていて、いつ死んでも良いのに結局今まで生きている。ろくでもない人生だけれど、間違いなく今が一番幸せで戻りたい過去が見当たらない。

 

一応これから10年後のビジョンを自分なりに描いてみたけれど、どうなるのかは全く想像もつかない。ただし、もっと普通じゃない人生を歩みたいことだけは間違いない。

 

こうした経験がなにかの役に立つように、理論立てて説明が出来ればモノ書きとしては個人的には成功なんだと思う。

 

折角だから新しい企画を実行してみようじゃないの!٩( ᐛ )و

 

 

ってなわけで

アクティブログ(活動記録)

完全に生活サイクルが冬型のそれになっているわね。おかしいな、大体いつも8時前後には起きているはずなのに。今日、起きたのは12時なのよ。

 

祝日らしいわね。スポーツの日だってさ。なんだよそれ、国民全員に休みやるから運動しろっつー事なのかしら。意図が全く分からねぇ。ちなみに今日行った運動はプランク45秒のみです!

 

それでさ、10月10日って銭湯の日でもあるわけよ。1010(せんとお)とかけているわけね。

この日は都内の公衆浴場各場所で、先着何人かに手ぬぐいをプレゼントするのよね、記念品として。

 

アタイは去年の銭湯の日イベントには行ったんだけれど、めちゃくちゃ混んでいたから「来年からは行かねーようにしよっ」と確信したわ。

風呂に入るのに行列が出来るんだよ。入場待ち。名前書いて待っているわけ。ファミレスの予約みたいに。

 

いつまでもロッカーが開かないし、祝日だからガキも多いし物珍しさで普段来ないヤツまで来るから、たまったもんじゃない。変わり湯がラベンダーってのが、年に一度のイベントならではだけど、考えてみれば普通にドラッグストアでラベンダーの入浴剤売っているわよね。

 

なんというか、明らかに混雑すると分かりきっているのにそこへ行くのは可笑しな話ですよ。行ってみてたまたま混んでいたら仕方ないけれど、GWとか混むと分かっているのにいちいち出かけるヤツいるじゃないですか。しかも年中暇な年寄にそういうのが多いのよね。

 

「なーんでこんなに人ばっかりなの!」ってお前みたいな馬鹿が皆同じ考えで行動してっからそうなるんだよ。60年以上生きていても、そういうことが分からないんだから逆にすげぇよな。

 

まぁスポーツだの銭湯だのと言った祝日はともかく、アタイは土曜の朝以来風呂に入っていません。このブログを投稿したら風呂に入ろうと思います。

 

SDGsを意識しているから、余計な水は使わないに越したことはないわ。銭湯で水風呂の蛇口をMAXに開栓するデブを見ていると、貴重な水資源が如何に浪費されているかをリアルに体験できるよ。お前それ、同じことを自宅でも出来るのか!ってツッコみたくなるわね。

デブが水風呂入ると浴槽の水が溢れ出すし、なんかぬるくなるし、しかも潜る上にクセェから最悪なんだよな。5人入れる浴槽も2人分のスペースとるから狭くなるし。今まで銭湯で配慮の出来たデブって見たことないもん。

 

まぁいいや、シャワー浴びてこよ。

 

じゃ、今回はこの辺で。明日は頭の病院だ。

 

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