三原氏物語

賢くて可愛くて、誰もが憧れる無敵の障害者を目指すアラサーの闘病記

健常者社員VS障害者アルバイト 異常なのはどっちだ?!

いや、本当にそうなのか??

 

雑談

三原って変だよね。人生史最古の記憶では、幼稚園の頃に遡る。やっぱり周りとは何かが違っていたらしい。小学生の頃は良くも悪くも頭がおかしいと言われてきたし、同じようなやつが集まっていると思っていた中学・高校でも「三原は変わり者だよなー」と言われてきた。

 

20歳を過ぎてから、何かしらの仕事を大体3年毎に変えながら生きてきたアタイだが、上手くやれたかどうかは別として、「こんなやつは初めてみた」とか「今まで出会ったことがない」と言われ続けてきた。

 

その結果もあって、自覚こそ無いが何をどう頑張っても「一般人」とかけ離れた存在であることが証明されたようで。言い換えれば「生まれてからこの方、まともだった時期が一度もない」ことになる。

 

たまに電車を利用していると現れるヤベー奴とは違うベクトルで、見た目は普通なのだが何かがおかしい奇妙さをアタイは孕んでいるらしい。

確かに生きているだけなのに職務質問をされたり、2,000以上の記事を更新するブログを書いているのにほとんど共感してくれる人もいないのも頷ける。

 

たまたまずば抜けて人間が出来ている奴にほとんど会ってこなかっただけなのかは分からないが、ちょっと食事に行ったりとか銭湯に行くだけでもマナー以前に配慮が出来ない人間が山のように存在していることに対して、いちいち自分がイライラしてしまうのに更に腹が立つ。

そういう程度の低い奴らと仮に仲良くなったとして、つるんでいくと間違いなくいつか「お前って変わっているよな」と言われるときが訪れる。教養もないくせに「常識ないよな」と言われたり、「何考えているのか分からなくて怖い」とか平気で言ってくる。

 

 

ここでは「自分が凡人よりも優れているか、劣っているか」を議論したいわけじゃない。まぁ第一印象では「真面目そう」とよく言われるアタイでも、もしも知らぬ誰かと一緒に今から受けたばかりの講義の確認テストをしてみれば、誰が相手だろうと確実に負ける。間の抜けて緊張感の無い顔をしたそこら中にいる馬鹿面相手に、「今説明聞いたばかりじゃん!」みたいなシチュエーションに立たされるとどういうわけか勝てない。

 

大体そういう奴から変な人扱いを受けるわけだが、アタイだってお前らみたいに「ちょっと説明を聞いたらすぐに解答に反映させられる程度の能力」が欲しかったよ。特に授業でいきなり当てられたりすると、昔からトンチンカンなことを口にしていた記憶がある。急に今までの説明が分からなくなるからだ。「またアイツわけわかんねーこと言ってるw」みたいになるのだが、アタイの心は号泣している。

 

変わり者とは33年生きてきて言われ慣れているが、それでもメンタルは繊細過ぎて一度指摘されたことは下手すれば一生涯引きずることになりかねない。幼児期に指をしゃぶったり、爪を噛んだり、人前で鼻をほじることなんかしていなかったのに、学級で飼育しているメダカの餌を試食してみたら先生からめちゃくちゃ怒られて、学級問題として取り上げられたこともある。完全に好奇心が上回って実行しただけに過ぎないのだが、こちらの実情を一切聞くこともなく、「お前には人間以前の問題があっt〜〜〜〜!!!!」と一方的に怒られた。小学生にもなってまだ指をしゃぶっている奴のほうが人間的に問題があると言いたかったが、「お前は将来大人になったらドッグフードを食べるのか!」と言われたアタイはまさか大人になった今、食生活がそこら辺の犬よりも安いという人生を送っている。

 

他にも学習塾でその当時のウルトラマンである『ウルトラマンコスモス』を皆が「ウルトラスモス」と呼ぶので、なんで省略しているのか?省略しているところにはどんな意味があるのかを知らなくて周りに聞いてみたら「先生に質問してみたら?」と言われたので、真剣に「先生!ま◯こってなんですか?!!」と訊いたら「お前はここがどこか分かっているのか?」と聞き返され、めちゃくちゃ怒られた挙げ句、授業の開始時間が20分くらい遅れたこともある。

スマホはおろか、まだインターネットが各家庭になかった時代である。家庭での育ち方にも問題があったのかもしれないが、そういうシニフィエを持ち合わせていなかった自分の一体何が悪かったのか、今あらためて考えてみても難しいところがある。

 

こんな過去の愚行はほんの一部であり、ほかにももっと死にたくなるような恥ずべき経験は沢山してきた。それでもまだ死んでいないのは何故か、なんてことを考えていたら今日一日が終わっていた。

 

 

 

それは兎も角、変わり者であることのメリットと言えば、他者と比較されにくいところがあるだろうか。数直線上のパラメータで議論しているのに、自分だけ別の軸にいる、ある意味ですんげー扱いづらい存在。多分小学生くらいから競争、周りと競い合うことが嫌いになったと思う。4年生から塾に行っていたから、まだなんとか小学校の勉強はマウントをとれるくらいに余裕をかましていたが、今になって思えば上がらない学力に課金するよりも、サバイバル的な意味で食っていけるようなスキルを磨いた方が遥かにマシだったかもしれない。ボーイスカウトに関してはつまらなさ過ぎて1ヶ月体験して辞めたが。

 

一方でデメリットと言えば、誰からも共感されないこと。これに尽きる。自分の理解者が存在せず、「人間って馬鹿しかいないのかなぁ」と25歳くらいまでガチで思い込んでいたのだが、実際はこちらが変わった人間(統合失調症)だったので、誰も理解出来ないらしい。馬鹿だったのは自分だった。というオチで終わった。

 

子供の頃はたしかに子供らしく、ゲームや漫画に没頭していて「お前、大人になってもピコピコやってんじゃないかって、婆さんは心配だよ・・・」とお婆さんに真剣に心配されていたが、実際大人になってみるとゲームどころか動画の視聴すらも一切しない人間になってしまい、何一つまともに楽しめないつまらない人生を送っているとは誰も想像しなかっただろう。

 

それが電車に乗ると全員と言っていいほどにスマホでゲームやSNSに興じていて、傍から見ている感じでは何が面白いのかさっぱり理解が出来ない。電車どころか道を歩いているだけでも、視野がスマホの画面しかないようなゾンビが沢山いて呆れてくる。一体どっちが大人なのか分かりゃしないが、それでもほとんどの人間が真っ当に仕事をしていて、自分よりも稼いでいるわけだから意味が分からない。

 

職場でも社員ですら退勤の打刻をすると、制服から私服に着替えた途端にスマホをいじりながら店内を歩いて帰る奴が案外沢山いる。もう私服でプライベートなんだから、何をしようと関係ないみたいなスタンスなのかもしれないが、分かる人には「アイツは店員だよな」と分かるはずである。んー、人としてどうなのか?って感じがしなくもないが、アタイの考えが古いのだろうか。店を出るまではスマホくらい見ないで歩けよ。

 

まぁそんな社員に「なんでもっと出勤日数増やさないの?」と口々に言われるわけだが、一言で述べるならば「生きていけるだけの金があればそれで十分だから」に尽きる。実情としては、毎日体調が悪いので週5で働くとかありえねーから!っていうそれだけなのだが。

 

 

 

つーか普通に週5で9〜17時の労働がこなせるならば、とっくに就職してるわ。

 

今の職場だって「人手が足りないから」という理由でこれだけの時給を払っているんだろう。だったら、そんなにお金は要らないから最低限の労働だけでいいじゃないですか。幾ら自分が山手線沿線に住んでいて通勤時間が正味25分くらいだったとしても、朝の通勤ラッシュなんか年収2,000万貰っていてもゴメンだし、職場だって店自体が「週3〜OK,好きな時間帯に働けます、時給¥〇〇〇〇」みたいに書いてあるんだから、じゃあ俺はこの時間帯に働きたいですって伝えているんだから、何も問題はないはずだ。

 

そこを皆が「アイツは30代なのに週に3日しか働かないのはおかしい」みたいに指摘するんだが、「何の疑問も持たずに週5で働くのが常識みたいに思っている世の中」の方がよっぽどおかしいと思っている。大体お前らがそれだけ必死になって働いているのは、子供つくったり、家を買ったり変な趣味を持っていたりするからだろ。この間、社員がスマホで給与明細を見ているのがチラッと目に入ったが短時間労働とは言えど、週5で働いていてアタイとほとんど手取りが変わらない(アタイは深夜手当がつく)のを知って「社員ってなんだろうな」と改めて考えさせられたよ。ボーナスが出るとか、そういう違いはあるだろうけれど憧れるところが何一つない。

 

加えてちょっとニュースで聞きかじった内容とかで「また税金上がるらしいよ」と休憩時間中に主婦層が井戸端会議みたいなことを話しているのが嫌でも耳に入ってきて「だったら確定申告とかふるさと納税とかしないんすか?」って聞いたらお茶を濁したようにゴニョゴニョと「忙しくてそんな暇ないのよ。。。」なんて言いやがる。ふるさと納税なんかスマホがあれば休憩時間の1時間以内に余裕で出来るわ。何も知らないくせに「どうせ大したもの貰えないんでしょ?」とか言っていて、こんな奴らと同じ仕事をしているのかと泣きたくなる。

 

あれこれと文句を言うのも良いが、それ以前にやるべきことはやっているのかと問いたい。接客レベルも低いし、常連のお客と親しくもない。それなのにやたらと「今月はこの商品を売り込もう!」なんて会社の方針が毎回打ち出されて、自己申告でカレンダーみたいな表に「◯月✗日1個」なんて記録していくのだが、アホらしくてそれすらアタイはサボっている。実際に売り込まなくても、偶然お客がそれを持ってきてくれたら売った個数にカウントしていいことになっているルールなのだが、どのくらい売れたのかなんてどうせposデータに収集されているんだし、なんなら誰がいつ売ったのかの記録だってレジを通して集計されている。

 

それこそググれば分かるようなことをいちいち自己申告するというのは、非常にアホらしい。もっと言えばそんなセコいものを売って粗利を稼ぐよりも、アタイの方が客単価は高いし、よっぽど常連と親しくしている。極端に会社の運営方針に背いたような行為はしていないはずだし、もっと言えば会社の企業理念とか、朝礼で唱和するようなことはほぼ踏まえている。

 

先程にも述べたとおり、人と比較されるのが嫌いなので、アタイはアタイで出来ることを精一杯やるというスタンスで、微力ながら貢献しているつもりではある。それを表面上だけ見て「お前は頑張っていない、おかしい、変だ、もっと働け」と言われるのは心外だ。

 

 

 

色々書いてきたが、これでも自分の行動には自分なりにどうしてそういうことをしたのか、という説明が出来る。傍から見れば訳の分からん変人に見えるかもしれないが、誰も興味がないのか、心の余裕がないのか、忙しいからなのか訊いてこないが、一応理由は言える。

 

合理性を追求したからこそ服装は年中ワイシャツとスラックスだし、働けないし働きたくないから、なるべく働かないようにしているだけだ。

 

「あいつは週に3日しか働かないなんて羨ましいな」という感想に対しては「その分遊べなくなるし、娯楽や趣味はほとんど享受していないけれど、真似出来る?」と言いたくなるし

「週に3日だけの労働なんてクズだ!」と言うのならば「じゃあ一緒にウチでパートとして働いてみたら?フルタイムで週5働けるよね?」と言える。

 

まぁ自分の行動は説明が出来るとは言ったが、所詮ベースは統合失調症。支離滅裂なのがデフォルトなので、論理や整合性におかしいところは当然出てくる。ネットでもリアル社会でも関係なくそういうところを突いてくるのが日本人の陰湿さを体現しているなぁと感じるのだが、普通の人っていうのはそんなつまらないことにしか頭を使っていないのか。

 

 

 

それなりに大学を出て国家資格を取っておきながら、なんだかんだミスの許されないけれど面白くなさそうな仕事を続けている人をよく見かける。結構稼ぎは良いはずなのだが、休憩時の飯はいつもコンビニ弁当だし、せいぜい見栄えが良いのは最新のiPhoneを所持しているくらいだろうか。

 

親が定めたレールを何の疑問も持たずに歩んできた成功例っぽい雰囲気が出ている。つーか大学出て国家資格までとって、それでも接客業をやっているとかマジかよ・・・って思う。ネガティブに書いたのは、当人がそこまで楽しそうにイキイキと働いているように見えないからだ。

 

どっちが勝ち組なのかは言うまでもなく、国家資格保持の大卒の方ではある。多分将来には困らないんだろうなって気はするが、ビジョンも特に無さそうだ。「もう勉強は十分です」と言わんばかりに、弁当を食べ終えるとスマホクソゲーのハイスコアを叩き出すのに夢中になっている。なるほど、最新のiPhoneってそうやって使うんだ!とある意味感動した。

 

 

 

・・・もしかして考えることや悩むことが出来るというのは、すごく贅沢なことなんじゃないだろうか。自分はめちゃくちゃ暇だし、遊ぶお金はほとんどない。でも寝ること、考えることは幾らでも出来る。じっくりと物事を吟味したり、本質を考えたりするのは難しいし時間もかかる。勉強や運動も、取り組み始めてからすぐには成果が出ない点では、タイムパフォーマンスは悪いように感じるが、誰も無駄だとは言わない。

 

娯楽っていうのはお金で買えるし、あれば豊かになれた感じはする。ただし、無くてもそんなに困らないものだ。だから酒やタバコは明らかに人体に有害だと理解していても、ひどいと依存症になる。でも買わない人からすれば「無くなってもいい、税金もっと上げろ!」と主張したくなるのも分かる。

 

自分にとっても、遊園地やゲーム、テレビ、映画は無くなってもそんなに困らない。現にディズニーランドには20年近く行っていないし(誰も誘ってくれない)ゲームも所持していないし、テレビは自宅にない。映画も3年に一度見に行くかどうかって頻度だ。

 

それでもSNSを開けば誰かが有益そうな発言や、ちょっと面白いネタを出したりしてくれて油断すると1時間くらいは普通に溶ける。珍しく今日は一切SNSを見ずに過ごしていた(なんかダルいから)のだが、延々と流れてくる情報の中に興味を引くものを見つけるこの過程が、どことなくスロットやパチンコで当たりを出した時の喜びと近いんじゃないかという気がしたのだ。アタイはパチンコ屋に入店したことがないから、あくまでもイメージに過ぎないが。

 

「パチンコなんて金の無駄だよねー」とは思うが、よくよく考えてみると惰性でSNSを長時間見続けるのはとんでもない時間の浪費だ。あの無限に出てくる情報、ふと我に返ってスマホから顔を上げるとほとんど覚えていなかったりする。それでもまた別の時にSNSを見ると「あ、これ前にも見たな」という記憶は有ったりするのが不思議だ。しかし、かれこれTwitterのアカウントは14年以上続いているのだが、記憶に残る出来事がほとんど無い。

 

スマホSNSの登場前ってどんなことをしていたっけ?と振り返ってみると、ネットは家でパソコンからアクセスするものだったし、メールでやりとりをしていた記憶がある。たしかdocomoガラケーからメールを1通送るのが0.2円くらいだったような気がしたが、それでも頻繁に友人とやりとりはしていたと思う。

 

通信量の技術的な問題もあっただろうが、特に今みたいな広告が大なり小なり画面に存在はしていなかった。もっとシンプルだった。その分画像が貼れない点で、やりとりする内容も薄かったのか連絡は簡潔だったな。いつまでもダラダラ画面を見ず、メッセージが来たら返信するだけだった。

 

スマホが登場して10年以上が経ち、5Gも普及するとガキの頃の俺じゃ想像も出来ない現在が待ち受けていた。牛丼屋で飯を食うときも、書店で本を選ぶときにも、スーパーで買い物をするときでさえ、かならずスマホを操作している人がいる!街中の皆がスマホを手にして下を向きながら歩いている!どこがスマートなんだ?!主体性を失った人間が報酬を求めてさまよっているみたいじゃないか!ぶつかったらどうするんだよ、相手がデカい図体の怖いお兄さんだったらぶっ飛ばされるじゃん!つーかそこまでして得たい情報って何?アタイが知らないだけで、何かそれをやることで金を稼げたり、もしかしたら何か仕事中だったりするの??

 

まだアタイの価値観が古いのだろうか。首都圏はどこもこんな奴で溢れかえっている。スノボーに一緒に来てくれた友人がリフトで上った山頂でポケモンGOをやって何かをゲットしているのを見たときは呆れた。

 

でも今はそっちのほうが普通のように感じられる。アタイだって電車を待つ、乗車中なんかは流石にスマホを見るが、前提としてそのときは歩いていないからだ。交差点だって車の運転している人がスマホをいじっていたせいで手元が狂い、いつ突っ込んでくるのか分かりゃしない。そりゃ確率で言えば事故に遭うのは低いが、そんなしょうもねぇ奴に殺されて人生終わるのもださいし、スマホを見ながら信号を待っていたら気づくのに遅れて逃げそこねて死んだっていうのは最早ギャグに近いと思っている。少なくともその程度のレベルで死ぬ奴がマジで存在していて、仮に友人だとしたら間違いなく葬式には行かない。

 

こういうのが念頭にあるから、歩行中はスマホを見ないようにしているわけだ。でも周りを見ると、こっちの方がかなり少数派な気がするんだよなぁ。他人からしてみれば「なんでそんなしょうもねぇことに頭使ってんの?」って言われそうだけれど、アタイからすれば普通の人が仕事以外で何に対して頭を使っているのかは芸能人のプライベートよりも知りたい情報だったりする。

 

変人と言われる自分側から見た、世間のおかしいと感じるところを指摘してみたつもりだが、少しは共感出来るところはあっただろうか。こんなのばっかりだから、ストレスを感じてあまり消費やお出かけをしなくなった。

 

じゃ、今回はこの辺で!٩( ᐛ )و

 

 

 

☆=====三原さんが他にやっていること=====☆

 

無類のコーヒー好きのアタイが、ガチでコーヒー「だけ」を語る。三原さんの新たな領域!

www.rokujo-coffee.net

 

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